修験子栗原茂【其の四十三】文明史上における終わりの始まり

 これらの出来事を総じて私が起草したかった事は以下のごときである。秀孝に生じた事故から私が担う事になった最初の手続きは秀孝名義の全部を私の名へ書き替えることにあった。税務申告はじめ金融機関との取引など、対外的な全てを秀孝名で執行してきたので、私の初体験すなわち家督継承を自ら体験する機会に遭遇したわけである。

 まず手始めは金融機関との契約を全て私の名義へ書き替える事にあったが、この時に初めて戸惑う苦痛は借金火だるまの自転車操業だった我が家の経理事情にあった。もともと債務弁済に始まるのが私の仕事ゆえ借金はさておき、末弟や従業員を巻き込む秀孝の裏切りは私の心を傷つけた。

 税務上の厄介は贈与税の発生であり、秀孝が存命の限りは事情の如何を問わず、贈与として相続と見なさない法の定めがあり、情け無用の強制課税が二重三重の追い打ちで私を痛めつける。

 もはや物理的な所有権は全て金融機関の抵当権に付されており、私が知る秀孝の縁者は何がしかの負を担っており、いわゆる高利貸し金融からの借金も判明するところとなり、私としては売上を産む唯一の場を死守する事が最重要の優先事項と認識するほかなかった。

 目先の資金繰りで必須の条件は連帯保証人の信が得られるか否かであった。秀孝を継承した私など見た事もない連帯保証人もおり、誰もが再認してくれる要素など見当たらなかった。窮地のどん底に沈む私ではあるが、それを身内に覚られないようにするのも大事であり、恩人佐野にも資金繰りのみ見て見ぬふりを丁重に約してもらった。

 私は、この難局を超克し得る密かな自負を確信していた。課題の一つ一つを列挙してみれば厄介は単純でカネさえあれば済む事ばかり、その債権者は私が負う借金では命とりには至らない。期限さえクリアーできれば、全員が今日と変わらない明日を迎える事が出来るのであり、その期限の先送りに不可能と思う失望は見当たらない。

 むろん、私の挙動と言行に信がなければ、今日一日の猶予さえ許されない事は歴然である。

 債権者全員にモラトリアムすなわち弁済期限の延長を認めてもらうまでの間には、罵詈雑言はじめ殴る蹴るのほか、痣が残るほどの暴力も堪えなければならなかった。燃え滾る悔しい気持ちは約束を果たした時に報われるはずと自分自身を戒めるほかない、この時に検めて知ったのは、人の心の中に潜む器量の大小であり、その器量を透かす事で得られる絶対的な自負が私の財産になっている。

 人の器量は果てしなく延び縮みして止まないが、その特性は必ずしも本人のみならず、対外環境の在り様に影響される事も少なくはない。
と言う事よりも、むしろ器量は対外的な環境に左右されると私は自負しており、その裏付けが有職と家督に基づく氏姓鑑識に顕れるのである。

 下世話な言い方をすれば、人の器量は土地柄や家柄にまつわる事柄を心に宿して動き出すが、その伸び縮み自在が本質の器量も事柄次第で大きくもなり、小さな事柄のまま放置されると、次第に伸び縮み自在の器質にも硬直性が加わるようになる。

 つまり、器量の小さい人の心をほぐす事は本人とともに私でも可能となるのだ。ただし、そこには相手の器量に信を宿すエネルギーが求められる。現行オカルトの如き一神教マインドコントロールで財産権に立ち入る占いビジネスと異なり、誠心誠意で信を届ける事が必要となるのだ。

 通用する信とは何を以て証明するかであるが、私の場合は債務弁済の期限延長中にあっても、工作機械や車などの設備投資を行っており、これ信がなければ不可能で証明以外の何ものでもなかろう。債務一切の完済まで要した期間は約十年を費やしたが、その後の私は慣例的な税務調査を奇貨として私自身が退職する道を探ることになる。それは後述として、時は昭和四十年代の記事である。

 皇紀二六三〇年(一九七〇)すなわち昭和四十五年は文明史の大転考期にあたり、日本にあっては初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げや万博(万国博覧会)開催などの一方でよど号ハイジャックや三島由紀夫「楯の会」事件など、和洋折衷が入り混じる文明的事件が起きている。

 現行社会の基礎を司る出来事としては、正月元旦を基軸にコンピューターシステム上での時刻表現ユニックスタイムを午前0時0分0秒から形式的な経過秒数とする取り決めが実施された。

 つまり、文明社会は国際政治の取り決めに参じる事を条件に成り立っており、その一員たる日本の法制下に属する日本人も文明人と見なされるが、その営みは国際度量衡局(BIPM)が、国際地球回転・基準系事業(IERS)の支援を受け維持する時刻系で、標準周波数と報時信号発射の基礎で国際単位系(SI)秒に基づく国際原子時(TAI)と同歩度で整数秒だけ異なる協定世界時(UTC)に従属しているため、世界各地の標準時(地方時=時差)の支配下にあるわけだ。

 要するに、UTCの前身はグリニッジ平均時の事であり、西紀1970年1月1日0時0分0秒を始点に世界はコンピューターシステム下のプログラムに従属したのである。

 はてさて、UTC(協定世界時)すなわちユニックス(UNIX)エポックとは、コンピューターシステム上での時刻表現の一種にすぎないが、その影響力は文明すべてに及ぶものであり、この系の表現方法は各方面のオペレーティングシステムに広く用いられている。かつては2000年問題なる騒ぎもあり、近未来は2038年問題を抱えているが、好むと好まざるに拘わらず、コンピューター主導に操られる文明社会が全人類に立ちはだかっている事に間違いはない。

 高周波活性オーロラ調査プログラム(HAARP)は、高層大気と太陽地球系物理学、電波科学に関する共同研究プロジェクトと発表されているが、そのフォローアップは黙示録のようであり、その核心に達するような憶測は皆無に等しいと評されても仕方あるまい。何故ならハープの本格的始動は1970年1月1日0時0分0秒にスタートするが、ユニックスエポックの重大性すら詳報できないメディアにハープなど解せるわけがないのだ。

 UTCを起点に本格始動したハープを理解し得ないまま、わけもわからず、文明社会に従うだけの各国政府が発したコミットメントは「本年を機にe政府へ転じる」という公約であった。

 その先陣がマイナンバー制度の構築であったが、未だe=エレクトロニクスの何たるかも知らない政府に何が出来るというのか、有名無実が参集する有識者会議から何が産まれたというのか、先走る筆舌が放つ一発芸はテレビに依存のほかないタレント・レベルではないのか。

 ともかく、当年(一九七〇)は文明史上における終わりの始まりと私は自負している。

 同年二月十一日に打ち上げた「おおすみ」の件は前述したが、この失敗が許されない事案に潜んだ目的が何であったか、以後のバタバタを観る限り、政官業言に人財なしと言わざるを得ない。もはや米ソインチキ体制下の換骨奪胎は日本の政官業言を骨抜きにしており、常に念頭をよぎるのは儲けてナンボのカネまみれに浸るだけだった。

 一週間後の十八日、米ニクソン大統領が教書に強調したのは日本の役割であり、三月一日に米軍が発したアナウンスは新たな輸送戦略の核拠点として嘉手納基地(沖縄)を使うと決している。

 この一連から生じたのが、日本の頭越しに行う米首脳らによる訪中、基軸通貨を独占せんがためのドルと金保有量との兌換停止およびオイルショックなど、最後のシメを沖縄返還で誤魔化そうと企む悪乗りの一環性である。この一環性の検証に透ける未来は読者自身が洞察してほしい。

 ニクソン教書の四日前(十四日)、日本では大阪万博が開幕され、同月末日には日本航空三五一便ボーイング七二七ー八九よど号が赤軍革命派を名乗るグループにハイジャックされている。

 日本初のハイジャック事件をメディアなかんずくテレビは如何に検証すべく対応したのか、結果は約一年十一か月後に生じた浅間山荘事件で明らかにされるが、答えは自分たちの利己欲を優先させる視聴率に拘るのみ、ワイドショーを以て電波を無駄づかいする事にかぎられた。

 今に伝わる右二つの事件が明らかにするところは、日本中が無い物ねだりに焦がれるバンパイアと同じ悲惨な状況でしかなかった。わずか半世紀前の事件ゆえに、官製と他の資料を見比べる事も含め私見を編む身近な試金石となるのではないか。つまり、右二つの事件も表層を伝えるのみ、文明史を解くキーワードの一つゆえ、読者自身の私見を編む検証材料でもあるのだ。

 周恩来の北朝鮮訪問が四月五日、五日後にはビートルズが解散、同月十六日の米ソ本会議では戦略兵器制限交渉(SALT)が開始されている。同月二十四日に打ち上げた人工衛星は中国初の成功とアナウンスされ、周恩来の外交が活発化している事に同調するものであり、私の聞くところではよど号ハイジャックともリンクするとの報が届いていた。プラハの春が事実上の終焉(六月二十六日)に至るニュースから何が見えるかを明らかにした有識者は日本では皆無に等しかった。

 七月十四日とつぜん日本の呼称を「ニッポン」に統一とアナウンスした閣議決定に潜む機密事項が意味するところは何であったのか。八月にはアラブ連合とイスラエルが停戦で合意しており、同じくソ連と西独との間に武力の不行使条約が締結されている。

 パレスチナゲリラがヨーロッパで旅客機四機をハイジャックしたのが九月六日その十日後にはヨルダン国王フセイン一世が軍事政権を発足させ全土に戒厳令を敷いている。その三日前に閉幕したのが大阪万博で延べの入場者は約六四二一万人と発表されている。ヨルダンの戒厳令二日目にはいわゆる黒い九月事件(パレスチナ解放機構=PLOとの内戦)が発生して、八日後には国王とアラファトの間に停戦合意が交わされている。アラブ連合ナセルの急死は三日後のことである。

 1970年9月28日この日に何があったか、これを知らないエコノミストやアナリストは自らを恥じるべきである。クリアストリームの前身すなわち有価証券配送センター(通称セデル)がルクセンブルクで十一か国六十六金融機関によって設立された年月日である。特記は手形交換制度の運営をファックスマネーで行うのであるが、IBMからコンピューターをパートタイムで借り決済処理する事に全てが集約される。つまり、マネーロンダリングの再編が行われたのである。

 前記したユニックスエポックの具現化スタートに連動している。アイ・ビー・エムがペンタゴンの傘下にある事を疑うエコノミストを敵にする気はないが、翌年(一九七一)のニクソン・ショックを機にセデル加入(一九七二年十月)の銀行は三百七十一行に達しており、翌年(一九七三)に日米欧三極委員会が発足のち日米欧を除去するが、このニッポンはヒノモトと異なる別ものである。

 三極委員会の建前とするところは、主導者をディビッド・ロックフェラー、ズビグネフ・ブレジンスキーらとしているが、本音は基軸通貨のドル一本化を促すため、新たなニギリ・ホテン・トバシを行う通貨操作が根底に潜んでいるのだ。

 当年(一九七〇)九月十七日、出生地を日本とするソニーがニューヨーク証券取引所で上場された事の深層を取材したアナリストはいるのだろうか。UTC(協定世界時)十月十四日に時間差を以て行った中国→ソ連→米国の核実験が意味するところは何だったか。十月二十六日(一九六三)は日本政府が毎年「原子力の日」としており、この原発記念日に因むなら私の解は整っている。

 十月二十九日には米ソが宇宙協力協定に調印、十一月六日にはイタリアと中国が国交樹立、一週間後(十三日)アサド国防相によるクーデターはシリアの実権掌握を意味しており、以後シリア内ではアサドが大統領一族の家名として認識されるようになる。現行バッシャール・アル=アサド五六歳の着任は二〇〇〇年七月十七日であるが、無知では済まない日本政府は他人事のようである。これまで無関心だった「尖閣諸島」を中国の新華社通信が急に中国領と言い出したのは十二月三日その十二日後に発生した南営号沈没事故すなわち対馬の西百キロ付近の事件は何を意味するのか。

 以上、当年(一九七〇)内に生じた出来事からアップしたが、全てがUTCに因む一環性ある現実事象であり、その総合的立体構造を解くキーワードこそコンピューターと自負している。

 当年の末尾に加えておきたい私ごとは、長男とは約二年半の差がある二男生誕であるが、出産した妻は命がけの難産に見舞われていた。出産一週間前には妻と二十一年ちがう姉(長女)が心臓疾患で緊急入院となり、大事を控える妻には覚られたくなかった。

 妻の難産は輸血二〇〇〇㏄を必要としており、のち非加熱輸入血液製剤と薬害エイズ事件の関係を知った時は血の気が引いて、事の顛末と詳細な情報収集に明け暮れした事がよみがえる。緊急入院の姉を見舞いながら、難産の妻と二男を護るための仕事は並大抵ではなかった。

 ただし、何ごとも「逆転の発想」であり、難問を超克すればかけがえのない会得もあり、それらは必ず人生のいたるところに役立つ利便性を有しており、プラスはあってもマイナスにはならない事が実感し得るのである。出産後の介護から得た東洋医療の奥深さを改めて知り、左半身不自由になった姉のリハビリを手伝う事で養生医療の課題を知ることもできた。

 医療は大きく四つの次元があり、一に予防、二に診断、三に治療、四に養生、とされるが、政府は治療に偏重した政策が選挙受けするため、政治全般が有権者へ媚びを売る事で財源を先細りにする。結果として、高齢化社会へ突っ走る政策は必然的に少子化を促すことになり、人口構成は逆三角形の頭でっかちゆえ限りなく淘汰へ向かうのも当然のことである。

 全ては自覚の欠如から生じたと案じるのである。自覚とは何ぞや⁉ もともとの自覚は地球の回転時刻系に同調しているが、人の自覚は脳機能の多様化によって反応が鈍くなってくる。協定世界時に基づくコンピューターは現行社会を司っているが、地球の回転時刻系とは誤差が生じるため、莫大なコストを費消のうえ、地球の時刻系に沿うよう手間ヒマをかけている。

 人も同じく常に鋭い自覚を衰えさせないよう手間ヒマをかけるべきだろう。

 地球の回転時刻系と協定世界時のコンピューター系に生じる誤差をスキマに置き換えると、隙間に生じる塵が雑音であり、スキマに生じるノイズの正体こそウイルスであり、このウイルスがサイバーテロリズムを産み出しているのだ。

 かつて私は電子回路が一筆書きに連なっていない事を不思議に思った時期があった。つまり、回路接合の部分に生じるスキマが通信傍受(盗聴)の原因となり、それは図面等の設計すべてを盗み見る事も可能になるのだから、世に言う機密文書などは存在意義を失うことになる。

 つまり、電磁気の通路に使う材質を決したならば、それ以外の不純材を使わずに接合を嵌合構造に仕上げれば良いわけで、接合部分に触媒を用いなければスキマは出来ないだろう。ところが、スキマ構造を意図的に保管するのは最先端の軍事機密であり、通信傍受を可能としなければ保安対策などは空念仏に過ぎなくなると言うのである。つまらぬ事由に納得してしまった。

 日本初とされるハイジャック事件を奇貨として、のち私は戒厳令下の朝鮮半島へ足を踏み入れ平和ボケした自身の性根をヤキいれした。その際に思い起こしたのが美濃部亮吉の訓えであった。それは宇多天皇の御下問で案じた菅原道真のビジョンである。

 垂仁(第十一代)天皇から土師職(はじつかさ)と土師臣のカバネを賜った野見宿禰に始まる系に大江氏、菅原氏、秋篠氏の分流が生まれ、それぞれが地政学上に優れた陵の造営管理とともに朝廷貴族としての執政にあたることで、ヤマトの行く末を透かしたビジョンが設計されている。

 土師職となれば、歴代天皇はもとより、皇祖皇宗に及ぶ有職故実と家督継承に精通しなければ陵を司るなんぞ成り立つはずない近臣中の近臣であり、藤原氏が外戚になる前からの重鎮で土師氏よりも旧事に長けた実在は皆無ともいえる。

 殉死者の代用に埴輪を発案したとの伝承は中華思想の兵馬俑を真似たのであろうが、そもそも殉葬心理は人命に宿る情緒の自然的発想であるから、古代エジプトほか世界各地に似たような伝承は語り継がれている。初めに陰陽の発見あり、東洋に五行思想、西洋に四元素説が生まれる。これらの相互関係に付与される性質として、相生(そうしょう)、相剋(そうこく)、比和(ひわ)、相乗(そうじょう)、相侮(そうぶ)の特色あるが、その特徴は次のように解釈されている。

 相生は順送りに相手を生みだす陽をあらわし、相剋は相手をうち滅ぼす陰をあらわし、比和は同じ気が重なると勢いが盛んになり、良い時はますます良く、悪い時はますます悪くなる、相乗の乗とは陵辱で相剋が過剰に達してしまうこと、相侮は侮るがため逆相剋に陥る事をあらわすという。

 たとえば、権力者は兵馬を養い、兵馬は権力者に殉じる、この相互関係のいきつくところは一つの系が朽ちても他の系が生じる循環作用ともいえる。言葉を換えれば、対発生と対消滅の繰り返しゆえ飽和と不飽和それは淘汰現象にもあらわれる。

 菅原氏四代目道真の案じたところは、万世一系天皇家の有職故実と家督継承にあり、世界無比たる皇祖皇宗の由緒を明らかにし、その実在が未来永劫たる確信を保つビジョンにあったのでは…。正に天神様ゆえに思い至る着想と実践であり、それが道真の天神たる所以ではなかろうか。

 先に結論(主文)を述べると、道真の執政テーマは人口問題に尽きると私は自負している。

 美濃部都政が公約テーマを高齢化社会に定めた事からも裏付けに成りえるのだ。

 安楽寺天満宮の創祀(九一九)は醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が道真を祀る大宰府の墓に社殿を造営した事にはじまる。道真没(九〇三)に当たっては、味酒安行(うまさけのやすゆき)が安楽寺の境内に廟を建立その号に天原山庿(=廟)院安楽寺を称したとの説が伝わっている。道真を主祭神とする安楽寺天満宮が大宰府天満宮と改称された事には触れない。

 右の伝承にしたがえば、安楽寺の開基と開山は道真没の以前とも思えてくるが、一説では菅原氏の菩提寺を安楽寺とする由緒も伝わるとされる。その謎を究明してゆくと不問が適正であるとの判断が正しいように思えてくる。どうあれ、現世を迷う衆生ごときには解けない謎があるのも必然‼そう思ったがゆえに私の自負は控えざるを得なくなったのである。

 私は神武天皇即位の皇暦元年を以て日本(ヒノモト)の國體づくりが始まったと自負するが、その理念を整え完成させた時代を平安朝と仮定してその第一人者が道真だと確信するに至った。とりわけ國體のカナメは人口構成にあり、國の力量は中堅層を核心として、幼年層と高齢層の均衡化を保った體を護持することにより、國威は保たれると訓えるのが道真流と確信するのである。

 人口の増減は適正を失ってはならない。人口構成は尚更の重要課題でなければならない。その事を明らかにして、その護持を保つべき執政の在り方を道真は確立していた。

(つづく)

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