こんにちは。
戦略思想研究所 中森です。
久しぶりにYouTubeチャンネル「むすび大学」に出演しました。
「むすび大学」運営者の皆様とご縁を頂いてからというもの、2020年のチャンネル立ち上げ当時から幾度か出演の機会を頂いていましたが、今回は4年と半年ぶりの出演となります。
前半は昨晩より配信中。
後半は明日の8月15日配信となります。
前半のご視聴はこちらから。
本日は『大東亜戦争終結ノ詔書』が降された日。
仲小路彰のグローバリズム体系を基に、恒久平和実現に向けた動画を配信できますことを心より嬉しく思います。
現行社会におけるグローバリズムは、地球全体を一つの共同体や市場と捉え、国境の垣根を越えてヒト・モノ・カネ・情報を地球規模で一体化させようとする思想や動きのこととされてしまっています。
本来、グローバリズムの原義は「球体、地球」を意味するグローブ(globe)にあることは明白なのですが、拝金主義的思想に洗脳されている現行社会は、経済的側面だけをもって「球体、地球」であると錯覚しているようです。
仲小路彰が提唱し、構築したグローバリズム体系はそのような「矮小」な思想体系ではありません。当たり前ですが、地球は人類の経済活動のためだけに存在するのではありません。
神武天皇が世界に発した詔”八紘為宇”。

戦後、”八紘為宇”という言葉を使えなくなったから、仲小路彰は世相に合わせてグローバリズムに置き換えたのであり、その趣旨は”惟神の大道”そのものです。
惟神の大道にあれば、好むと好まざるとにかかわらず、人類文明はグローバル化せざるを得ず、宇宙に出ていくことになる未来を予見していた仲小路彰は、同時に世界の終末的危機をも予見していました。

終末的危機を超克するためには、多国籍企業の退廃による世界的汚辱を全面的に除去し、世界的一大浄化運動の起点として日本を位置づけ、日本こそ自らの平和的素質に目覚め、地球的な浄化をなすべく、真に光ある精神的風土を一刻も速やかに創造、構築しなければらならないとし、平和文化体系を構築していたのです。
それは、決して空想ではなく、なるべくして成る理想的思想体系。
閑院純仁は仲小路彰の国を思い、世を憂える熱情に深い敬意を表し、月刊『朝』昭和47年7月10日号に寄稿しています。

月刊『朝』とは宗教団体「神光苑(あたらしい道)」に関連する刊行物であり、「天人女史(天人まつき)」はその中心的な指導者・創始者であるとされます。
私自身が神光苑との関わりがあるものではありませんが、非売文書である『懐想仲小路彰』に同記事が掲載されていたので、その一部を以下にを引用します。
老碩学の士は、未来学をグローバリズムの語をもって説明している。綜合的、全体的の体系という意味であろう。また球体を意味する。完全或は立体的という意も含んでいるであろう。
西洋的の思考は、すべて分析的、部分的に於て、すぐれているけれども、綜合的、全体的見地に於て欠ける点が多い。東西それぞれ特徴があり、共に人類の進歩に貢献していることに変りはないが、今日東洋文明は、西洋文明に比して著しく影をひそめ、反対に、西洋文明は、極度にまで発達している現状に於て、その幣害が顕著に現われてきた結果が、近来の人間社会の行き詰りを招いている。
これからは、どうしてもグローバル(綜合的)の方向に進むのでなければ、現代文明の危機を逃れることとは
できない。即ち、東洋文明の抬頭が待望される所以である。
東洋文明は、中国に、或は印度に、古くから貴重な伝統を有しているが、現在の共産中国の将来は甚だ不安定であると考えざるを得ないし、印度は国家としての力はない。将来の東洋に於て、中心を為すものは、当然日本国であり日本民族であることはいうまでもない。それは、アーノルド・トインビーや、ハーマン・カーンなど西洋の未来学の権威者も、ひとしく公言しているところであり、近い将来、東洋文化が西洋文化に代えて、世界をリードするとなれば、日本がその先達たるべきは、必然である。それは、現実的にもそうであるし、天人女史の説かれる如く本質的にもそうである。それが、二十一世紀に於ける世界の趨勢であろう。しかも、二十世紀末に於て、すでにその時期に入るであろう。
而して、日本が、その責務を果すことは、決して、生やさしいことではない。ソ連あり、中国あり、その世界の大国としての権威は高い。米国も、斜陽であるとはいっても、まだまだ大国の列から落伍するものではない。その他欧洲諸国をはじめ、世界中の諸小国と雖も、それぞれの主張は無視することとはできない。世界の歩みは、なかなか容易なものではない。国連の無力も、そこに原因する。
綜合は、分析よりも、はるかに困難である。日本が、西洋文化に追随して歩いた過去の道に較べて、将来進むべき綜合の道は、東洋日本の本質とはいゝながら、決して安易な道ではない。
グローバリズムは、未来の創造であるといわれる。未知なるもの、創造である。創造は即ち、成ってくる姿、天の摂理である。そこにこそ理がある。人間が創造するのではない。天(自然、神)が創造するのである。人間は、天の経綸に仕える駒でしかない。
これまでは、人間が、人間の智能を過信して、天(大自然の法則)を蔑にした。それが西洋文明であった。また現代の科学であり、文化である。
人間の思い上りは、今や天の審判を受けつゝある。天譴というべきか。
これからは、天の分霊であるところの、「みたま」個人々々の魂に基いて、真の人間界の創造に邁進すべきとき、智性人間の時代は過ぎて、霊性人間の時代を迎えるときである。
それが所謂グローバリズム時代であろう。また、いうまでもなく、それがこの道(新しい道)のめどう(目的目標)である。(中略)
「未来学原論」の中に、次のように述べられている。
「グローバリズムの原理」――「地球文化」――「宗教の根源」という見出しで、
共通の人類的心情の中にめばえた、宗教感情が、歴史的に、各地に育成するとき、そこに異った形態と様式とを持ち、それぞれ顕著な特徴を有する宗教をつくりあげ、各世界宗教圏を確立した。……………この文明の危機を救済する新しい神の出現を希求し、東方の宗教の再発見がなされつゝある。
次に、「永遠の平和」と題して、
世界平和への、熱烈な願望は全人類の共通の意志として、深刻な世界矛盾に苦悩しながらも、戦争防止への幾多の努力をつづけている。にもかゝわらず、文明の危機は、何等解決されぬのみでなく、かえって、現実的にはいっそう激甚なる抗争を増大するのみである。
現代世界が、その文明、世界原理に立つかぎり、ついに絶滅的終局に突入することは、歴史的、原理的必然であるといわねばならない。
現実に、幾多、試みられている政治的努力、法律的提唱、或は、国連の活動、軍縮、平和宣言、世界連邦運動、宗教的平和運動、これらは、すべて現象の一時的妥協に終らざるを得ず、それが、いっそう世界の内部的矛盾を深刻化する末期症状を呈している。更らに、論旨をすゝめて、「危機の根源」――「宗教、国家、観念」――「宗教の迷蒙」との標題のもとに、
人間は、宗教に、国家に、観念に、その救急を求めた。しかし、宗教はともすれば今日では現実社会に背を向けて、ひたすら彼岸の世界に逃避するばかりである。国家は人間を地域的に定着させ、権威の前に、一個の生物学的因果的存在と化せしめた。そして、観念は生命の活動を停止させ、一般的抽象性のうちに想像力を枯渇させるのみであった。
人間の歴史を作り成した宗教的なもの、国家的なるもの、観念的なるものは、もとより、あくまでも人間を救わんと努力しゝも、ついに人間をして、今日の最大の危機に直面させたのである。以上のように、人間は、その長い歴史の上で、平和を望み、幸福を願い、争乱を避けようとし、色々な宗教を編み出して、これに救いを求めようとし、また、政治的、社会的各種の方途に頼ろうと試みたが、その何れもが、人類の理想を実現する、決め手とはならなかった。
見方を変えれば、人間は、天(神)の期待に応え得なかったといえる。蓋し、天の理想は人間を幸福ならしめることに在るであろうからである。
人類は今、公害の急迫、戦争の脅威、相互の相剋等、あらゆる難関に直面している。人類将来の光明を見出そうとする未来学は、苦悩している。合理的、智性的、科学的基盤に立つ限り、それは永遠に未解の宿命である。
未来学は、神秘の分野に踏み入らない限り、或る限界を越すことはできないであろう。越すに越せない、通るに通れない道は、未来学の前途にも横たわっている。
今や、学問の時代ではない。天のはたらく時である。
昭和四十年代の後半から、また一九七〇年代以後、まさに天のはたらく時である。未だ嘗て経験したことのない人類の転換期である。
その転換は、数百年、数千年を待つことはできない。公害は刻々と人間の生命を犯し、核戦争の危機は一触即発に迫られている。最も近い時期に於て、解決されなければ、地球上の生物はすべて、生命を終る外なきにいたろう。
いみじくも、未来学原論に於て、筆者老碩学の士は、次の如く喝破している。「綜合人間学の方法」――「現代に於ける天才の役割」――「人間科学の地球的実験」等の項の中で、真の反応と成果が、着々と具体化されるのは、正に、一九七〇年を境とする二十世紀の後半であり、しかも、この過渡期こそが最大の危険をはらんでいる。……一つの文明が、まさに終焉しようとし次に来るべき大建設時代が待望される今日……、かつて、優れた芸術創造とか、偉大なる真理探究は、常にある一人の天才の霊感によって導かれ、その推理と直感とによって、すべてを明にした。今日においても、この原則は、いさゝかの変化もない。
かつて、レオナルド・ダ・ヴィンチが存在し、ゲーテがあり、カントが出たように、今日、人類文明の最大の転換期に立って、かくれたる天才、まさに二十世紀的ゲーテの存在を信じて疑わないものである。右は、まさに卓見である。しかし、惜しいかな、今の未来学は、龍を画いて未だ点晴に至っていない。そこに未来学の苦悩があり、未完成の所以がある。
然るに、天人女史の存在は、まさしく、未来学に点晴するものに外ならない。
科学時代の天才は智性の優れたゲーテであり、カントであったろう。しかし、神秘霊性の時代ともなれば、遥かに次元の高い天才が出現すべきことは、理の当然というべきであろう。
今、人間は、人智人力の如何に微力であるかを、思い知らされている。人智の結集たる科学、技術、所謂機械文明といわれる現代文化が、宇宙大自然の前に、如何に渺たる存在にしかすぎないことを、混迷と公害との中に身を置いて、いやという程自覚させられている。しかもなお、多くの現代人は充分な反省を自覚していない。
人間は、あまりにも増上慢であった。人間の分(分際、分限、本分)を知らなかった。
人間は、天(宇宙大自然)に従うのが分である。天に従えば、平和はおのづから開けるであろう。万世のために太平は開かれるのである。
一九七〇年代から二十一世紀にかけて、人間は、分に帰り、ひたすら天に従うべき時を迎える。社会開発も、人間尊重も、経済優先も、自然に反逆する方向を取る限り根本的に考え直すべきである。
天は絶対である。天の支配する人間界こそ本当の人間界であろう。天意のまにまに生きる人間(生物)こそ真の人間であろう。そこには、既に人間思案の上に立つ平和運動も、戦争放棄も、必要としない。人間は、自我を捨て、業を去り、天に随順すべきときを迎えた。人間は、宇宙大自然に従って生きるべきである。これが人間に与えられた唯一つの平和への道であろう。
天の神秘の、はたらきが、天人女史の神秘なる存在を通じて、直接人間界に君臨される時である。
閑院純仁が天人女史をして未来学の点晴とすることは、「神光苑」への寄稿であることを考慮しても、未来学即ちグローバリズム体系の趣旨を受けたものであると考えられます。
『グローバリズム体系グローバリズム「序説」11女性篇』に、女性の未来は、次のとおり創造されるとしているからです。
男性支配の旧時代の没落
家庭、差別的境遇よりの解放
産時の危険よりの解放
新生活形式の女性的創造
女性の脅威的発展による、人類の根本的不満の除去
全人類の半数を占める女性の隷属による人類社会の発達の障害の除去
女性の労働の新しい領域
女性の芸術文化創造
女性の園の建設
新しき人間–男女両性人の創造的進化、一個の人間の内部における男性と女性
プラトーン的恋愛の根源
閑院純仁のお言葉をお借りすれば、これらは天(自然、神)が創造する女性の未来であり、人類が随順すべきものです。グローバリズム体系を完成させるには、女性または女性的性質が必要不可欠なのです。
天縄文理論の「皇の時代」に通じます。
昨今の大衆迎合主義は、資本主義的グローバリズムだけを論い、紛糾していますが、その様は分析的、部分的であり、綜合的、全体的見地に於て欠けています。とりわけ、日本的思考であるとは言い難いでしょう。
ファインマン物理学が「鏡がなぜ左右を逆にして、上下を逆にしないのか」という疑問を取り上げ、脳の錯覚を明らかにしているように、そもそも人間の脳は実体を正確に把握する器官でありません。むしろ、虚構を創り出す温床になっています。

人間の分(分際、分限、本分)は分析的、部分的であり、その分が全体であると錯覚するのもまた人間の脳です。
約1400年前、聖德太子は、「人の和を以て第一とする」十七條憲法をもつて、平和文化國家としての最高の理想を表現し、日本の進むべき道を明示されました。
常識が説く平和は人間の脳が創り出した虚構であり、純粋なる平和ではありません。ゆえに「平和は脆い」と嘆く必要はありません。戦間期を平和と呼んでいるのですから脆いも何もないのです。
純粋なる平和とは、人類が「天の期待に応える」ことで創造、構築されるものです。

私が自負するところ、「人を相手せず、天の相手にせよ」とは、家族の期待に応えることでもなく、国家の期待に応えることでもなく、「天」の期待に応えることです。
その「天」とは家族や国家の上位概念にあらず、神格と人格のごとき別格であり、大志であるとか小志であるとか、そんな次元でもなく、競わず争わず、人間の内側から滲み出る光であり愛こそが「天」であると自負するものです。
「天」の期待に応えさえすれば、その結果、家族、そして国家の期待に応えることになるものと信じます。
マニフェスト・デスティニーよろしく、「天」が「人間が競い争い、奪い殺しあう」ことを期待していると信ずるのであればいざしらず、そのような虚構がつけ入る隙は「人を相手にする」即ち「他人の期待に応えたい」という「欲」から生まれるものと思います。
他人の期待に応え、褒めて貰えば、とかく人間は増上慢に陥りやすい。増上慢から虚構が生まれるのです。いわゆるマインドコントロールの対象は人間の脳であり、心(魂)ではありません。
「民」の期待ではなく、「天」の期待に応える政治を行えば、政治の延長線上には戦争ではなく平和があるのです。
閑院純仁のお言葉
「人間は、天(宇宙大自然)に従うのが分であり、天に従えば、平和はおのづから開けるであろう。万世のために太平は開かれるのである。」
が沁み渡ります。
自分の内側から滲み出る光であり愛が天(宇宙大自然)とのつながりを持った瞬間、自分が天(宇宙大自然)の一員であり、天の分霊であると覚った瞬間、自然と涙が流れます。
獄中にて『未来学原論』を読んだ藤本敏夫は、「歴史は未来からやってくる」という言葉を何回も読み返しながら、その度に新しい涙を流したと述べ、仲小路彰を追悼しています。
四半世紀前、鹿児島市からの自衛隊入隊者壮行会にて、入隊者代表として宣誓を行なった時、与えられた宣誓文の中で、「日本の平和のために」という文言を「世界の平和のために」と勝手に置き換えて、宣誓したところ、別途指導を受けたことは、以前お伝えしたとおり。
なぜ「世界の平和のために」と宣誓したのか。とっさに置き換えたので、私自身にも不明です。ただ「そうしたい」と思ったことは覚えています。「歴史は未来からやってくる」のです。
最後に繰り返します。
グローバリズムとは、未知なる未来の創造即ち成ってくる姿、天の摂理です。
天地万物と和解し、天とつながる人間界を招来する思想体系が真のグローバリズムであり、天意のまにまに生きる人間(生物)こそ真の人間であり、真のグローバリストです。
その趣旨は”惟神の大道”であり、”八紘為宇”と変わりありません。
YouTubeチャンネル「むすび大学」出演映像の前半は昨晩より配信中、後半は8月15日配信となります。
前半のご視聴はこちらから。
万世のために太平は開かれんことを祈りつつ、玉音放送の「型とふる舞い」に姿勢を縄(ただ)します。
それでは、また。
戦略思想研究所 中森護