修験子栗原茂【其の四十七】電脳社会を操る者の正体

 人の情緒的反応は「好き」と「嫌い」に分別されるが、感覚五機能(視・聴・嗅・味・触)による影響力は根強い印象を植え付けることになる。第一印象に左右され易い好き嫌いの感情には決定的な欠陥があり、計り知れない誤解が潜むため「後顧の憂い」に悩まされる事が少なくない。

 テレビ事業の生殺与奪は視聴(視覚と聴覚)率に集約されるため、単純明快な目的の達成に要する人材も優れ者など必要としない。その証を立てるのは、コンピューターネットワークにおける炎上に示されており、若年層一個人の億万長者が続出している現実ひとつ見れば明らかではないか。

 ネット炎上に参じる人たちの基準もまた「好き」と「嫌い」の数量で判定されている。

 今や時代遅れのテレビを論じても読者に役立たないため、現在進行形の「情報とは何ぞや」という基礎的条件を踏まえたうえで、本シリーズならではの記事を編むことに集中していきたい。

 現在二十一世紀のうち五分の一を経過した時点において、私の知り得る限りの情報から自分の立ち位置を明らかにするため、読者と共有するところを確認しておきたい。

 地球は太陽を中心に公転(レヴォリューション)しており、その質量比は約三十三万対一と大きな差をもち、それ相応の影響を受ける惑星と知られる。その影響力には同じ太陽系木星の運動も加わる事が判明しており、その事由は太陽系に属する全物性物質が公転軌道の範囲内にあるからで、個々の自転(ローテーション)が異なる他の惑星も共通の公転軌道から外れることはない。

 つまり、読者も私も共有する立ち位置とは、共に地球を生命の場とすること、宇宙ステーションに永久移住しても地球生命の一つである事に変わりはないのである。

 どんな言い方を用いようと、地球生命は同じ「時刻と空間」の中にいるのであり、地球上の異なる環境下に生活しても、その生活様式が異なっても、地球生命にとって「時間」だけは公正かつ公平に扱うべきではないのかと思うわけである。

 如何なる時代も人が求めるところの情報は「納得できるか否か」の一点に集まろうとする。

 納得できるか否かは、その人が持ち合わせる情報と濃密に関わっている。

 即ち、納得できるか否かを単なる「好き嫌い」の感情と大差なく使う日常が危ないのである!

 ここでは天文学についての所見を省略するが、知らないで済む学習ではないので少なくとも公転と自転のメカニズムくらいは、読者の個人的な学習を以て認識して頂きたい。

 即ち、銀河のハップル分類における種類の一つ「渦巻銀河(スパイラル・ギャラクシー)構造」の起源と現状はじめ「連星」「降着円盤」「中性子星」「ブラックホール」「ケプラーの法則」「ベクトル」「渦巻(スパイラル)と螺旋(ヘリックス)」「楕円」など、その時々必要と思われる場合に自らの認識をあらためていただきたい。

 たとえば、地球の自転一日とは「太陽の位置を基準に一回転する時間」を指すが、その一回転した時点では見かけ太陽の位置が公転移動しているため、自転周期は一日二十四時間よりも236秒ほど短くなるから、地球が一回転するうち昨日の太陽と同じ向きになるには、あと236秒が必要になる事を意味しているわけである。

 自転のエネルギーは他の天体引力に影響され変動するのが普通であり、彗星や小惑星などの質量が小さくなるほど惑星の近傍を通過する際に、自転速度や自転軸の変化は普通に起こりえている。

 ちなみに、地球の赤道は時速1700キロメートル、自転の一日は23時間56分4.06秒でも百年間に1.7ミリ秒ずつ遅くなると考え、その理由は中心部が液体・潮の干満・海底との摩擦など構造上から生じるとされたが、1970年代に一日86400.003秒が40年後86400.001秒と現実は逆で自転が速まるなどの見込み違いは理論科学の常となっている。

 NASA(アメリカ航空宇宙局)は2004年スマトラ島沖地震で6.8ミクロン秒、2010年チリ地震で1.26ミクロン秒、2011年の東日本太平洋沖地震で約1.8ミクロン秒ほどの自転速度が増した事から、一日の長さが短くなった可能性ありとのアナウンスを行っている。

 また太陽系は天の川銀河の銀河面にあり、銀河系の中心である銀河核の周辺を約2.2億年(銀河年)余かけて一周している。さらに太陽系の惑星の公転面は太陽の赤道面とほぼ変わらないが、自転軸は銀河面に対して67.23度の大きな傾きを有している。

 前記の如き現象は全てリアルタイムの積み重ねであるが、その認識の有無など問わないメディアの報道は偏向した感情にのみ訴えるため、全てがヒステリックを発症する要因となっている。

 地球が属する銀河系は渦巻銀河しかも棒渦巻銀河が最近の有力説とされ、バルジ(膨らんでいる部分)の構造が棒状で周囲に渦状腕を持っているとされる。すなわち、銀河全体が持つ角運動量が相対的に大きく、中央のバルジがディスク(円盤状)に囲まれる構造を持つわけである。

 渦状腕とは、初期の研究者や十七世紀の天文物理学者が提唱した理論上の言葉であり、観測者らが見るディスク内の星は観測位置に留まっているわけでなく、軌道運動に沿いつつ腕の部分を定期的に通り抜けていくサマを意味すると知るべきである。

 天体物理学は普遍的な現象に「降着円盤」の語を用いている。太陽(恒星)の如き中心にある重い天体の周囲を公転しながら落下する物質によって形成される円盤状の構造を降着円盤と言うわけだ。公転する物質は摩擦で中心の天体へ向け螺旋状に落下していく。落下する重力と摩擦力を受け圧縮と上昇温度にさらされる物質は円盤からの電磁放射を引き起こす原動力になっている。この電磁放射の周波数の範囲は中心天体の質量に依存している。若い恒星や原始星まわりの降着円盤は赤外線の放射放出を行うが、中性子星やブラックホールまわりの際には電磁スペクトルのうちエックス線の放射を行っている事も知られている。

 活動銀河核、原始惑星系円盤、ガンマ線バーストは全てが降着円盤の関連現象ともされる。

 大きな質量をもつ恒星が進化した「中性子星」は最晩年の天体といわれる。

 質量が太陽レベルの中性子星、直径は20キロメートルほど、大気の厚さは1メートル程度、その主成分は中性子であるが、密度が太陽の十の十四乗倍超とされる桁外れゆえ、表面重力は地球の2×10の十一乗倍もの大きさと知られる。その形成メカニズムは恒星の超新星爆発によって、中心核が圧縮された結果うまれるが、中性子星の質量にはオッペンハイマー(原爆開発所長に転じる前)らの提唱する上限値から、ブラックホールへ移行していく過程があるとも考えられている。

 中性子のみで成る星なら原子核と見なすこともできる。通説の原子核内部は陽子と中性子が互いに束縛されつつも動ける状態にあるため、液体に見立てても間違いではないという考え方もあり、中性子星のコアが極めて大きな密度ゆえ超流動状態を示すモデルも出来ている。

 ブラックホールは、観測者の知る宇宙空間に存在する天体のうち、極めて高密度で強い重力のため物質に限らず光さえ脱出不可能な天体として知られている。

 ブラックホールについては、現行社会の最先端にあるワンワールドのシンクタンクはじめ、宇宙を含む地球の覇を競い争う勢力が取り組んでいるため、そのシンボルたるHAARPを含め揣摩臆測的に捉えるヤジウマなどの実在に鑑みると、このブログさえ破壊されかねないので控えるとする。

 以下、連星ほか前記した天文用語についての情報検索は読者に委ねるとしたい。

 要は地球生命に公正と公平をもたらしている「時間」の共有が不公正と不公平に運用されているか否かを覚ってほしい。その際に認識を高めてほしいのは「周期性」の重大性であるが、周波数もまた日常生活の命運をコントロールするための具に使われており、あなたが貴方自身であるか否かを覚る重要なキーワードゆえに、その認識が深化することを願ってやまないのが私の気持ちでもある。

 陽光や月光や雷光は地球生命に不可欠の恵みであるが、それを受容する場に違いあり、場も周期も違いないのは時間のみではないのか。周期性も周波数も時間あればの有りがた味ではないのか。

 少しコンピューターのハードウェアとソフトウェアに触れておきたい。

 人命は肉体と精神で成り立っている生き物であるが、脳機能にはオンとオフに切り替えるスイッチ的な機能が備わっており、その切り替え速度は光速より早いと思われる。それが閃きを働かせる最大要因でもあり、修験の世界は閃きが常時自在に働くよう練磨する事を日常としている。つまり、脳と五感の如き感覚機能に神通力が加わるようなイメージであるが、唯一コンピューターが辿り着かない泣きどころとも言えるのではないか。

 コンピューターは新たなソフトウェアを組み込むための物理的なハードウェアを躯体として、その機能性の多様化を増築する事でビルドアップの促進をはかっている。いわば未だ成長過程にあるとも言える事になるが、コンピューターの成長と反比例するかのように劣化の一途にあるのが人脳という皮肉が現況社会に充満している。もはやサイボーグ化が進む人命は飽和状態に達している。

 電脳業界では「アプリケーションとオペレーティングシステム」を以てソフトウェアと呼ぶようであるが、物理的な躯体のハードウェアに対比される用語と理解されている。アプリケーションソフトウェアは一般的にワープロソフトなど特定の作業や業務を目的とし、オペレーティングシステム(OS)はハードウェアの管理や基本的な処理をアプリケーションソフトウェアやユーザーに提供しつつ双方向を売りに情報操作のネタを仕込んでいる。

 つまり、電脳はフィードバックあるいはバックヤードすなわち双方向の情報通信を特徴とする情報社会を構築しているため、一方通行が持ち味のテレビなんかは化石としか思わないのである。もはやテレビのバーゲンセールは一発芸のワイドショーや露光素数を競う美画像などの残り物にすがるしか生きていく道が見いだせない状況下に置かれている。

 そのテレビに映りたがる逸(はや)り者の多くを見る限りにおいては、もはや日本人も淘汰現象の戦塵に散る事を競い争うかのようにも見えるが、これ滑稽だけでは済みそうにはない。それとは別にソフトウェアの表現とされる機械語は中央処理装置への命令となる二進数の値から構成される。その種類には、記憶装置間でのデーター移動ほか、条件による処理の分岐命令や演算などあり、それらを組み合わせて一つずつ順に演算が実行される逐次処理のほかに、繰り返し実行されるループ処理など実践的な現場にあっては、かつて軍の参謀本部に集まった頭脳なんかの比ではなかろう。

 電脳メカニズムを説いても日進月歩ゆえ昨日の新作も今日には時代遅れとなる。肝心な事は当日の国際政治すなわち現実に何が起ころうと自分自身の専守防衛すなわち「競わず争わず」を身に帯びる備えあれば家族ぐらいは護れるのである。

 そこで少し「イタチごっこのサイバーテロ」に触れなければならない。

 現実は常に流動しており、政策は流動性への対応に備える事が大半とされる。この現実を認識する覚悟を持たない者を選挙で選ぶのであれば、それは有権者が責任を負うほかなく無策な政治家と共に有権者も投票権を失うべきであり、その責務を負わない限り期待の政治家など生まれまい。

 マイナンバーカードなど普及しようとしまいと、個人情報のコンピューター化は1970年代から始まっており、電脳社会の進化に合わせた機械処理が行われている。問題は肝心のコンピューターを操る主体が日本政府の自前でないため、全体的にアウトソーシング依存から脱却できていない。その責務を永田町や霞が関などの行政官に向けても何の効果もない事は周知のこと、抑も論は占領政策に始まるが「霞が関の役人は優秀」とうそぶく商業メディアの逸り言葉も占領政策の一環にすぎない。結論のみ書くと「電脳社会を操っているのはワンワールド・ミリタリーである」すなわち現代の情報社会は文民統制下にあらず、統帥権もまたシビリアンコントロール下にはないのだ。

 それを知るには以下の事を自身で検証しないかぎり、知ったところで何の手助けにもなるまい。

 通常サイバーテロが問題になるのはクラッカー(コンピュータセキュリティ)の目的が何かでコンピューターネットワークへの不正侵入から破壊や改ざんなど悪意の行為を犯すこと、別の言い方だとクラッキング(悪意あるハッキング)を行う者(セキュリティ・ハッカー)にしぼられる。またテロリズムとは政治的な目的達成のため暴力を用いる脅迫行為と解釈されている。

 ただし、どんな政治的運営法を用いても、暴力を伴わない行政の実態など実在しようがないのだ。

 コンピュータウイルスの大量発信や大規模なクラッキングには相応のコストが必要なため、余程の暴利を貪るか・政治的あるいは社会的な支配欲を満たさないと割が合わない。むろん、愉快犯罪とも思えるハッカー行為は日常的に行われているが、これらの事件を深追いすると現行メディアのごとき脆弱な体制下にあっては、自らがサイバーテロに狙われるためダンマリを決め込むほかない。

 要するに、電脳社会の現況を推し量ってみれば、一方通行のテレビを無用化しつつ、双方向の電脳社会へ移行するまでは平穏であったが、双方向の最高傑作「国際政治による情報の独占化」は人脳の最高傑作「サイバーテロ」によって「イタチごっこ」を招いてしまったのである。つまり、サイバーテロは電脳社会を発展させるための共存共栄の関係に成り立っているのだ。

 その経緯はワンワールド史観を持たない者には理解できるわけがあるまい。以下その要略とともに現在そして未来への備えを明らかにしていきたい。

 現実すなわち国際政治が何ゆえ電脳信仰にシフトしたのかであるが、そのためには国際政治を司る国連の常任理事五か国を操るシンクタンクを知らなければ、神学論争に明け暮れる宗教系や哲学系の勢力が黙って見過すなど有りえない。さらに宗教系や哲学系の勢力をも操るシンジケートが実在する事も知る必要があり、その探索法を研究するのも一興ではあるが、とりあえずは私の知る限りをまず知ってから自身の手法に加えていったらどうだろうか。

 協定世界時が発効されたころ、私は携帯用の電卓を機械工作の現場に常用しており、通常の職工が好まない難加工の技術開発に役立てていた。中でも三角関数すなわち正弦(サイン)や余弦(コサイン)や正接(タンジェント)など六つの呼び方ある数学用語の一つであるが、平面三角法の設計から成る図面が主流だった時代の機械加工には大いに役立った電子計算機の一つでもあった。

 つまり、当時の私は資金繰りに追われる毎日の中に何かの生き甲斐をもとめ、その生き甲斐に遣り切れない辛さを軽減させようともがいていたのである。それはカケガエノない家族やナカマたちへの気負いもあるが、誰もが避けようとする競争相手がいない仕事をすることで、付加価値の高い代金を稼ぎ出すための一石二鳥にも数チョウにも達する家業継続への執念だったのかもしれない。

 その根底にあったのは「競わず争わず」そのものだった。

 そこで協定世界時が自然界そして文明の必然性に副うか否かを検証していくとする。

 太陽系宇宙の公転と地球の自転に副うならば、自然界のウズのベクトルは左方へ向かうのが必然で文明の利器である時計は右方へ向かう右回りのサイクルでバランスを整えている。この際に自然界のウズと時計の右回りから生ずるズレには圧が生じて、圧はスパイラルの弧を描きながらリサイクルを続けるため、大量の水に恵まれた地球生命は絶える事がないのである。

 記紀「ふることふみ」上巻「みとのまぐはひ」の段にも述べられており、少し長くなるが、極めて重要な実証理論となる基本中の基本であるためここに記しておきたい。

 男神イザナギと女神イザナミの二柱(ふたはしら)による「おのころしま」の段がなると「みとのまぐはひ」の段を展開するのが記紀「ふることふみ」に描かれる「かみつまき」天地の神髄である。

…略…其の嶋(おのころしま)に天降(あも)りまして、天之ミハシラを見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。是に其の妹(いも)イザナミに、汝(な)が身は如何に成れると問ひたまえば、吾(あ)が身は成り成りて成り合はざるところ一處ありと答曰(まを)したまひき。イザナギ詔(の)りたまひつらく、我が身は、成り成りて成り餘(あま)れるところ一處あり。故(かれ)此の吾が身の成り餘れる處を、汝が身の成り合はざる處に刺し塞(ふさ)ぎて、國土(くに)生み成さむと爲(おも)ふは奈何(いかに)とのりたまへば、イザナミ然(し)か善(よ)けむと答曰したまひき。爾(ここ)にイザナギ、然らば吾と汝と是の天之ミハシラを行(ゆ)き廻(めぐ)り逢(あ)ひて「みとのまぐはひ」爲(せ)なと詔りたまひき。如此(かく)云ひ期(ちぎ)りて、乃ち汝は右(みぎり)より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむと詔りたまひ、約(ちぎ)り竟(を)へて廻ります時に、イザナミ先づ「あなにやしえをとこを」と言(の)りたまひ、後にイザナギ「あなにやしえをとめを」と言りたまひき。各々(おのおの)言りたまひ竟へて後に、其の妹に、女人(をみな)を言(こと)先だちて良(ふさ)はずと告曰(の)りたまひき。

然(しか)れども「くみど」に興(おこ)して、子(みこ)水蛭子(ひるこ)を生みたまひき。此の子は葦船(あしふね)に入れて流し去(す)てつ。次に淡嶋(あはしま)を生みたまひき。是も子の例(かず)には入らず。

是(ここ)に二柱の神議云(かみはか)りたまひつらく、今吾が生めりし子良はず。猶(なほ)天神(あまつかみ)の御所(みもと)に白(まを)す宜(べ)しとのりたまひて、即ち共に参(ま)ゐ上(のぼ)りて、天神の命(みこと)を請(こ)ひたまひき。爾に天神の命以(も)ちて、「ふとまに」に卜相(うら)へて詔りたまひつらく、女を言先だちしに因(よ)りて良はず。亦(また)還り降りて改め言へとのりたまひき。

故(かれ)爾(すなは)ち反(かへ)り降りまして、更に其(か)の天之(あめの)ミハシラを先の如(ごと)往(ゆ)き廻りたまひき。是にイザナギ、先づ「あなにやしえをとめを」と言りたまひ後に妹イザナミ「あなにやしえをとこを」と言りたまひき。如此(かく)言(の)りたまひ竟へて、御合(みあ)ひまして、子淡道之穂之狭別嶋(あはぢのほのさわけのしま)を生みたまひき。

 以下は大八嶋(おほやしま)成出(なりいで)の段「伊豫之二名嶋(いよのふたなのしま)」ほか計八嶋の名称を記すのであるが、それを私は惑星八個にも擬えるのである。

 つまり、記紀「ふることふみ」上巻「みとのまぐはひ」の段から覚るところは「天之御柱すなわち太陽」を核心とする公転サイクルから自転サイクルが生まれ、そのウズの為すところ競わず争わずのスパイラルから天地の道理が生まれているのである。

 圧の主たる元素は空気と水に代表されるため、空気と水はズレすなわちスパイラルを起こすウズのエネルギーでもあるから、ウズのサイクルは競わず争わずを法則に成り立つことがわかる。

 記紀「みとのまぐはひ」は右回りのイザナギと左回りのイザナミを明示したうえで、「あなにやしえ…」の順序を厳しく戒める「くだり」を強調している。また「ヒルコ」と「アハシマ」を「タマコト五十一音」に数えないとするが、「ヤ行をヤユヨのみ」として「イ段とエ段」を空けており、また母音「ア行」と準母音「ワ行」の段においても「イとエ」を「ヰとヱ」におきかえ、タマコトがアルゴリズムの基礎となるかのような暗示も後世に伝えている。

 文明的な起動は時間と暦法、その周期性に順応した事から進展が開始されている。

 人が認識する時間のサイクルは六十進法と十二進法を採用しているが、暦法のサイクルは自然界の環境に倣うため一律に拘束し難い条件も少なくはない。

 宗教系と哲学系の二つから生まれた文明社会は、地政学的な枠組みから成る各国政治を取り込んで広域化してきたが、科学系の実証を認識した国際政治が勢力を増していくと、時間と暦法の支配化を企むため科学系の元素周期表を法治の裏付けとするようになる。それが国際間に生じるズレを縮める世界的な標準規格に関する礎に据えられたのである。

 ワンワールドすなわち世界は一つ、その悲願は地球生命の安心安全にあり、その悲願を適えるため宗教系も哲学系も科学系も文明に精魂を傾けたのであるが、結果的に生み出した現行社会の国際標準規格は決定的な欠陥の上に設計されている。

 確かにワンワールドを実現するために「国際標準規格」の設計は必須であるが、それは有職故実と家督継承をないがしろに扱うものであってはならない。ただし、今となっては一夕一朝に改良し得る状況下にないため、ここではペンディングに留めておくほかないであろう。

 すでに私なりの結論は出ているが、占い師ではないため、本シリーズの趣を継続しながら、年末に中断したリチャード・M・ニクソンの記事をさらに深化させていくとする。

(つづく)

 

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