地球をめぐる恐るべき狂乱の光の中に全人類の最後的破局の迫りつゝあるとき、この全地球の深刻な戦争への運命をいかに救済するかは、たゞ最も正しい宗教的信念による平和への決意によつてのみ初めて可能であろう。即ち世を覆う現代の不安と恐怖の暗澹たる死の深淵の中より、眞に神に対する救いの祈りを捧げるべき新しい宗教的世界が出現することによつて、初めて人類の悲劇を防止しうるのであり、こゝにこそまことに歴史の辿るべき必須の方向を見出さねばならないのである。
すでに朝鮮の戦火が全人類の精神を衝撃し、その発展の前途は恐るべき不安に包まれ、原子爆彈の威力が目前に全世界を脅威している一方、いまや世界に平和への願望は力強く拡大されようとしている。
かく政治的に、経済的に、或は文化的につゞけられつゝある幾多の平和への努力がありながら、しかも並行的に、戦争への激しい努力が推進されている事実を見出し、その力の驚くべきアンバランス、その間の恐るべきギャップに、人はむしろ絶望をさえ禁じえないのである。
すなわち、今日、国際連合をはじめ、多くの政治的平和の確立に対する運動が活潑につゞけられているが、しかもそれは、各国が戦争準備のため、或は防衛力の拡大のために、政治的目的に傾けている精神的・物質的努力に比して、未だ微弱であり、薄弱であると云わねばならないのである。
人類の前途を憂うる原子科学者達は、その道徳的責任感から、科学的な文化的な平和運動を実践している。しかし現在、世界の科学的知性は果して何に動員されているであろうか? 大多数の科学者達が日夜研究をつゞけているものは、一体何であろうか?–
また歴史的に人類の平和なる未来を推測しようとする試みも、過去の歴史がことごとく戦争に色どられている事実の前に、戦争への因果律的結論を充分に否定し得ないでいる。
そしてつねに歴史の背後にあつて、その発展の根源力を形成し來つたエネルギーは、現実的に果して何を意図しているであろうか?
かくて現実の多くの現象に表わされている戦争への不可避性は、今や否定しがたい動向となつて全人類の心を重苦しく圧している。現実的に見た場合――戦争への方向はまさに不可避とさえ云いうるのであり、原子爆彈の洗礼が全人類に下らんとする状況は、まさに明日に迫つているかも知れない。
しかし人類全体がこの生死の決断に迫られているとき、人間は終局的に果して何に救済をもとめようとするのであろうか?
–こゝに人間における宗教の問題が戦争と平和の最後的解決を示すべき根源的な「場」として残されていることを知らなければならない。
宗教の問題とは人間を支配する生と死の問題である。人間との最深の内面的連関にある宗教的世界こそ、地球そのものの生死に直面する人類にとつて、戦争への一切の強制と圧力に抗することとの可能な唯一の存在に外ならない。
現実の世界の辿るべき戦争への方向にあつて、その同一の次元に立つ限り、人類の死が避けえない運命として迫つているとき、この死の世界より生の世界へ――戦争より平和への復活は、より高次なる宗教的世界への飛躍によつてもたらされるのであり、これによつて因果律的には不可能とされる平和実現の奇蹟も、未来創造のプロバビリディとして実現されるのである。
かくてこゝにベルグソンの云う――創造的進化における生の飛躍――としての宗教的世界の実現があり、戦争と平和の不連続な断絶をこえて、生命の創造的発展を可能ならしめる唯一の方法が存するのである。
そして人間の誰しもが等しく、むしろ無意識的に抱いている――生死の絶対の危機に直面するとき、宗教的な奇蹟の出現によつて終局的な救済への道が開かれるのではなかろうか?――という予感に対して、この人間共通の潜在意識の世界への強力なる呼びかけとして、また來るべき平和世界への祈りとして、新しい宗教的平和運動が為されるとき、戦争への強力なるエネルギーを眞に拒否しうる人間的基盤を構成することが可能となるのであろう。
しかしながらこの平和への宗教的方向を簡單に過去の宗教にもとめることはできぬであろう。
過去の分派的・民族的宗教における祈りは、現実の否定の上に、彼岸に平和なる世界を夢みていたのであり、彼岸と此岸とはこえがたい断絶をもち、現実的には戦争への個人的・社会的祈願として、むしろ戦争の肯定と戦争への方向を助長するものであつたことを明確に認識しなければならない。
しかも今日の現実にあつて、いまだつゞけられつゝある宗教の悲劇――各宗教の分裂・対立・抗爭――とくに宗團と宗團の血をもつて自己の勢力圏拡大のために相撃つアジアの悲劇は、余りにも痛ましい現実を示しているのである。
今こそこれらの宗教的対立をこえた新しい世界宗教の出現が、宇宙的宗教感による統一によつて実現されることを人類は哀心より切望しているのである。そしてこの新しい世界宗教への統一は、最近科学の尖鋭なる成果と宗教の眞義に徹した深い体験との結ぶ方向に、円かに醸成されるのではあるまいか。
世界平和への唯一の方向として残されたこの世界宗教による平和運動こそ、現実的に戦争を克服しうる最大の希望であり、「地球の平和」を壊滅せんとする悪魔的なる原子爆彈に対する神の原子爆彈に外ならないのである。
かつて原子爆彈の炸裂が、史上空前の惨禍を極めた第二次大戦を終焉にみちびいたように、今にして神の原子爆彈が再び日本に炸裂するならば、必ずや第三次大戦を未然に防止しうる最大の奇蹟を招來することができるのであり、こゝにこそ永遠に戦争拋棄を実現し平和地域としての方向に進みつゝある日本の唯一の大道が存するのである。
日本の國土は古來あらゆる神々の諧調の地として、そこにはすべての宗教をその上に包容し來つた歴史の傳統を未來に生かしうるのであり、今や國連の平和地域として世界宗教をその秀麗にして多彩なる変化と色調に富む國土を、新しい聖地として、世界宗教の交流と発展の地に開放するとき、世界宗教による平和運動は眞にその現実的基盤を確保しうるであろう。
こゝに「地球の平和」への根源的な光が放射され、人類の永遠の理想を現実化し、死をこえて神にすべてを捧げる新しい生に立つ平和的人間の出生が可能となり、日本を根源的基地とする宗教的平和運動は、あらゆる人間の心に通う宗教愛の環を地球をめぐつて鮮かにくりひろげるに至るであろう。
かくて日本の全土をあげて國連の平和地域とする基本的方向は、同時に全國土を新しい宗教の聖地たらしめる平和文化運動との根本的一致をみるのであり、その神への献身はまた國連への奉仕としての形をとることによつて、日本は平和の聖地となりうるのである。この新しい宗教の聖地建設の平和文化運動こそ、現実のあらゆる諸問題をこえて永遠の平和を実現しうる最大の方途であり、こゝに一切を集約し、すべてを集中するとき、それは必ずや実現しうることを確信し、その大いなる実現への行動を開始しなければならないのである。
転載元:地球文化研究所著『日本經營計画』(1950年12月発表)