日本國土開発の最大の課題は、年々百五十万人づゝ増加する人口を四つの島にいかに生存せしむべきかという緊急の問題をその焦点としている。これは日本の食糧自給度と人口との不均衡をいかに解決するの問題であり、閉された「四つの島」の限界内において考えられた場合、そこに「マルサスの死の法則」の絶対支配の余儀なくされることは余りにも明かである。
しかし、今日既にわれわれがこのような閉された國家的限界そのものを自ら撤去して、全世界全人類の繁栄と福祉に自らの有する一切を提供しようと決意している以上、人口問題を單に閉された國家的限界内における食糧自給の問題として考えることは、むしろ滑稽と云うべきである。自利追求の欲望経済より、繁栄と福祉の経済への根本的轉換に進みつゝある方向にあつて、日本がこの新しい経済原則に最もふさわしい態度を表明するにもかゝわらず、なお日本人が貧困と飢餓に苦しまなければならない状態がつゞけられるとすれば、かゝるあくなき自利の追求は、ついに世界をして自ら原子爆彈による自殺を余儀なくさせるであろう。
日本の國土建設の問題は、このような経済・食糧問題として物質的に解決される前に、まず日本人が日本の國土にいかに住み、生活するかという問題として解明されなければならない。
人間生活の場所として日本國土を考えた場合、日本全土に住むことの出來ない場所は皆無といつてよい。山岳であれ、海岸であれ、川畔であれ、四つの島は全島ことごとく人間の住みうる最適の地として、無限の惠沢を與えている。
地図を開いて日本の國土を観望するとき、その複雑な海岸線の一点一点にも、連なる山脈の一起伏にも、さらに春夏秋冬の微妙な四季の変化にも、人間が獲得しえた近代科学技術は、それを最も素晴しい人間の生存の場所としうる無限の素材が示されていることを発見しうるであろう。そしてその反面、現在人間の棲息している河川のデルタ地帯、あるいは単調な平野の一角が、むしろ人間の生活にとつて最惡の地帶であることを皮肉にも実証するであろう。
日本人口の大半を吸收している現在の都会は、精神的にも肉体的にも最惡の不健康地であり、最も不安定な疲弊した場所であり、しかも日本人はこれ以外の地域には、殆ど住んでいないのである。この殆ど人影をみることの出來ない大部分の無人地帯――所謂山間僻地が、最も素晴しい生活の場所として残されているということは、日本人の最大の幸いとも云いうるであろう。
だが、この幸いを眞に幸いと感ずる精神的自覚なくしては、この世界に比類のない繊細・美麗――多様性と变化に富む美しい國土の無限の幸を開発し、発掘することも不可能と云わなければならない。人間のもつ眞・善・美に対する限りない憧憬――その大いなる願望を実現しようと意欲し、それにひたむきに進む情熱が結晶して形成される最高の文化への意志は、人間が自らどこに住むかという新しい人間的存在の場所の自覚とともに囚われた過去の一切の因習の鉄鎖を切断し、新たなる人間生活を実現する。そこに成長、発展する――まさに大地の上に、自然の中に芽ばえた新しい文化の幸は、混濁し、頽廃した末期的近代都市文明へのあやまれる執着を根本的に一掃するのである。そのとき日本人はそこに最もめぐまれた自然の恩惠を亨受し、日本そのものゝ再発見にまで至るであろう。
もつとも、日本のもつ氣候的問題――とくに夏季の湿潤と暑熱という悪條件にもかゝわらず、都会地に日本人が群棲し、植物的定着性を示しているということとは、單に日本人の無自覚にのみ帰せられるものではなく、たとえその最惡の状態にある都会地にもよくないということがわかつても、一度そこに生れた以上、それが悪ければ悪いほど却つてそれに執着する偏愛性として、また移住することを、むしろ道徳的に非難されたかつての封建的圧迫等によるところ大と云わなければならない。しかし、このような過去的拘束こそ、切断されるべき因習と云うべきものであり、これをこえて、自ら新しい人間としての生存を決意するときにのみ、無限の幸が豊かに約束されるのである。
日本における荒廃地域とは、まことに人間の住んでいるところ――所謂都会地と称せられる場所であり、人間の住まないところには未だ未開発の豊かな幸が待つているのである。
一度こゝに日本人が生活することを決意するならば、文化は生活とともに流入し、自然と人間と文明の諧調が新しい生活文化の発展とともにもたらされるであろう。しかもこの新しい生活環境の人間的形成は、人間が自らその当面する諸問題をいかに解決するかという心の問題に帰着するのであり、われわれはこの外的な生活的諸條件と内面的な心の問題との間に必ずや生れ出るであろう最高の文化的結実を信ずるものである。
日本の今後の文化國家としての成長と展開は、急激なる地方文化の発展としてもたらされ、そこに日本の特徴的な自然と文化、自然と人間とのよろこばしい文化形式が誕生するであろう。これは、かつて明治以來、近代國家的方向としてつゞけられた中央集権都市中心の文化形成の方向とは全く逆に、第二次大戦によつて多かれ少なかれ破壊され、荒廃に帰した都市より、健康な地方の美しい自然の中に新しい文化的生命の母胎を求めんとする眞の人間的生活への復帰として行われるのである。
かつては文化の中心は都市であり、この都市にあることによつて、はじめて近代文化の前衛者たることが可能とされた。しかし、もはや近代都市そのものが過去の文化の墓場として、その終焉の場所となろうとしているとき、徒らに過去的延長――過去の文化的惰勢による没落前夜のはかない一時的幻影を追い求めることこそ、自らをもその没落を共にする自已否定的行動と云うべきである。
この崩壊し、また否定されるべき近代文明に耐えられず、新しい生存への途を求めようとする精神によつてのみ、最高の文化への意志は継承され、新しい文化の前衛として大いなる文化建設を実現することが可能となろう。
われわれは、いまこそ混迷し、頽廃した都会の俗塵より、人知れず無限の幸を秘めて残されている新鮮・清浄なる山間僻地に自らの新しい生活の場所を建設しなければならない。日本に残された最大の惠沢とも云うべき自然は、その壮麗なる景観とともに、人間生活に最も快適な理想境として、われわれの前に横わつている。
――太平洋の無限の波濤に連なる海浜の砂丘・断崖――峨々たる中腹より展望される大景観――高原の高爽・澄明な大氣と豊かなみのり――海抜一千米以上の高地こそ、われわれの新しい生活の地域であり、大洋の激浪の中に屹立する断崖こそ、われわれの新しい創造のアトリエである。
しかし、この自然の中の生活は、その激しい変化に對應する充分な科学技術的建設によつて、はじめて信頼して自らの安全を託しうる生活の基盤となるのであり、こゝに今後の日本の科学技術が國土建設に果すべき役割があり、方向がある。
自然の中の生活とは、決して日本人として原始的生存形式に復帰させようとするものではない。少くとも近代的人間が自然の中に生活するためには、そこに高度な文化生活が前提条件とされなければならないであろう。とくに日本農村のもつ前近代的封建制は、こゝに一掃されるべきであり、科学技術の積極的導入によつて、新しい農工一体の理想的生産形態を実現すべきである。農村・漁村が新しい科学技術を自ら確保することによつて、今日まで人間の近ずくことを拒否しつゞけていた日本の自然をして科学技術を媒介とする新しい開放への方向に発展させることが可能であり、山間に満々たる水をたゝえた大人造湖、スイスの時計工業にも比すべき新しい日本の農村精密工業の建設――新しい自然と文明の交響する観光的特質を展開せしめるに至るであろう。
農工一体の新しい生産形態とは、科学技術が、いかに自然のうちに統一され、平和なる諧調を示すかという現代文明の大問題に対する回答ともなるものであり、「アジアの工場」としての日本の未來的方向が、やゝともすると、黒煙蒙々たる暗い工場地帯を連想させる誤まれる観念に対する、全く新たなる光の中の工場としてのヴィジョンを指し示すものである。
この日本の國土建設の方向が必然に要求する新しい科学技術の問題は、自然と文明の和解と諧調という現代の最大の課題に対する平和的な創造的解明の方途を明かにするものであり、かつての自然と文明の征服・被征服なる闘争関係をこえた、平和なる科学技術の発展を促がすものである。
日本國土の大部分を占める未開発の自然の中に、われわれは最も素晴しい文化機關・文化施設をつくらなければならない。新しい機械技術の導入によつて、日本農村の前近代性を一掃し、精密機械工業と高度化学農業の発展を実現すべきである。そして日本農村の封建性は、そのおしひしがれた農民の姿にも似た住居そのものを変え、明るい外光の降りそゝぐ新たなる理想的集團生活を実現することによつて、根本的に一掃すべきである。
農村の過剩人口――余剰労働力を、農工一体化による新しい農村工場のうちに吸收し、すべての人間が最も高率をもつて生活し生産する基盤を確保するとき、今後やがて一億にも達するであろう人口を四つの島に生存させることも必ずしも不可能ではない。四つの島の高さと深さとは、その莫大な可能性を、新しい生活形態建設への決意のうちに秘めるのである。これは過去の日本のあやまれる水平的な廣さへの欲求に対して、自らの國土のもつ山の高さと海洋の深さに求めようとする新しい方向を示すものである。
すでにラジオ・テレヴィジョン技術の発展は、いかに辺鄙な地域にも同時的に最高の文化亭受の機会を與えられており、交通機關の進歩はいかなる山間僻地といえども、その恩惠の前にひとしく平等化しつゝある。まして狭少な日本において、たとえいかに奧深い田舎であろうとも、今後交通の機会が著しく向上するであろうことは、当然と云うべきであり、條件的に交通の要衝に発達した都会の便宜さと殆ど大差ないまでに至ることが予測されるのである。そして、このような日本全体の文化的圍氣は新しい文化的創造に最適の條件をとゝのえ、そこに深い自然の中の瞑想・思索より発せられる精神的統一を自から期待せしめるであろう。
そしてこの日本全土の文化建設の方向は、過去の所謂「職業人口配分」によつて区分された農村・都市・漁村・工業地・鉱山等の諸分野を相互に渾然と融合する文化的人口区分を実現するであろう。これによつて、知識人の大半が都市に集中し、文化の都市偏在が行われている現状より、本質的意味における文化交換を行う中核として、文化人をしてその本來の使命である文化交換者として活用すべきである。この新しい文化交換者としての文化人の方向は、決して國内的にのみとゞまるものではなく、廣い意味での文化貿易にやがて発展させる國際性をも保持すべきであろう。この文化交換者としての文化人の性格は、從來特殊な限られた少数者としてのみ存したのであるが、今後は所謂職業人・定住者の定着的傾向に対して、自由な活動を行いうる開かれた領域として、社会的にも尊敬と信頼のうちに容認されなければならない。
このように日本人の未來が文化的に自由に発展しうる開かれた世界を確保しうるならば、日本の多すぎると云われる人口もかえつて文化創造的に有力な要素となることとさえも考えられるのであり、この新しい文化價値創造の意味から、日本の人口問題を再検討することも、決して無意義とは云えないであろう。
さらに日本の新しい文化交流の中心的拠点として、学校という形態が再考慮される必要がある。しかし、それは今日までの地方文化と隔離され切断されていた学校の存在とは全く異なるものであり、新しい学園の文化的使命の自覚を指示するものである。今後の学園は新しい文化の中心であり、文化の中継地・傳達地として、かつて宗教寺院が果した文化的役割を継承するものとして再構成されなければならない。
現代の学校が教育という一機能にのみ限定され、廣義の社会的文化的役割を忘却し去つた根本的誤謬より、教育機關・施設を眞に生かすための文化的解放がなされ、各地域公民館の果す社会的役割に対比される文化的役割を担うとき、地方文化の向上発展に資するところ、まことに大なるものがあろうことを疑わないものである。
教育とは、しばしば覆いかくされ、曇らされている人間の良心を発見し、自覚せしめるものであり、学校とはその場所である。この学校の機能が、さらに地方文化の拠点として展開されるとき、文化への意志は教育の方向を推進する根本的原動力として融合し、さらに平和なる人間文化をはぐくむ母胎としての役割を果すに至るであろう。
日本の平和文化國家としての方向は、すべての國民を文化價値創造者とする新しい人間教育を基底とするものであり、これは廣い國際的文化交流のうちに達成されるものである。この根本命題は、さながらユネスコが、世界平和を人間の心より確保しようとしつゝあることゝ同一の方向を示するものとも考えられ、それはさらに世界破壊がまず人間の心のうちに芽生えるものである以上、それは人間の良心の恢復によつて守られるべきものであり、世界建設もまた人間的良心によつて推進されなければならないという、地球建設への根本方向にまで発展しなければならないものである。
海洋に向つて開かれた大らかな心と山の純粋・高貴なる精神をもつた新しい日本人が、この自然に抱かれた新しい生活の中に出生する。自然と人間、自然と文明、文明と人間の分裂と対立は、この自然の中の新しい人間生活のうちに生命的に融合され、閉された人間の心は閉された自然とともに、はじめて廣々と打開かれ、人間開発と自然開発は密接不可分の関連のうちになされるであろう。
日本の國土開発は、まず日本人の心のジャングルを切り拓くたくましい開拓者精神によつてはじめられる。それは日本人の新しい人間的大移動――海抜一千米以上の高所を求めて、自ら移住せんとする決意によつて開始される。
これこそ新しい観光生活の実現であり、観光國土としての日本に生きる観光國民としての日本人の新しい生活志向である。眞の観光とは、自然の中に入り、しかもそこに新しい文化を発見するものであり、そこに自然のうちに原人の回想を行う人類の歴史的想起をも意味するものである。日本の國土開発はこの観光生活の実現であり、まず日本人の心の開発より開始しようとするものであり、これなくしてはいかにすぐれた日本の自然美も、空しく人知れぬまゝに放置される運命を甘受せざるをえないであろう。
しかし、この日本人の心の開発が緒につくならば、日本人の能力は、日本をして世界最高の文明地帶たらしめることが可能であり、廿世紀後半に展開されるべき新しい太平洋文明の拠点としての四つの島を、まさに「太平洋のスイス」=國連平和地域に最もふさわしく建設・創造することも、決して架空の幻想ではないのである。
転載元:地球文化研究所著『日本經營計画』(1950年12月発表)