國連に象徴される世界史の発展方向に対する最大の敵は、古く朽ちはてた民族あるいは國家に固執してその進路をはばむ旧國家主権そのものである。
この國家主権を絶滅する戦争が國連によつて開始されている。それは決して、所謂武力戦争の形態――米ソという國家主権の相戦う形態の示すものではなく、國家と國家をこえたものとの戦争を意味する。われわれは朝鮮にその生きた実例を見出すのであろう。
しかし、これこそ第三次世界戦争と云われるべきものであり、そこでは國家主権、あるいは民族の独立という十九世紀的な固定・枯渇した概念そのものが消滅されるとともに、それに固執するものは必然に淘汰されることを自覚しなければならない。
それは旧國家形態と新しい世界形態との対立相剋として、廿世紀の最大の危機を形成するものである。われわれは、それがとくアジアにおいて最も著しい相貌を呈しつゝあることを憂慮せざるをえない。第二の朝鮮の悲劇が行われる危機を、アジアはいたるところに露呈している。民族独立と國家主権の回復への要求が、強烈であればあるほど、淘汰されなければならない危険性がますます増大する――このアジアの悲劇をいかに克服すべきか!?――
第二次世界大戦は、第一次大戦によつて決定化され秩序ずけられた旧國家的基盤の固定化に対する現状維持と現状否定の対立と矛盾を契機としてもたらされた。しかも第二次大戦のもたらしたものが、民族独立・植民地解放として、一應旧秩序を否定しながらも、それ自身、もはや否定されるべき近代國家概念の虜となり、新しい世界史發展を阻止する方向に進まなければならなかつたところに、第三次大戦への最大の危機を孕んだのである。
われわれは第二次大戦の直接的な当事國として、そのもたらしたものが、反つて第三次大戦への契機を形成しつゝある現実に責任を感するとともに、われわれが爲しうる現実的な戦争回避の努力を行わなければならない。われわれは、第三次大戦への最も直接的な契機となつている國家主権そのものを自ら否定し、世界史の決定的な方向である「一つなる地球」への実現機関としての國連に、自らの一切を開放する以外に爲すべきものもないことを知るべきである。
われわれは自ら率先このことを世界に表明し、そこに平和への方向が残されていることを明かにすることによつて、現在われわれの果しうる唯一の平和への寄與を爲すべきである。
しかし、未だ國家主義の残滓を否定しえない各國が、今後、この國家否定の方向に対する抵抗を開始し、深刻な矛盾と軋轢と抗争の時代が展開されるであろうことも、充分予測されるところである。だが、われわれは、すでに一國家の権威が第二次大戦を契機として完全に喪われたことを、過去五ヶ年間の被占領國としての体験を通じて身をもつて実感したことを忘れてはならない。
われわれの経験は、もはや國家主権なるものが、廿世紀の牛ばにおいて完全に終焉しようとしているという世界史的な問題を明かにし、この基盤の上に立つて、再び過去にかえるのではなく、新しい地球的な結合への前進を指示するのである。
眞の愛國とは何か?――それは、すでに亡びゆく國家をあくまでも固守し、世界史に逆行して、自ら滅亡の運命を辿ることではなく、自ら國家否定を行うことによつて、國家そのもののもつ永遠の生命を世界史の発展のうちに実現することでなければならないと信ずるものである。
近代國家そのものの当面する今日の現実は、かつてその発展上昇期にあつた國民主義が、國家主義・民族主義として形成され展開された生長の過程より、その地域的・民族的限界に到達し、次第に固定化し固渇する段階に入りつゝあることを明示するものである。
その澎湃たる民族的発展と國家的膨脹の叙事詩もすでに色あせ、生命的彈力性を喪失した化石的概念は、その最後的形態しての帝國主義時代を必然化する。しかも、近代國家に内包された矛盾を克服し、階級否定による人類解放を夢みた共産主義も、一度び國家主権を獲得するや、全体主義的統制と帝國主義的膨脹を不可避とし、それ自体巨大なる全体主義的帝國主義による無限の戦争・革命を必然化する自己矛盾に直面するのである。
固渇化し固定化された近代國家そのものが、究極的に一つの帝國主義の対立と、その帰結としての原子力戦争をもつてわれわれに迫りつゝある現実こそ、われわれをして近代國家そのものをこえる新しい人類的方向をひたすらに探求せしめるのであ
しかし、すでに近代国家的基盤の中に生長し発展した科学技術は、国家そのもの地域的・社会的制約をはるかにこえた、地球的連帯感・社会性・人間性を、人類の最も直接的な感覚の対象とさえしようとしている。
この科学的・技術的世界において、すでに国家的制約がこえられているにもかゝわらず、政治的・経済的・思想的世界は依然としてそれらを閉ざしている。この現実の國家性と地球性との矛盾!――しかも、われわれにそれを克服する武器として與えられているものは、帝國主義という血ぬられた手段である。
國際連合はこれらの現実的諸矛盾を血なまぐさい帝國主義によらずに、國家間相互の融和と結合によつてもたらそうとする人類の新しい時代への大きな世界的実験である。しかしその最初の発足は現実の國家的諸矛盾を自ら内包しつゝ、しかも平和擁護という一線において、相互的協力を行う協議機關として出発したのであり、それ自体が理想形態には未だほど遠い渦渡的形態を示すものであつた。
今日、われわれの当面する課題は、この未発達・未進化の段階にある國連をして、いかに眞に世界平和機関たるにふさわしい生長と発展をなさしめるかという問題である。そして、なにによりも重大な問題は、國連が内包する近代國家そのものの矛盾をいかに揚棄するかという根本問題――近代國家の次に來るべき新しい地球的世界の哲学を明かにすることでなければならない。
國際連合を有機体にたとえるならば、その構成体としての諸國家細胞そのものが、正しい機能を有機的に営む國家連合として再構成されることが最も大切である。そしてこれを明かにしなければ、國連そのものが、その内包する内部矛盾のために崩壊せざるをえないのであり、この危機を克服する國連自身の新しい哲学を必須とする。
それは、現実的に単なる便宜的な條約関係においてのみ結ばれている諸國家の結合を、新しい地球的な理念のもとに融合・調和せしめるものであり、それが未だなされていないために共産主義の哲学的主張に対して無力さを示さざるをえない現在の思想的限界を克服せんとするものである。
國際連合の未來的発展のもたらす世界像は、かつての國家を、多彩な色調にいろどられた地球の変化あるいは地方的存在として位置ずけ、また絶対不動と思われた民族性を、かつて地球上の各地に定着した人間の動植物的生活形態によつて生じた生物学的概念として、各地方的特殊性による基本的類型として理解させるに至るであろう。そしてこれらの旧國家的・民族的形態をこえた新しい地球的・文明形態を現出するであろう。
それは、社会科学のさらに進化した地球的な科学性によつて支配され、人類の生命的進化と無限の創造を限りなく実現するものである。
すでに第二次大戦の終結によつて、一國一家の時代は完全に終焉した。
新しい國家連合の時代が世界の國々を結合し、黄金のオリーブに抱かれた平和なる地球に象徴される國際連合の発展として展開されようとしている。
もとよりその過渡的困難さが、幾度びか人類を絶望に陥入れるとしても、歴史に対する眞にすぐれた洞察は、もはやこの新しい地球世界にこそ、われわれの生くべき唯一の方向の存することを指し示すのであり、われわれの新しい飛躍を要請するのである。
われわれは、つねに未來を予見し、自らの未來に最も誠実に行動するもののみが、よく歴史の試煉をこえて、不断の進化と発展を実現しえたことを心に銘記するとともに、われわれの前途に示される決定的な方向の意義を自覚しなければならない。