こんにちは。
令和史(れいわのふひと)です。
承前、
昨今の国際情勢に鑑み、分析対象の「時」を1970年、「場」を中東として論考を展開します。
ただし、前回でもお伝えしたとおり、大国の利害が交差する中東では、どの局地的緊張も即座に全球的危機に転化します。
そもそも、即座に全球的危機に転化する局地的緊張の着火点となる「場」は中東に限った話ではありません。
そうなれば、1970年という「時」が重大。
仲小路彰は1970年を「人類の運命を予兆する決定の年」と位置付けていますが、修験子は「文明史上における終わりの始まり」と位置付けています。
実のところ、本稿の目的は『修験子シリーズ【其の四十三】文明史上における終わりの始まり』の深奥を見透かすことにあります。
厳密には、修験子が見透かしている深奥を同じ深さまで潜って観察し、理解し、ツランが描くロードマップを現出させることです。
ツランが描くロードマップを現出させることができれば、私たちの遺伝子情報が天空と共鳴共振する領域に辿り着くことになります。
それは、神が人間に与えた本性そのものを取り戻す領域であると確信します。
ここで、修験子が見透かしている深奥の一部を『修験子シリーズ【其の四十三】文明史上における終わりの始まり』から引用します。
皇紀二六三〇年(一九七〇)すなわち昭和四十五年は文明史の大転考期にあたり、日本にあっては初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げや万博(万国博覧会)開催などの一方でよど号ハイジャックや三島由紀夫「楯の会」事件など、和洋折衷が入り混じる文明的事件が起きている。
現行社会の基礎を司る出来事としては、正月元旦を基軸にコンピューターシステム上での時刻表現ユニックスタイムを午前0時0分0秒から形式的な経過秒数とする取り決めが実施された。
つまり、文明社会は国際政治の取り決めに参じる事を条件に成り立っており、その一員たる日本の法制下に属する日本人も文明人と見なされるが、その営みは国際度量衡局(BIPM)が、国際地球回転・基準系事業(IERS)の支援を受け維持する時刻系で、標準周波数と報時信号発射の基礎で国際単位系(SI)秒に基づく国際原子時(TAI)と同歩度で整数秒だけ異なる協定世界時(UTC)に従属しているため、世界各地の標準時(地方時=時差)の支配下にあるわけだ。
要するに、UTCの前身はグリニッジ平均時の事であり、西紀1970年1月1日0時0分0秒を始点に世界はコンピューターシステム下のプログラムに従属したのである。
はてさて、UTC(協定世界時)すなわちユニックス(UNIX)エポックとは、コンピューターシステム上での時刻表現の一種にすぎないが、その影響力は文明すべてに及ぶものであり、この系の表現方法は各方面のオペレーティングシステムに広く用いられている。かつては2000年問題なる騒ぎもあり、近未来は2038年問題を抱えているが、好むと好まざるに拘わらず、コンピューター主導に操られる文明社会が全人類に立ちはだかっている事に間違いはない。
高周波活性オーロラ調査プログラム(HAARP)は、高層大気と太陽地球系物理学、電波科学に関する共同研究プロジェクトと発表されているが、そのフォローアップは黙示録のようであり、その核心に達するような憶測は皆無に等しいと評されても仕方あるまい。何故ならハープの本格的始動は1970年1月1日0時0分0秒にスタートするが、ユニックスエポックの重大性すら詳報できないメディアにハープなど解せるわけがないのだ。
UTCを起点に本格始動したハープを理解し得ないまま、わけもわからず、文明社会に従うだけの各国政府が発したコミットメントは「本年を機にe政府へ転じる」という公約であった。
その先陣がマイナンバー制度の構築であったが、未だe=エレクトロニクスの何たるかも知らない政府に何が出来るというのか、有名無実が参集する有識者会議から何が産まれたというのか、先走る筆舌が放つ一発芸はテレビに依存のほかないタレント・レベルではないのか。
ともかく、当年(一九七〇)は文明史上における終わりの始まりと私は自負している。
同年二月十一日に打ち上げた「おおすみ」の件は前述したが、この失敗が許されない事案に潜んだ目的が何であったか、以後のバタバタを観る限り、政官業言に人財なしと言わざるを得ない。もはや米ソインチキ体制下の換骨奪胎は日本の政官業言を骨抜きにしており、常に念頭をよぎるのは儲けてナンボのカネまみれに浸るだけだった。
一週間後の十八日、米ニクソン大統領が教書に強調したのは日本の役割であり、三月一日に米軍が発したアナウンスは新たな輸送戦略の核拠点として嘉手納基地(沖縄)を使うと決している。
この一連から生じたのが、日本の頭越しに行う米首脳らによる訪中、基軸通貨を独占せんがためのドルと金保有量との兌換停止およびオイルショックなど、最後のシメを沖縄返還で誤魔化そうと企む悪乗りの一環性である。この一環性の検証に透ける未来は読者自身が洞察してほしい。
ニクソン教書の四日前(十四日)、日本では大阪万博が開幕され、同月末日には日本航空三五一便ボーイング七二七ー八九よど号が赤軍革命派を名乗るグループにハイジャックされている。
日本初のハイジャック事件をメディアなかんずくテレビは如何に検証すべく対応したのか、結果は約一年十一か月後に生じた浅間山荘事件で明らかにされるが、答えは自分たちの利己欲を優先させる視聴率に拘るのみ、ワイドショーを以て電波を無駄づかいする事にかぎられた。
今に伝わる右二つの事件が明らかにするところは、日本中が無い物ねだりに焦がれるバンパイアと同じ悲惨な状況でしかなかった。わずか半世紀前の事件ゆえに、官製と他の資料を見比べる事も含め私見を編む身近な試金石となるのではないか。つまり、右二つの事件も表層を伝えるのみ、文明史を解くキーワードの一つゆえ、読者自身の私見を編む検証材料でもあるのだ。
周恩来の北朝鮮訪問が四月五日、五日後にはビートルズが解散、同月十六日の米ソ本会議では戦略兵器制限交渉(SALT)が開始されている。同月二十四日に打ち上げた人工衛星は中国初の成功とアナウンスされ、周恩来の外交が活発化している事に同調するものであり、私の聞くところではよど号ハイジャックともリンクするとの報が届いていた。プラハの春が事実上の終焉(六月二十六日)に至るニュースから何が見えるかを明らかにした有識者は日本では皆無に等しかった。
七月十四日とつぜん日本の呼称を「ニッポン」に統一とアナウンスした閣議決定に潜む機密事項が意味するところは何であったのか。八月にはアラブ連合とイスラエルが停戦で合意しており、同じくソ連と西独との間に武力の不行使条約が締結されている。
パレスチナゲリラがヨーロッパで旅客機四機をハイジャックしたのが九月六日その十日後にはヨルダン国王フセイン一世が軍事政権を発足させ全土に戒厳令を敷いている。その三日前に閉幕したのが大阪万博で延べの入場者は約六四二一万人と発表されている。ヨルダンの戒厳令二日目にはいわゆる黒い九月事件(パレスチナ解放機構=PLOとの内戦)が発生して、八日後には国王とアラファトの間に停戦合意が交わされている。アラブ連合ナセルの急死は三日後のことである。
1970年9月28日この日に何があったか、これを知らないエコノミストやアナリストは自らを恥じるべきである。クリアストリームの前身すなわち有価証券配送センター(通称セデル)がルクセンブルクで十一か国六十六金融機関によって設立された年月日である。特記は手形交換制度の運営をファックスマネーで行うのであるが、IBMからコンピューターをパートタイムで借り決済処理する事に全てが集約される。つまり、マネーロンダリングの再編が行われたのである。
前記したユニックスエポックの具現化スタートに連動している。アイ・ビー・エムがペンタゴンの傘下にある事を疑うエコノミストを敵にする気はないが、翌年(一九七一)のニクソン・ショックを機にセデル加入(一九七二年十月)の銀行は三百七十一行に達しており、翌年(一九七三)に日米欧三極委員会が発足のち日米欧を除去するが、このニッポンはヒノモトと異なる別ものである。
三極委員会の建前とするところは、主導者をディビッド・ロックフェラー、ズビグネフ・ブレジンスキーらとしているが、本音は基軸通貨のドル一本化を促すため、新たなニギリ・ホテン・トバシを行う通貨操作が根底に潜んでいるのだ。
当年(一九七〇)九月十七日、出生地を日本とするソニーがニューヨーク証券取引所で上場された事の深層を取材したアナリストはいるのだろうか。UTC(協定世界時)十月十四日に時間差を以て行った中国→ソ連→米国の核実験が意味するところは何だったか。十月二十六日(一九六三)は日本政府が毎年「原子力の日」としており、この原発記念日に因むなら私の解は整っている。
十月二十九日には米ソが宇宙協力協定に調印、十一月六日にはイタリアと中国が国交樹立、一週間後(十三日)アサド国防相によるクーデターはシリアの実権掌握を意味しており、以後シリア内ではアサドが大統領一族の家名として認識されるようになる。現行バッシャール・アル=アサド五六歳の着任は二〇〇〇年七月十七日であるが、無知では済まない日本政府は他人事のようである。これまで無関心だった「尖閣諸島」を中国の新華社通信が急に中国領と言い出したのは十二月三日その十二日後に発生した南営号沈没事故すなわち対馬の西百キロ付近の事件は何を意味するのか。
以上、当年(一九七〇)内に生じた出来事からアップしたが、全てがUTCに因む一環性ある現実事象であり、その総合的立体構造を解くキーワードこそコンピューターと自負している。
以上、ほんの一部ではありますが、1970年という「時」の重大性がここに凝縮されています。
ただし、そのまま読んだところで、修験子が見透かしている深奥まで辿り着くことはできません。HAARP文明未来論に参加されている方は、グッと近づいていますが、まだまだ奥は深い。
そのために、本稿においては、仲小路彰主宰の高輪倶楽部研究室が1970年前後に刊行していた月刊レポート群『2001年との対話』を研究対象としています。理由は明確で、仲小路彰もまた1970年を「人類の運命を予兆する決定の年」と位置付けているからです。
今回引用するレポートは、ナセル急死の直前、1970年9月26日、27日のニクソン訪欧に関する内容です。
カンボジア秘密爆撃(作戦名:メニュー)、カンボジア地上侵攻、ケント州立大学銃撃事件、ジョンソン政権下における「ソンミ村虐殺」カリー中尉軍法会議、、、「死刑執行人のニクソン」のシュプレヒコールが飛び交うほど、「熱い秋」が冷めやらぬローマ。
レポートの舞台は中東から地中海全域に渡ります。
それでは本題に入ります。
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『修験子シリーズ【其の四十三】文明史上における終わりの始まり』の深奥に辿り着かんがため、次回、「プラハの春」を起点として論考を展開します。
それでは、また。
令和史(れいわのふひと)
