修験子栗原茂【其の一四】赤字国債にまつわるヤマトタケルに仕えた任侠の相似象

 さて、最後の③は真鍋八千代の秘話を私二〇歳が学んだ中から政治に限って伝えたい。

 真鍋は栗原常吉家へ養子入りした真鍋源五の本家筋に当たり、明治九年生まれの源五より十八年も若いが秀孝の祖父常吉の名を知っていた、理由は常吉が今で言うレジェンドだからと聞かされた。

 常吉と八千代の年齢差は五十五年だから常吉没年の八千代は東京在住の二三歳にあたる。八千代の略歴は前述の通りで、秀孝五三歳に伴われ私二〇歳が初対面したとき八千代は六七歳であった。享年八二歳の八千代はこのころ少しの衰えも見られなかったが、常吉に鍛えられた秀孝の想い出ばなしを聞く八千代の姿が今も鮮明によみがえる。

 この時の話は常吉について、八千代が秀孝に質す事で持ち切りとなったが、四年後に私が八千代の秘話を聞く事から、四年前の話題が常吉にこだわっていた事の意味を知ることになる。

 以下、秘話の中から私の政治運動と結ぶコトガラのみ前倒しする。

 政治に期待される一番は経世済民であるが、これを実現した政治は人類史上に実在していない事を認識すべきと断じられた。すでに佐野から学んでいたので違和感をもたなかった。つまり、政治ほど実を虚として・虚を実とする世界はない、その典型は政策にあり、外政と内政に一線を画してみても所詮は外政の圧力に耐えきれなくなるのが内政に憑依する宿痾というわけである。

 テレビの中で演じる政治的トークが実と虚の魔物に取りつかれたサンプルと思えばよい。

 たとえば、政治家が国際政治の視察といつわる外遊を事例にみれば、国内政治といえども外政上の見識が必要と言う方便のもと、実と虚が入り混じる文字どおりの外遊にすぎないわけだ。

 八千代は一番目に私が政治の茶番に気づいているか、その度合いを見計りながら、私に教えるべきコトガラを吟味しているようだった。その決定版が政界ロビーストや政界ボデイガードなどの素性や活動とともに、ヤミからヤミへと葬られる政治の裏面史とも思えるものであった。

 巷間一般に認識される現実は裏面史が正体と言っても過言ではないだろう。それゆえ、現実に伴う不可解な謎すなわち矛盾や非合理がまかり通るのである。日本のメディアは世界中に配信される情報通信を買い求めるのが大半であり、独自のスクープとウソをばらまいても、コトガラの本質を究める取材力など持ち合わせないから大凡ニュースと言えるものはない。

 つまり、誰が何して何とやらの噂話の領域から脱し得ないのである。八千代は常にジャーナリスト気取りの記者にまとわりつかれるため、日本のメディアに潜む陰湿なたくらみに精通している。その事由は八千代が日本興行界の一大転機にリーダーシップを託された中心にいたからだ。

 軽はずみな言葉で自らポストを失う著名人は尽きないが、古来日本の伝統は信を以て保つとされる玉音に支えられてきた。たとえば、信を神と錯覚して日本は神の国と言い首相の座をゆるがせ、女性談議は長いと言い組織を追われた事例もあり、日々これ尽きることなく繰り返されている。

 日本史は口伝(音)から筆伝(書)の時代へ移行したと錯覚されるが、文化文明の教養は伝統的な風習が尽きないかぎり、消滅するなど起こりようがない根強さに支えられている。これら風習の根を張ったポテンシャルこそが日本人の信という源泉なのである。

 八千代は言う、戦後テレビ文明が日本の興行界を席巻するのは近いだろう。興行の本質は日常的なストレスを解消するための非日常性を演出することにある。これまで日本の興行を担ってきた最大の功労者はテキヤと呼ばれるボランティア・スピリットでこれに勝るものはない。

 戦後の衣食住を担ったのはテキヤであって、占領下に手をこまねくだけの政治に代わり、死ぬにも死ねない過酷なサバイバルに、出来る事は何でもやった「奉仕の心」が日常生活の糧になった。

 この底知れないパワーをテレビに封じ込めようと企む勢力が戦後社会のモンスターとなる。

 戦後社会のモンスターにノミネートされるのは政治以外に在り得ないが、その政治は世界レベルの国際連合が担うわけだから、常任理事国でない日本はモンスターの一員にはなれない。しかし、日本発祥のテキヤ文明を見究めることは至難のこと、常任理事国がこぞって戦後日本に侵入している今の姿こそ証しであるが、日本の政治家でテキヤ(興行)を知る者は今や皆無にひとしい。

 地球生命は二重らせん構造で成る電磁波の放出波と進入波の循環機能に働かされる。放出と進入のベクトルは大凡半々であるが、コンマより低い数値の触媒作用が放出と進入の優劣を決している。

 ただし、このベクトルは自然な働きに生じるものであって、不自然な働きならば大凡半々どころか偏向いちじるしい結末を生じることもある。たとえば、移民流入が著しい米合衆国などは人為を以て不自然な働きを講じても、人為では計り知れない自然な働きに屈するほかない。ここ数次の大統領選当落が大凡半々の接戦となるのは自然な働きであり、多数の選挙予想が外れるのは不自然な働きから脱する事が出来ない人為の成せるところである。

 而して、大凡半々が接する場に働くのが触媒作用であり、その触媒の真贋を見究めるのが本来なら理論科学の責務となろうが、自然と不自然の接合性すなわち二重らせん構造の剖判に気づかないため統一場を形成できない状況が今も続いている。

 八千代は言う、テキヤは神事に仕える事からはじまり、仏教流入が受け容れられると、神仏例祭のニワ場を浄める事につとめ、人々の非日常性に寄り添うことを第一義として、ストレス解消の娯楽を日本全土へ広げるネットワークを形成していった。そうした経緯を以て産した興行の理念は伝統的な自然崇拝にあるため、海外の興行と融合しながらも日本独自の文化から逸脱することはない。

 ところが、テキヤの世界をモデルに起ち上げたテレビは、独自の番組を制作するより、欧米で高い視聴率を稼ぐ番組を買い取る事にはじまり、古来伝統のテキヤに学ぶことなく暴走していった。

 しかも、占領下の生活を賄ったテキヤのマーケットを闇市と断じる暴言のもと、GHQの支配下に与する走狗となるや、自ら演じる猿楽(サル)真似を米ソ二極のインチキに同化させてしまった。

 国営放送NHKが横田キャンプの傘下に与すれば、民営放送は横田傘下の電通に仕切られてきた。

 ところで、電通に限らないが、企業が公開株で資金調達に転じる事の真意を知る投資家はどれだけ存在するのだろうか、謎かけの趣味はないため答を明らかにしておきたい。事業規模の大きい企業が株式公開をしない理由を考えれば分かる事であるが、建前は資金調達の必要がないから、本音は真の出資者(株主)を知られたくないため、その電通が上場した事由は出資金を回収するためである。

 そもそも政府の強弱を計る「ものさし」とは何であるか。その答は情報機関の優劣を以て決まると誰もが言うであろう。情報こそが文化文明の「ものさし」であり、その地位はウバイドの出現を以て少しの揺るぎもないまま今に至っている。

 米ソ二極に従属した日本政府は自前の情報機関を持てなかった。それを代理したのは、海外支店を持つ貿易商社や旅行代理店など民の組織を借りたもの、そのうち台頭した電通が抜きんでていった。つまり、株主不明の電通は民営テレビに参じて、日本式のモンスターを目指したが株式上場した今は単なるモザイクゆえ、今後はインチキ媒体のテレビと一緒に坂を転げ落ちるしかない。

 それは新型コロナ・ウイルスで大打撃を受けている旅行代理業もまた同じことであろう。

 八千代は言う、日本伝統の興行に寄与貢献したのは、テキヤとバクトのコンビネーションであると語気を強め「その一貫性は任侠に宿されている」と私の心に刻み込んでいる。

 日本伝統の任侠で成るネットワークは世界中に根を張っており、その根は純真けがれなき幼い命に託され、ただ一念のみボランティア・スピリットの研鑽につとめたあと、在るがままを認識しながら自らの切磋琢磨を見いだす、それが任侠の真骨頂だと教え導いてくれたのである。

 間違っても迷う事なかれ!間違ったまま進んで痛い目に遭うのもよし、間違いに気づいたら自ら修正するもよし、日ごろから師事し得る人を求めること、それは迷った時の備えでもある、そうして成長したのがテキヤとバクトのコンビネーションで常吉ジイさまの生き方でもあった。八千代が私を導いてくれた意味ではないかと痛感する今日このごろでもある。

 八千代は言う、タチバナ氏を祖とする神官真鍋の歴史は古いがゆえ、神事に仕えたテキヤとの付き合いも相応の相似象を繰り返し保たれてきた。歴代には石鎚山の修験も多く輩出しており、テキヤと共に大いなる諜報活動に参じており、常吉ジイさまのように盃を交わした任侠も少なくなかった。

 これまで私が任侠界の一例を記事にしたり、判然令の一例を記事にした理由でもあるが、八千代の秘話に貫かれている精神は、興行を通じたボランティア・スピリットに集束しながら、戦後社会から生じる矛盾と非合理に対応すべき心構えを導いてくれたのである。

 芸能、芸術、学芸など、その呼び名が何であれ、その芸に身を投じるタレントの独り立ちは興行に身を委ねる事から成立への道がひらける。その最上層を構成するタレントの至芸がスパイである事は通史の常であり、その歴史は猿楽が公家の庇護下で発展した事から始まっている。それはまた、世界共通であるゆえ海外にあっては、猿楽の興行に相当する事案を検索すればコトは足りよう。

 すなわち、スパイ活動を期待できないタレントは興行界の下層に配されていたのである。テレビは茶の間の生活者をタレントに仕立てるプロフェッショナル、アマとプロの垣根を取り払った破壊力もテレビ仕様の悪巧み、まさにテレビは餓鬼が群がるポピュリズムのシンボルになっている。

 八千代が指摘したように、テレビはテキヤの世界を席巻するために、日本を属国へ追いやった米ソ二極の軍部(暴力装置)をバックボーンとして、テキヤとバクトの解体に精を出したのである。その先に透けて見えていたのが平成の暴力団対策法であるが、それはテレビのバックボーンを頼った政官業言による呉越同舟だから、すでに始まっている仲間割れで自滅に陥る事は必然であろう。

 法制上の成人となった以降の私は手始めの選挙から実相社会の歪みに挑むところとなり、選挙から体得した様々なノーハウを活かすため、民族運動の街宣活動を通じて、政官業言の心臓部にまで食い込む暴走行為に魅せられていった。ただし、それは後年のことゆえ後述の記事とする。

 さて、昭和三十七年(一九六二)は私二一歳の年回り、次の出来事を抜粋しておきたい。

 今では広く知られるようになった、米国マリーン所属の特殊部隊ネーヴィー・シールズがベトコン対策のため結成されたのが一月元旦とされている。

 毛沢東主席が自らの失政を認め、中共「七千人大会」で自己批判した情報が開示される。

 東京都の人口一千万人(世界の都市史上初)突破、そして日本全国のテレビ受信契約者が一千万人突破(普及率四八・五%)とされるが、現在の世相を透かした論説は生じていない。

 ソ連そして米国が先行した宇宙機関の後追い、西欧十二か国の「欧州宇宙機関」が創設される

 ファン・カルロス一世(のちスペイン国王)とギリシャ王女ソフィアの挙式がアテネで行われた

 元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンがイスラエルのラムラ刑務所で絞首刑に処される

 世界最大のタンカー「日章丸」が佐世保重工業の佐世保造船所で進水される

 東京芝浦電気・電通・民放十八社の出資で視聴率調査会社ビデオリサーチが設立される

 米ソ二極インチキ体制を象徴するキューバ危機が最高潮に達したあと、即時解消するという粗末な年回りともなった。

 突然のこと申し訳ないが、ここに差し込みの記事をもうける事お許したまわりたい…。

 令和二年末から同三年明けの用事を済ませ、本シリーズの起草再開に向かったが、本年は予測した通りの事案が断続的に挿入されるため、思うように起草が捗らないでいる。只今は三月五日インペリアル・アイズ無料版の更新メールを既読したところである。

 中森様は私より四十一年も若いけれど、私が敬愛してやまない貴重な人財である。私が作文能力に欠けるため、読者から難義の指摘を受けるのは今に始まった事ではなく、ただただ申し訳なく弁解の余地なき次第であるが、どんどんお叱りを賜りたいとも思っている。

 前述したとおり、落合先生の労苦に報いたい純心からの起草ゆえ断筆できないこと、どうか容赦を願いたく読者の皆さまには心からお詫び申し上げます。

 右の気持ちに一寸の曇りもない証しを立てるため、急遽、以下の信条を記事にしておきたい。

 それはヤマトタケルを日本男児の代表と認識する私の信念であり、ヤマトタケルこそが任侠の型と振る舞いのモデルであると自負する私にとって、任侠一徹を訴えておきたいのです。

 人それぞれ人さまざま、「何ひとつ悪い事をしていない」その裏返しは「何ひとつ善い事をしていない」であり、「良心」の裏返しは「不良心」であり、「人の心は良心と不良心が半々の割合で成る公平性を保っており、良=吉と出るか・不良=凶と出るかは後年の人が決するところ」である。この

 現実が人それぞれ人さまざまの認識一致に至らない原因はどこにあるのか。

 私たちの目に見える現象は何らかの結果であり、その原因が目に見えるモノゴトであるのか、目に見えないモノゴトであるのかは、人それぞれ人さまざまによって異なるのが普通とされ、自分の生活領域に関係ないと思えば見過ごされるのも普通とされている。

 結局つき詰めるところ自分の生活領域すなわち自分の欲する利益がある場所そこに関係する事なら無関心ではいられない、関係なければ見て見ぬ振りもまかりとおる。ところが、自分には関係ないと思っていたことが、新型コロナ・ウイルスのように自分の生活を脅かす危険性に襲われると、自分の欲する利益がある場所と思っていた範囲には境界などない事が分かってくる。

 そもそも自分の欲する利益とはなにか、その事さえ判明し得ないのが普通とされている。習慣とは第二の天性という訓えがある。貯蓄性向で成る日本人のポテンシャルは、赤字国債でホテンする財政出動に転嫁された。とんでもない方便にすぎないが、習慣となった赤字国債と呼ぶ借金財政を第二の天性と思い込むほかなくなった政治の多数派工作は日本全体を丸め込むほか生きられない。つまり、政治はカネをバラマクところ、多数派日本人はバラまかれたカネを拾うとこ、この方程式を脳に刷り込む学校教育を通じて、与えられる事が当然という社会が生まれた。

 今さら赤字国債の全額返済など実現し得るはずない、だから使えなくなるまで使ってやる、醜悪な日本社会の一面にすぎないが、この一事すら解消のめど立たない事案に対して、任侠すなわち國體は何もしないまま見過ごしているのだろうか、読者が知りたいところだろう。

この赤字国債を仮のテーマとして、任侠の取り組み方その一端を例示しておきたい。

 任侠は手品を使わないが、陰陽に長じた表芸と裏芸を臨機応変に使い分けている。そのため、赤字解消プロジェクトを設けた場合に必要とされるのは、三部門に仕分けられる分科チームと、三部門を統括して一体化させるキャンプの陣営であり、完結の形態は政体一般の趣くところに委ねられる。

 すなわち、任侠が為すべきところは、道義を過った政体が自力で迷路を脱出できないとき、迷路を抜け出る方向性を明らかにして、サバイバルに成功したコミュニティに任侠が混じり、自然発生的なオピニオンリーダーを補佐する事で政体の再生を果たすわけである。

 赤字国債に限らず、利権に群がる人の習性が改まらないかぎり、政体が道義から外れるのは必然で行き場を失う迷路にもがき続けるのも当たり前である。この飽和状態に陥る原因は人それぞれ人さまざまの認識を放置するためであり、人間が自然に逆らって不自然を好む事から生じている。

 赤字国債は日本人の欲する利益がある場所を産み出していった。むろん、その際に捻出される陰謀策略の裏金も莫大な量に達しており、その利益に格差が生じるのも当たり前であるが、その罪を他に押し付ける行為は自らの卑劣を世に知らしめる事と自戒するべきであろう。

 さて、三部門の分科チームであるが、①は潜入チームであり、国債発行を司る中核へ潜入して積極果敢なリーダーシップで必要不可欠の働きを為すこと、その際に最重要な事は在来の支配者たちとの間合いの保ち方である。肝心なことは、支配者たちに必要不可欠な存在となりながら、常に相手から警戒されて然るべき振る舞いを示し続けること、潜入者の個人情報捏造も工作の一つである。

 ②は暴走チームであり、たとえば、武装した数名の街宣運動を通じて、法制上のグレーゾーン内で暴走を装う威嚇的な行為に徹するチームを編成すること。現世の常は身方千人・敵方千人という構成比率で成り立っており、それが法制上のグレーゾーンにあるかぎり、治安当局においても変わらない天理の法則に動かされている。街宣テーマは赤字国債の褒め殺しに徹すること。

 ③は再生チームであり、①の潜入チームが使命を終えるのは、自ら行った赤字国債発行の悪巧みを暴露すなわち内部告発の自爆を決行したとき、自爆の際には主犯の支配者たちを道連れにする行為が含まれている。②の暴走チームが使命を終えるのは、③の再生チームと八百長戦を演じたうえで自ら姿を消した時であるが、八百長戦の意義は再生チームに勝を譲ることにある。

 分科チームそれぞれがさまざまな仕事を行う際に後援するのが統括キャンプであるが、キャンプの使命は分科チーム全員の痕跡を残置しないことにある。軍事決行を司る統括機能はキャンプを用いる事が歴史の訓えであり、政体に見られる危機管理室などは単なるパフォーマンスにすぎない。実践は自然界が形成した要塞を移転していく戦略が最も有効であり、ムハンマドの案じたキャラバンの巡礼編成は後年キャンプの発展に寄与貢献している。

 以上の例示は具体性に欠けると叱責されるだろうが、こうした任侠の原型を講じて実践した実在がヤマトタケルであり、そのヤマトタケルに仕えた任侠を継承するのが修験なのである。

 落合本の読者であれば、こうした相似象を歴史から見出す事に労苦はいるまい。私のごとき作文に難ある者を中てにするまでもなく、落合本には具体的事例の相似象が詳細に描かれている。

 私の記事をガイダンスして下さる中森さまの覚悟を感じた私にしてみれば、その覚悟に報いる事の責務を果たさなければならない一心から差し込みの記事をもうけた事に許しをたまわりたい。

(続く)

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