平和文化体系『地球の平和』趣旨 地球文化研究所
高松宮殿下序文 平和に寄す
日本の方向は、「ポツダム宣言」によつて明確にされ、今日われわれは、民主々義理想と戰爭抛棄を最高の目標として進みつゝ、幾多の變化を身をもつて體驗し來つた。この平和への方向にあつて、日本が平和文化國家としての自らの未來に向つて努力することが、そのまゝ世界平和へのさゝやかな寄與ともなりうることを、大きなよろこびもて自覺すべきである。
恒久平和こそ人類史の根本課題であるとともに今日の最大の現實問題でもある。
人類の長い闘爭の歴史において、破壊か創造かの解きがたい矛盾が人類の叡智による新しい方法――過去の破壊に代る未來の創造への要請として解決されるときに、まことに何人にとつても望ましい〝地球の平和〟の出現することを、今こそ人類は明確に認識しなければならない。
すでにそれを實現し、創造するに足る科學、物理又技術の發展は着々と行われている。
しかし、それを全からしめるためには、その科學的發展を、人類目的の下に活用する人間精神の根源的自覺にまつところ大である。
これこそ人間に内在している大きな光を求める愛の中に生きることであり、これを忘れて徒らに知的な分析のみに依存したり、矛盾對立面の擴大に努めるならば、人類は救いがたい破滅の運命に陷るであろう。
過去の日本の無條件降伏は、また單なる國家對國家の關係にとゞまることなく、眞に絶對平和への無條件降伏としての神への誓約でなければならない。それは眞に神に對する武裝拋棄とも云うべきであり、平和への精神的・物質的な獻身行爲によつてはじめて實現するものである。
日本は今や國土・國民・國史のすべてをあげて平和なるものへの自己開放を行うべき時であり、それは新しい平和文化への奉仕と貢獻を自ら實踐することによつて開始されなければならない。
まことに今日の日本の歴史的な立場は、約千三百年前、まさに聖德太子の時代――當時大陸との交渉によつてもたらされたイデオロギーの對立と相剋の中に、いかに生くべきかを求めつゝあつた日本の運命と酷似しているかのようである。當時、大陸より兵を撤し、軍事的國家より文化國家への一大轉換の時代に立つた日本に、大陸の文化は大きな對立をもちながら一度に流入し、日本古來の傳統とも鋭い矛盾をはらみつゝ、國内は指導階級の分裂による社會不安の激化によつて、危い現實に直面したのであつた。
この日本の深刻な危機に際して、聖德太子は、「人の和を以て第一とする」十七條憲法をもつて、平和文化國家としての最高の理想を表現し、日本の進むべき道を明示されたのであり、これこそ、今日の新憲法ともならべられる平和文化への大いなる宣言と云うべきものであつた。
さらに太子は、夢殿において自ら神・佛・儒のイデオロギーの調和と體系化を實現され、かの「三經義疏」にみる佛教の深い理解と本質の把握は、單なる海外思想のまねではなく、それらの創造的統一による體系化として、その上に一切の文化建設を社會秩序にまでおしすゝめられたのである。
今日、新しい平和文化の黎明に際して、千三百年の昔、國史のまさに半ばに立たれて、平和文化國家としての方向を決定された聖德太子の大理想を思うこと切である。
日本の民主々義の方向は、二つの世界の大いなる對立の中にあつて、その最も深い根源的理解とそれをいかに恒久平和の中に創造的に調和しうるか――という問題に直面している。
民主々義が日常生活の中で眞實の實踐をみるように、日本の民主々義の最高の目標としての平和文化も、國民一人一人の信念として國土の中に未來に構想され、それへの斷えない努力と獻身によつてはじめて實現されることを確信しなければならない。
こゝに〝大和(タイワ)〟としてあらゆるものゝ綜合と調和をなすべき日本の傳統的方向があり、平和文化の眞の意義を見出すとともに、それをさらに新しい平和への信仰にまで高めることを必要とするのである。
すでに原子力の開裂の響は、日本の國土に新しい平和世界を建設するための豫言の如く、さながら、萬世の平和を要望する神の聲のようにひゞいている。
このような意味で、本文化大系は平和文化のための綜合的研究を行いつゝあるが、實に、平和とは單に政治とか經濟の問題だけにとゞまらず、今後、人類がいかに生くべきかという問題として、體系的に解明されなければならない。
人間精神の根源的自覺に依る大きな愛の光のもとにあつてこそ、はじめて、現在の不安と動搖の人類生活に、永遠の平和が招來されうることを確信する。
転載元:地球文化研究所著平和文化体系『地球の平和』趣旨