國連平和地域堤唱の基盤
すでにわれわれの歴史的体験は、第二次大戰の終結を契機として、近代國家そのものが、一つの新しい歴史的段階に進展しなければならない絶対の要請に直面したことを痛感するに至つた。
かつての一國々家の時代より、新しい國際的結合の國家連合の時代が、第一次大戰後の國際連盟より第二次大戰による國際連合への発展とともに開始され、各國が一國々家の絶対性を主張するのではなく、より大きな地球的秩序の中に、相互的相対性のうちに包含される新しい歴史的発展と変貌を実現しつゝある。
もはや、明治初期の近代國家発展の時代とは本質的に異り、時代そのものが大きな変化をとげたのであり、われわれに課せられた方向は過去的逆行ではなく、未來的前進を意味しなければならないのである。
なぜならば、われわれがふたゝびもとに帰ることは、軍國主義日本の再現であり、全体主義或は偏狭な國家主義の復活以外のなにものでもないのだと思われるからである。
かくて日本を、日本人自身の主観的観点からも、また、國際的な客観的観点からも、――世界平和と安全保障のために、安心しうる状態に置くこと――再び日本を軍國主義に委ねることなく、その経済的発展が國際市場の脅威となることなく、或はその過剰人口が貧困と飢餓の救いがたい状態に陥ることのない――國際的にも國内的にも安心して未來への自由なる発展と貢献のなしうる状態に位置ずけられること――こゝに日本國民の衷心よりの念願があり、すでにポツダム宣言によつて明確化された日本の未來への大道もまたこゝに存することを自覚すべきである。
國連平和地域としての日本の未來的方向はかゝる観点より究極の問題に対する最も高次な綜合的解決策として提起されるのであり、これによつてはじめて、日本軍國化の危機を解消し、日本の國際的発展が世界の平和と繁栄に役立ち、日本の人間力をして新しい世界宗教の原動力とすることを可能ならしめうると信ずるものである。
もとより、この未來的方向が、被占領國である國連未加盟國である日本の一方的な要請として一顧だにされないことも充分考えられ、現実的には寧ろそれが当然でもあろう。しかしたとえ旣定の講和條件をそのまゝ承認せしめられるとしても、單に講和條約のみによつては解決されない日本國民自身の不安と危惧の念を表明し、その究極的問題に対する日本人の意志を明かにする機会が必ずや與えられるであろうことも想像される。かゝる場合日本のとるべき根本的態度としてこれを直裁に大胆に表明しなければならない。
とくに日本の「國連平和地域化」の方向が、講和会議において決定されるものではなく、國際連合自体の決定によらなければ、なんら実効を持たないものであることを考えるとき、講和会議はむしろ、日本の未來への意志の表明の機会として、事実的に國家主権を回復した後における具体的運動の最初の展開としてとらえることが必要ではないかと思われる。
講和成立によつて國家主権を保持し、國際的発言権を得るならば、そしてもし幸いにして國連に加入しうるならば、國連平和地域化への要請は、ますます強力に提唱しうる基盤と機会を與えられたものと云うべきであり、全世界に自らの方向を主張する國際宣傳活動を全面的に展開することによつて、これを人類的輿論にまで高揚しなければならない。
國連による國連平和地域の拒否
日本の國連平和地域化への要請は、全世界に異常なる反響をまき起すであろう。
それは國連の最大の危機が、各國の絶対主権の固守によつてもたらされている現状にあつて、かつてない平和への主張として贊否両論の白熱せる討議を展開せしめるに至ることも想像される。しかし、各國の國家意識が依然として尖鋭な対立を示している現実にあつて、この全く前例をみない主張が蒙るであろう徹底的な反対、拒否、無視も充分予測される。われわれは、むしろこの反対論の立場に立つて、徹底的な反対を前提として出発すべきである。
例えば、左右両翼からの賣國的・亡國的主張としての抹殺と反対――或は國連に対する懐疑的批判的立場からの反対等――反対は國の内外を問わず、各方面から発せられるであろう。
しかしこれらのうち最大の反対は、直接的な当事者としての國連自体による拒否である。――國連平和地域の設定は國連の現実的性格よりして実現不可能である――それは國連憲章の改正を必要とする、それは仲々困難である――それによる國連の経済的負担が莫大になるのではなかろうか――國際的機関である國連が一國をのみ支配することは適当ではない――等々。
この場合、最初に明かすべきことは、これらの反対論が、國連をして眞に世界平和と安全を維持する唯一の機関であると信ずる立場たつて述べられているという事実である。國連を信ずることなく、また國連になんらの希望ももたないで、單に反対のための反対をつづける態度は論外としなければならない。
この前提に立つて、これらの反対論を検討するとき、問題は自から解明され、展開されるであろう。
われわれにとつて、國連の反対、拒否は、われわれ自身の発展の契機となるものであり、それを通じてはじめて、國連平和地域の構想を眞に明確化しうると信ずるものである。
國連強化と國連平和地域
現行國際連合憲章に、「國連平和地域」あるいは「國連安全保障地域」という規定はない。そのために、この提唱が、しばしば実現不可能な、非現実的提案とされるのであるが、現に存在しないから、將來においても存在しないとは何人も断言しえない事柄であり、とくに國連強化の方向が、朝鮮における國連軍の偉大なる成果を背景として、第五回國連総会のアメリカ提案により着々と実現されつゝある現実は、單なる平和維持機関としての國連より世界平和創造機関としての發展の過程に、実質的な安全保障地域の設定を実現する可能性を充分内包するものと考えられるのである。
すでにアメリカは第五回國連総会に対して、朝鮮動乱の経過にもかんがみ、世界平和機構としての國連の國際紛爭の平和的処理と発生防止のための機構強化にかんする三項目の強化案を提出し、國連の敏速な行動を確保し、世界平和維持の実際的要求に適合する画期的な方向を進めつゝある。
一、國際連合総会は、加盟各國が朝鮮の場合と同様、侵略に対し國連の統一指揮下に戰うことのできる兵力を特に準備しておくよう要請する。
二、総会は、侵略が起つた場合、たゞちにこれに対して行動できるように改組を行い、その議席手続きを変更する。(これは安全保障理事会が共産主義國側の拒否権工作で麻痺した場合、総会がこれにとつて代るものである。)
三、総会は、加盟國代表から成る平和監視隊を設け、紛爭が生じたときは東西何れの戰線へも直ちに派遣され、紛爭発生の原因について報告を作成し、その紛爭を発生せしめたものは誰であるかについて國連をして獨立の知識をもつようにさせる。
こゝに提案された三項目は、今後の國連の活動のために最も緊要とされるものであり、これによつて安全保障のための國連の強化が実現され、拒否権の障壁が総会の機能によつて破られるものと期待されるのである。
しかし現実的にこの提案が実行されようとする場合、加盟各國の兵力準備、あるいは平和監視隊の設置のみによつては未だ充分とはいえないのであり、その兵力が最も効果的に紛爭地帯に出動しうる國際的な安全保障のための基地を必要とすることは、あまりにも明かである。
現に朝鮮事變の示したものは、國連軍の基地としての日本の極東における戰略的地位であり、國連の勝利の背後に、日本の地理的存在の果した役割を看過することは許されないのである。
二つの世界の中間に立つ日本の極東におけるこの戰略的地位は、それが將來強化された國連による安全保障の直接地域とされるとき、アジアの平和と安定に及ぼすであろう効果を、眞に絶大ならしめることができるのであり、この極東における日本への構想は、西欧においては当然ドイツを対象とするに至るであろうことも予想されるのである。
この意味からしても、現在の國連強化の指向する方向は、その直接的基盤としての安全保障地域を必要とするに至るであろうことが十分推測されるのであり、こゝに國連直接地域としての新しい範疇と概念が改めて提起されなければならない必然性をみるのである。
もとより、この実現に困難であるとしても、人類が國連をして眞に世界平和の創造的実践機関とすることを決意するならば、これはふみこえるべき障壁であり、また爲されなければならない当爲的課題でもある。
國連平和地域の志向するもの
國連安全保障地域あるいは國連平和地域設定への提唱は、われわれ自身の國連平和地域化への要請と同時的に推進されるものである。われわれの念願は、われわれ自身のこの態度が、やがては全人類をしてその一切の國土を國連の平和地域とする方向への第一歩となることを心より期待するものに他ならないのである。
さらに國連憲章の前文が、「われら連合國の人民は」(We the peoples of the United Nations)――という冒頭の言葉によつて、從來の國際慣例を破つて人民を國際條約締結の主体とする異例の表現をとり、実質的に憲章が政府間の協定であるにもかゝわらず、それがすべての人民の決意の表明であることを明示していることは、われわれにとつて深い感銘を與えずにはおかないものである。
それは國連が、やがてすべての人民が一つなる地球的秩序のもとに包括されなければならない世界史の現実的方向への積極的な意志表示を行うとともに、全人類の普遍的理想への創造的発展の決意をあらわすものであり、われわれをして自らの國連平和地域化への努力が、それに最もふさわしい方向であることを再確認せしめるものである。
われわれは國連憲章が、その前文の冒頭において意志しながらも、その結尾においては現実と同調せざるをえなかつた理想と現実の相剋をこえて、國連機構が未だ実施しえない究極の形態へのモデルを自らの國土と主權と人民の根本的な在り方として表現しようとするものである。
國連安全保障地域、あるいは國連平和地域という概念は、かつてベルギー、オランダ、スイス等が、十九世紀的國際法による永世中立國家として認められたと同様の意味において、世界平和と安全を保障するための國連憲章による國連平和地域が承認されるとするならば、その性格を明かにすることができるであろう。
また、信託統治制度が、かつての委任統治制度の継承として、國際連盟的概念の延長と考えられることに対比して、國連のもつ独自な平和維持方式が当然もたらすであろう平和地域を考えることは可能であり、その意味において國連平和地域が設定されることも決して非現実的な妄想ではないと思われるのである。
國家主權の問題
國連平和地域化がもたらすであろう國家――就中、日本の蒙るべき影響と変化は、多くの人々が危惧するであろうような急激な変貌を、外的にあらわすことは殆んどないであろう。しかしそこに実現される内的変化は、過去におけるいかなる革命にも比して類例を見ないほどの歴史的意義と成果を示すものである。
戰争の防止と安全保障という人類の最大の悲願がこゝに達成され、狭い國家的限界性より、より大きな統一と秩序の中に位置づけられた國家が、かつてその主權の絶対性の主張による対立からもたらした悲劇の数々を、こゝに完全に克服するであろう。
しかし、このことは直ちに國家主権を國連に移譲するということを意味するのではなく、國家そのものの自覚的行動として過去におけるような主権の絶対視より、國連というより大きな秩序の中に包まれることを自ら希望し、要請することによつてもたらされるものである。
すでにかつての帝王神権説の絶対王制より近代國家主権の絶対性が過去的存在と化したように、現在の各國主権の無秩序状態と、それに起因する世界悲劇も、第一次大戰後の國際連盟より第二次大戰後の國際連合へのより大きな世界組織の發展のうちに克服され、そこに秩序と統一を求める國家自身の主体的行動によつて、最も平和なる変貌を実現することが果して不可能なことであろうか!?
國家主権の主体としての國民が、その國家主権の自己否定を意味する移譲というコースをとるのではなく、眞に國家主権のありかたを自覚することによつて、そのあるべき位置に自らそれを位置づけること――移譲という表現に内包されるほど國家自主性、自立性を否定するのではなく、國家をして眞にその本來の使命を果しうる場所に位置づけること――こゝに新しい國家主権の存在が明確化されるのである。
すでに人間に基本的人権がみとめられているように、國家に主権が存在することは当然のことである。しかしそれが絶対的なものでないのと同様に、またみだりに移譲されたりするものでないことは明かである。國家主権を移譲するということは、國家にとつて、人間が自らの基本的人権を剥奪されることにも等しい苦痛であり、そこには反抗と摩擦とが不可避であろう。
しかもすでに國家主権は事実的により大きな秩序の中に包含されつゝある。北大西洋同盟、或はコミンフォルムによるソ連圏内の結合にみられるように、國家が自らの平和と安全のために國家連合の一員としての義務を果たすということは、もはや常識的事実となつている。
ヨーロッパ連邦の成立への方向が明らかにしているように、そこには立憲君主制も、共和制も、そのまゝ並存するのであるが、ただそれぞれの主権の行使に関して、それをより大きな秩序の下に組織化することが各國の自発的意志にもとづいて実行されるのである。
國連平和地域としての日本
日本の國連平和地域化によつてもたらされるものと現状との差異は、少くとも外的にはきわめて簡單且つ明瞭である。
それには國連の承認と決議とを前提とするが、講和條約以前ならば、日本管理機構としての極東委員会の機能が、國連平和地域委員会によつて代行され、すでに占領軍的性格より日本の安全保障のための防衞的性格に移行しつつあるアメリカ占領軍の役割が、國際連合軍によつて受けつがれることゝなろう。
そして日本の安全保障地域としての役割は、すでに國連総会に提出された國連軍強化案の方向に沿つた、太平洋、極東における戰略拠点として、訓練、休養、補給等の機能をもつに至るであろう。
またもし講和以後となり、大体アメリカ案に沿つた講和條約が締結されたとしても、講和前と大体同様の方式の移行によつて実施されるであろう。
その場合、もし國防軍が設置されている場合にも、日本はあくまでも戰爭拋棄を実行しなければならない。
しかも將來、國際連合軍が世界各國軍の典型となり、模範となるものであり、最も信頼し、尊敬に價する無私公正な世界平和の軍隊でなければならない以上、もしそれに参加を許されるとしても、参加する日本人は、資質的にも、人格的にも最高の人間であることを不可欠とするのであり、世界平和のために自らの一切を捧げる決意と情熱のもとに結集された精鋭の中より嚴選されることを必要とするのである。
そして國連軍が日本を守るために存在すると考えるような狭義の國家的國防概念にとらわれることなく、日本はあくまでも世界平和を守るための國連軍の基地として存在することを自覚すべきであり、日本政府と國防軍との関連が、名目的に國連軍に参加したとみるような皮相的見解は絶対に拒否しなければならない。
日本國憲法と國連憲章との関係は、アメリカにおける各州憲法とアメリカ國家憲法との関係に対比されるものとなろう。
その場合、國連平和地域における國民の権利、義務は、直接的には日本憲法に規定されるとともに、同時的に、國連憲章によつて規定されるであろう國連人としての権利、義務を共有するに至るのである。
また日本國会は、國権が存する以上、日本國土における共同社会の最高の自治議会として、國連総会が將來達成するであろう形態の最も民主々義的な典型を創出しなければならない。
國連平和地域における司法権は、すでに現行日本警察法が、國家警察と地方警察によつて構成されているように、國際警察力としての國連軍と國内警察組織とによつて維持されるであろう。
そして國連平和地域における行政権もすでに國内的に地方自治組織が示しているように、日本國内の行政の処理について最大の機能を発揮するとともに、世界家族の一員として、國際的友愛と協力によつて築き上げられる世界協同体への直接的意志の反映を実現すべきである。
さらに財政問題において、國家財政と地方財政との類比がそのまゝ適用されると思われるのであり、平和地域自体が一つの独立した会計予算をもつとともに、その繁栄が直接國連自体を豊かにするという密接不可分の関連が確立されるであろう。
しかもこの場合、日本が殆ど経済的に無能力な状況にあるというならば問題外としても、一應、経済自立と発展を実現する能力を有する以上、國連に多大の経済的負担をかけるということは考え得ないことであり、むしろ國連自体が積極的に日本全土の開発を実現することによつて、反つてその経済力を強化することが予測しうるのである。
國連運動と世界政府運動
國連運動は、究極において世界政府運動と一致するであろう。
しかし少くとも現在の國連は、エメリー・リーブスが「平和の解剖」(The Anatomy of Peace)において批判し、非難した國連とは事実的にその実質を異にしていることを理解しなければならない。朝鮮事變を契機とする國連軍の創設、第五回総会におけるアメリカの國連強化案等を契機として、その致命的欠陥とされた拒否権問題を徐々に克服し、一國國家性より國家連合性への歩みをつゞけている國連の努力は高く評價されるべきものではなかろうか?
現在たゞちに各國の主権を放棄することが実現不可能である以上、世界政府の理想を、最も現実的な世界機関であり全世界を代表する組織とも云うべき國連を通じて実現する方向をとることが、最も賢明な途と云えるであろう。
しかしこれは世界政府運動の拒否を意味するものではない。世界政府運動を同時的に行うことが、國連運動にとつて何ら障害となるものではなく、むしろそれが最も望ましいものであるということが理解されなければならない。
國連と世界政府の理念は、ともに未だ発展の途上にある未進化の状態を示しており、いずれもその究極の目的として、世界の法的秩序による世界政府の理念をかゝげている。それは、方法的には相対立する感じを與えてはいるが、その実行の側面においては、むしろ國連が政治、経済的方向を主とするのに対して、世界政府運動は戰争否定の人類啓蒙運動的傾向を示しており相互に他を否定しない限り、それぞれの領域において充分相協力しうるものである。
國連運動の方向が究極的には世界政府の基盤となる國連強化を実現しつつあり、世界政府運動がそのための全人類的自覚を強調しているという相互的理解がえられるならば、両者の協力の上に推進される世界平和への方向は、必ずやその共同の目標を急速に実現せしめるであろう。
國連平和地域実現の意義
日本の國連平和地域化の要請は、仮え、國連自身の反対を受けるとしても、繰返し、全世界の輿論にまで共感せしめるべく熱烈に主張されなければならない。
しかもこれ以外に事実的に世界を「日本の恐怖」より解放するいかなる方法もありえないことを、日本人自らが過去に対する深い宗教的懺悔のうちに自覚し、その罪障消滅の唯一の方向として主張するならば、それは必ずや人類に大なる感銘と共感を與えずにはおかないであろう。
われわれは、濠洲の主張する恐怖が、決して理解しえないものではないことを自覚すればこそ、われわれ自身の國家的再建が再び「太平洋の脅威」となることを自ら拒否するのであり、國連の新しい秩序の下に、自らの國土を最も平和なる地域として建設しようとするのである。
われわれはわれわれのかつて犯した罪惡の禍根が、フィリピン國民をして未だ反感と憎悪のうちに、最も嚴格なる講和條件をもつて臨ましめんとしていることを、深い反省とともに想起する。われわれは出來うる限り、フィリピンの要求に應ずるとともに、將來日本経済の進出が世界を脅威することのないために、かつての一國の自給経済を放棄し、國連の経済的秩序の下に参加し、無秩序な國際的経済競爭を拒否したいと考えるものである。
すでに英連邦諸國の日本貿易の伸長に対する恐怖感が、今後仮え無制限に貿易が許されたとしても、なお依然として多くの障壁を残すであろうことを自覚すればこそ、われわれは自らの國際貿易が國連を通じて國連の公正なる運営の下に行われることを希望するものである。
われわれは自らの國土が四つの島に限定されなければならないとする主張に対しても、敢て異議を主張しようとは考えないばかりか、むしろ領土の大なることは、安全保障の困難性を增大するものとして、帝國主義時代の侵略、被侵略の焦点となることを危惧するものである。
そしてそのために、日本の再軍備が許容されたとしても、再び軍國日本を招來することは断然拒否するため、日本の四つの島を國連安全保障地域として、國連旗の下に國連の直接的地域として確保されることを要請するものである。
この國連平和地域化の方向こそ、現実のあらゆる問題にそれぐの多面的な解答を與えるものであり、それは單なる反対に対する反対――批判に対する批判として行われるのでなく、反対論の全面的肯定の上に、その反対論の帰結する点に立つてそこから、おのずから要求される問題として提起されるものである。
少くともすべての反対が、よりよい方向への発展を目的とする反対である以上、それらをすべて満足させる方向として想定されたこの方向が、これら一切の反対論をも包括しうる立場にあることは云うまでもない。
現実の最惡の條件と未來の最も歉ばしい形態とをいかに結合するか――この課題を具体化した方向こそ、國連平和地域としての日本の未來的ヴィジョンである。
われわれは日本のこの未來的方向が、いさゝかも物質的な利害打算、功利的態度にとらわれない、眞摯な、公正な意志のもとに主張されるとき、各國も必ずやその眞情に耳を傾けてくれるであろうことを信ずるものであり、それによつて各國の主張する一切の相違点が、この方向のうちに解消することを期待するものである。
アメリカは極東における防衞拠点を、國連の安全保障地域とすることによつて、事実的に米軍占領による負担より解放され、國連軍による平和地域の出現によつて、國防上の危惧感を一掃することができる。
ソ連は、中ソ同盟に警告した日本軍國主義の復活の根源となる再武裝が行われない事実、國連平和地域たる日本を攻撃することも國連加盟國として出來ないこと――等により、やがては、これを認めざるをえないであろう。
また太平洋諸國は軍國日本の脅威より解放され、日本商品の圧倒的進出による経済的恐怖からも脱却しえて、今後日本に対する敵視と反感を抱くことは止めるであろう。
そして國連自体も、國連強化の基盤として今後日本を利用することによつて、多大の発展を実現するであろうし、そこに世界平和実現の使命に最も適切なる方向を感得するに至るであろう。
國連に待望されつゝある役割が、まさに地球そのものの象徴として、その地上の一切を包括する共通の基盤の上に、現國家制との不可分の連関性によつて、地球的國家への橋梁としての使命を果すものであるとされるとき、われわれはこの地球の象徴としての國連を眞に地球そのものとすべく、國連による平和地域を、地球上の全地域にまで発展させる第一歩を、日本の國連平和地域化の提案によつて開始しようとするものである。