修験子栗原茂【其の四十六】ニクソンを操作誘導したシンジケート

 協定世界時「時はカネなり」は、世界中がコンピュータープログラムのオペレーションシステムに参じてスタートした意味を含んでおり、いわく電脳元年とも言えそうな意味を為している。

 コンピューターの誤作動が意図的か否かは別問題として、交易の中でも輸出に長けた日本が世界の市場から経済大国として認められる時期でもあり、その成長率が著しい中で一日の始まりがもっとも早くにおとずれ、その時差による他の経済サミット国は全て後出しジャンケンが認められた。

 協定世界時のスタートに歩調を合わせたかのごとき世界的事象を掘り起こしたい。

 経済サミット国の目安としては、世界的な市場シェアを有する事が前提条件とされるが、その中で最も高く評価される価値観は市場公認の独占権に有効性が認められることだろう。いわゆる特許とも言う財産権のことであるが、古くは紀元前ヒッタイトの「鉄製品」に始まったとされるが、公正取引市場の構築に向け独占禁止法が制定実施されるようになった戦後を掘り起こすと、知的所有権保護の合同国際事務局を解消したうえで、世界知的所有権機構(WIPO)の設立条約は発効が1970年と決まっていた。そして四年後には国連十四番目の専門機関としてスタートしている。

 ただし、特許にも境界があり、自国の市場保護を優先するため、日本や欧州で使用の先出願主義と米国が採用する先発明主義との主張が折り合いつかないまま時間だけが過ぎ去っていた。アメリカの消費力に依存した日本企業は奇しくも特許権争奪ビジネスのターゲットにされ、先発明主義の根拠が乏しくても、米市場にあっては米側の主張するロイヤルティー回収に従うほかなかった。

 特許権をめぐる瑣末な訴訟ビジネスが下火になる裏事情も一興ではあるが、そんな事より米中間の政治的闇取引を洞察する事のほうが読者そして日本のためになる。特許権抗争は米国が譲歩した国際会議(二〇〇六)で先願主義一本化が決まり、米国内法も二〇一三年三月十六日に先願主義への改訂移行を認めている。詳細は省くが、この経緯にもコンピューター誤作動がつきまとっていた。

 協定世界時を機に一層の脚光を浴びる知的財産権は多岐にわたり、どの権利もコンピュータープログラムの普及率向上に合わせる如く天下はアナログの手を離れた代物に取って代られていった。

 前述した金融ロンダリングとともに、コンピューターとカネにまつわるトリックは、今や暗号化が進む通貨の乱発により、銀行・証券・保険の金融三業は斜陽化の一途にあり、かつての経験則にないトバシが続くうち「進むも地獄・戻るも地獄」へ転じつつある。

 これらを如実に示す象が国際政治のあちこちにあり、築いたネットワークに振り回されつつ、人の財布を気にして世界中を奔り回る一つにローマクラブとダボス会議の対発生がみられる。

 さて、第三七代米大統領(一九六九ー七四)リチャード・ニクソン(一九一三~九四)の任期中を鑑みることにより、彼ら国際政治のリーダー格が当代に担った仕事を検証しておきたい。

 ニクソンは第三四代大統領(一九五三ー六一)ドワイト・D・アイゼンハワー(一八九〇~一九六九)の在任中は副大統領ポストにあり、第三五代大統領(一九六一ー六三)がジョン・F・ケネディ(一九一七~六三)である事は言うまでもない。而して、射殺されたJFKの後任はリンドン・べインズ・ジョンソン(一九〇八~七三)副大統領が第三六代(一九六三ー六九)としての変則的な後継大統領に着任している。この成り行きもまた引っ掛かるものがある。

 リチャード(ニクソン)がカリフォルニア州オレンジ・カウンティに生まれた時は、大正天皇二年目にあたり、明宮(はるのみや)嘉仁(よしひと)親王宝寿三十五年の御代に当たっている。

 南部ロス近郊ヨーバリンダに育った二男リチャードは五人兄弟、母は裕福なクエーカー教徒の家に生まれ、父と共にアイルランド系の出自とされている。父は結婚前メソジスト教徒だったが保守的な福音系クエーカー教徒への改宗にも拘らなかった。長男と四男は小児結核を患い二人とも早世したと伝わるため、二男リチャードは家督継承の一番手となった。

 高校生活は万年補欠でもアメフトにとりくみ、弁論大会での弁舌は達者だったとされ、大学は母の実家の援助で居住地ウィッティアのクエーカー系に学び成績上位で卒業するが、法律を学習するためタバコ成金が構築したデューク大ロースクールの奨学金を得て大学院を卒業(一九三七)、その年の司法試験に合格したという。このとき、リチャード二四歳ニューヨーク州の大手弁護士事務所サリバン・エンド・コムウェル・オフィスを受験したが、東部に人脈がなく採用されなかったと伝える。

 サリヴァン・アンド・クロムウエルとも表記されるロックフェラー財団系の弁護士事務所には、当時ジョン・フォスター・ダレス(一八八八~一九五九)も属しており、後年にアイゼンハワー大統領の国務長官を務めている。共和党のモデルと目される才覚を放つダレスは対日講和のサンフランシスコ会議(一九四五)に連邦上院議員アーサー・ヴァンデンバーグ(ミシガン選出)顧問として参加また国連憲章の前文作成に携わり、国連総会には米国代表として出席(一九五〇)している。

 戦後占領下の対日政策を担ったダレスの役どころも忘れてはならない。

 それはさて、マコトかウソかはともかく、リチャードが目指した弁護士事務所から不採用とされた出来事は、後年四〇歳すなわち十六年後に再びむしかえされる。つまり、リチャードの副大統領(一九五三ー六一)時代にあたるが、初代FBI長官のエドガー・フーバー(一八九五~一九七二)に私的事案「十六年前に不採用とされた事情を調べてほしい」と依願したというのだ。

 ちなみに、大統領はアイゼンハワー、副大統領はリチャード、国務長官はダレスだった。

 結果、当時は弁護士事務所が予算削減の渦中だったため、内定は採用とされたが、急遽取りやめの決定が下されたとの報告が届けられた。以後フーバー長官との仲は親密になったとされる。いかなる秘め事を企むにしても、世界一の覇を唱えるアメリカンドリームが、余るにも程があるバカバカしいエピソードを以て世界をたぶらかすとは何ごとか。その事情は理解しても脚色がひどすぎる。

 記事を十六年前に戻すが、東部ニューヨーク州で気力が失せたリチャードは、地元の弁護士事務所ウインガード・アンド・ビウリ―に所属その二年後(一九三九)に独立事務所を開業したとされる。翌年ネバダ州を出身地とする高校教師セルマ・キャサリン・ライアン(愛称パット)と結婚、日本が真珠湾砲撃を開始した際のリチャードは、首都ワシントン  D.C. の連邦物価統制局に就職して新居の地に定めたばかりと報じている。

 開戦後、米海軍士官に応募のうえ入隊すると、リチャードの配属先は補給士官だったとされる。

 補給士官は一般の即戦闘員とは異なり、初めアイオワ州キャンプに勤務したのち、激戦地となった南太平洋ニューヘプリデス諸島への派遣(一九四三/五~)となった。

 補給士官は戦線へ軍需物資を給する事が任務のため、例えば激戦地がフランス領ニューカレドニア方面へ移れば、それに伴う移動のもと、前線に近い戦地で兵站業務を行うことになる。ブーゲンビル島の前線から国内へ帰還(一九四四/七)すると、カリフォルニア州アラメダの海軍航空基地へ配属勤務となり、翌年一月の東部フィラデルフィアへの配置が最後となり、同五月ドイツの降伏それから三か月後の原爆投下によって大戦は終止符が打たれた。

 海軍時代に覚えたポーカーは後々リチャードを「ポーカーの名手」と言わしめたとされる。

 除隊時リチャードは少佐の地位にあり、戦後ペプシコ社お抱えの弁護士となるや、コーラの市場と販路を拡大するため、大義名分に「米合衆国産業の保護」を掲げつつ、各国の炭酸市場を通じ世界に羽ばたく人脈の形成に役立てたとされる。

 政界進出は地元カリフォルニア第十二下院選挙区から共和党候補としてスタートし、当選した事に始まるとされ、同期にはマサチューセッツ州から民主党候補としてスタートしたJ・F・ケネディが共に海軍退役の新人として、また南太平洋で従軍した経歴も重なり、私的な関係は党派を超え親密な間柄にあったとされる。この二人も実は強固な親日派だったが詳細は後述としたい。

 下院議員リチャードを「反共の闘士」と言わしめたのは、トルーマン政権の高官アルジャー・ヒスの正体を共産党スパイと見抜き実証したからである。全米に知れ渡るリチャードの名は上院議員への転向に追い風となり、次の本選(一九五〇)も相手に圧倒的な差をつけ当選している。

 好事魔多し、旧来継続を保つ言葉には生命が宿っている。タマ(霊)コト(言)の通り、選挙中にリチャードの放った言葉には「敵をつくる」強い力がこもっていた。この選挙で放たれたリチャード語録は、後年ウォーターゲート事件と呼ぶメディアの怨恨に追い込まれる始まりだった。

 詳細は後述として、ここでは簡略に済ませたい。下院一期を経て上院選へ転じたリチャードの対立候補は民主党員の女優ダグラスだったが、その夫は自称リベラルを標榜するも、世評は左翼シンパの見方が大勢であり、折から勃発した朝鮮戦争も重なり、一気に高まった反共的ムードはリチャードを追い風に乗せるに充分であった。結果もリチャードの一方的勝利に終わっている。

 この時を以てリチャードは生涯とりはらうに厄介なメディアに憑依されるのである。

 私にはリチャード・ミルハウス・ニクソンのヒストリーを書く気は毛頭も持ち合わせない。当時の国際政治を牽引した代表格の一人として、リチャードを採り挙げる事がもっとも省エネだと思うから主演を担ってもらったのである。

 当落線上の候補を当選させる参謀役だった私は、追い風に乗る気持ちを痛いほど分かるが、選挙に限らず勝敗(当落)の決着をみた時の後味は個々それぞれに尾を引くものがある。特に敗者の屈辱の度合いを知る勝者が全てに優先すべきは「自身のミソギハラへ」を表意することにある。

 上院候補に選抜されたリチャード陣営に限られた事ではないが、当時の共和党が命題とした戦略と戦術は反共が合言葉のように思われる。その急先鋒に相応しかったリチャードは、選挙前から攻撃の手段として相手を「共産主義者」と決め付けるレッテル貼りにいそしんだ。実際リチャードの相手は共産主義者だったが、リベラルを標榜するメディアに対してもリチャードは手を緩めなかった。

 そのメディアに憑依した怨嗟の念が、後年のリチャードをウォーターゲートへ追いやっていく。

 それは後述として、協定世界時に歩を合わせた米国テレビ界も時勢のシンボルであり、日本占領を達成した米国一九五〇年代は、アメリカン・ドリームが未曽有の絶頂期に酔う前夜に当たっている。その全盛期前夜をもたらした原動力こそ日本占領の成果にあり、列島全域に配置した在日駐留軍から得る情報に基づき日本産を呑み込む貪欲な米市場あってのアメリカン・ドリームといえよう。

 日本社会の圧倒的資産は悠久の歴史に培われた土地本位制と貯蓄性向にあり、それらの財産を全て接収して分かち合った占領軍ではあったが、大和魂が宿る日本精神に内蔵された潜在力まで奪う事は不可能だった。しかし、その潜在力もアメリカの貪欲な胃袋あってこその相性ゆえ、日本経済の復興経済は軍事同盟と同等もしくは同等以上の腐れ縁になっても不自然ではない。

 下院一期で上院へ転じたリチャードの経歴も並ではないが、その個性が新文明のテレビ向きだった相乗効果を抜きにして語ることはできない。特に上院二年目に遭遇した大統領選はテレビの普及率が上昇気流に乗っていた事もあり、リチャードを副大統領候補へ押し上げるエンジンになっている。

 従来の米国大統領選と異なり、ドワイト・D・アイゼンハワーが挑んだ選挙(一九五二)に大きな影響力をもたらせた新たな文明はテレビそのものにあった。この新兵器テレビをフルに利用したのが副大統領候補に選抜されていたリチャードであり、そのリチャードを支援するコミュニティーあって成り立つのであるが、実はそのコミュニティーさえ誘導操作したシンジケートがあるのだ。その事に関しては追々の記事を以て明らかにしていきたい。

 余談ではあるが、佐藤栄作(一九〇一~七五)とリチャードの近似象も見逃す事はできない。

 年末ここで筆おさめ、続報は新春と思っていたところ、私の新春記事を先読みするかの如き特報が戦略思想研究所のメルマガから発信された。

 私にすれば「我が意を得る事」この機を逃さず申し述べておきたいチャンスをいただいた。ゆえに特報メルマガを読み私の追憶によみがえった特記を筆おさめの追伸としたい。

 戦略思想研究所の特報メルマガに揺さぶられた追憶の内容とは……、

 昭和天皇すなわち廸宮(みちのみや)裕仁(ひろひと)親王を仰ぐ記事一件の事を指している。

 中森語録「タマコト」ならではの表現力に感銘と感謝を表意したうえでの事であるが、私ごときに神格天皇の神格たるを直接訓育くだされたのは、高松宮殿下の型示しと振る舞いにつきるが、中でも私を打ちのめしてくださった一件は「アケボノ杉=メタセコイア」の話に触れた時のことであった。昭和十六年(一九四一)生まれの私には、皇紀二六〇〇年(一九四〇)元旦に生まれ、同月末わずか三十一日間で夭折した実兄の無念が宿っている。皇紀二六〇〇年祭を言祝ぐ万歳三唱は宮様の音頭に始まっており、当時のニュースには「アケボノ杉」一件も採り上げられていた。

 ヒノキ科(=スギ科)セコイア属はセコイアのみの一属一種で、接頭語メタを付し和名「アケボノ杉」と称する事になった落葉樹は長く絶滅種とされてきたが、昭和十四年(一九三九)に植物遺体を意味する化石の一種として発見され、学会での告知は同十六年(一九四一)に行われている。

 私が初めて宮様のご指定場所を訪ねた折、私の全細胞を震わせた宮様の訓育は「生命の尊厳を身に帯びてほしい…世に雑草と呼ばれる生命の尊厳さえも」の道義を授かった事に籠められている。

 宮様の玉は「御上(宮様は天皇陛下を『おかみ』と仰る)の語録で知られる『植物名鑑等に雑草と記載する植物は存在しない!』のお達しどおり、如何なる生命にも尊厳は備わっており、たとい絶滅種と思われる生命も歴史の中あるいは何処かに棲息しているかも知れない、『アケボノ杉』の存命を発見した御仁は御上だよ」と諭して下さった追憶がよみがえったのだ。

 現生種の「メタセコイア」を説く時は、昭和二十一年(一九四六)中国四川省磨刀渓村(現湖北省利川市)で水杉(すいさん)また「生きている化石」と呼ばれる樹木を指しているが、二年後(一九四八)アメリカに持ち帰った苗が育成され、同二十五年(一九五〇)その一部が日本のメタセコイア保存会に届いたことから、今や日本全国各地に現存の植生が見られるようになっている。

 つまり、私は皇紀二六〇〇年祭(一九四〇)元旦に生まれ同月末永眠した実兄の魂魄を宿し翌年の九月一日(震災記念日)に生まれ「アケボノ杉」のように生きろとの命を授かったことになる。

 この自負こそ宮様に初対面した際に授かった私自身の覚悟なのである。その後の私は覚悟こそ生涯不動を保ってきたが、自負の揺らぎは重力不安定な東西赤道直下なるがままと同じように、不安定な闇間に見える一瞬のイナヅマ(静電気)に見えない世界を観ようとしている。

 以上が特報メルマガの恵みから得た私の特記追伸で今後のエネルギーに加えていきたい。

 落合先生の造語に「諏訪の軍法」がある事は既に承知と思うが、昨年末に武士道の極みを会得した中森語録「タマコト」は漢那憲和、工藤俊作のナサケを世に紹介してくださった。私が自負する武士道は「負けるが勝ち」の奥義を極める事にあると思っており、その究極は型示しと振る舞いに現れる安らぎと確信している。私の如きは未だゆらゆらした不安定に踊らされている。

 漢那も工藤も「負けるが勝ち」の奥義を極めた事に間違いない、のち「黙して語らなかった」その生涯は彼ら先達が「神格の型示しと振る舞いに安らぎを覚えた」からと自負するのである。

 私が省みて想うのは、高松宮殿下のオーラと崇高な御姿のよみがえりであった。

 結果、昭和天皇とアケボノ杉の訓話が鮮明によみがえったのである。

 それはまた新春を迎える前のミソギハラへに通じる巡り合わせではないのか。結果、リチャードを国際政治の雄に仕立て上げ・ハシゴを外したテレビの二面性を解き明かす道に通じるかも知れない。テレビは新文明の秘蔵っ子かつ鬼っ子の二面性を備えており、戦後の国際政治を操るツールとしての役割を担ってきた。すなわち、テレビはマスコミュニケーションを凌駕する新兵器として用いられる事から、国際社会を誑かすマスメディアの全域を制覇する役割を担ってきたのである。

 今やテレビも双方向性を売りにしたデジタル機器の出現で斜陽化の一途をたどっているが、それは進路を誤った文明の宿痾でもあり、宿痾は飽和に至れば淘汰に曝される事は歴史の相似象ゆえ今さら気づいても仕方あるまい。報道がワイドショー一色に染まっている事が証左ではないか。

 さて、令和四年(二〇二二)新春の筆はじめ、時勢に鑑みて記事の深堀を促進させていく。

 まずは昨年末の余韻とも思える初夢を書かずにはいられない。宮様の覚え目出度き人にして、我が青春の憧れ本田宗一郎の雄姿が私の夢枕にあらわれ、あのジョン・F・ケネディ大統領を唸らせたと伝わる痛快な諸々話を想い出させてくれた。

 前述しているが、鈴鹿サーキットをステージとして、堀川辰吉郎の孫浮谷東次郎とのこと、浮谷と同い年で本田宗一郎の長男博俊とのこと、パドックと進行を司った両委員会の長佐藤全弘とのこと、テレビ番組の仕事を抜けて義弟レーサーの応援に来たタレント・ビートたけしとのこと、何よりもの想い出は宮様とサーキットを疾駆したこと、宮様のリラックスに比する、私の緊張感は極限この時を超える畏怖には出会ったことはない。

 二十世紀以降モータリゼーションの深層構造を知らないまま、世相を説くなどは、仏典や聖書等に帰依せず宗教を説くのと同じこと、初夢としては生来八十年最大の幸運に恵まれうれしかった。

 正月七日は戦略思想研究所の中森社長が私の住む家に御越し下さる日になっている。中森様と私は初対面であり、これまではパソコンメールとスマホ通信のみであった。中森様の創業に際して、落合先生の論説フアン(信奉者)である私は何か「お役に立てないか」と考えた結果として、この修験子栗原茂シリーズの発起となり、今号を以て第四十六話を数える事になった。

 当日、中森社長と大凡三時間超の「おしゃべり」となったが、私の依願として、これまでの記事は私自身の事情で諸々の事案に「寸止め」を施してきたが、もはや棺に身を潜めるも同然の私は寸止め加工をしない記事を書きたいと申し出ることにした。むろん、その取扱については中森社長の独断に従いますと約している。つまり、歯に布きせた物言いを減らしたいのである。

 而して、新春を機に記事の趣にいささかの変化が生じる事を承知おきの程たまわりたい。

 文明史上において、国際社会をリードする勢力が大きな様変わりを見せるのは、協定世界時を機にデジタル化を本格化させた事に始まるが、そのパフォーマンスは電脳への依存率を高める国際政治が主演を担うことになる。つまり、不自然な方向性へ偏重した人脳にひび割れが生じたのである。

 その最大要因はベトナム戦争に集約されるが、冷戦インチキ体制を主導した統帥権に亀裂が浮かび上がり、アメリカンドリームの如き経済を主導した統治権に民衆の思潮が強まったせいもある。

 それは被災者の痛ましい労苦により、原爆の後遺症が世界へ知れ渡るようになり、何でも食いつく反戦運動と不自然な民主化の津波に国際政治が怯えたとも言えよう。

 そうした種々の要因すべてを含めたうえで、国際社会の思潮を調整するために用いられた日常的な生活兵器がテレビであり、民衆の茶の間に第二の天性(法則)と見誤る工作を施すのである。

 人は本来が自身に備わる遺伝子の情報に倣い動向の指針を示す生き物であるが、その遺伝情報には常時配信されているものと、スイッチをオンにしないと配信されない情報に分けられている。生命を司る細胞はスイッチがオフでも常に更新されているが、脳細胞のようにスイッチをオンに保たないと機能性を発揮しないものがある。つまり、人の情報はオンとオフのスイッチで仕分けされるのだ。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などはスイッチオフでも働く代表的な感覚機能であろう。

 人の情緒的反応は「好き」と「嫌い」に分別されるが、感覚五機能(視・聴・嗅・味・触)による影響力は根強い印象を植え付けることになる。第一印象に左右され易い好き嫌いの感情には決定的な欠陥があり、計り知れない誤解が潜むため「後顧の憂い」に悩まされる事も少なくない。

 テレビ事業の生殺与奪は視聴(視覚と聴覚)率に集約されるため、単純な目的を達成するため特段優秀な人材を揃える必要など生じない。その証を立てるのは、コンピューターネットワークにおける炎上に示されており、若年層一個人の億万長者が続出している現実からも明らかであろう。

 ネット炎上に参じる人たちの基準もまた「好き」と「嫌い」の数量が決している。

 今や時代遅れのテレビを論じても読者に役立たないため、現在進行形の「情報とは何ぞや」という基礎的条件を踏まえたのち、本シリーズならではの記事を編むことに集中していきたい。 

(つづく)

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