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令和史(れいわのふひと)です。
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直近の二回は、
皇紀暦とスキタイの「時と場」の共振を見てきましたが、今回からは、ツランに論考の主体を移したいと思います。
ハンガリー政権交代により、
ウクライナが戦費枯渇を回避した直近の世界情勢も鑑み、手始めに日洪文化協会について見ていきたいと思います。
日洪文化協会は、
1938年11月の日洪文化協定締結に際し三井高陽が設立。
三井高陽は三井財閥の三井十一家のうち南家の10代目当主、日洪文化協会の会長に就任し、常務理事に今岡十一郎が就任。
三井高陽は三井財閥の当主として、
1930年代の日本における東欧・ハンガリー文化交流の最大のスポンサーかつ制度的後ろ盾であったとされます。
三井高陽がハンガリーにこだわった理由こそがツラニズム。
ツランはイラン語で「中央アジア」を意味することから、ツラニズムとは中央アジア主義とも言い換えられます。
ツラニズムは、
当時の知識人層に広く影響を与えていた思想的潮流であり、今岡十一郎はツラニズムの活動家としてハンガリーに滞在、オーストリア大使館兼ハンガリー公使館附武官山下奉文と夜更けまで語り明かしたとされます。
また、
三井高陽の精神的支柱に仲小路彰があり、「仲小路サロン」の拠点のひとつ星岡茶寮では、日洪文化協会設立の構想が練られたとされます。
仲小路サロンは「スメル学塾」に発展、塾頭には海軍大将末次信正、副塾頭には藤山愛一郎が就任します。
スメル学塾の会場は一ツ橋共立講堂。
鳩山薫の協力を得ています。
スメル学塾の活動母体は「世界文化復興会」とされ、1942年に財団法人化。
構成メンバーは次のとおり。
名誉総裁:高松宮
会長:宇垣一成
副会長:藤山愛一郎
理事長:荒川昌二
監事:深尾隆太郎
評議員:三井高陽
顧問:末次信正
川添浩史は渡仏前から仲小路彰と親交を深めており、帰国後はスメル学塾の活動拠点にも深く関与します。
ハンガリー出身の映像作家、写真家であるフランシス・ハール(1908〜97)は、1937年9月に来日、川添浩史と出会い、スメル学塾を通じて親交を深めます。
戦後、川添浩史とフランシス・ハールが手を組み実行したビッグプロジェクトが映画「天皇」。
スポンサーは川添浩史の早稲田の同窓、鹿内信隆が会議議長を務めるフジサンケイグループフジテレビ。
深大なテーマである映画「天皇」を制作するにあたり、川添浩史が選んだ監督は日本人ではなくハンガリー人。
川添浩史がハンガリーにこだわった理由こそがツラニズム。
ツラン論考におけるツランの仮説は次のとおり。
「古代の大規模事業を支えたワンワールド職能機構」
ツランには「縄文ヒノモトの義兄弟」という側面もあります。
中央アジアを故地とするツランを研究することは、皇紀暦の「時と場」の変遷および転換点で重要な役割を担っていることを知る人の専売特許です。
日洪文化協会の会長であり最大のスポンサーであった三井高陽はフランシス・ハール日本活動拠点開設趣意を贈り、「縄文ヒノモトの義兄弟」の型を示します。
その鋭い眼光には、中央アジアを故地とするワンワールドネットワークが
映し出されていたのでしょう。
それでは、また。
令和史(れいわのふひと)