【文明地政學叢書第二輯】8 神格の型示しと場の共時性

●歴代天皇の統一場

 仮点と仮線の使う史観には結合法が重大であり、史観に限らず文法は合理性を訴えるが、およそ文法に統一場の理論など存在しない。結果的に表面化した事実を捉えて、還元法による原因遡及を試みれば、事実を分解する作業行程は免れず、分解に当たって互いに相手の性質を千切り取る分離もあれば、素元の性質を損なわない分離もあるが、実証現場でさえいまだ統一場に苦しむ次元段階において、何で文法ごときに合理性など立証できようか。
 結合法を心得ない分解は互いに相手の性質を千切り取るため、たとえ同じ事実をふたたび組み立てようとしても、復元は不可能で、立体メカニズムには通じようもない。復元不可能のゴミを生み出す現代文明がまさにそれを立証しており、特に情報分野で大量に生み出されるゴミは電波・活字に限らず、不届きも極まる生命メカニズムの破壊を助長して自ら朽ち果てている現実に気づかない。
 歴代天皇の統一場を立証するのは、今上天皇の振る舞い=型示しである。筆者の場合は、昭和天皇と今上天皇の御世に生かされている。昭和天皇の御振る舞いは終戦後に始まった皇居一般参賀を貫通して、その型示しは葬場殿の儀に極まったが、さらに今上天皇の立太子礼・大嘗祭を通じて、自ら禊祓に徹する必要性に気づかされたことを記しておこう。
 文献情報の渉猟も自在な時代となり、筆者は工業メカニズムの設計・製造を体験しつつ、海外渡航も自在という時世のなか、自ら抱える史観を禊祓するには不足ない環境に生かされてきた。特に結合法は知りたいことを取材していく課題において必須の条件だから、接触の仕方一つ間違うと命を捨てる覚悟が取材の大前提となる。
 昭和天皇崩御を報じる放映メディアの特集番組は消音措置を施せば、神格伝統の型示しを提供して、歴代天皇の揺るぎない統一場が明らかになる。

●葬場殿の儀における型示し

 皇紀二六四九年(一九八九)二月二四日、政は昭和天皇崩御(同年一月七日)に際し、神格伝統の型示したる「葬場殿の儀」とともに「大喪の礼」(国事行為)を挙行したが、世界各国・国際機関からの代表弔問は史上最大の一六〇余の規模に達した。
 当日は雨天でしかも気温が摂氏三度以下という寒天のなか、皇居吹上御所の出発前から祭典終了まで衛星ライブで放映され、同時通訳の二カ国語放送で世界各地へと配信された。
 先帝崩御と今上即位に際して、自称メディアを任じる商業は国営も民営も凄まじい報道特集を撒き散らしたが、葬場殿の儀における型示しのほかは、付加価値を有する情報は何一つ見当たらなかった。とはいえ放映録画も使いようであり、神格伝統の型示しは録画に消音措置を施しさえすれば、自らの禊祓をレベルアップさせるのに役立つ神通力を潜ませており、そこで改めて未来を透かす統一場の重大性に気づかされるのである。
 昭和天皇八八年の型示しで代表的なものには、摂政宮時代の関東大震災があり、即位後の大戦では英霊と被災民を救うため戦争終結を決断、戦後には巡幸を実現して神格の禊祓に徹している。それは光格天皇即位から孝明天皇即位までの三代八八年の禊祓にまさしく匹敵する一大の型示しであり、場の歴史に鑑みれば、規模の大小をもって比較できるような凡百の情報とは自ずから異なる。
 葬場殿の儀における今上天皇の振る舞い・型示しもまた、皇紀歴(共時性)に伴う場の歴史を彷彿させ、何ら揺るぎない神格を示した。単なる言(事)の葉(端)を弄び情報と称する生ける屍の時空とは異なり、多くの異文化が集結した葬場殿の儀・大喪の礼においては、代表弔問の拝礼を円滑に運ぶところに実相実在が示されており、原義を結ぶ点(信号)と点を繋ぐ線(情報)とに如何に場の重大性が潜むかを知らしめている。これこそ筆者の聖地論の要諦であって、難しい理屈は必要としない。

●皇紀歴の重大性

 神武天皇即位(一月一日)を紀元とする皇紀歴に諸説あり、八代孝元天皇までを欠史と見なす説から、富士古伝や竹内文書のように、有史最古の暦と見なす説まである。前者の軽薄な説は型示しを無視して論ずるにも価せず、後者は浪漫の探求をめぐる思想であると言うほかない。また、その両極の間の妥協説にも意味はなく、場の歴史に伴う共時性を有しない。
 暦は政体の認識する仮説とするのが世界共通の定義であり、歴法の変遷も同じ操作で決するのである。ところが、政体に如何なる変遷があろうとも、万世一系を保つのがわが国体であり、その国体に基づくのが皇紀暦であるから、皇紀暦は重大な意味を有する。
 言うまでもないが、日本の政体は過去も現在も万世一系の国体を示すとき、天皇の存在を以て証とし、昭和天皇の崩御祭典に際する弔問の如く、世界もこれを認めている。人は時空の間を刻む生物であり、その象徴は暦だから、皇紀暦を認識しない日本人は、時空の重大性に気づかない。認知症の病巣に群がるのも勝手だろうが、自ら生ける屍を標榜する限り、慈悲の念は禁じ得ないとしても、救おうとすれば救う側まで朽ち果てよう。
 さて、皇紀暦が時空の間を刻む政体にとって如何に重大な意味をもつのか、その事例の一端をあげ、過去・未来の連続性における重大な点を指摘しておきたい。東京国際軍事裁判そのものが国際法上の最大謀議という問題はあるものの、この指摘は裁かれた側にすれば当然としても、後には裁いた側から出る回顧録ほか多くの無責任も表面化する。このゆえに本誌角田稿の指摘は重大である。
 しかしながら、認知症の予防対策として、重複するのも無用であるため、ここでは事例を神格天皇の型示しだけに絞って触れておきたい。
 言うまでもなく天皇は日本唯一の大元帥であるゆえ、軍事裁判において被告の代表格として公判出廷を免れる理由はない。昭和天皇もまた出廷を拒むどころか、自ら公判の場に立つ振る舞いを見せている。
 この型示しに慌てたのが似非の神を奉じる戦勝連合国であった。その結果、相対性理論と量子論の確執と同じく、強制接着ゆえの剥離を招いて、相手の性癖を千切り取る東西冷戦構造が表面化したのである。すなわち、皇紀暦の核心に潜むエネルギーは恒久的な安定リサイクル・システムであるゆえに、神格(核心)は万世に不易の型示しを保つのである。

●現行の皇室典範

 昭和二二年一月一六日の皇室典範(法令番号三)は、皇室経済法(法令番号四)とともに、同年五月三日施行され、以後に改訂も加えて現在(皇紀二六六八年)に至るが、似非の神を奉じて自壊を恥じない世界事象のなか、生ける屍と法務を論じても詮ない話で共時性を俟つほかない。
 人の属性は必然的淘汰(飽和状態)に晒されると、相応の術策から不飽和の状況を生み出そうとし、その術策には移動もあり、移動は数種の文化的競合を経て文明化に達していく。しかるに、文明化を導く共時性は場の歴史を源流とするが、職業史家の性癖はヒト・モノ・コトに惑わされ、人世(ひとよ)に都合のよい神世(かみよ)を設計して場の歴史を踏みにじろうとする。
 しかしながら、神世と人世の接合は重大で、場の共時性を裏付ける証でもあり、如何なる暦法の変遷があろうとも、今になお現存する皇紀暦には万世不易の命脈がある。文化的神代を盛り込む記紀の存在を除外しても、皇紀暦は日本文明を支配する政治史の公文書であり、天皇の御名御璽は現行法にも不可欠の認証ゆえ、法治主義が如何様の理屈を講じようと、法祖は皇室典範以外ないのである。政体がいくら歴史に浮上し興亡を繰り返したところで、皇室典範こそは時代を超え変わることなくつづく現存の振る舞いそのものであり、この型示しがないまま成り立つ国法は皆無に均しいのだ。
 また、戦勝連合国側が日本を裁いた東京国際軍事裁判において、戦争責任を神格天皇に問うことができない現実が出来した。この隠しきれない有史未曾有の法務こそ、神格に備わる超克の型示しになるのだ。詮ない理屈を弄ぶ生ける屍には通じまいが、理屈も最終段階に及ぶと、道義の前で機能停止に陥る証でもある。道義が立って初めて機能するのが法治なのである。皇紀暦は神世(道義)と人世(法治)の両立を存続させたが、神格を人格に貶めて恥じない現代認知症に、法治の自壊を防ぐ道義は存在しない。

●現行法上の皇室会議

 皇室典範第五章(皇室会議)は議員一〇人の組織として、成年皇族二人、衆議院および参議院の正副議長四人、内閣総理大臣、宮内庁長官、最高裁判所長官と同判事(互選)二人を以て充てると定められている。議長は内閣総理大臣で国民の支持率に関係なく運営するが、日本国憲法(第一章)は天皇を国家と国民統合の象徴として、主権を有する国民の総意に基づくと規定している。また、天皇の行為は内閣の助言と承認が必要ゆえに責任は内閣が負ふとし、国権の最高機関は立法府(国会)としている。こんな意味不明の言葉(ロゴス)で法治を司れるのは、生ける屍のほかあるまいが、競わず争わずで禊祓に徹するのが神格天皇である。
 もう少し愚痴を加えておくと、現行憲法の前文で国民の行動指針は正当な選挙によって選ばれた国会議員に従うとされるが、現実は投票率六〇%前後の選挙さえも正当と評価される。国権の最高機関が国会ならば、国家元首は両院議長となるはずである。実際に、各国元首で構成される先進国首脳会議(サミット)の日本代表は総理大臣である。
 この総理大臣をボロクソに貶しても罷り通るのがわが国の言論界であり、名前が売れて選挙を勝ち抜く国会議員も多くいる。政権与党の口癖は行政府を司る内閣を支えるといい、各省大臣は所管省庁の厄人(役人)の代弁者にすぎない。公僕官僚機構のメカニズムは先例主義一辺倒であるが、その先例の根源たる皇紀暦を知らないにもかかわらず、総じて朝廷制度に端を発する叙勲には執着して貰いたがる。厄人(役人)は選挙に曝されないが、公金(税金)を撒き散らす許認可制度のもと、公共市場に群がる業界と労働組合の組織票を束ねているのである。
 キリがないので愚痴の蛇口を締めることにするが、皇室会議最大の陥穽は表決条項(第三五条)において極まることになる。この呪縛を解きほどくのは、自覚の有無とは関係なく動く民の世相にあり、現在の状況が未来を透かしている。小賢しい理屈を講じる臣の閉じられた空間はビッグバンの仮説に操られるが、開かれた空間を行き交う民はビッグバン説などに拘束されないのだ。

●開かれた空間の共時性

 場に刻まれる歴史的生命メカニズムを解きほどくと、人は血脈に伴う遺伝情報を含む営みのもと家を最小単位とし、家族はヒト・モノ・コトの共時性を分ち合い生活している。この共時性を司る統一場のエネルギーとしてもっとも透明度が高い情報は家族構成員の振る舞いであるが、このような実証の型示しを言葉に置き換えるのは容易なことではない。
 言(言葉)行(振る舞い)の一致を生み出すべき課題は免れないものの、分化と統一を日常的に繰返し育む生活現場では、開かれた空間による共時性に生かされるため、説明不足は大して問題にならないという現実がある。
 この開かれた空間の共時性を保って初めて人は神世を感得することを得るが、閉じられた空間の仮設に埋没していくと、人世に追われる日常となる。「主権在民」は閉じられた空間の仮説であって、ゾンビ同士がバトルを繰り返す現実に目を向ければ、今なら多くを述べる必要はあるまい。
 閉じられた空間を設ける前提条件に仮説は欠かせず、現代を呪縛する次第の仮説がビッグバン(宇宙大爆発)説である。これは現下の負を先送りして、最後には御破算で願いまするトバシを潜ませており、生ける屍の臣らが抱える結核菌と同位相の思想病である。
 宇宙大爆発=膨張(ビッグバン)説は赤方偏移と背景輻射を観測したのちに着想された一九二〇年代の仮説だが、「神は死んだ!人こそ神だ!」と吼えて蓋然性という似非の神に助けを求めた物理と、玉虫色の似非の神を奉じる政治的勢力が手をニギル後日談から生じている。
 赤方偏移光は他のスペクトル線より長波(赤色)が優るとき起こる現象を指すので、地震と同様の岩盤破壊が起これば、放出される中性の共振電磁波が他のスペクトル線と打ち消し合って赤が優勢になるだけの話にすぎない。ニュートリノなど含む中性エネルギーは宇宙に充満しており、地震と同じ破壊活動は地球に限らないが、局地的な地震を遥かに上回る共振電磁波の発生源たる地球に限定してみても、青色系(短波)の成分は打ち消し易く赤色系(長波)が優勢に立つ現象は星の光でも実証されている。

●閉じられた空間の仮説

 家を最小単位とする場の共時性は、たとえ閉じられた空間の個室をそこに設けたとしても、意識的な営みは開かれた空間を行き交う歴史を潜ませている。ところが、このとき本能的属性の強い情の働きを優先させたり、蓋然性を伴う知の働きを優先して意の働きを封じると、閉じられた空間を開かれた空間と勘違いする。
 この勘違いこそ開かれた空間を閉じられた空間に置き換える還元法であり、家庭現場の血統分散、学窓現場の秩序崩壊、職域現場の労使闘争など、古今を問わずに繰り返される闘争の元凶となる。すなわち、場の共時性を妨げる元凶は還元法にあるのであって、現下におけるビッグバン説も過去の仮説と同じくやがては耐用年数の尽きる日がやってくる。
 このように閉じられた空間を欲する知は還元法に発しており、家庭も会社も果ては国家すら超える世界的組織に至るまで、規模の大小問わず独善性を本質とする仮説は、必ず自壊作用を伴うのが歴史の真事(まこと)である。
 宇宙を閉じられた空間と仮定しなければ成り立たないビッグバン説も過去の仮説も、開かれた空間の宇宙を剖判して復元するリサイクル・システムを心得ないために、蓋然性を伴う情知に溺れて、閉じられた空間の奪い合いを繰り返す現実をついに免れないのだ。閉じられた空間の仮説が崩れるとき、それはつまり人の営みが場の共時性に目覚めるときであるが、人世の動向は通念を超える事象を顕わにすることになる。
 ところが、たとえこのような事象が起こっても、独善性の仮説にたっぷり塗れて髄まで冒されてきた情報社会はそれを「異常現象」だと突き放して、現行システムのサバイバルを優先するため、隘路に追われる異常現象は通念を破壊するほか行き場が見当たらなくなるのである。その象徴的な事例が、世にいう九・一一事件であるが、その真相は剖判するには別記を要することになろう。
 いずれにせよ、この文明の大転換期にあっては、遅かれ早かれ閉じられた空間に充満した積年の仮説は白日下に曝されて自壊現象を起こすほかなく、そこに如何なる弁解も通用しない現実のなかで、人は場の共時性と向き合うという本来の生き方に目覚めることになるのである。

 

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