【文明地政學叢書第二輯】2 神格に南北朝なし

●通説イエズスの会員養成

 イエズス会の会員として備えるべき資質は霊性・知性・司教活動(いかなる環境下でも修道を実践すること)であり、これを養うための訓練を徹底的に施すという。だが、人はマインド・コントロールされれば、誰でも大差はない。養成に先立って志願期があり、霊的指導のもと従順であるか否か適性が慎重に試験されて、修了後に初めて正式な第一段階(修練期)を許されるといわれている。
 第一段階では二年間の修道院生活を霊操で明け暮れるとも伝わるが、要は使徒に従いイエズスの歴史や霊性を身に帯びる体験の積み重ねで、脳を掻き回すほど難しい問題でなく、修験僧なら誰でも経験する範囲の内である。
 第二段階(初誓願期)は従順・清貧・貞潔の解釈を自立で行って宣誓をする。その要は、自己責任を認識して他に求める生き方は通用しないという呪縛にかけるだけの話で、慈悲の念を禁じ得ない。
 第三段階(選択期)では自らの進路を二者択一する。司祭コースを選ぶとまず哲学と神学を再学習し、二〜三年間の実地過程が修了したとき、叙階を得る段階に進むチャンスが与えられる。実地過程とは使徒職としての実働行為に当たり、体験を元手とし、再び霊操に基づく勉学を繰り返し行うことが求められる。
 これらの段階を経て叙階を受けると、会支部で数年間の活動に従事した後、ふたたび養成支部に戻り、第二修練と呼ばれる期間に入る。その最終段階では、最も重要な霊操を再授するために一ヶ月の期間が設けられ、上記段階をすべてクリアしたとき、初めて司祭の資格が与えれられるという。
 すなわち、イエズス会で養成される司祭はすべてのキリスト教会におけるエリートたる自負をもつ。彼らは表に教皇絶対を謳い文句としているものの、その本質は、カトリック教会の実験を握る総長への絶対忠誠だろう。
 もう一つは修道士コースで、各自の志望科目を申し受けるというが、実際の選択は会の運営事情に左右され、各専門分野に割り当てて教員(修道士)を作り上げるシステムである。修道士という専門家は、他の教科に疎い方が好都合だとするシステムで育てられる。その結果は専門莫迦と化し、イエズス会の方針に従って新奇を衒う玉虫色の説法を臆面もなくメッセージするだけのコメンテーターとなるわけだ。
 以上の洗脳=霊操教育のシステムをイエズス会が纏め上げるに際し、その情報源はマヤ・アステカ・インカ文明の解体と再生に隠されていた。

●天皇史を弄ぶ

 神の預り言を奉ずる史観に従えば、預言は情報であるゆえ、神とは情報の発信源ということになろう。この情報発信源たる神の正体を論証し得ないために、人の邪心は似非の神を奉じて、「養い・教え・禁じる」を装う術策が通用するのだろう。
 軍政を司る統帥権の行使に伴うのは破壊であり、民政を司る統治権の行使に伴うのは格差である。政はこの現実を免れない。だが、このような如何様(イカサマ)の現実に生かされても人の連続性が絶えないのは、その本能的属性の内に「養い・教え・禁じる」という社会の課題に向き合う性質が潜むからである。だからこそ、人は未来と結ぶのだ。
 如何なる史観を刻もうと、天皇史に比肩するような過去と未来の連続性を保つ現実はなく、如何なる個人情報も天皇史に優る情報はない。人の属性は五十歩百歩であるがゆえに、個に留まる限り怠けるのは仕方ないものの、養い・教え・禁じる立場にあるときの怠惰は決して許されるものではない。
 教育・経済・政治などの社会の営みは、すべて宗教に端を発して派生したが、現況社会の本末転倒は今更説くを要すまい。つまり、養い・教え・禁じるに任じる立場の逆転が生ける屍の立身出世を可能にし、値もない下剋上が騙し合いを常態としたのだ。この本末転倒した現実に相乗って滅びゆく底抜けの病原体こそ霊操なのである。もちろん、霊操はイエズス会の専売特許ではなく、歴代天皇の個人情報を弄んで作り話を捏造するゾンビの跳梁も快挙に遑ない。その作り話を併記のうえ、情報に神格と人格をあることを例示しよう。

●過てる後陽成天皇観を修正する

 似非教育下における歴史本に影響力はないため、巷間一般の諸説を束ねる形で俎上に乗せて、まずは本末転倒の作り話を書き止めることにする。
 第一〇六代正親町天皇(一五一七〜九三)は先帝後奈良天皇の第二皇子方仁(みちひと)親王で、その御在位中(一五五七・一〇・二七〜八六・一一・七)に皇太子誠仁(ともひと)親王が薨去されたため、天孫和仁(かずひと)親王(のち周仁(かたひと)親王)へ譲位され、後陽成天皇の即位を見届けられた後、宝寿七七歳にして崩御されている。
 第一〇七代後陽成天皇の在位期間は秀吉と家康・秀忠親子による政権交代期に当たり、秀吉自ら就任した関白・太閤の地位を権威づけるため、朝廷の威信回復に尽力して、天皇の聚楽第行幸を盛大に挙行する。秀吉は後陽成天皇に第一皇子良仁親王を後継とするよう勧告を行うが、秀吉の死で天皇は弟皇子八条宮智仁親王へ譲位しようとする。だが、朝廷重役や家康の反対で実現しない。関ヶ原合戦(一六〇〇)後、天皇は家康の了承を得て仁和寺へ良仁親王を出家させ、第三皇子政仁(ことひと)親王を後継と決する。
 秀吉没後の一六〇三年に家康は征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開くが、朝廷の権威を抑制しようと干渉を強め、官位の叙任権や元号の改変などを含め元来は朝廷専権事項を幕府に移行した。慶長一四年(一六〇九)には宮中女官が密通する猪熊事件が起こり、朝廷は京都所司代から厳罰に処するよう申し渡され秀忠の威を恐れた。
 第一〇八第後水尾天皇御即位(一六一一)により、後陽成天皇は仙洞御所へ退くも、後水尾と上手く関係を保てず長い不和が続いたと巷間に伝える。崩御に当たり、悪帝の評価で知られる第五七代陽成天皇の遺諡から、後陽成の追号を天皇が決したのは父を貶めるため選んだという。
 吐き気を堪える限界に達したので、以上の略記に止めたい。人格レベルの情報操作はかくも儚い作り話で浮き世の憂さを晴らそうとするが、生活廃棄物や産業廃棄物にも勝る情報廃棄物が氾濫するなか、現代の自壊作用は不全構造の電子回路と同速で回転している。
 いかなる歴代天皇に接しようと神格は同じであり、いかなる人格も禊祓を怠らなければ神の情報は透けてくる。霊操すなわちマインド・コントロールに基づく似非を真に受け、自ら生ける屍としての知性を開陳して恥じない所以は通史が証明する。玉虫色の言葉が渦巻く公用語をいくら記憶したところで、かえって玉虫に失礼な話であろう。玉虫色を見透かすのは知性ではない。このような賤しい天皇観を浄めるにはいかなる禊祓が必要か、以下ではそれを明らかにする課題に取り組もう。

●神格の立体視観と人格の平面史観

 閉じられた空間を設け競い争う次元では、展開図法を使う平面史観も仕方ないが、すでに時代は実験科学の画像を使用しており、立体史観を建てるのに何ら支障はない。似非教育下の公用語にはキー・ワードに玉虫色を用いるため、理の術はいまだ実験科学を論証できず、史家も平面史観のまま、東西あるいは南北と統一場に無縁の理屈を使い続ける。カトリック聖職に属したコペルニクス(一四七三〜一五四三)でさえ、地動説のもと立体的な球儀に目覚めたのに、天皇制を認める政治が何ゆえにいまだ南北朝史観を脱却できないのか。北朝(一三三一〜八二)と称する官吏機構を歴史に当てはめて、神格天皇が南北朝の両断政治を施したかのような似非教育は、時を厭わずに即刻改めて、文明・文化の淵源と結ぶ連続性に目覚めるべきである。
 宗教史に始まる政治史は人格の営みに違いないが、もともと人は開かれた空間に生まれ、神の発する信号を情報に組み立てる使命を与えられている。何ゆえに人が二足歩行を行うのかに気づけば簡単な話で、生命図において最も重要な脳を天空に近づけ、大地の鼓動を足で吸収する。精力的に働く日中の活動源は陽光の恵みであり、夜中は月光の恵みで眠りに誘われ、開かれた空間の圧に対応している。不安定な二足歩行は他の動物より犠牲も多いが、脳を活性化することで神の信号を情報化するエネルギーを獲得できるのだ。問題は脳の働きが衰えていく次元段階にあり、過去と未来の連続性、つまり歴史を掘り起こせば答は明らかである。神格とは常に人格の本能的属性を禊祓し、いかなる実相実在もリサイクル・システムの営みを失わず確保するかに顕れている。ここに天皇制の真価が潜んでいるのであり、養い・教え・禁じる行為を具現化できない情報は、単なる言(事)の葉(端)でしかない。

●玉虫色公用語を弄ぶ似非教育の源流

 人の命脈は生誕直後にも細胞分裂を続けており、細胞分裂が完了したとき視力が備えられ脳の機能も完成する。視力を除く段階の細胞組織に働く生命維持装置には種々の備えあるが、自ら他に訴える情報の主体は表意であり、言葉を使わない段階の意を司る情報源は神の信号ゆえ、神通力不足の客体には意が通じるとは限らない。
 さて、問題は神とは何ぞや、である。預言者を奉ずる天啓思想あれば、仏を神に準える仏典思想もあり、八百万の神を説く神道まで、人の信仰は神の正体を証さないまま、信託と称する閉じられた空間を設ける。
 実験科学が盛んな時代になると、総じて科学をリードした古典物理学は「すでに神は死んだ。もはや神の棲む処もなければ、必要もない」と断じ、人こそ神であると主張して、公用語の増殖に励んだ。実証性を裏付ける公用語は国際社会をリードし、文化的性質を盛り込む律令を凌ぐ実効性を有しつつ法治の原型を作り上げた。すなわち、個は神を忖度する信仰を始発に群がり、多種多様な神を奉ずる宗教のもと契り約す社会に参集したが、公は信仰の自在性を唱えて政府を樹立のうえ国家を形成していき、国際間を結ぶ公用語に基づく法治で国家を運営した。
 ところが、公用語を裏付けたはずの実験物理は放射性原子を発見すると「思うように成ることもあるが、成らないことも有りうる」として、蓋然性つまり正体不明の神に救いを求めて、閉じられた空間に逃げ込んだ。今さら逃げるに逃げられないのが政治であり、公用語が蓋然性の玉虫色にすぎないことを誤魔化すため、史上空前の規模の御破算で願いまする戦争へと突入していく果てとなる。以後、宗教も政治も物の理を信仰しなくなり、実証は認めつつも論証は全体図を描けない専科に委ねるほかなく、部分的に千切り取るパーツイズムの下で都合勝手な理屈で縦割り行政を励行した。これこそ現代社会の実相であり、宗教も政治も目先の生活を支えるなら何でもありという現実に晒されている。

●神格天皇と無縁の南北朝史観

 似非教育下で巣立つ千切り取り思想の史観によれば、北朝天皇期を設けて南北明徴を唱えるが、この南北朝史観は神格天皇とは何ら関係ない政策上の作り話でしかない。禁中並公家諸法度の制定に降された徳川政権への天誅が、新たな親王家として閑院宮を建てた神格に救われたように、親王家の歴史も重大である。
 いま通説によれば、北朝は光厳天皇(一三一三〜六四)、在位一三三一・九・二〇〜三三・五・二五)を第一代としており、第九三代後伏見天皇(一二八八〜一三三六、在位一二九八・七・二二〜一三〇一・一・二二)の皇子を当てている。後伏見天皇は第九二代の伏見天皇の第一皇子であり、第九四代の後二条天皇は第九一代後宇多天皇の第一皇子である。第九五代花園天皇は伏見天皇の皇子である。
 第九六代後醍醐天皇(在位一三一八・二・二六〜三六・八・一五)もまた後宇多天皇第二皇子だが、南北朝政争において南朝の象徴とする偽作がある。
 後醍醐天皇の後を承けた第九七代後村上天皇(在位一三三九・八・一五〜六八・三・一一)は、後醍醐天皇の第七皇子、第九八代長慶天皇(在位一三八三・一〇・?)は後村上天皇の第一皇子であり、さらに第九九代の後亀山天皇も後村上天皇の皇子である。後亀山天皇の第一皇子であり、さらに第九九代の後亀山天皇も後村上天皇の皇子である。後亀山天皇は生年不詳で崩御一四二四年と記録され、在位の期間は約九年(一三八三・一〇・?〜九二・一〇・五)とされている。
 つまり、北朝天皇と並び立つ歴代の南朝天皇とは後醍醐天皇から第九九代の後亀山天皇までであり、後亀山天皇が第一〇〇代後小松天皇(在位一三八二・四・一一〜一四一二・八・二九)の在位中に退位し、いわゆる南北朝の政争は終焉を迎える。
 後小松天皇は即位のとき六歳ゆえ、後亀山天皇が退位を遅らせるのは神格の働きであり、それ以後の後小松天皇が南北朝の政争を修復するのもまた、神格の働きである。
 第一〇一代の称光天皇(一四〇一〜二八、在位一四一二・八・二九〜二八・七・二〇)は後小松天皇の皇子で、宝寿二八歳の崩御だが、後小松天皇は崩御(一四三三)までの間に第一〇二代の建て方で後世を見透かしている。第一〇二代の後花園天皇(一四一九〜七〇、在位一四二八・七・二八〜六四・七・一九)の父は伏見宮貞成親王(のち後崇光院)であり、後花園天皇は後小松天皇の猶子となる。

●神格天皇と親王家による南北朝修復

 通説に従うと、後伏見天皇の皇子である光明天皇(一三二一〜八〇、在位一三三六・八・一五〜四八・一〇・二七)は北朝第二代目に当てられる。同三代目の崇光天皇(生没不詳、在位一三四八・一〇・二七〜五一・一一・七)は光厳天皇の皇子であり、同じく第四代目後光厳天皇(一三三八〜七四、在位一三五二・八・一七〜七一・三・二三)も光厳天皇の第二皇子である。また、北朝最後の第五代目後円融天皇(一三五八〜九三、在位一三七一・三・二三〜八二・四・一一)は、後光厳天皇の第二皇子に当たる。
 以上が北朝天皇五一年の在位であり、後円融天皇の第一皇子は後小松天皇として第一〇〇代に数えられる。以後、第一〇二代後花園天皇の在位一九年に発する詔を含め、神格天皇の情報は極めて重大な未来を透かしている。
 詳述は別記するが、北朝の崇光天皇の皇子栄仁親王を始祖とする伏見宮の号は、当初、所領の地名に因むもので後花園天皇の勅で正式な伏見宮親王家の名乗りとなる。当主の伏見宮三代目が前記した貞成親王で、親王家成立の勅は同時に上皇・太上天皇に同定される後崇光院の尊号も許された。尊号の字体は翌年に認められる。
 伏見宮親王家成立は後世の高松宮家・桂宮家・閑院宮家の原型として大いに参考とすべきで、幕末・維新に際し数多くの親王家が増設されて国を救う基礎がここに据えられるのである。
 もう一つ特記すべきは、第一〇一代称光天皇崩御から、第一〇二代後花園天皇即位まで、天皇空席八日間の天誅が降るべき政体の失態を救ったのが、神格天皇の絶え間ない禊祓という連続である。
 つまり、後小松天皇即位六歳が宝寿一六歳に成人するまで即位を延ばし、以後三二年を禊祓に尽くされた後亀山上皇の神格もあれば、皇子なくして崩御された称光天皇の後を空白八日間で後花園天皇一〇歳が践祚即位する禊祓は後小松天皇の神格に通じる。以後、後花園天皇の在位三七年一一ヶ月二一日という安定性は、皇祖皇宗(すめらみおやすめらおんはしら)を引き継ぐ神格天皇の絶え間ない禊祓に尽きるのである。

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