知性の輝かしい勝利を告げる科学は、その飛躍的進歩にともなつてます〲人類を奴隷化し、その最高の成果たる原子力の存在そのものが人類を脅威する。政治的・社会的解放の方向は徒らに権力の爭闘手段と化して、権力の獲得が反つてその巨大極まる非人間的機構の中に人間を機械化せしめる。あらゆる思想、哲学、或は藝術に示される知的分析は、個人の心理的性格解剖、自己の内的世界の探求をもつて、ついに矛盾の絶対性、人間存在の無の自覚として、孤独なる実存的人間の悲劇に、虚無的頽廃の淵に沈倫せしめるのである。
かくして人間知性のあらゆる所産は、その究極において人間自らを救済するには無力であり、その未来に対して絶望を表白するのみである。
この現実の絶望から人類を未來に救済しうるためには、たゞ近代人のもつ知性、理性、或は悟性の限界をこえた新しい霊性の出現を必要とする。
その精神の純粋なる本性は、これまで所謂近代的理性によつて否定され、或は宗教的世界にのみ存するものとして現実から切断され、かつては輝かしい歓喜と調和を宇宙と世界に放射し、交響し、生命的に交感していた光が次第に失われて行つた。
しかも全人類が破滅に直面するこの現代の終末の暗夜にこそ、近代的理性の絶望の底から、それによつてのみ現代の救済を可能とする新しい光が生れんとするのであり、今や新しい霊性の誕生する時機に際して、人間はこの聖なる曙光を浴びて自らの精神の闇を浄化せねばならない。
しかもこの宇宙的霊性は、いまや最も古くしかも最も新しい形をもつて現代世界に出現せんとしているのである。
人類史の発展をつらぬく永遠の眞理は、つねに各時代の歴史的現実の上に、さまざまの歴史的意味をもつて願現されるものであり、その光を受けた人間によるその具体的生命化にこそ、新しい世界が創造され、新しい時代が展開される。今やその発現として原子力時代に入る人類史の運命的方向を感覚しうるのである。
現代世界の特徴をなすものは、物質の圧倒的支配であり、物質的慾望の制覇による精神の恐るべき頽廃を生みつゝ、人間は物質化され、あらゆる存在が力・物質の函数となり、力と物質によつて組織される唯物的世界の完璧な様相を示している。
しかもその唯物主義の最先端に立つて、物質の探究に専心した近代科学が、――今や物質の究極的存在として極微なる原子の世界から、極大なる宇宙にわたるすべての物理現象を単一の法則に規定せんとする「総てを包括する場」――統一場理論にまで達したのである。唯物的な最も唯物的な世界にあつて、物質の追究がその究極においては、宇宙の普遍的存在を探求しつゝ、――ミクロコスモスとマクロコスモスとの美しい共感と統一、渾一的球体性を感覚する新しい科学的知性と、藝術的想像力との交響する宇宙的宗教感情とも云うべき、その根源なる精神の場において、宇宙的霊性との究極的統一に至る可能性を示しているのである。
現代は精神、文化のあらゆる領域において、最も新しいものと最も旧いものとを結合し根源的に統一する究極的課題を、自らの経験によつて解決し創造せねばならないのである。この歴史の最大の課題に直面する時、無限なるもの、永遠なるものこそ、その両方をつらぬき、結合し、生命を與えるものであるとの暗示が與えられる。
一例を上げるならば、物質の究極的存在と考えられた原子は、すでにその内部に幾多の微粒子の発見によつて、更にその構造の分割が進められ、ここに微視的世界の探究は無限につづけられる可能性を示していると云われる。表象的に云えば微視的世界が無限の拡がりを有するのである。
また人間による時間の征服は驚くべき発達をとげており、人間は感覚しえぬ極微の時間を精密に測り、その極微の時間に莫大な仕事をなしとげる。そして今後にも人間による時間の制御は更に非常な発展を予想されており、まさに「一瞬」の間に無限の時間を含もうとするかに見えるのである。
ところで哲学的精神は古くから、すべての有限なる存在が無限なるものを含んでいることを知り、時間の一瞬々々に無の存在すること、一瞬の間に無の世界が潜んでいることを認めているのである。
あらゆる対立・矛盾・死は、その無の媒介によつて結合・和解・生に轉換されるのである。かくて純粋存在としての空、或は無はつねに存在し、しかもそれは「有」として顕現するのである。その純粋存在において、新しいものと古いものが結合され生命化される。そしてこの絶対の「時」の問題に宗教の根源的問題が存するを知るのである。
この根源の状態において、今や宗教的なものと科学的なものは、本質的な結びつきをなそうとしているかに見える。
H爆弾の出現こそ、自らの有する生と死、光と暗、現実と理想の二面性を内包しながら、現実的に人類精神を無に直面させ、無の深淵に投じるものである。しかもそれ自身無を轉じて死から生へ復活せしめる歴史の轉換力としての無限のエネルギーたる存在の本質的意義をもつのである。それが人間存在に根源的意義をもつ一方、H爆弾の製作は物質の究極における轉換によつて生ずるエネルギーの発現であり、その宇宙的根源力は不滅のエネルギーとして究極的存在たることは明かである。
かくてその物質の極限的轉換から生ずる宇宙の根源的エネルギーは、すべての存在の根柢に存在し、万象をつらぬく永遠の生命との本質的連関を表示せんとするかに見える。
H爆弾の存在が人間に提起する矛盾的問題に直面して、眞にそれを解決せんとする文化意識は、同時に原子力を文明の最大の機能とする新しい地球世界創造における実存形態として、宇宙的宗教感情とも云うべき球体的渾一性の直視としての科学と宗教との根源的結合・統一を実現し、その根源的統一の世界を地球創造に表現せんとする。理性の絶対分裂に直面する悲劇が、人類の生死を決定しようとする現代人の最大の問題もこの点に存するのであり、宇宙的霊性による眞の「平和」の創造が、宗教・科学・藝術の根源的統一と諧調を未來的に実現する地球の平和として、人類の生存の唯一の方向に求められるのである。
この現実と未來を結ぶ方向は、佛教における因果律の否定――釈迦が輪廻の切断によつて永遠の法に生きんとしたように、今や因果律によつては克服しえない現実における断絶に対して、確率による人類の未來的創造をもつて、永遠の法を地球建造に実現しようとするのである。
ここに人間が時間的・空間的なる自覚的存在として立つ時、そこに地球と人間との本質的連関、自らの地球的本質における球体的自覚と過去・現在・未來に対する時間的系列の切点としての意識的存在が明確にされ、その知性と感性の統一における宇宙的宗教感情とも云うべき球体的生命感覚を直観する文明的段階に進まんとする。
そして人間の解放は単なる観念的な形式的な人権宣言に、或は物質的な階級否定に止まらず、人間は眞に綜合的人間として、その内面的実質的なものの解放を実現するのであり、心の平和が眞に地上における神の平和の実現として、人間の創造的解放をもたらすのである。ここに科学的知性と藝術的想像力と宗教的叙知を包摂する宇宙的霊性の発現として、人間と宇宙、文明と自然との美しい調和・交響の中に、壮大なる地球文明の創造・建設が志向されるのである。
転載元:地球文化研究所著『日本經營計画』(1950年12月発表)