こんにちは。
戦略思想研究所 中森です。
本日より、地球文化研究所著『日本經營計画』の開示を開始します。
同著発表の「時と場」は、朝鮮戦争勃発直後の1950年12月、GHQ占領下の日本。
仲小路彰の戦前の著作はGHQ焚書対象であり、点数にして一位の野依秀市23点に次ぐ22点。
地球文化研究所の著作として発表しようとも当然の如く検閲対象。一歩間違えれば、配布・出版の禁止だけでは済まない危険な状況下において、同著は発表されたのです。
あくまでGHQの意図に沿ったものであることを前面に出しつつも、米ソ「インチキ」体制の行く末を見透かし、”皇道への憧れ”が滲み出る計画であることは、当時の民間情報教育局(CIE)局長は感じ取っていたようです。
当時のCIE局長D. R. ニュージェントは、ロバート・K・ホールによる日本語ローマ字化計画を実質的に阻止した人物でもあります。
蛇足になりますが、「小説の神様」と称された志賀直哉は、1946年に発表した随筆『国語問題』の中で、「日本もフランス語を国語(公用語)に採用してはどうか」と主張したとされます。
その真意は測りかねますが、1950年9月16日、志賀は宮中座談会に参加しています。
何はともあれ、偶然か必然か、CIE二代目局長がD. R. ニュージェントであったればこそ、私たちは日本人であることができるのでしょう。ニュージェント姓がアイルランド系に多いことも関係するのかもしれませんが、その探求は別の機会に譲ります。
『日本經營計画』の巻末には、同時期に発行された『平和文化体系』に対するD. R. ニュージェントの論評が掲載されています。もちろん、CIE局長としての論評です。
原文、邦訳の順に引用いたします。
I have read with great interest the plan for the publication of a series of research monographs on the general subject of “Global Peace.” It is a project indeed worthy of commendation.
That Japanese scholars should pioneer in research on this subject is eminently fitting. Not only has Japan emerged only recently from a tragic and costly military venture, but she has written into her new constitution a provision for the complete renunciation of the concept of belligerency and armed security. Her interest in “global peace” ―― and in this day and age peace must be “global” if it is to have any meaning ―― is understandable and admirable.
Research alone, of course, will not bring about global peace. But research may reveal the causes underlying conflict and may contribute to the world’s knowledge of methods of preventing future wars and their accompanying destruction. The attainment of this knowledge, important as it may be, will still not provide the ultimate solution ―― for over and above all the knowledge which scientific method can provide is the will to peace ―― and this is basically spiritual.
It is to be hoped, therefore, that spiritual values will not be neglected in this projected search for Global Peace. For in its final analysis, the answer to the problem will not be found inscribed in books, however learned, but on the hearts of men. It is this very point which makes the attainment of Global Peace so difficult, for in a very large section of today’s world the existence of spiritual values is denied. In the several countries under the yoke of communist dictatorships, spiritual development, along with other concepts which most of us consider essential to man’s complete happiness, is not only discouraged but rigorously suppressed. Unless and until some means be found to overcome this situation, the search for Global Peace will be difficult, indeed.
Here, then, is a problem which should challenge researchers not only in Japan but in all countries where there are men of good will.
D. R. NUGENT
「地球の平和」の全般的問題に對する體系的研究論文刊行の企劃を、私は深い興味をもって讀了した。この計畫は大いに推奨されるべき構想である。
日本の學究が他に率先平和の問題を探究することは、まことに時宜を得た適切なことゝ信ずる。日本は最近、軍事的野心のもたらした悲劇と高價なる犠牲より脱すると同時に、進んで交戰權及び武裝の完全放棄の條文を新しい憲法に明文化したのである。
「地球の平和」への日本の熱意――しかも現代この状勢下に於て、平和が苟も眞の平和たるべきために、”グローバル”(地球的)な性格を有さねばならぬ――はまことに正しいし、又尊敬に價するものである。
勿論研究そのものだけでは「地球の平和」を實現し得ぬことは明白である。だが研究するということは、對立抗爭にひそむ諸因を明かにするだろうし、又將來の戰爭とそれの惹起する破壊を防止するための世界的知識を深めるのに役立つであろう。この知識の獲得はもとより重要にはちがいないが、しかも猶それだけでは終局的解決をもたらすものではない――科學的方法に依つて得られるこれらすべての知識にもまして、何よりも大切なことは、平和への意志なのである――そして、このことは根源的に精神の世界の問題である。
此の故にこそ最も希望されることは、「地球の平和」の研究企圖の中に精神の有する價値がなおざりにされぬことである。之を要するにこの問題の解答は、それが如何に周到に研究されたとしても、書物の中に誌されるのではなくて、人々の心の中に銘記されるのでなければならぬということである。
地球の平和の達成を困難ならしめているものは、今日の世界の非常に大なる部分に於て、精神のもつ價値の存在が否定されているということの點にこそ存する。共産主義獨裁の桎梏の下にある諸國に於ては、我々が人類の完全な幸福に缺くべからざるものと信ずる諸々の理念、とりわけ精神の發展ということが阻害されているのみか、容赦なく抑壓されているのである。この現状を超克すべき何らかの方法が見出されぬ限り、また見出される時迄は、「地球の平和」への道は正に困難であろう。
斯くて、日本のみならず、善き意志を有する人々の存在するあらゆる國々に於ける平和探究者たちがとりくまねばならぬ問題がこゝに横たわつているのである。
D・R・ニュージェント
いかがでしょうか、、、読後感は様々でしょうが、どうしても私には、D・R・ニュージェントは”皇道”について論じているように思うのです。
ここでいう”皇道”とは、統制派に対する皇道派といった次元ではなく、もっと純粋な日本固有の政治の在り方であり、南洲翁の漢詩に現れる理想です。
宇宙由来日不振
数千里外已如隣
願知四海同胞意
皇道頻敷萬国民
南洲翁は”皇道”を世界に敷く理想をもっていたと思うのです。

維新回天の原動力をつくった吉田松陰は、
「抑々人の最も重しとする所のものは、君臣の義なり。
国の最も大なりとする所のものは、華夷の弁なり。」
と門人に教えたとされますが、松陰神社が解釈する”華夷の弁”とは「日本の文化の独自性を自覚すること」であり、私もその解釈に同意するものです。
夷を攘ったその先を見据えていたからこそ、南洲翁と同じ理想を持っていたからこそ、松陰は志士を導くことができたのです。松陰の云う”華夷の弁”が、ただの排外主義であったれば、志士は育っていないでしょう。

そうとなれば、”皇道”とは何かを考えなければいけません。否、直観しなければいけません。
それ即ち”平和への意志”。
D・R・ニュージェントが述べる何よりも大切なこと、根源的に精神の世界の問題。
“平和への意志”なき平和運動、”華夷の弁”なき愛国精神。
これらが巷にのさばれば、国のみならず、世界が確実に滅びます。
昨今、維新の志士に対する再評価が情報ビジネスとなってしまっていることもまた亡国の兆し。
先日、縁あって手に取った白石念舟著『勤皇の系譜』掲載の維新の志士の書を見れば、自然と涙が流れました。そして、深く、深く反省しました。
勤皇の系譜には、維新の志士の魂には、こんなにも『古事記』が銘記されているのかと。
維新の志士の書に見る心の世界は、儒教由来のものを凌駕するかのように、その精神の根源は、勤皇の源たる『古事記』で満たされていたのです。
勤皇の源、それは紛れもなく”平和への意志”。
やむにやまれぬ戦場を支配する空気は、「御破算に願いまするの”狂気”」ではなく、「未来を養う”侠気”」です。
されど、”侠気”を統率しうる者がいなくなれば、やむにやまれぬ”侠気”はいとも簡単に”狂気”へと変貌するように思います。
自存自衛のためには大陸の犠牲やむなしとする”狂気”は、植民地解放の”侠気”を覆い尽くし、太平洋の向こう側に発生した更なる”狂気”に飲み込まれてしまったと見ることもできるでしょう。
米ソ「インチキ」体制とは、東の”狂気”と西の”狂気”による時限的世界的均衡措置とみれば、やはり世界に敷くべきは”皇道”であり、人類が目覚めるべきは”平和への意志”なのです。

そして、その「時」を、世界は今か今かと待ち侘びているのです。
私は、『仲小路彰著述総目録・年譜』編纂委員会事務局次長として、”「地球の平和」の全般的問題に對する體系的研究”を本格的に開始したところですが、D. R. ニュージェントが評するように、”研究そのものだけでは「地球の平和」を實現し得ぬことは明白”。
日本のみならず、善き意志を有する人々の存在するあらゆる國々に於ける平和探究者たちを巻き込み、根源的に精神の世界の問題を解決していくことになります。
次回は、『日本經營計画』の「序」を転載いたします。
それでは、また。
戦略思想研究所 中森護
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