こんにちは。
令和史(れいわのふひと)です。
昨日、「米国とイラン、戦闘終結覚書合意」との速報が走り、パキスタン政府によると19日にスイスで署名式を開くとのこと。パキスタンの「時と場」はツラン論考において重要となるため、冒頭で触れておきます。
1849年、二度に渡るシク戦争の結果、イギリス東インド会社による武力併合が行われた地域が現在のパキスタンを構成しますが、1878〜1880年の第二次アフガン戦争には、パンジャーブ地方出身のシク教徒がイギリス領インド帝国軍の「主力」として動員され、イギリス軍の勝利に決定的な貢献をしています。
シク教徒部隊なくしてヒンドゥークシュ踏破はなし得ず、フレデリック・スレイ・ロバーツ率いるカンダハルへの強行軍の成功もなかったでしょう。
シク教の創設者グル・ナーナク(1469〜1539)は、パンジャーブ地方で布教を開始しますが、その事績はワンワールド・キャビネットの構成員たる山の長者「マギ」につながると修験子より聞き及んでいます。

シク王国がイギリス東インド会社に降った1849年にファイザー社が創業しますが、現CEOアルバート・ブーラはギリシャ系でありつつも、スイス北部が本貫であるとも聞き及んでいます。
新型コロナウイルスのパンデミック下にけるアルバート・ブーラとビル・ゲイツの連携は、陰謀論者の好物となっていますが、その氏姓鑑識はヨーロッパの某名門王家に接合することになると聞き及んだのは4年以上前のことです。
ギリシャといえば、ツラン論考として歴史的深いつながりを持つキプロスも外すことはできないのですが、他の機会に譲るとして、中東、地中海という「場」でヨーロッパの老獪さが際立つことには、山の長者「マギ」と某名門王家の深謀遠慮を垣間見ることになります。

つまり、パキスタンの「時と場」もまた現行中東情勢へとつながる連続性の中にあるのです。
それでは、「時」を1970年、「場」を中東に戻します。
今回より、昨年の修験子への取材で提示された命題の証明に挑戦します。
その命題とは、「現行の中東問題は、中央アジアの問題の後始末」。
その証明の前段階として「プラハの春」を起点とした考察を展開します。
AI時代に価値ある考察は未開の領域にしか存在せず、修験子から教わる知見は常にAIの守備範囲外にあります。AIには到達しえない発想や知見、その根拠はタマコト(霊言)にあり、修験子から発される情報には常にタマコト(霊言)が結びついています。
したがって、修験子から得られる命題の証明に挑戦することは、AI時代に人間の真価を引き出す王道であると確信するものです。
考察のために吟味すべき材料として、引き続き、仲小路彰主宰の高輪倶楽部研究室が1970年前後に刊行していた月刊レポート群『2001年との対話』を引用します。その理由は前回お伝えしたとおり。
ところで、『2001年との対話』が配布されていた対象者について問い合わせがありましたが、諸事情によりお知らせすることができないため、参考として、仲小路彰主宰の地球文化研究所が刊行していた『地球との対話』シリーズ配布対象者をご紹介します。
『地球との対話誌友』(A・B・C順尊稱略)
浅尾新甫 渥美育郎 麻生多賀吉 千金良宗三郎
江守清樹郎 遠藤政次郎 古垣鐡郎 古野伊之助
藤山愛一郎 藤間万三哉 東久邇稔彦 長谷川才次
濱口雄彦 長谷川如是閑 久原房之助 八田一朗
岩﨑輝弥 岩﨑忠雄 伊藤道郎 伊藤述史
石川欣一 石橋湛山 一万田尚登 井上勇
金森徳次郎 小泉信三 小林一三 木内信胤
工藤信一良 加納久朗 川勝堅一 川添浩史
きだみのる 李銀 水野政直 松平康昌
松本幸四郎 松方義三郎 村田省蔵 三井高陽
森岩雄 真船豊 松永安左衞門 丸川仁夫
武者小路公共 三井高修 松方權次 楢橋渡
永井荷風 中島久万吉 永田雅一 仲小路宣
大山郁夫 緒方竹虎 大河内一男 岡本太郎
鈴木九万 澁澤敬三 島津忠承 千宗左
佐藤尚武 澁澤秀雄 坂倉準三 鹿内信隆
徳川宗敬 竹田恒憲 竹内俊一 勅使河原蒼風
谷﨑潤一郎 田中耕太郎 遠山不覇夫 津島壽一
鶴岡千仭 高橋誠一郎 十河信二 高瀬待郎
寺田甚吉 高﨑達之助 吉田健一 湯川秀樹
(他略)
『地球との対話』シリーズは1950年代に刊行されていたレポート群であり、1970年には故人となられた読者もいらっしゃいますが、戦前、戦後の日本の発展に尽くした人物ばかり。
主宰に変わりないため、『2001年との対話』シリーズ配布対象者の属性にもさほど差異はないでしょうし、こういった方々が、大なり小なり、仲小路彰の影響を受け、その知見を各分野で活かしていたのです。
さて、「プラハの春」を起点とした考察を展開するために、今回、【ヨルダンの停戦】に関するレポートを引用します。
ナセル急死の前日に開催されたカイロ協定のボイコット国(シリア、イラク、モロッコ、アルジェリア)に着目し、「ヨルダン王とモロッコ王」の系譜を明らかにしなければ、「プラハの春」に始まる「中央アジアの問題の後始末」の連続性を洞察できないと考えるからです。
「ヨルダン王とモロッコ王」の系譜が重要であるとするには明確な理由があるのですが、「プラハの春」と「アサド政権」の誕生を接合するためには、ハーシム王朝ファイサル一世の軌跡が示す「シリアとイラク」の「時と場」を明らかにしなければならないと考えます。
さらに、参考として【ナセルの死】と【各国の反響】に関するレポートを共有します。
それでは本題に入ります。
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今回は、「ヨルダン王とモロッコ王」の系譜および「シリアとイラク」の「時と場」を明らかにしましたが、その目的は「プラハの春」と「アサド政権」の誕生を接合することにあります。
次回、「アサド政権をつくったものの正体」に迫ります。
それでは、また。
令和史(れいわのふひと)
