薩摩ワンワールドと「つくられた」リーダー【ツラン論考44】

こんにちは。
令和史(れいわのふひと)です。

前回、パキスタンの「時と場」に触れたことで修験子より重大な示唆を頂きました。

端的にお伝えしますと、西南戦争(1877年)からスイスへのロードマップに第二次アフガン戦争(1878〜1880)があるというもの。

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出典:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1677837

その示唆に結びつく情報を簡潔に並べます。

イギリス東インド会社は国営企業ではないものの、1600年にエリザベス1世からアジア地域における交易独占権の特許状を授与されていて、実質的に英王室の影響下にあったと考えられます。

1858年、イギリス東インド会社はインド統治権のすべてを英王室に委譲、解散。同年、島津斉彬が急死、安政の大獄が始まります。

島津藩の下士階層が幕末に結成した一種の秘密結社「薩摩ワンワールド」の存在は、歴史研究家の落合莞爾先生が明らかにしており、薩英戦争を通じて、薩摩ワンワールドは「在英ワンワールド」の支部となったとされます。

一方、薩摩ワンワールドについては、大航海時代を知るマガダ国の王族をマラッカ経由で薩摩に呼び込み、小松帯刀監督下の下士連合を編成、明治開国に備えたと修験子より聞き及んでいます。

その詳細は『続・真方衆の正体【ツラン論考26】』に譲ります。

したがって、「空海が特定したマガダの僧」が「真方衆のプリンス」につながるとすれば、薩摩ワンワールドには真方衆のプリンスを欧州にお迎えする役割があり、第二次アフガン戦争をイギリス軍勝利に導いたのはシク教徒だけではないということになります。

今回の示唆は極めて重大で、前回の「ヨルダン王とモロッコ王」を包含し、少なくとも光格天皇の御代から論考を展開しなければなりません。世界王室連合の再編に関わる重大事案であると直観するからです。

弊社固有の膨大な情報を緻密かつ大胆に構造化していけば、きっと解決できない問題ではなく、その結果、あなたにワンワールド史の新境地を提示できるものと確信します。

未来を見透すために、必ずやお役に立てる史観を構築しますので、ぜひ楽しみにお待ちくださいませ。

さて、今回は「アサド政権をつくったものの正体」に迫ります。

イスラム国(IS)が最盛期を迎える直前、処刑された北朝鮮の実力者がその鍵を握ります。

また、1970年当時の国際情勢を把握する参考として、『2001年との対話』シリーズより、【世界危機の問題】、【ロストウの日本批評】、【ニクソン・チトー会談】、【フランコと会談】、【アイルランド行】の5つのレポートを共有いたします。

ぜひご活用くださいませ。

それでは本題に入ります。

本文はこちらのnote記事に掲載。

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それでは、また。

令和史(れいわのふひと)

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