こんにちは。
戦略思想研究所 中森です。
昨年末、公益財団法人渋沢栄一記念財団の会員となったこともあり、ここ最近は、渋沢栄一に関する資料を手に取ることが多くなりました。渋沢家は仲小路家とただならぬ深い因縁があるからです。
かつて農商務大臣を務めた仲小路廉と渋沢栄一との因縁、光輪閣を通じて仲小路彰を支援した渋沢敬三、そして、現在の渋沢家3代目当主渋沢雅英氏もまた仲小路彰と浅からぬ縁を有します。
その中で、渋沢雅英著『太平洋にかける橋』を読み進めますと、”亡国の本質”として捉えるべき一節に出会いましたので、共有します。
それでは、引用します。
日露戦争から第二次大戦までの日本のひたむきで自己中心的で、しばしばヒステリックな努力がどんなに愚かで有害で、苦痛に満ちたものとなってゆくかを事前に少しでも予想することができたとしたら、日本の運命は変わっていただろう。世界歴史も違った方向をたどったにちがいない。中国人や韓国人やその他数多くのアジア人から無益な憎しみと恨みを買うことなく、むしろ反対にこれらの人びとと協調して、よりすぐれた世界秩序への第一歩を踏み出すことができたかもしれない。
そういうことを当時考えた人がいなかったわけではない。徳富蘆花は日露戦争の終了の時点で、日本はこれまでの盲目的な国勢発展主義から目ざめて「大義を四海に布く」ように努力すべきだと考えた。蘆花の兄、蘇峰は「東西の文明を紹介し、黄白の人種を調和し、世界の人類をあげて人道の帰趨に到達せしめんこと」が、これからの日本の生き方であると主張した(入江昭著『日本の外交』から)。
しかしそれは、しょせん小数の声であって、戦勝の狂喜乱舞の中にかき消されてしまった。それどころか、予想以上の勝利におごった日本人の心には身分不相応な自信と傲慢さが生まれ、それがますます日本の先行きをむずかしくすることになった。
もともと他人の思惑には、きわめて敏感な国民である。自分が弱小であり、他国から見下されていると気がつくと、いっそう小さくなって自信を失うが、そのかわり死にもの狂いに働きはじめる。夜も寝ないで勉強し、ひたすら国力増強に努力する。ところが戦争に勝って、世界の自分を見る目が違ってくる。そのことをだれにも教えられなくても、この極端に自己中心的で敏感な国民はすぐさま感じとって、反射的に尊大になった。
白人より偉くなったとは、まだまだ思っていなかった。事実、国力や富の程度においてまだ比較にならなかった。しかし、いままでのようにペコペコする必要はなさそうだと感じはじめた。一方、中国人、韓国人をはじめとするアジア人に対するいわれのない優越感は、収拾のつかないほどふくれあがった。いままで抑圧されていたことへの鬱憤ばらしをするかのようにいばりはじめたのである。日清戦争に勝ったことからそうした傾向は顕著であったが、いまや手のつけられないものとなった。自分が少しばかり近代化に成功したからという理由で他人を軽蔑する・・・・・・それは通常の社会生活でも、きわめて不愉快な態度である。日本人だけがとくにそうなのか、それとも他の人種、国民を同じ立場に置かれれば同じことをするものなのか、その点はわからないが、とにかく日本人のそうした低劣な心情が、その後の歴史をひどくむずかしいものとすることになった。
前職にて、自虐史観を払拭せんがため様々な情報を発信した経験から得た教訓と全く同じ。私が(株)戦略思想研究所を立ち上げた理由のひとつでもあります。
自虐史観から脱却し、日本人としての誇りを取り戻すことを目的として邁進していたはずが、なんのことはない、蓋を開けてみれば、ただの排外主義者を量産していたのです。
YoutubeをはじめとしたSNS界隈を私が嫌うのは、「日本人のそうした低劣な心情」で満たされているからです。GHQによる「洗脳」をインフルエンサーによる「洗脳」で上塗りし、少しばかり真実を知ったという理由で他人を軽蔑する、、、極めて不愉快です。
この不愉快は、その様を無視すればいいというものではありません。手のつけられない”低劣な愛国心”が今度こそ国を滅ぼすのです。
誤解を防ぐために念を押します。
愛国心=低劣ではなく、愛国心には高貴かつ純粋なるものと低劣かつ粗悪なものがあるのです。
例えば、日露戦争が終わった頃、サンフランシスコは日本移民排斥運動の中心地であり、一番の火元でした。
日本政府は米国に抗議し、「理由の如何を問わず、日本人学童が差別を受け、一般の公立学校に入学を許されないという事態は、日本人に人種差別の烙印を捺されることであり、とうてい見すごすことはできない」と述べ、米国政府の善処を要求しました。
この事態に対し、セオドア・ルーズベルトは、息子のカーミットにあてて、次のように書いたとされます。同じく『太平洋にかける橋』からの引用です。
カリフォルニアのバカども、とくにサンフランシスコの連中は、何も知らずに乱暴なことをして日本人を侮辱しているが、もし戦争になったら、その代価を払わされるのは(カリフォルニアだけではなく)アメリカ全国民なのだ・・・・・・
マハンの強い影響を受け、アメリカ海軍にオレンジ計画を立案させたセオドア・ルーズベルトをして、ここまで言わしめたのですから、理由の如何を問わず、手のつけられない”低劣な愛国心”は、国家の足を引っ張ってあまりあるものがあるのです。
サンフランシスコの人々の悩みや苦しみも相当なものなのでしょうが、カリフォルニア・ゴールドラッシュをはじめとした移民労働者を踏み台にして得た富は分取って、移民排斥運動に没頭する姿は因果応報であり、低劣かつ粗悪な愛国心の一例です。
もっとも、日米媚態外交の時代であり、上記のセオドア・ルーズベルトの手紙には、「韓国は煮るなりと焼くなりと好きなようにするがよい。それに目をつぶっていてやるから、フィリピンには手を出すな」とするアメリカ政府の対日外交姿勢も反映されています。
朝鮮半島と満洲は日本の生命線であることが分かっていたからこそ、日本による朝鮮半島および満洲経営に目を瞑る外交姿勢は、タフト以後に継承されたかと思いきや手のひら返しに会うことになりますが、東京裁判で真珠湾よりも満洲問題、中国問題に比重が置かれたことは、日米媚態外交の時代に”誘いこまれた”と見るべきでしょう。
マハンは1914年、74歳で亡くなる直前に次のように書き残したとされます。同じく『太平洋にかける橋』からの引用です。
アメリカの青年時代は終わった。快活で陽気だったあの季節はふたたび戻ってこない。これからは大人の苦しみと悲しみを精いっぱい味あわなければならなくなるだろう。
YoutubeをはじめとしたSNS界隈、そして大衆迎合主義は、尊王攘夷の機運を楽しんでいるようですが、渋沢雅英氏が述べるように「日本人のそうした低劣な心情」ここに極まれりです。
昭和天皇の戦後巡幸は、なるべくしてなった開国と急速な近代化の末に味わうべくして味わった「苦しみと悲しみ」から、日本国民をお救いになりました。

ゆえに、戦後を生きる私たちは、大人の苦しみと悲しみを精いっぱい味わった先人たちの「涙」を汲み取り、「大東亜戦争終結ノ詔書」に下された「大義を四海に布く」べく、その実現に向けて、戦略の全体図を描かなければならないのです。
「大東亜戦争終結ノ詔書」に下された「大義」とは何か。
私ごときが解剖するというような不遜な業はとてもできないため、万民の感得するところに依るほかありません。人によっては、あくまで「時限的な詔」に過ぎないと感得するかもしれません。「競い争う性」から人類は決して逃れることはできないがゆえに、この世界で日本人が生き残るためには何度でも「涙」を流す必要があると。
私はそう思いません。
「詔」を時限的と感得するのは民の都合にすぎません。ゆえに、のんきな平和主義者というレッテルを甘んじて受け入れるつもりは毛頭なく、むしろ「いわゆる愛国者」よりも困難な道を往かんとしています。
困難な道とは何か。
それは、仲小路彰が提唱した「グローバリズム思想=地球論」。
現実に自由が実存しているかのように思うのは錯覚にすぎません。しかも、経済圏だけが急速にグローバル化したことにより、人間の想像力は見るかげもなく貧困になっています。
「グローバリズム思想=地球論」の未来学は、未来のビジョン、地球の未来像をできるだけ壮麗に壮大に描き、その未来の観点から逆に現在を見るという「未来的逆視方法」を提起されたものです。
「未来的逆視方法」と聞けば、ビジネスにおけるビジョンをイメージするかもしれませんが、そんな矮小なものではありません。
科学的推理と芸術的想像力が織りなす絶妙な宇宙的規模の動的調和が「未来的逆視方法」を可能とします。
つまり「⼤⾃然の営みに沿う霊⾔(タマコト)の教え」が必要となるのです。
保守思想を唱えるだけでは先人たちの「涙」を汲み取ったことにはなりません。
大東亜戦争の衣鉢を継いだことにはならないのです。
今こそ、「大東亜戦争終結ノ詔書」に下された「大義を四海に布く」べく、その実現に向けて、地球の未来像の全体図を描いていかなければなりません。
「グローバリズム思想=地球論」という結果のために、渋沢家と仲小路家の因縁があったのだと思えば、仲小路彰の文献を調査、研究する意義は、より一層、重大なものになります。
それでは、また。
戦略思想研究所 中森護
P.S.
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