【文明地政學叢書第三輯】第九章 東京行宮後の大江山系霊媒衆

●大江山霊媒衆と在来宗教

 神つまり宇宙万般に働くエネルギーはその一つとして人を生み出したが、人は神の信号を託宣と称して、事物の解明に励み場の歴史を整えはじめる。そして、場の歴史に伴う土地には人の遺伝情報も加わるため、これを崇めて神霊と称するようになる。
 神霊(かみたま)を祀る行事が慣例化していくと、人は「まつりごと」の場に伴う共時性のなか、次第に集団生活の利便性に目覚めて、共時性に伴う統一場の歴史へ向け歩を進める。この場の統一に不可欠の理を宗教と呼ぶようになる。その理は私を率いて公の道を啓く由ゆえ、宗教が迷う世界に留まる衆(もろびと)へ法を説く一面も重要になる。この衆生を束ねて運営するのが教団の仕事であり、講とも称するが、これを通常一般は宗教と履き違えている。もとより宗祖は霊媒衆ゆえ偏在は当たり前であり、天啓も仏教も神道も霊媒衆を宗祖として、教団経営に成功した教主が各宗各派の教祖で祀られるだけである。つまり、神世が飽和状態に達して人世に移るとき、その起源は場の歴史で異なるも、節々に巣立つのが教主であり、神世の時代とは、共時性を伴う場の歴史が統一された時空のことをいう。
 明治五年(皇紀二五三二)の壬申戸籍実施を奇貨として、大江山霊媒衆は自然発生的に大本教を設けたが、神仏分離令の愚策により、仏教系事物は神道系テロに破壊・焼却され、寺社領没収の政策暴走もあり、強い忿怒を潜ませつつ在来教団の動向視察に徹した、この宗教弾圧は明治天皇の東京行宮、皇国史観の暴挙を決行するために、衆生の関心を他に転じる苦肉の策だろうが、信長の火薬思想に通じる教皇制であり、維新元勲がイエズス霊操に感染した故の暴挙である。すなわち、国民みな天皇の赤子という皇国史観、これ天啓一神教の根幹であり、信長の火薬思想もまた然り。近時では、信長崇敬の首相が郵政民営化を高唱し、形振り構わず選挙を強行して、身内をも砕く刺客まで送り込んだ。これら異教霊操の宗教弾圧に立ち向かう尖兵たるは、仏教僧とその信徒であるが、これまた教祖の名を借りた各宗教団の護教運動にすぎず、霊媒衆による神霊との交渉は無関係である。政府と在来教団の抗争も内実は目先の利権争奪で、国家百年の大計など慮外のこと。ひたすら開国の津波に翻弄される醜態を晒した。
 大江山霊媒衆にとって現人神の東京行宮は最大の危惧であり、その予兆を透かす信号は承知しており、その重圧も十分に認識していた。抑も神格は、霊峰富士を東に仰いでこそ備えられた資質であり、皇祖皇宗(すめらみおやすめらおんはしら)の遺訓もまた霊峰富士の御来光をアマテラスに見立て、天皇自身の慢心を抑えるように諭している。こうした勅旨を知るゆえ、役行者は吉野に根ざしたのであって、霊媒衆もまた、神格天皇に仕えるべく大江山に控えたのである。
 しかし、天皇の東京行宮は遺訓への決定的な冒涜であり、大江山霊媒衆の歴史も必然性を以て壊れ行くしかない。だが、人世が壊れようと、神すなわち宇宙が壊れるはずもなく、神格という意が葬られる理もなければ霊媒という交接信号が絶える証もなく、況や科の学などに剖判できようはずもない。霊操なるものも所詮は人の知に止(とど)まり、宇宙を操る何ぞできる現実もなければ、神格を超える何ぞはありえない。ここに大本教団の巣立ちがあり、在来教団との違いは在来教団が教祖の名を借り、教主の経営手腕に縋るところに大なるに比し、大本教団は霊媒衆すなわち宗祖と同格の人材が結集し生き残りを目指している点であり、そこに真贋問題も潜んでいるのである。
 宇宙万般に働くエネルギーに則って共時性を伴う場の歴史を統一すべく、人は衣食住に基づき、道徳の規範を整えていく経路に生かされる。こうした大系を神格は新嘗祭の儀で顕しており、その振舞いと型示しをして、漢字は社稷の語を当てた。のち社稷は神道分野にも溶け込んでいく。この大則は霊媒衆の始発点であり、また終着点でもある。常に不安定な自然界と接しながらも、安定を保つ要求度のため働く使命があり、「まつりごと」に仕える立場を通して霊媒衆の存在は政体にも大きな影響を与えている。政体とは常に不安定な衆生の日常を支えるため、止むにやまれぬ強制も要するが、その強制作用の可否は情知で推し測れず、そこに、政治家と雖も信仰を免れない現実がある。
 これら大系の基礎を整えた最大の要因が場すなわち聖地であり、聖地は私(霊媒衆)を公へと導く宇宙エネルギーと交接する場であるゆえに、その神格に整えられて始発した皇紀暦を踏み躙る行為は政体に如何なる理由あろうと許されない。大江山に根ざす霊媒衆は自ら真贋を自問自答しつつ、史上初の大本教団創設を決したのである。

●東京行宮後の大江山霊媒衆

 戦記や情話を好む傾向の人の持味だから、絵画・物語・マンガなど、その時代の流行りの廃りも無視はできず、公を司る首相が「マンガ」を愛読しても仕方ないが、議会答弁中の原稿にある漢字が読めないのは、何とも哀れで、慈悲の念を禁じえない終末期を迎えている。これ壬申戸籍実施後の氏姓鑑識によれば、その無知蒙昧も宜なるかな、家名の祟りに呪われた歴史が再現したにすぎない。国民全員の家名登録に際して、全国津々浦々で名付親に任じた霊媒衆は、古来日本の住民基本台帳に深く関わり、個々の人別改(にんべつあらた)めにも立合ったから多くの個人情報を有している。
 むろん戸籍の売買や貸借は古くからあり、摂家制度の成立以後は特に家名の洗浄も著しい。武家が天下を握ると、戸籍の人質政策が強まり公武の見境も入り乱れる。江戸時代には公卿、武士、賤民を除く人別帳が作られ、前述の如き措置も講じられた。而して氏姓鑑識は不可能のように思えるが、もとより名付けは霊媒衆の職能に始まるため、取材を誠実に行えば難しくはない。
 明治天皇が東京へ行宮するに当たり、もっとも危惧されたのは京の都の行末であり、これ燻り続ける火種を残せば、霊媒衆の如きでは鎮めるのも不可能である。ここに神格たるの所以があり、維新前夜の孝明天皇崩御という禊祓により、喪に服することと諒闇三年の間が超克の型示しで保たれたのだ。
 慶応二年(皇紀二五二六)一二月二五日に孝明天皇は宝寿三六年の御生涯を閉じられるが、明治天皇即位は翌年一月九日であり、在位に空白一四日間あるのは何を意味しているのか。
 玉虫色の理屈を捏ねる常套手段は通史の冒涜であり、神武天皇即位で始まる皇紀暦に鑑みれば、天皇在位空白が意味するところは、記紀の神世が伝えるように、飽和を不飽和に導く場合に要する喫緊の手当てであり、飽和ガス抜き措置にも通じる神格の禊祓があるのだ。
 その実証論は科学読本に任すとして、事物は不安定回避の寸前がもっとも不安定であり、霊媒衆が神との交接の際にもっとも閃く瞬間でもある。ゆえに、大本教団を興す霊媒衆にとって、この諒闇三年の間は、皇紀暦を隈なく遡る時空に匹敵するのだ。
 政体は常に不安定要素と競い争うため、その使命を誤れば移り変わるが、肇国の淵源を思い起こせば、日本政府は皇紀暦を以て誕生したのであり、その皇紀暦は未だ万世一系の型示しを喪う現実に晒されていない。つまり、日本政府は神格天皇の「まつりごと」に共振共鳴して肇まるため、政権が勝手に国体を変える他国の異なり、国体の付託を受けて初めて政体という機関が生まれたのだ。国権の最高機関を国会と定める現行法でも、天皇の御名御璽なければ、政府は全く機能しないのが現実である。政体がどうあろうとも、この伝承に基づく型示しと、古来日本人に宿る遺伝情報に順(したが)うからこそ、民は明日への希望を失わないのであり、希望を失わないがゆえに、理屈もなく神格天皇を仰ぐのである。これに順応できない似非教育下の官吏は、もはや日本人とみなされなくとも仕方ないのが現状で、自ら恥じるしか救われまい。さて本題の大本教団である。
 「出口」という姓は家名でなく法人名である。これはローマ教皇制度の如く理解しなければ、大本教団の実態を剖判することはできない。図書の旅から歴史を渉猟する労に敬意は惜しまないが、人は公のため命を惜しまず働いてこそ、真価が問われる生物である。そこにスサノオがアマテラスに救われる所以があり、スサノオは確かに神話の王者また現世の王者であるが、単に命を惜しまない私なら枚挙に遑(いとま)なくおり、私事に病めばスサノオには成れない。スケールは小さいが、西郷隆盛が何ゆえ官軍の将また官軍の賊と成りしか、何ゆえ自刃に至るのか。それは隆盛が孝明天皇に拝謁し、私を捨て公に働く価値観に確信を得たゆえであり、のち任侠に徹するほかない自らの出自を知るからである。それを英雄とする情には慈悲の念を禁じ得ないが、西郷が透徹したように、神格天皇であればこそ、殺し屋を率いる任侠も救われるのだ。政策テロの生みの親は政体であって、殺し屋の生みの親も政体であり、これ大江山霊媒衆の修験道にも通じている。

●「紙」が「神」となる時代

 筆者は付和雷同の個人情報に辟易しているため、概説は他書に委せよう。個人情報は公に寄与するか、その働きが未来に役立たないのならば、あえて記述を控えるようにしている、どんな論説を講じようと、文明史を遡れば、後世の論説は前世の借用でしかなく、言で金儲けを企む筋に筆者は与しない。
 例えば、現物取引一辺倒のき時代に豊穣と守護を乞う市民層として、自ら霊知(ひし)り()の神を編むユダヤは、その言()を以て会員制マルチ商法の市場を形成した。これ後に旧約聖書を呼ばれるが、その住民基本台帳には個人情報が刻まれ、簡単に脱会を許さないシステムが組み立てられていく。
 ただし、現物だけでは魅力も乏しくなって、先物取引を加えた新約聖書が出現すると、際限なき人の欲望は新たな市場を求め流れを変える。もとより市場は競い争うという一面を持つので、肝心要の現物を生み出す労働市場にも大きな波のうねりが発生して、そこにコーラン共同体が生じても何ら不思議はない。これら誓いを結ぶ土台こそ契り約す言葉ゆえに、玄語が移り変われば翻訳の是非で争いも起こり、約定の改めを巡る内輪もめ見境なくなり、現代は国際間を結ぶ条約すら、玉虫色の綺麗事のほか終着点に達しない。
 鎖国が開国の備えにならないまま、現人神の行宮まで強行した維新政府は、神仏分離と寺社没収領により和魂洋才という陳腐な官吏を養成したが、仕官御免の不穏要因を取り込めず、最後は公の使命を感得した人材をも封じた。
 むろん東京行宮に際しては、多くの天皇側近に仕えた姓(かばね)も同道しているが、その姓すら現人神から遠ざけ、政府は現人神を独占する体制を敷いていく。そんなことで揺らぐ神格ではないのと、京の都をして神格伝承の苗裔(みょうえい)が巣立つ神計らいもあり、その未来を透徹した孝明天皇の禊祓には人知では計り知れないこともある。維新後に明治天皇が京都へ行幸するには相応の困難が伴うも、大本教団にとっては政府の監視が鎖国時より和(やわら)らぐのは逆に幸いであり、もとより神格に仕えた在京の姓とも頻繁に行き交うを可能にとした。
 また名付親に謝する信者の参詣など隠れ蓑となり、公に尽くすため、意図的に改名する神格側辺も少なくない。
 さらに政府の要人は大半が軽輩の誹りを免れないが、幕末雄藩の上級武士には仕官御免が多くあり、彼らが在野の志士として大本教団活用の筋道を啓く一派を形成していく。
 紙の普及で新約聖書が出版されると、その後いかなる書物が出現してもベストセラー・トップの座は譲らず、現在も圧倒的なシェアを保持し続けている。この紙を安く作り、大量に供給しえた先駆けは焚書坑儒で知られる支那だが、印刷の機械化に取り組み成功したのは産業革命下のドイツであり、新約聖書の著作権は群雄争奪あるも教皇権限とされる。
 皇紀二五八九年(一九二九)に新教皇国家バチカンが成立すると、紙の資源となる森林地帯は大凡バチカン系に抑えられ、紙が神を支配するという奇妙な時代に突入する。通貨の基軸が紙に移行すると、その基軸価値を巡る紙幣戦争が起こり、第一次世界大戦の決着でポンドはドルに首座を奪われ、元来が銀本位制のドルは独自の兌換を停止、以後ユーロダラー(対外ドル資金)が利鞘稼ぎで暴れ回るため、ヨーロッパは独自のユーロ圏を形成していく。
 現時、米国発の紙幣不信は、戦争へ暴走する気力も起こらず、紙と神の違いも分からないまま、ただ強がるだけの遠吠えにしか聞こえない。この行末を透かせば、米国に連れ添う一蓮托生の日本も他人事でなく、認識を改める必要がある。
 幕末維新に際してもっとも犠牲者を出した雄藩は会津と福岡であり、その動向は『歴史の闇を禊祓う』にも摘記した。維新元勲の外交と異なり、福岡藩士は在野を行き交う立場を活かして支那大陸の要所要所に拠点を設けつつ、ユーラシアやヨーロッパまで活動範囲を加える旅に出る。
 紙が力を強める時代を勘案すれば、支那浙江省にて新約聖書(紙)の出版を委されて財閥となった宋一族三姉妹の嫁入り先も納得できよう。新約聖書はすでに大江山霊媒衆が解読しており、大本教団と行き交う浪士ほか、京の都に留まる保守系公家衆の手引として、教皇ワンワールド構想を探求する糧ともなった。大政奉還に纏わる話は尽きないが、もとより神格の理(ことわり)は振舞いで示されており、いかなる事態があろうと、内政でも外交でも超克の型示しは変わらない。この威徳が紙の力などで崩れるはずもなく、この威徳を備えるには記紀が描く神世の経路と同様に、いかなる論説も幻想と実相とに峻別し得る体認を要するのだ。これ日清戦争すなわち戦争乱を解く鍵でもある。

●日清戦争前後の霊媒衆

 前記「鎖国は何ゆえ生じたのか」の項において鎖国前後の事跡を少し付記しておいたが、本項でも同じ趣旨から、開国前夜までの世界史の主要な歩みを辿っておく必要がある。

皇紀二三三二年(一六七二)仏蘭侵略 戦争勃発六年後に落着する
             特に日本は霊元天皇(在位一六六三〜八七)御在位中、
             将軍四代目(徳川家綱)の晩期に当たる
 同二三四九年(一六八九)英仏植民地戦争勃発、八年後に終結する
 同二三五九年(一六九九)清朝が英国へ対広東省貿易を許可する
 同二三六一年(一七〇一)プロイセン王国の成立
 同二三六六年(一七〇六)露国がカムチャッカを領有する
 同二三六七年(一七〇七)ブリテン王国の成立
 同二三七三年(一七一三)露国ペテルブルクに遷都する
 同二三七五年(一七一五)東インド会社が広東商館を設置する
 同二三八〇年(一七二〇)チベットを清朝が領有する
 同二三八七年(一七二七)清露が国境協定を結ぶ
 同二四〇四年(一七四四)英仏間に北米植民地戦争勃発、四年後に落着
 同二四二八年(一七六八)露土戦争勃発、六年後に落着する
 同二四三五年(一七七五)米で一三州独立戦争、八年後に建国する
 同二四三九年(一七七九)カジャール朝がイランに成立する
             光格天皇即位は同年、将軍一〇代目(徳川家治)の晩期に当たる
 同二四四三年(一七八三)アイスランドのラキ火山大噴火、日本の岩木山と浅間山の大噴火がある
 同二四四四年(一七八四)東インド会社が英政府下に統合される
 同二四四九年(一七八九)欧州フランス革命五年後ナポレオンが台頭する
 同二四五九年(一七九九)軍人ナポレオン執政が成立する
 同二四六一年(一八〇一)朝鮮でキリスト教徒の迫害が徹底される
 同二四六三年(一八〇三)米国が江戸幕府に長崎通商を強要する
 同二四六六年(一八〇六)神聖ローマ帝国が崩壊する
 同二四七〇年(一八一〇)清朝アヘン流入の禁止政策を断行する
 同二四七六年(一八一六)英国が江戸幕府に琉球通商を強要する 
 同二四七七年(一八一七)英国軍船が日本の浦賀水道に来港する

 つまり、たとえ鎖国下であろうと、出入国は条約上の制限範囲内なら可能であり、それに基づく外交政治や交易通商偽装の往来は、恒常的な密出入国を含めて、国際情勢の激動に伴って尚一層盛んになる。右に挙げたように、幕末に向け日本を取り巻く情勢が緊迫の度を増していくのがわかる。

 そうした情報の収集を分析にかけて、古来神仏に仕える霊媒衆に優る存在はなく、それは時空を越え今に通じる位相ゆえ、人の信仰は朽ち果てないのである。問題は霊媒衆の真贋であるが、その鑑識を歪め狂わす要因もまた人の信仰であり、世に憚るを恥じない占い師の盛んなるときは世相が歪んでいく前兆であり、人の信仰もまた、迷路を彷徨うしかない。
 神仏分離令や寺社没収領という暴挙の下で、和魂洋才なる妖怪を養い育む政策は情報の収集と分析を似非教育下の霊操信徒に託したまま、明治二七年(皇紀二五五四)ついに日清戦争へと突入するを免れず、シナ大陸に巣くう欧州戦線の津波に呑み込まれていく。
 中華思想を掲げ自ら壊れた明朝のあと、支那は属種の異なる清朝に替わり、明朝の冊封下で半島を征した李氏朝鮮も、次は清朝に跪く屈辱を繰り返し、本貫の異なる両班が群雄割拠するなか、神聖ローマ帝国を崩壊させた津波に襲われ、支那大陸はアヘンの衛生劣化が拡散拡大していき、朝鮮半島も耶蘇教感染を鎖国で封じようとする。
 だが、津波構造のメカニズムに無知の時代にあって、目に見える津波より目に見えない心理的津波の方が影響は甚大である。皇紀二五三〇年(一八七〇)プロイセンは対仏戦争の結果、国名をドイツに改変、同二五四二年(一九〇四)の英仏協商、同二五六七年(一九〇七)の英露協商すなわち三国協商が結ばれる。この対立が同二五七四年(一九一四)のサラエボ事件を契機に第一次世界大戦へと雪崩込んでいくのである。
 この間の同二五四四年(一八八四)には、清朝とフランスの間でベトナム支配権を巡る戦争が起こる。翌年にフランスが勝利すると天津条約が結ばれ、その波及が鉄道敷設権に及んで、フランス領インドシナの成立まで促す植民地化の波となる。その余波で支那や朝鮮の亡命勢力が日本へ雪崩込んでくる。
 これら津波現象が読み切れず、朝令暮改の津波予報を担うのが和魂洋才の秀才たちである。日清戦争以後の不様は三国干渉しか表面化していないが、日本政府の戦勝気分に危機感を抱いた霊媒衆は、すでに支那や朝鮮に拠点を設けた浪士たちと連携して、出口姓を名乗る清吉の出番を整えることになるのである。
 日野強『伊犂紀行』や以前から書き留めていた情報などを綜合すると、これ以後、大本教団の活動は本格的に外交政治へ関与していくが、日露戦争前後の外交補佐は大半が旧福岡藩士で占められていた。
 いわゆる「出口王仁三郎」は国内用のプロパガンダであって、王仁三郎(上田鬼三郎)を軸に描く講社大本の活動はその講社に集う軍人と霊媒衆の混成構造で情報発信されることになる。そして王仁三郎の入蒙秘話などはSFすなわち空想科学小説と同じように、知的ミステリーを好む属性を刺激して、神話と実話が錯綜する妙味を醸し出すが、所詮は記紀とは似て非なるものである。
 筆者は本稿で日野家が北朝に属したと確かに書いた。ところが、いわゆる南北朝を描く『太平記』においては、日野資朝、日野俊基らは南朝に仕えた重臣であり、ミステリーに長じる知性を惑わすが、知性は氏姓鑑識に興味がないようである。氏姓鑑識は少なくとも史観の入口であり、皇紀二五二六年(一八六六)すなわち明治改元二年前に生まれた日野強は、士官学校を数え二四歳で卒業すると、陸軍歩兵少尉に任官。その後三年間は消息不明という経歴が防衛庁防衛研修所戦史室で岡田が調べた記録と日野本は書いている。この日野が鎌倉幕府に斬首され資朝、俊基の系統を汲むのか汲まないのか、そこまでは踏み込む必要ないと決したのか、あるいは承知のうえ記述をは省いたのか。日野強に特命を降す当時の参謀総長は明示せず、復刻本では「その筋」を参謀本部と解読するが、岡田の謹厳実直さは意図的な嘘を含むはずがないので、氏姓鑑識を省いたと断じるのが正しい。

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