修験子栗原茂【其の四十五】電脳信仰と飽和の後に訪れる世

 まず認識を要するのは「符号付数値表現」の解釈を読者自身が導き出すことにある。小学校に通い始めた頃の純心に還らないまま、見えない世界を観るなど不可能と思うが、脳内浄化のうえ独学的な精神を以て事にあたれば数理は順序が正直なため、その一つ一つを的確に追えば現行コンピューター社会の課題が見えて、その対処法も自分自身の中に潜むことが分かってくる。

 数をかぞえる事を算数と言うが、十進法では0,1,2,3,…,9,とかぞえて、プラス記号は省略のうえ正の数とされ、0より小さい数はマイナス記号を付けて、小数点以下は負の数とする事が通常であり、0はプラスやマイナスの記号を付けないまま使う事が普通とされている。

 コンピューターは十進法を用いて始まり、現在使用中の機器も少なくないが、格段の符号付数値に適するのは二進記数法すなわち0と1に限定した表現にあり、二を底(てい=ベース)として、底の冪(べき=事典参照)の和で数を表現するが、二を底とした位取り記数法のことをいう。

 電子式コンピュータの電子回路などのデジタル回路(デジタル論理回路)や、磁気デスク等の記憶メディアでは、電圧の高低、磁極  N/S  など、物理現象を二状態のみに縮退(離散化などとも)して扱うため、それに真と偽の二つの値(2値の真理値)のみを使用する二値論理をマッピングするが、更にそこで数値を扱うには、それに「0と1」の二進法マッピングが最適とされている。応用が多い桁(ケタ)数が有限の場合には数学的に言うなら「有理数の部分集合」を意味するが、通常は「有限精度の実数」が表現されたとみる解釈が有力とされる。

 コンピュータやデジタル機器に二進法が多く利用される事由ともいえる。

 しかし、二進法にもデメリットはあり、数が増大するにつれケタも増えるので、0と1だけが並ぶ表は見にくいため感じもよくない。たとえば十進法の65は二進法だと1000001ゆえ0を七つと1を観るだけなので、この場合は二進法と相性の良い十六進法が使われ  41 に縮められている。これらは加算表として扱われるが、他に負数の扱い、他の N   進法から二進法への変換、命数法などあるため易経の八卦や六十四卦のように夫々が3ビットと6ビットに相当して使われることもある。

 これらは歴史と密接に関わっているため、アナログ派とデジタル派が好き嫌いの感情に任せて競い争う事などは見当ちがいでしかない。

 易経の邵雍(しょうよう=一〇一二~七七)は、1→2→4→8→16→32→64と進展させる加一倍法を考案しており、これがコンピューターへの即対応とはならないが、この配列はそれぞれの値を二種類の要素と捉えれば、6タプルを辞書式順序に並べたものと観てもおかしくはない。

 また紀元前二〇〇年ころインドのピンガラは、韻律(詩など特定のリズムをもつ韻文の事)を数学的に表現する法を考案しており、それが現時点で知られる最古の二進法の一つとされている。類似の二進法的な組合せはアフリカのヨルバ人(西アフリカ最大の民族集団の一つ)が行った占術が広まり中世ヨーロッパでも長く使用された。

 英国貴族の哲学者ベーコン(一五六一~一六二六)は、アルファベットの文字を二種の記号の列で表す体系を論じて、任意の無作為なテキストで微かに判別可能なフォントの変化に符号化できる事を公開「その結果から異なる二種類の状態を表現できる」暗号化に成功している。

 ベーコンの暗号を引き継ぐ形で十七世紀の数学を牽引したライプニッツ(一六四六~一七一六)は現代の二進法(0と1)を確立した先駆者と知られている。また易経をよく知るライプニッツは易経六十四卦に0六つから1六つを対応させ、哲学的数学に長じた中華思想に敬意をあらわした。

 プール代数(論理)で周知のイギリス人ジョージ・プール(一八一五~六四)は数値の意味と違う広義の二進的な数の代数による命題論理の形式化を示しており、その流れを踏むクロード・シャノンと同世代の中嶋章&榛沢正男らは「継電器回路における単部分路の等価交換の理論」すなわちリレーのようなスイッチング素子による回路(ディジタル回路)の設計がプール代数によって行えることを昭和十一年(一九三六)ころ発表したのち、一九四〇年代から今日まで続くコンピュータの理論上の一つの基礎として今も使われている。

 因みに記数法は十進法や二進法のほかに、八進法、十六進法、三十二進法、一進法、三進法、九進法、五進法、二十五進法、六進法、などある事を念のため記しておきたい。

 どうあれ、数学基礎に触れず符号付数値表現の解釈を立てる事は無謀にすぎるが、コンピュータープログラムのオペレーションシステムぐらいは知っておかないと、現在と未来を透かそうとするなど出来る相談ではないことが確かとしか言いようがないのだ。

 すなわち、今やアナログ派とかデジタル派とか主張するのは愚かなことであり、どちらも認識した視点で過去を洞察したのち未来を透かさなければ、安心と安全を手に入れるなど「無い物ねだり」も甚だしい妄想としか言いようがない。

 さて、今や日常化しているコンピューターの誤作動に踏み込んでいきたい。

 国際標準規格のUnix時間→ISO8601形式2021-12-11T00;05;51Z(更新1639181151)時点から振り返る2001年9月9日1時46分40秒(協定世界時)の問題は次の如く情報開示されている。

 1970年1月1日0時0分0秒からの秒数が十進法の小数点以下9ケタから10ケタになる事で生じるコンピュータープログラムの不具合を懸念した事件であるが、その前提には2000年問題と言われたミレニアム・バグ(Y2K)で大騒ぎした結果が大山鳴動ネズミ一匹に済まされた事を絶対に忘れてはならないのである。特に原発神話のウソを知った日本においておやである。

 ミレニアム・バグは西紀年(グレゴリオ暦)四ケタの下二ケタ年を符号とするコンピュータープログラムが2000年のうち00のみ数値化されるため懸念された誤作動問題であるが、見える世界に偏重した電脳に操られるメディアには大山鳴動ネズミ一匹にしか見えなかったのであろう。見えない世界のエネルギーに生かされる地球生命が電脳に換骨奪胎された証のようでもあり、明日は我が身の心構えを一層きたえる必要があるとするのは私も参じる分野のみだろうか。

 今や現代人が気に掛ける時刻は競い争う世界に限られ、オリンピック競技の如き秒以下のタイムを競い争う時のみ神経質になるが、コンピューターの秒速は現代人が競い争う時刻の比ではない。だがコンピューターに優るとも劣らなかったと思われるのが古代人の神通力であり、同じ遺伝子を自在に使う現代人が今も存命するため、この思いは必ずしも妄想ではない自負を覚らせるのだ

 すなわち、見えない世界に行き交う閃きなどは光速に優るとも劣らないのである。

 たとえば、囲碁や将棋の世界では人脳と電脳が勝敗を決する機会を設けているが、現行社会の部分事象においては人がコンピューター(AI)に勝利する場面も珍しくはない。

 而して、戦略思想研究所と歩を合わせる人たちは、やがて神通力を得るはずと思っているが、その裏付けは古代人の遺伝子が読者にも備わっているからであり、見える世界ばかりに目を奪われるため見えない世界を観るスイッチがオフのままなので、そのスイッチをオンにすればよいのみだ。

 さて、十進法上の秒数が九ケタ→十ケタになる stg (second 1 giga) 問題であるが、十億秒問題と表記される場合もある。コンピュータープログラムの二千=2000年問題は都合勝手な商業メディアが騒ぎ煽ったのみ、家庭生活は大山鳴動ネズミ一匹と同じ顛末に終わったので、十億秒問題に際しては商売にならないメディアもダンマリを決め込んでしまった。

 協定世界時  (UTC) の秒数を文字列(辞書順)表現に直してソートしたとき、1と0が九つの桁は十ケタで9が九つの九ケタより小さい(小数点以下)事になり、項目が正しい順番で並ばなくなり、新たに作られる項目が一覧表示されないので、所定の動作が行われない又は古い項目と勘違いされて削除されるなどの不具合が生じてしまう。

 ユニックス(UNIX)のls(LS)コマンドは、ファイル名が数値であっても文字列とみなしてソートする作業が続けられる。またCGI(Common Gateway Interface)プログラミングで広く使われているPerlもsortコマンドは「数値は文字列に変換してからソートする」事をデフォルトにしている。

 右の如く文字列ソートがデフォルトになっている事に加えて、秒数が九ケタとなった始まりは協定世界時(1970年1月1日0時0分0秒)を期首に約三年後の1973年3月3日9時46分40秒の時点までさかのぼるため、秒数が十ケタになる2001年9月9日1時46分40秒の時点に至っては約二十八年にも及ぶ間の不具合が数えきれない。

 つまり、昭和四十五年一月一日の秒時刻に始まり、同四十八年三月三日の秒時刻が九ケタ、平成十三年九月九日の秒時刻が十ケタになるまで、コンピュータープログラムが支配するシステムの渦中で文明社会に生じた異変は何だったのか。その異変は協定世界時と関係するのかしないのか、地球上の生命が電脳信仰の国際政治に委ねるいま解するのも恐ろしくなる。

 文明は時刻を知る事に始まり、人は間を空ける事で争いを避けてきた。その時間を大切に扱う事で人は豊かさを増していった。陽光が乏しくなると、それを補うように月光が姿をあらわし、夜明けに目覚め、夜更けに眠る、そうした周期性(サイクル)が人の潜在力をたくましくした。すべては一つ一つの積み重ねで一朝一夕に手に入れたエネルギーではない。

 予測は丹念な経験則に成り立つものであり、予知は峻烈な経験則から会得するものである。所定の動作で成るコンピューターシステムは十人十色の如き自由度に乏しいため、予測不能な動作の発生や勘違いの削除を起こしやすくなっており、二進法ゆえに桁違いとなる秒数の誤作動は予測し難い修正不能を招きかねないのである。

 国定教科の進学率向上に伴い増える詐欺犯罪のように、コンピューターの普及率向上に伴い増える時刻の予約セットはいま、核ミサイルや衛星ロケットから家電機器にまで及んでいるのだ。

 協定世界時から三年後に本格始動したコンピュータープログラムのオペレーションは、約二十七年後のミレニアム・バグまでの間に、石油基金を裏付けとした金融再編、基軸通貨ドルの寡占化、為替相場と証券相場の調整介入、東西冷戦構造の終焉、湾岸戦争、世界貿易センタービル崩落、暴風雨と寒暖気候の異変など、未曽有の歴史的事象に密接関与して今も渦中やまない。

 軍需と民需が複雑に入り混じる誤作動はコンピューター以外には起こりようがない。

 古来、表裏と陰陽の言葉は対とされ、表は陽気とみなされ、裏は陰気とみなされてきた。これらを踏まえる治政上に統治と統帥の語が用いられる。統治に従事の事務官と統帥に従事の軍務官を指すが両者は対で一つの政府とみなされる。

 これらアナログ体制がコンピューターの出現でデジタル体制へ舵がきられた。古来、統治と統帥は上意下達を基礎に下剋上も取り入れたが、民主化はシビリアンコントロールの欺瞞を装っている。

 時の権力が特に警戒するのはクーデターであり、クーデターの本質は誤作動にあり、誤作動の因果応報はブーメランが必定とされている。これらは全てウソの雪ダルマゆえ融かすほかないのだ。

 すなわち、大自然による淘汰と秩序の修復に委ねるほかないのである。

 とはいえ、死んでしまったらそれまで、生き抜くエネルギーが求められるのである。

 それこそが「競わず、争わず」の極意で奥義なのである。

 さて、協定世界時2038年のコンピューター誤作動に触れておきたい。

 ウィキペディアで「2038年問題」を検索のうえ囲み記事を参照すべきである。リアルタイムで2038年までの協定世界時を開示(現時点は2021年12月15日8時01分である)してカウントダウンを行っている。ついでに記事全体を参照される事も推奨しておくが、あくまでも参照のみ読者自身が持論を組み立てるための参考にとどめてほしい。

 ミレニアム・バグを騒ぎ煽り立てたメディアは、2001年9月9日の際にはダンマリを決め込み無知蒙昧を曝さないようにした。ところが、その後に生じた未曽有の歴史的事件もまた、以前に増して事態は悪化の一途をたどり続けて止む事を知らないままにある。

 和製英語とされるリーマンショック、地球全域へ達していく気候異変、日本にあっては東日本には止まらなかった大震災が原発神話を砕き絶つ放射能汚染、飛行中の航空機が行方不明のまま消滅した未解決事件、海嶺火山の噴火は地球最大の太平洋にまで達する活性化の兆候、すべてが予測と予知の埒外とされる未曽有の歴史的被災を味あわされている。

 コンピューター誤作動との関連性が問われて不思議ないのであるが、国際政治と科学分野から窺える情報は世にも恐ろしいダンマリ以外の何ものでもない。むろん、何の裏付けもない妄想や憶測などのワイドショーは通例の悪ふざけ論外でしかない。

 対策らしき見せかけは、先取りした暗号通貨の乱発にあり、ホテンのないトバシそのもの、今まで基軸通貨としての地位を牽引したドルの信用失墜はコンピュータープログラムのオペレーションから見放されている。ロンドンがユーロから脱退したのが何よりもの証といえよう。

 在るがまま、成るがまま、現行科学のシンボルとされるノーベルショーも、耐性菌ウイルスを持て余しぎみにある事から、残された人としての価値観は「競わず、争わず」以外にはないだろう。その裏付けは真鍋理論に自ら身を寄せたノーベルショーの型示しにあり、ノーベルショーと一対のオリンピック・パラリンピックにボイコットのパフォーマンスが見られるなど、国際政治と科学が断末魔を演じるかの如き風俗は何よりものシンボルと思うほかない。

 ともかく、人が人としての本源に気づき始めた事は真に「在るべき姿」そのものといえよう。

 その大転考元年となるか否かもカウントダウンに気づくか否かによるだろう。

 飽和と不飽和その淘汰を身に沁みて覚える渦中に生きるのも一つの試金石であり、今を生き抜いて歴史の生き証人となるのも何かの巡り合わせであろう。現在そして未来を双肩に担っている人たちに対して、私たち高齢者はもっとも大切なポテンシャルを費消してしまった。この罪ぶかき認知障害を抱える高齢者の代を見届ける事に値打ちを見出すとすれば、如何なる世も似たようなもので、飽和の後に訪れる世は人が人らしく生きる景色なのである。

 地球消滅などの妄想は愚かな知識人の逃げ口上にすぎないが、その筆舌に乗じるヤジウマの多きも群社会の特色に違いがなく、地球消滅とは太陽系宇宙の消滅をも意味するのであり、そんな大げさな心配をするより、今を生き抜くことにエネルギーを注ぐべきだろう。

 今これ以上の先走りを述べる事は本稿趣旨に外れるため一まず昭和の記事にもどるとする。

 昭和四十六年(一九七一)元旦、ユニックスエポックを仕掛けたシンジケートの一端が垣間見える初イベントがスタートし、以後その通称はダボス会議と呼ばれるようになった。具体的な記事を書く許諾は来春にならないと判明しないが、どうあれ、墓場に眠らせる事が起こらないようにする。

 現時点はワールド・エコノミック・フォーラム(WEF )の概略のみ示し、詳しくは新年を迎えた時のミソギハラへ後に新春記事として扱うことにしたい。

 WEF が銘打つところは、経済、政治、学究、その他の各界におけるリーダーたちが連携する事で世界、地域、産業の課題を形成し、世界情勢の改善に取り組む事を目的にするという。その仕組みを国際機関とするためスイスのジュネーヴ州コロニーへ本部を設けて、主宰は経済学者クラウス・シュワブ(一九三八~)が任にあたり、スイスの公認を得た非営利財団を標榜している。

 ドイツのラーベンスブルクに生まれたクラウスはスイス連邦工科大学の博士号をもち、六〇年代のハーバード大学においてヘンリー・キッシンジャー(一九二三~)から教えを受けたとされる。十五歳年上のユダヤ系ドイツ人ヘンリーは一九三八年にアメリカに移住しており、大戦中の一九四三年に帰化してアメリカ人になっている。

 キッシンジャーは米陸軍へ入隊のうえ、ドイツ語に長けた諜報員として軍曹に昇進したのち、後にCIA  と改称するOSS  でアレン・ダレス(一八九三~一九六九)の部下に配属されている。復員(一九四六)後にハーバード大へ入学して政治学科を最優等で卒業したとされ、そのまま大学院へ進んで外交史の修士学位を経て博士学位も取得したとされる。日米学生会議(一九五一)に参加のち大学院生活を送るうち、世界中の若手指導者と人脈を形成そこには中曽根康弘も加えられた。

 キッシンジャーについての情報量は尽きないため、詳細は省くが、大統領選(一九六〇)の予備選候補者だったネルソン・ロックフェラー(一九〇八~七九)の外交政策顧問を務めた事を機にロックフェラー家との交流を密にしていった。当主三代目デイヴィッド・ロックフェラー(一九一五~二〇一七)のキッシンジャー贔屓は中国への進出が決定的な要因とされている。

 さて、ダボス会議のモデルはローマクラブに端を発しているが、ローマクラブの名称は発足の準備(一九六八)地がローマだったことから決まったとされる。正式な発足時(一九七〇)の約一年前に選出された会長はアウレリオ・ペッチェイ(一九〇八~八四)であった。

 アウレリオは大戦中のレジスタンス運動の闘士と知られており、大戦後はフィアット社を再建した経営者として名を馳せ、オリベッティ社にも請われ会長に就任(一九六四)したとされる。

 ちなみに、フィアット(Fabbrica Italiana Automobili Torino)はトリノのイタリア自動車製造所の頭文字を社名として、現在はステランティスN.V.(Stellantis.Naamloze.Vennootschap.)の子会社に与して、アバルト(伊)、アルファロメオ(伊)、クライスラー(米→蘭)、シトロエン(仏)、ダッジ(米)、DSオートモビルズ(仏)、ジープ(米)、ランチア(伊)、マセラティ(伊)、オペル(独)、プジョー(仏)、ラム・トラックス(米)、ボクスホール(英)の計十四社で構成される多国籍グループ企業へ変貌しており、ステランティスの登記はオランダになっている。また各社名の下部カッコ内は創業時の国名を付記したものである。

 なおオリベッティ( Olivetti )はイタリアのピエモンテ州イヴレーアでタイプライターの製造販売会社として創業されたが、かつて大型コンピューターの開発生産事業も行っており、フィアット社と共にイタリア経済界の歴史を担う立場にあるとされる。現在はテレコム・イタリアが買収その傘下でシステムソリューション事業に主力を注いでいるようである。

 現在ローマクラブの本部はスイスのチューリヒ州ヴィンタートゥールにあるが、移転したのは二〇〇八年その間にはパリ(一九八四)、ハンブルグ(一九九八)を経由のうえ、各国支部を設けるなど広域化し、日本支部(二〇一九)は愛知県春日井市中部大学持続発展・スマートシティ研究センター内に事務局が置かれている。

 ローマクラブもダボス会議も在野のシンクタンクを標榜したがるが、ことさら民主化のレッテルに拘る底意に潜むところは共通しており、やっている事が官民一体になるのは当然のことであり、いま詳述するまでもないが、ローマクラブ日本人会員として公表済の名を抜き書きしておく。

 草創期においては、大来佐武郎、小林宏冶、大島恵一、茅陽一が正会員として参画している。

 日本支部設立時の正会員には、小宮山宏、野中ともよ、林良嗣、黒田玲子、沖大幹、名誉会員には池田大作、松浦晃一郎、茅陽一、緒方貞子の名が開示されている。

 一方のダボス会議であるが、ここでは自ら標榜するダボス人なる造語について、ウィキペディアの記事を抜き書きしておく。彼らは(支配的な)金持ちのグローバル・エリートから成り、メンバーは自らを完全なコスモポリタンとみなして、ウォール街での有力な金融業者に当てはまる世界の長なる用語に似ている。当然これらの物言いに潜む底意は解する必要あるが間違いとは言えまい。

(つづく)

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