【文明地政學叢書第二輯】9 言霊で解く超克の型示し

●言霊で解く超克の型示し

 過去の事実を解き釈くとき、蓋然性を伴う仮定と仮説に惑わされ、時代の流行病に冒された理屈を定説と決する暴力の何と多いことか。実相実在の組成構造を分解して再び組み上げる試みは、人に与えられた天命であり、人の営みは事実をテーマに直接的証明と間接的傍証を併記のうえ、過去と未来の連続性に生かされている。実証は分解と復元の確率が高まるほど信用度を増していき、文明を推進する言葉も新たな造語を生み出すが、古語と造語の関係は実証現場ほどの厳格さを持ち合わせていない。これが蓋然性の正体で統一場の理が整わない要因であり、霊能主体の芸術と言葉主体の学術との関係にも見立てられる。公序良俗を謳う法務は大半が仮定に基づく審判であり、家庭・学校・社会の教育環境も大半が仮説を含んで未だ統一場の理が整わない現実を抱えている。結果的に進学率が高まるほど、仮説も詐欺も見境のない渦を起こし、単なる労働の成果にすぎない模造品を売捌く詐術が市場経済を牽引し、安価な労働力を求め自然破壊の勢いは止まない。現行の価値観は天然資源に依存するが、天然資源には故事来歴が刻まれており、故事来歴から生ずる発見も素元の付加価値を究めなければ、発見も発明も単に環境を破壊するのみ。文明と称する成れの果ては学(言葉)芸(霊能)を通じて証明される。市場原理に基づくニーズの有り様で価値観が多様化すれば、不動産も動産もオークションの対象となり、素元の付加価値を弁えない似非教育もビジネスに利用されて、学芸すなわち言霊まで商品化されていく。本来言葉の適正は霊能との合一性にあるのだが、剥離を免れない構造不全の学芸では意が通ぜず、結果として単なる占い擬きの詐称ビジネスが流行るだけである。これを超克するには、例えば、宇宙船乗務員と地上基地通信員の間で交わす言行一致体系のように、意つまり語彙不二の型示しに倣い、言語体系を相克相生する言霊の奥義を究めるほかない。

●言霊と霊能の合一性

 政治は教育を国家百年の大計と定め、高い就学率を誇るため、学校に限らず教育制度に多額の税を費やすが、大計は百年どころか朝に夕に改められる。生ける屍の暗愚は天誅で晴れようが、教育の淵源は養い・教え・禁じる真事の型示しにあり、これらの型示しを説くとき人は言葉あるいは霊能で顕そうとする。ところが問題は言葉と霊能にあり、言葉は霊能を解き釈くに至らず、霊能は言葉に置き換えられず、互いに性癖を千切り取る住み分けで共存している。言霊は物質一種類が対で成る法則と同じ元来一対であり、神格天皇の振る舞い=勅の如く実証と論証に決定的統一場の歴史が連続しており、言霊の接合と分離学術を食い千切る商業が言葉を弄んで当用語を乱発すれば、芸術を食い千切る商業は霊能を弄び競売市場を設けようとする。これを生ける屍は情報社会と嘯くが、剥ぎ取り、引き千切り、繕う結び目は単なる装いでしかないため、 流行病の繰り返しは耐性菌を生み出すだけで、国家百年の大計が対症療法に追われるのも当然となる。さて、物質一種類が対で成る認識の証として教育が学芸を奉ずるが、何ゆえ学と芸に分離し言霊一対として理解できないのかという問題がある。霊能を超常現象と見る思想が学と芸を分離する原因だろうが、霊能は人が均しく持ち合わせている資質であり、言葉を身に帯びるまでは誰もが均しく行使していた。その霊能が劣化や潜在化するのは、汚素・似非・嘘に塗れた言葉を身に帯びてからである。つまり、霊能の素元は意で言葉は表意の術だから、言霊一対の原義を究めれば病理も必然的に統一場に導かれる。

●言霊の真事は霊言(たまこと)

 第四五代聖武天皇期の紫香楽宮(しがらきのみや)(現滋賀県甲賀市信楽町宮町)の跡から、木簡両面に記された万葉歌と思しきものが出土したのは皇紀二六五七年(一九九七)だが、今年皇紀二六六八年の五月二二日に、同市教育委員会は学芸ネットワークの検証を重ね、日本最古の歌(音)といわれる万葉歌を文字で復元できる見通しが立ったとの発表に及んだ。史家に限らず考古の旅から得る文化文明は重大な社会問題であり、歴史的エネルギーを潜ませたパワーは人の生命活動にも直結してくる。同じ発生音も場の歴史が異なれば、人は言い方も霊け方も異なり、字で表す段に至れば言うまでもない話であり、万葉の歌集編纂に際しては、音で伝えられた歌を万葉仮名で木簡に書き記し、さらに漢字の衣装を着せて最古の歌集と称するのが、日本の文化を伝承する筋道ではないかとの見当が今回の発表(仮説)だろう。過去と未来の連続性を未だ仮繕い(仮説)のまま、正装(定説)と偽る話は尽きないが、古色蒼然の定説が崩れると、その天誅は場の歴史に伴う共時性があり、時を同じくして甦るのが普遍性である。時あたかも五輪大会を前にして、支那大陸を揺さぶる問題は言うに及ばず、万葉の歌集編纂という共時性を写し鏡とすれば場の歴史は必ず開かれる。歌を忘れたカナリアとか窮鳥懐に入るの諺など原型は万葉にあり、また万葉(ヨロズノハ)の原型は音であり、音は霊能は以て始原とするのだから、言霊(ことたま)は霊言(たまこと)と言い換えるのがよい。

●霊言の共時性

 聖武天皇は在位中(皇紀一三八四〜一四〇九、以下同)に平城京(奈良)から恭仁(くに)京(京都南部)へ遷都、また紫香楽宮も造営したが、副都保良宮(滋賀県大津市南部)では道鏡の政治介入が生じた。女帝の孝謙天皇(後に称徳天皇として重祚)と第四七代淳仁天皇、四九代光仁天皇を経て第五〇代の桓武天皇(一四四一〜六六)に至るまで動揺がつづき、この間に編まれたのが万葉集と言われている。
 紫香楽宮の造影は一四〇二〜〇五の間で都たる機能を果たしたのは半年に満たないとの説もある。その宮跡地から出土した木簡両面に記された墨書から、万葉集巻一六にある安積香山(あさかやま)の歌の七文字と、難波津の歌の一三文字が読み取れるとの発表があった。
 ところで万葉集は同一四〇五年以降の数年間で一巻から一五巻まで成り、巻一六と大伴家持日記を含めた全二〇巻は一四四三年ころ成立したとの説が有力である。現存最古とされる万葉集写本は一一世紀半ばの書写で、そこでは仮名と漢字を使い、安積香山の歌を「安積香山 影さへ見ゆる 山の井の・・・・・・」と表記しているが、出土木簡は「阿佐可夜(あさかや)・・・・・・流夜真(るやま)・・・・・・」と七字を万葉仮名で表記している。ちなみに、木簡裏の相聞歌安積香山の歌の全文は、

    阿佐可夜麻(あさかやま) 加気佐閉美由流(かげさへみゆる) 夜真乃井能(やまのゐの)
    安佐舞伎己己呂乎(あさきこころを) 和可於母波奈久尓(わがおもはなくに)

と万葉仮名で表記される。また、木簡表の雑歌難波津の歌の全文は、

    奈迩波ツ尓(なにはつに) 佐久夜己能波奈(さくやこのはな) 布由己母理(ふゆごもり)
    伊麻波波流倍等(いまははるべと) 佐久夜己乃波奈(さくやこのはな)

である。後に紀貫之が古今和歌集の序文で、「難波津の歌は帝の御初めなり、安積山の言葉は采女(うねめ)の戯れより詠みて、この二首は歌の父母のやうにてぞ、手習ふ人の初めにもしける」と述べたように、この二首は最初に覚える和歌であった。また源氏物語でもこの二首はペアを組む手習いの歌とされている。すなわち、両歌は平安時代を通じて連綿と生き続け、さらに現在まで及んでいるのである。
 これら元来が音で伝わる万葉と支那大陸原産の漢字の共時性を究めると、アフリカ北西部沿岸に成る諸島を原産地とする金糸雀(カナリア)も無関係ではない。カナリアの日本渡来は鎌倉時代といわれ、美しいその鳴声と姿形は広く愛好されたが、一六世紀ヨーロッパで行われた品種改良は歌を忘れたカナリアをつくり、顔氏家訓で知られる窮鳥懐に入るの諺が戒めるように、四川省大地震に限らず、共時性に伴う場の歴史に降る天誅は決して小さくないのだ。

●霊言の「あおうえい」の型示し

 学芸は万葉集を①(公的な)雑歌、②(私的な)相聞歌、③(死に際の)挽歌に大別し、上古における経世済民に関する文化を浮かび上がらせ、文明化の筋道を整えていく歴史の流れの礎に位置する貴重な史料と捉えている。つまり、意図が何であれ、万葉の種々を音(点)で捉え、歌(線)に揃えていく営みは、古今を問わない場の歴史そのものであり、例えば「音楽に国境はない」と言うように、共時性を伴う場の歴史に潜むロードマップは生命線そのものなのだ。
 また、万葉歌にある「とこしへ」や「とこしなへ」を現代は永久と書くが、第七四代鳥羽天皇の在位中(一七六七〜八三)、「永久」(一七七三〜七八)なる元号が用いられたが、平安時代まで永久は「とことば」(とこ・とば)と詠んだのである。常・鳥羽の天皇を詠む歌に「わがみかど 千代とことばに 栄えむと・・・・・・」とあり、永久なる語は時空を超えて現代でも生ける屍の理想とされている。
 皇紀一三七八年(七一三)に古事記また同一三八一年には日本書紀が成立しているが、万葉集編纂が一四〇五年から一四四三年までならば、古事記は一三三三年即位の第四〇代天武天皇の発意で始まるため、第五〇代桓武天皇(一四四一〜六六)までの激動期に成立した記紀・万葉は史家の見識を問う試金石ともいえる。洋の東西を問わず原義を心得ないと、過去にも未来にも辿り着く何ぞ無理である。
 また稗田阿礼(奈良時代の官吏)が誦習した帝紀(皇統譜や年代記)と旧辞(伝承の神話や説話など)に基づき、太安万侶(民部卿)の撰録したものが古事記で、太安万侶(?〜七二三)は日本書紀撰進にも参画したとされる。
 乳幼児が文字を使わなくても聴覚と暗誦力で補って生きていけるように、似非教育の信徒を感性で上回り、筆記を要さない文化圏の民も現存している。識字率を高めるほど進む文字離れや、視聴率が高まるほど進む判断力低下は、情報を商業化して恥じないジャーナリズムに要因があり、現代テレビ文明では謝罪さえ無味乾燥の下書きで済ますのが通常である。最高学府と偽称して門扉を開く制度の果ては、稗田阿礼に相当する役人は皆無となり、厄人の手玉にされる社会人は欺し欺される術を身に帯びるだけだ。これを生ける屍という以外に何と言うのか。人は霊能を磨き上げながら万葉の言葉を心得るのが天命であり、幾ら当用の言葉が流行ろうとも、心得を心得として身に帯びておけば決して欺されるようなことは起こらない。世事を行き交う宿命を背負う人生は欺すも欺されるも自らの内にあり、霊能は感性に閃きが加わるとき働くため、言うより聞くを心がけるのが大事である。
 霊言(たまこと)「あおうえい」を備える日本の文化は当用語から万葉仮名を生み出しており、万葉仮名に漢字の衣装を着せ替えたり、キリスト教のルネサンスにも対応できる技術を生む素地も有する。素元たる霊言の付加価値から生まれる万葉仮名は単なる労働の成果であり、万葉仮名以降の外来語も単なる流行語にすぎず、要は霊言五十音図の付加価値を活かしていけば、現行の条約文明を司る元素周期表の論証用語も改良できる。
 例えば、四川省大地震の真事も歴史的なエネルギーが潜むパワーの天災であり、また通称九・一一事件の真事も同様の事由から生じる人災と分かるのである。およそ歴史に刻まれる大事故や大事件は天災と人災が絡み合う現象であり、こうした現象の真相は、真事の歴史と実証科学の現座に通じなければ解き釈けない。そのためには、霊言の価値に目覚めることが絶対条件であり、霊言の奥義を究めていけば、必ず超克の型示しに達するのである。

●霊言五十音図の概略

 太陽系惑星に生かされている地球人は何処まで旅を続けるのか。その旅は未来でなく過去つまり自らの生琉里(ふるさと)に辿り着くまで続くのだ。霊言「う」は恩恵を与えて見返りを求めない太陽と同じ信号を放つが、現時点の旅は霊言「あ」と「わ」の信号が放つギブ&テイクのエネルギーを承けて、本義を見抜けないまま、「あわ」も「わあ」も迷路を彷徨う途中で呻吟している。霊言「あ」と「わ」のギブ&テイクは二通りで、「あわ」と並べれば泡の如く「あ」と「わ」は反引力を働かせ、「わあ」に置き換えると和合一対の音を奏でる引力作用が働いてくる。つまり、「あわ」は断続性の働きであり、「わあ」は連続して引き延ばす音と同じく「あー」から「あ」に収束一体化する。ただ、「わ」は「あ」に潜む隠(こも)り音ゆえ、子守りや籠りと同じく、共時性に伴う場の歴史的エネルギーを潜ませている。この原義を心得て人は初めて次の段階に進むのであり、例えば、「お」に男を当てれば、「を」に女を当てて父母の和合に「おをー」と変わらぬ連続一本線が開かれるのである。また、「あおうえい」の真ん中に何ゆえ「う」が配置されるかの問いもあろうが、これこそ元素周期表を編む実証現場における真事で原子核は真ん中に位置して、陰電子の働きを解き放ち集束するリサイクル・システムを働かせるのだ。また「え」と「ゑ」や「い」と「ゐ」の関係も「お」と「を」に通じており、総じて万葉の素元は「う」を核心に「あ」と「わ」が二重螺旋構造を形成して、卍型から逆卍型へと働く回転トルクで自然界のベクトルに順応しているのである。詳述は図解を要するため、今簡単に述べると、「う」を原子番号1の水素とすれば「あ・わ」の関係は互いにスピンし二重螺旋構造を描く電気力線が磁力線であり、他の「おえい・をゑゐ」を元素周期表の原子に当てれば、順に6炭素、7窒素、8酸素の基本元素に同定できる。
 太陽系宇宙に限定すれば、霊言「う」は太陽エネルギーであり、「あ」が地球(惑星)なら「わ」を月(衛星)として置き換えることも可能である。地球は水の惑星であり、月は水の干満を補うため働いて、太陽との光合成により、地球生命を誕生させており、霊言は対で成る実証があり、物質は常に安定しようとする要求を有して、最も不安定な寸前に要求度は最高となる。またエネルギー保存の法則は打ち消し合うエネルギーの潜在性を実証しており、この歴史的エネルギーこそ地球資源の支えであるが、潜在するパワーは岩盤(鉱物)の破壊を引き起こす、植物また動物の生態系に大きな影響力を及ぼしながら、最も新種の動物として地球に人が誕生した。太陽系小宇宙の素元を身に帯びて成る人の宿命は霊言「あおうえい」と「わをうゑゐ」の信号を天(あま)の両柱(ふたはしら)として、両柱の間を行き交い韻(ひび)き合う信号(点)を整えながら、必ず両柱に呼応して韻き合うように点と点を結んで情報(線)に仕上げていくのが本義の仕事である。
 競い争う情報の組み立ては天の御柱を歪曲する仮説であり、御柱が曲がれば韻き合う信号が拡散して朝令暮改の天気予報と同じだ。誦み習わしてきた霊言「あおうえい」を撰録すること、つまり記紀の編纂は何ゆえに起こったのか、記紀の成立から万葉仮名を生み出す必要は何ゆえ生じたのかを解くに、世界最古の皇紀暦に優る史料はない。外来の漢字は論外ながら、万葉仮名を何ゆえに霊言の振り仮名としたのかを含めて、現行の元素周期表を用いて剖判すれば、総じて生琉里へ向かうロードマップも描けるはずである。この課題は日々の進運を以て確信を得る方向にあるも、何事も独り善がりは逆行を辿るのが常ゆえ、拙論に対する批判は大いに歓迎する。♠

◎本書は文明地政学協会の刊行する世界戦略情報「みち」の第二六九号(皇紀二六六八年四月一日号)から第二七七号(皇紀二六六八年八月月一日号)に連載された栗原茂稿「超克の型示し」を改めて編集したものである。

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