1.自利經濟より繁榮福祉經濟へ【日本經營計画Ⅲ】

日本経済の当面する最大の問題は、その乏しい物質的貧困性をいかに克服して、経済自立を達成し、國際貿易の振興によつて自主的経営を実現するかという差迫つた課題であり、特に講和問題と関連してこの経済独立はその前提條件とされている。それは政治的主権の獲得と同様の意味における経済的自主権の回復を意味するものであり、そこに國家の独立性の経済的條件が志向されるのである。

しかし、日本経済において、殆どとるに足る資源は何一つなく、また狭小な國土に八千万もの人口を擁する現状は、閉された日本における経済再建を全く不可能としている。

かつて内に過剰人口をかゝえ、外に通商の道は関税障壁によつて絶たれ、餓死か戦争かの深刻な苦境に直面した日本のディレンマは、不幸にも今なおわれわれの最大の問題として存在している。過去における日本に対する食料・原料の供給源であつた満洲・台湾・朝鮮は失われ、その不足を経済貿易競争による國際市場の道に求めんとするも、それぞれ経済的自給自足を達成しようと努力している國々の高い関税障壁に阻まれては、殆ど絶望的困難性を示すのみである。

現在の日本は、経済的に自ら保持しようとしても到底出來えない状況にあり、それを敢て強行しようと意志するならば、旧日本の復活、再建への方向に進まざるをえない破目となるであろう。

このような日本の経済的矛盾に対して、日本経済の自主的方向は果してどのように考えられるべきであろうか?

すでに、世界経済の根本的方向は、一國の孤立した独立経済体制より相互的な経済関連による経済圏建設への方向に進みつゝあり、地域的小ブロック経済に代るにドルとルーブルの二つの世界経済圏を現出している。第二次大戦を通じて、日本、ドイツのアウタルキー的経済圏の方向は否定されたが、それはさらにより大きなドル圏の中に包合され、かつて全世界に日没することなきを誇つたスターリング・ブロックさえもドルの世界支配の中に併呑されつゝある。そしてこれに対立するルーブル圏は、第二次大戦によるその領域拡大によつてその支配力を増大し、金融資本主義の世界支配に対する徹底的反抗とその覆滅を企図しつゝある。

これらの二つの世界経済圏のいずれかに帰属せざるをえない今日の國家経済の根本的なあり方は、少くとも経済が自分自身で成立するという一國的経済体制そのものを否定しているものと考えられるのであり、自らの現実的存在が果していずこにあるかを、はつきりと見究めることを要求する。そしてさらに、経済の根本原則に立ちかえつて、それがどのような方向に進まなければならないかを明かにしなければならない。

経済が單独な個人あるいは集團それ自体で成立しえないことは余りにも明かなことであり、その最初の出発が個人あるいは集團間の需要・供給の関係の円滑化にあつたことも明白である。経済の根本方向はあくまでもこの需要・供給の関係を創造するところに存するのである。

近代経済学はそれを自己の欲望の充足の方向として定位し、それを中心として一切の経済現象が生起することを実証した。近代経済学の始祖アダム・スミスは、自己の欲望、自利の追求が「見えざる手」によつて利他の充足に轉化されることを経済学の根本的方向として明かにした。しかし、この「見えざる手」なる理神論的神の存在そのものを否定したマルクスは、自利追求をさらに徹底し、集團的・階級的欲望の充足におしすゝめ、革命による資本主義機構の破壊と富の社会再分配を主張した。

この資本主義と共産主義の決定的対立と抗争の現実にあつては、すでにそのいずれの側の一方的自利追求も、他との摩擦によつて不可能となりつゝあり、相互的に抑制せざるをえない状況にある。それが無制限に行われるならば、対立する相互の致命傷として、自分自身をも倒す危険性を招來している。現代において自我追求は自己破滅へと通じているのである。

もし、資本家が本当に労働者を圧迫し、搾取をつゞけるならば、労働者は團結してストライキ、サボタージュを行い、全産業労働者が結束してそれに対抗する。もし國家が資本家の利益を擁護して、それを権力によつて鎮圧しようとするならば、革命的暴動へと轉化し、さらに世界戦争をも勃発せしめる危機を現出する。それは資本家にとつて自己破滅を意味するものであり、所謂資本主義的搾取は、こゝに一つの究極状態に達したことを知るのである。これは單に資本主義の限界を示すにとゞまらず、共産主義的集團自我の追求が、集團そのものを原子爆彈によつて粉砕される運命にあることをも併せ考えるとき、そこに欲望経済体系そのものゝ限界をみることが出來るであろう。

もし人類が、この欲望経済体系をつゞけるならば、革命は戦争を生み、戦争は貧困と抑圧を生み、それは再び革命・戦争を生起する惡循環がくりかえされ、そこに権力をもつて一切を強制し支配する強大な全体主義國家を現出せしめるであろう。

現在、われわれが日本の経済的再建――経済自立を考える場合、この欲望経済的観点に立つ限り、それは他を排除して自利を達成するか、他より略奪するかのいずれかを選ばざるをえないのであり、それは再びかつての帝國主義日本を再現するものとして、自己破滅の途を辿らざるをえないであろう。

世界経済の直面する問題は、この近代経済のもつ欲望経済体系そのものに対する根本的反省でなければならない。しかし限られた物質をいかに相互的に公平に分割したとしても、それはきわめて乏しい零細な形としてしかなりえないのであり、社会主義方式においても、その集團的欲望の追求は、他よりの略奪経済を不可避とするのである。ソヴェト・ブロックが金融資本主義の帝國主義侵略を非難し、アメリカ・ブロックがソ連共産主義の帝國主義侵略を非難しつゝある現実は、相互に欲望追求の経済体制をとる限り、その客観性を失わないものである。

経済とは有無相通する相互充足の形態として存在するもので、相互的奪略が行われる限り、経済的に貧困せざるをえないことは明かである。「過剰の中の貧困」が欲望経済の資本主義的表現であるならば、「平等化による貧困」はその共産主義的表現である。

物質が豊富なときに、人間はむしろ物質的欲望を放棄する。物質が一定量に達すると、人間の欲望は多種多様な形態をもつて、他の方向へと発展し、そこに所謂経済的繁栄が達成される。しかし全体的経済力が貧困なる場合、人間はますます物質的欲望に固執し、たとえ最低生活水準が満足させられたとしても、なお不満は限りなく増大する。

とくに絶対量が決定的に不足している日本の経済的現実において、単に最低生活水準の保障にのみ、経済政策の重点をおく所謂社会主義的な経済方式を採用したとしても、そこに不足と不満が残ることは余りにも明かである。

この日本における経済的不満をどこで解決するか?――それは、単に閉された日本自体において行われるものではなく、地球全体との相互的関連において解決されるべきものである。しかし、地球上の経済的相互関係は、國家的制約のもと、複雑微妙な様相をあらわしており、一方では過剰生産による收拾のつかない氾濫がつゞけられているかと思えば、地方では極度の窮乏による飢餓状態がつゞけられいるというような不合理性を示し、容易にその解決を許さない状態にある。

これに対して國際連合の國際貿易機構にみられる國際的解決の方途がとられているものの、それが実際的に経済的効果を発揮するには、未だ相当の時日を必要とする。しかし、にもかゝわらず、この方向が今後の日本経済の進むべき唯一の大道であることは疑う余地のない事実と云わなければならない。

すなわち、日本が置かれている客観的現実が、このように未だ國家的障壁の中に無自覚状態をつゞけているとしても、われわれは欲望経済体系のもたらしつゝある危機の本質を眞に自覚し、それをこえた新しい経済関係の原則を、自ら明かならしめる方向に進まなければならない。

日本という地域経済がそれ自体の能力を評價するとき、そこに当然経済力の限界が想起される。しかしこの経済力なる概念は、單に資源・労働力・生産施設等によつてのみ計られるものではなく、それらを包括した廣い意味での文化價値創造力――文明創造の綜合的機能においてみられるべきものであり、その意味から、日本の物的資源がいかに乏しくとも、その物質的貧困性にのみ経済的限界をみることなく、日本のもつ無形の経済力をいかに充分に発揮するかに、今後の経済計画の根本原則を確立すべきであろう。

一個の人間の能力が、つねに生存する能力としてみられる場合、彼は一見自己のために全能力を発揮しているようにみられる。しかし彼が自利追求のために全能力を発揮していると見られるときにおいてさえも、なお彼は他との関係においてのみあることを見失つてはならない。

最も單純な経済活動においてさえも、人間はつねに他との関連においてのみ存在するものである。この場合、自己の能力を客観的に他との関係においてみたとき、自己の利益とは、他との相対関係における利益が自らに還元したものと考えることができるであろう。主観的には自己の能力によつて自ら一方的に獲得したと考えられる利益も、客観的にはその能力が他に影響し、それによつて生じた利益が逆に還元してきたものと考えられるのである。

このように、他との関係における自己をはつきりと自覚するならば、たゞ一方的に自己の利益のみを考えても、とても利益することは困難であり、それよりも、むしろ、いかに他に利益を與えるか――ということを専心考えるときに、かえつて自己は自から潤うものであることが明かとなろう。たゞ自己の利益だけを考える態度では、利潤を得ることすら出來なくなつたところに、今日の経済関係の眞の本質がある。

日本の経営計画の根本的方向も、この他との関係においてはじめて自己が成立つ――他の利益を無視して自己の利潤を成立させることは出來ない――という本質的原則に則ることなしには成立しえないものである。

即ち、経済活動そのものが、自己の利益と他との調和においてよりよい発展があると考えられること――自利的欲望経済によつては克服することの出來ない経済的限界が、アダム・スミスの分析した植民地搾取経済の時代より全地球が一つの有機体として組織化されつゝある現代への大きな史的変轉のうちにもたらされている以上、当然それに対應すべき立場の変換は不可欠であろう。自利追求の経済秩序は、ある一定のところまでは急速に発展するとしても、その限界をこえることは出來ないのである。

この自利追求の経済原則に対する根本的立場の変換に新しい経済原則の方向がある。われわれが他を利するという行動にのみ、自己の存在がありうるという原則と、他に利潤を與えることによつて自らの利潤は必然にもたらされるという新しい経済活動の方向を眞に自覚するとき、当面する多くの経済的諸困難についても、その打開の途が得られるであろう。

すでにアメリカ世界経済の根本的方向は、金融独裁による独占支配形式に代る、相互的繁栄を第一とする方向に進みつゝあり、かつての搾取経済より、先ず相手を富まし豊かにすることによつて自己の発展を図る、福祉経済による相互の発展を最大の経済原則とするに至つているのである。

グレイ委員会報告書の発表

一九五〇年三月、トルーマン大統領の指令によつて――「マーシャル計画終了後どうするか?」――という質問に要約される米國及びその他自由世界の経済力強化に関する勧告案を作成するため、元陸軍長官ゴードン・グレイ氏を委員長とするグレイ委員会が設置された。

その最初の目的は西欧その他自由諸國のドル不足解決策に置かれていたが、朝鮮戦乱の発生に伴う米國を中心とする西欧諸國の再軍備の強化拡大により、委員会の検討範囲をさらに拡大、長期的な米対外経済政策樹立の必要に迫られるに至つた。

一九五〇年十一月十二日――このような最近の情勢の変化を織りこんで作成されたグレイ報告に関し、トルーマン大統領はその報告書を公表した。大統領はグレイ委員会の報告を公表するに当り、大統領の書簡を発表し、次のようにその所信を明らかにした。

「米國の対外経済政策は世界情勢に影響を與える上できわめて重要なものであり、われわれが現在の世界危機に対処し、自由世界の一部としての米國の安全保障を促進する上に中心的な手段となるものである。このため私はゴードン・グレイ氏に対外経済関係という複雑な問題を検討するよう要求したのであつた。
朝鮮における共産主義者の侵略は自由主義世界に対し、米國及びその同盟國の軍事力を急速に増大する必要のあることを示している。この結果、再軍備計画は近い将來における世界経済に極めて重要な変化を生ぜしめた。グレイ委員会は朝鮮動乱勃発以後の情勢変化を考慮に入れて報告書を作成した。
グレイ報告に盛られた指導的考えは対外政策を経済的・政治的・軍事的各部門で統合する点にあり、これら諸部門における効果的な行動を通じてのみ米國の安全保障を確保出來る。私はグレイ氏の勧告の所見に全面的な賛意を表するものであるが、とくにグレイ氏が、米國が自由主義社会の経済的な統一を完成しようと努力していることには、ソ連の侵略計画を阻止することゝなるであろうと強調していることには同感である。また後進地域に対するグレイ氏の勧告は重要で、私はグレイ報告書のこの部分を検討し、この分野において米國がどのような方策をとれば最もよいかの見解を報告するようネルソン・ロックフェラー氏に要請した。」

大統領はグレイ報告を熱烈に称賛し、右報告書は――「全市民の研究と注目に値するものであり」世界情勢に対処するため「特定措置を具体化する議会及び行政部門にとつて大いに價値があるはずである」と述べた。

これは大統領が新議会に託する一つの大きな課題――向う数年間アメリカはどんな対外経済政策を遂行すべきかを決定することゝ――を暗示するものである。

グレイ委員会報告は世界全般にわたる膨大な援助計画を取扱い、次の三点を強調している。

一、南アジアを含む世界未開発地域に遠大な援助を與える。

二、西欧にはマーシャル計画のような援助を引つゞき供興する。西欧は安全保障の見地から見て、われわれにとつて最も大切な地域である。

三、新援助計画の眼前の目的を、
 1 十分な程度の西欧再軍備を促進する  
    2 南アジアおよび中東を特に共産主義の侵略から守る
    3 自由世界における戦略的原料の生産を拡大する、
ことにおき、このために年額数十億ドルの援助が必要であろう。

さらに報告書は共産主義勢力の侵入と破壊行為に対して自由世界の経済的政治的機構を強化するため、必要な政策として、次の九項目をあげている。

一、対欧援助は一九五三、五四年まで延長しなくてはならない。(現在の対欧援助は一九五二年まで)

二、國際復興開発銀行および輸出入銀行は年額六乃至八億ドルまでの米國資本を未開発地域に投資するよう努力し、そのうち牛分は米財務省の援助によらず國際復興開発銀行が融資しなくてはならない。

三、輸出入銀行の借款貸附能力は卅五乃至五〇億ドルに増額すべきである。これにより大規模な計画を効果的に予め立案することが出來る。

四、米國は世界の自由諸國に対する技術援助費を現在の一億五千万ドルから五億ドルに引上げるべきである。

五、米國は必要な原料品の増産に努力を集中せねばならぬ。

六、米國は外貨、特にポンド貨の自由交換を許容するため安全資金を創設することが必要かどうかを考慮しなければならぬ。(この点についてグレイ氏は、ポンドは世界でも特に重要な役割をしており、英國の國防費が増大したゝめ、英國の対外的立場が危機に陥るようなことがあつてはならないと述べている。)

七、米國内の食糧在荷を蓄積するためには價格維持政策を編成し、過剰生産を処分し、かたがた米國の対外関係を改善するような方法をとる必要がある。

八、西欧諸國の多額の再軍備費支出は消費水準と投資額に影響を與えるが、西欧諸國が輸出を増大するように援助を與えることが必要である。(この点についてグレイ氏は米國の輸入に関する制限と差別待遇を速かに取り除くことを示唆している。)

九、技術援助を調整し、指導し、外國で必要とする原料の生産を促すため、新しい政府機関を設けるべきである。一般外交政策のワク内で外國経済政策に関する決定を調整する政府機構を改善する必要がある。

以上要約されたグレイ報告の主要点は勧告中に次のように表現されている。

われわれの安全保障と自由世界の安全保障の観点からみて最も重大な地域と目される西欧諸國はその再武装計画を遂行するために、さらに三――四年間軍事援助に加うるに経済援助を必要とするだろう。ヨーロッパの復興に與える再武装衝撃からしてマーシャル計画の終る期日である一九五二年六月卅日はもはやヨーロッパへの経済援助を打ち切る目標期日ではなくなつた。
世界の未開発地域とくに南アジア、アフリカ、ラテン・アメリカは西欧武装のため緊要とされている原料の生産を拡大するため、また共産主義の侵入を阻止するため、生活水準を引上げるため、年額十一億ドル以上に上る借款と下付を含む遠大な援助計画を必要とする。
政府は一切の対外援助・技術援助(つまり未開発地域への援助)計画を管理するための中央機関もしくは團体を設置すべきである。
再武裝を促進するほかに、西欧への援助はヨーロッパの統合を促進し、あらゆる種類の國家的障壁および差別待遇から貿易を解放することを目的としたマーシャル計画の既定原則を一層推し進めるべきである。

一九五〇年の決定の年を契機とするアメリカ世界経済の方向に重大な意義を劃するグレイ報告の当面に意味するものは、西欧十六ケ國の経済力強化により共産主義の侵略に対抗しようとするマーシャル計画、トルーマン大統領のポイント・フォアに示される後進地域開発計画によつて方向ずけられていたアメリカ世界経済が、二つの世界経済圏の対立にあつて、今後積極的にその対外援助の方向をつゞけなければ、共産主義侵出の脅威が二つの世界のバランスを危くする差迫つた危険を示しつゝある現実に対し、その緊急方策として提起された点にある。

しかし、その未來的発展が招來せんとするものは、所謂独占資本主義そのものの、かつての搾取方式より利他=自利の繁栄福祉経済への轉化ということであり、資本主義そのものゝ質的変化の方向である。

グレイ報告に示されたこの方向が、現段階にあつては、アメリカの國防計画の一環としての北大西洋同盟、さらに太平洋防衛のための共同措置への発展にみるように、あくまでも緊急なる戦略的意図にもとずくものである以上、直ちに地球経済の実現は期しえられないとしても、借款を供興、あるいは贈與によつて、相手に購賣力を與え、自己の生産品を買わせる相互的繁栄実現の方向が少くとも自利追求の経済法則とは別個の新しい発展を示しつゝあることは、注目すべき現象と云わなければならない。

とくにアジアに対してアメリカ自身が自らはつきりと言明しているもの――資本主義的侵略とか、金融独占の帝國主義方向に代る自由と繁栄の供與――という方向が、もしも依然としてそこに封建的奴隷状態が継続され、生活水準の向上がみられない言行の不一致を示すならば、アジアの反感はことごとくアメリカに集中せざるをえない危険な状況の下に、敢えてアメリカがこれを実行しようとしている強力な決意を、新しい経済原則の方向より見直すべきであろう。

アメリカがアジアより自己の利益を得ようとするならば、アジアをまず全力をあげて富ませるべく努力しなければならないのであり、そのためにはアジアの全面的再編成、國土開発等、その最も基本的経済源に対する大規模な投資を行い、アジア人の生活水準を向上させることを必要とするに至つているのである。

それは、自己の利益を第一に考える場合には、到底出來ないことであるが、もはや世界経済の有機的な相互関係そのものが利他を図らなければ自利自体をも不可能とする密接不可分の関連に進みつゝあることを示するのである。こゝに廿世紀後半における地球経済の根本原則があり、この繁栄福祉経済においてやがて利他の追求が、そのまゝ自利となる一つなる地球の高度の有機的組織化を実現するに至るであろう。

日本の貿易・生産の方向

日本の貿易生産の方向が乏しい日本の物質的限界から考えられて、当然原料輸入による再生産方式に進まなければならないことは、すでに一般的常識となつている。しかし、その場合においても、あくまでも他の利益となり、他の要求に應ずる態度をもつて、そこに自らの全機能を集中することを、今後の経済原則の根本的なあり方として明かにしなければならない。

しかし、現実の國家を単位とする経済関係において、そこに國家間の激烈な経済競争を現出することは、まことに避けがたいものがある。関税障壁・輸入制限が自國の商品を保護するため、その垣を高くしている以上、眞に他が必要とするものと云つても、それは甚だ漠然として掴みがたいものであり、最も消極的に考えるならば、経済競争よりの脱落がむしろ他にとつて一番望ましいものとさえ考えられるほどである。

主観的には、なんら他に求めるところがなくても、貿易競争における相対的存在そのものが、客観的には他を脅威するものとなる自己の存在そのものゝディレンマは、國家経済的立場においては、どうしても衝突せざるをえない方向を示す。この同一次元における國家的相対的立場をこえた新しい立場を、日本はその未來的方向に構想しなければならない。

この國際貿易競争に対する解決の方途が、究極的には、世界貿易憲章によつて示されている國際分業の徹底による國際市場の自由なる解放にまで進むことは不可欠と云わなければならない。日本の國家をこえた新しい立場とは、この國連的世界秩序への直接的結合の方向である。しかし、われわれの当面する現実的問題は、そこにまで至る以前の問題として解決されることを必要としている。

とくに、かつてその経済的進出が各國の脅威となり、関税障壁・輸入制限によつてその自由な発展を阻止された苦い経験をもつ日本にとつて、この國際貿易市場の問題は、その死活にかゝわる最大の問題であり、講和に望む日本の態度として、國際経済活動の自由が強く要望されつゝある。

けれども、この問題をよく考えるならば、それは國家としての日本が自己の貿易ルートを持とうとするところに問題があり、それは日本が直接國際貿易を占有しようとするところから生ずる困難ではなかろうか、という当然の疑問が生ぜざるをえないであろう。そして、この國際貿易における國家性の介在がもたらす複雑な諸関係に対して、眞に日本が利他に徹するならば、國家單位による経済支配形態そのものの解放を、自らまず実行すべきであり、日本の貿易生産そのものを、國家をこえた新しい國際的関係に定位することが、眞に利他に徹する方向であることを自覚するに至るであろう。

それは外資導入を徹底し、單に資本投下のみにとゞまらず、生産品の國際的貿易ルートそのものをも、國際資本に委託することによつて、國際的摩擦と障害を克服しようとするものであり、そうすることによつて、日本の國家的経済組織そのものをより大きな國際的経済秩序の中に自ら定位しようとするものである。

もとよりこれが、國際資本による独占形態に自ら無條件降伏するものとして、激烈な反対を受けるであろうことは、当然予想されるところである。しかし、すでにわれわれが永遠に戦争を放棄し、旧い國家形態そのものより超脱することを意志している以上、それが國家防衛というような観点から非難されるいわれはないであろう。また、われわれが戦争國家形態より、國際平和國家への方向に進むことを決意しているとき、それは國家の独立性の喪失ではなく、國家そのものをより高い次元に位置づける不可避的な要件とさえ考えられるのである。

また國際投資は、日本にそれにふさわしい能力があつてこそ爲されるものであり、日本の國際的評價の基準ともなるのである。それが外面的には、金融資本主義への屈服と見られるとしても、究極において経済を支配するものが人間的良心によつていかに行動するかゞ、最大の問題となるのである。

日本を孤立的に経営することが不可能である以上、日本の経営確立は、日本に対する全世界の要求を満足させることに全力を傾ぎ、それを実現することによつて可能となるであろう。

日本文化の根本的なあり方が、諸文化の綜合・同化・再創造機能として、文化交流関係の基本原則をなしているように、貿易・生産の根本的な方向も、他から受容れたものを再創造して、再び他に與える再生産方式を必要とする。もしそれが一方的摂取と同化にのみ終つたならば、到底永続的な相互的発展はありえないのであり、再創造と再生産による利他即自利の関係において、はじめて眞の文化的・人間交流が行われるのである。

グレイ報告の示す日本援助強化の必要性

南部アジアを含む世界の後進地域に対する遠大な援助計画を要請するグレイ報告は、日本に関し、そのアジア太平洋の工場としての役割を次のように述べている。

――安定した民主々義的日本の潜在的な貢獻は、極東の経済発展、生活水準の改善および平和維持のために極めて重要である。自給自足を達成するための日本の主要問題は棉花と食糧のような商品を買いつけるに十分なドル貨や外國通貨を獲得出來る輸出市場をたえず見つけることであつた。西欧と同じように日本は経済資源を見つけるよりも、むしろ市場問題に悩まされている。

――日本の工業生産指数は戦前よりわずかしか下回つておらず、一方工業活動指数は戦前の水準を上回つている。農業生産は戦前の総量をこえ、経常國際收支の不均衡は堅実に改善されつゝある。この復興で最も重要な役割を果しているのは一九四五年九月から一九五〇年六月まで約十八億ドルの米國援助が與えられたことにある。

――このように明るい情勢ではあるが、日本の経済復興を一層進めることが必要である。総生産量は注目すべき復興ぶりをみせたにもかゝわらず、人口の著増によつて國民一人当りの所得を戦前水準に引きもどすことは政治的安定および民主的制度の強化という点で重要である。日本が直面している主な障害は日本の輸出業の一部が対外競争上不利な立場にあることである。

この不利な要素は―― 1、工場施設が旧式なこと。 2、労働力の非能率的な無駄な使用。 3、商船隊規模の無用な縮少。 4、日本の商船および貿易業者の外國出入に関連した國際政治問題。 5、急速な人口増加率、などに原因している。

――日本の重要問題は主として硬貨圏からしか得られない商品を買うためのドルその他の通貨を十分獲得出來る輸出市場を見つけ難いことである。しかしこれらの困難は朝鮮に戦争が始まる前でも打開しえないものではなかつた。日本は必要とする輸入品の代金を大部分自力で支弁するため輸出用商品の生産を効果的に拡大する物質的能力をもつているし、他國の輸出競争に太刀打ちする能力ももつている。しかし工場の能力・経営・生産方法や施設の改善による生産コスト切下げなど解決を要する問題が残つている。工業施設の現代化はある程度達せられたし、生産能率の一層の向上も今後達成されるものとみられる。

――控え目に見積つても一九五一年会計年度における日本の輸出ドル收益は朝鮮戦乱発生前に予想された水準「相当上回る」ものとみられる。現在の好調がつゞけば日本は一九五二会計年度の初めまでには戦前の水準を少しは下回つても、完全に自立し、相当額のドル蓄積とおそらくは商品の余剰ストックをも所有する國となろう。

――したがつて将來の対日援助支出については慎重に考慮し、最近の事態の発展によつてもたらされた情勢の変化に従つて測定されるべきである。もし日本が市場を確保出來れば、日本は現在よりずつと多くの輸出高を記録することも出來るであろうし、また同時に國内消費及び投資の望ましい水準を維持することも出來るであろう。しかし日本は生存のために輸入依存する度合いが他國より一層大きい。日本は十分に輸入しない限り、輸出のための生産を増大することは出來ないであろう。もし日本が自らの力で輸出の増加に成功しなければ、外國から援助してやらねばならない。

自利追求による自己満足から出発した近代経済そのものが破綻しつゝある。

資本主義的搾取の強行と、それ自体の景氣循環による経済恐慌の内部矛盾は、資本主義機構維持のために戦争を計画し、不況の到来を回避するか――労働者の反抗と暴動より革命への道を必然化する無限の悪循環に当面している。マルクス主義は資本家の自利追求と搾取に対する徹底的反対を表明し、貧しくいたげられたプロレタリアが資本家を打倒しプロレタリア独裁によるプロレタリアの集團的自利の追求を主張する。そのためには現秩序の一切を破壊する革命が最大の手段とされるのであり、同時に戦争もまた最大の破壊の契機として、それによる世界革命を企図する。

しかも現代における戦争がもたらすのは、原子力・細菌兵器等による、文明と人間の最後的破滅をも意味するものであり、戦争それ自体が資本主義を壊滅させ、革命それ自身がプロレタリアを殺戮する自己破壊を不可避としている。これこそ自己の欲望追求をその基本的方向とした近代経済そのものの破綻と云うべきであり、いまこそそれをこえたより高次なる経済関係への発展を絶対に必要とするのである。

アダム・スミスの〝見えざる手〟そのものを否定した現代人の人間的境位にこそ、近代経済の変革が必然化されなければならない。一つの普遍的な共通利益圏を見失うか、あるいは自ら階級対立という障壁をもうけ、自己の欲望のおもむくまゝに無限の搾取をつゞけ、あるいは強奪を行う現代の経済関係は、すでに良心を失つた人間にもひとしく、原子爆彈による地獄的苦悩のうちに死滅し去る運命に立つている。

マルクスが「資本論」の冒頭に引用したダンテの「地獄の門」の言葉は、資本主義社会の現実そのものが地獄だと云うのではなく、むしろ「資本論」それ自体が「地獄への門」となるであろうことを、彼の歴史に対する黙示録的予言として表現したものと云いうるであろう。

――「我を過ぎて憂愁の都へ、我を過ぎて永劫の苦悩へ、我を過ぎて亡滅の民の中へ、神の正義に基きて、太古より造られ永劫に及ぶもの、一切の希望をすてよ、汝等こゝに入らむ者!」(地獄の門)

良心を喪失した人間の自利追求は、当然自己破滅へと向わざるをえない。人間的自由は良心に従うことも、従わないこともひとしく許容しているが、反良心的行動による所謂良心の苛責が地獄的心象として、人間をついに自己否定行動に進ましめるのである。

新しい経済原則は、この非良心的な利己的経済を克服して、再び人間の普遍的な共通利益圏を発見しなければならない。自己が他に利益を與えることが、自他の共通的な利益圏――「見えざる人間」への利益の供與となり、その普遍的利益圏から逆に利益を與えられる――利他の追求が大きな意味で自利に還えされる世界経済の共通の「場」を想定することは出來ないであろうか?

利潤とは人間的生産関係において創造されるものであり、この創造された利潤がさらに利潤を生む、無限の発展を示するのである。利潤もまた一つのエネルギーとして、そこに「エネルギー不滅の法則」のような地球経済の根本原則を考えることは不可能であろうか?利潤そのものを一つのエネルギーとしてその無限の轉回のうちに、新しいエネルギーの不断の創造を行わせるところに、眞にグローバルな経済活動の方向がある。

利潤の一方的搾取・奪取は、事実的にエネルギーの自己回轉をとゞめることであり、停滞を意味する。利潤自体を最も円滑に運轉することによつてのみ、利潤のより大なる発展を可能ならしめるのである。かつて、利潤の自己回轉を阻むものとして、國家的障壁がり、独占資本の存在があつた。しかし、いまやその存在が、單に利潤の自己回轉を阻むばかりでなく、人間社会の一切を絶滅する絶対の危機に直面したとき、むしろ利潤の自己回轉を図ることによる利他増大によつてのみ、自らの経済的発展の方向が確保されることを自覚すべきであろう。

こゝにグローバルな経済活動の方向があり利潤が地球全域を均等にめぐりめぐる地域福祉経済の本質がある。かくて、人間生活はこの流れる利潤によつて物質的にも安定する眞の社会保障を達成せしめることが可能となろう。

転載元:地球文化研究所著『日本經營計画』(1950年12月発表)

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