こんにちは。
戦略思想研究所 中森です。
前回のnote記事「戦争と平和」にて、仲小路彰と石原莞爾の関係に関するコメントを頂きました。
そのコメントに対する私の返信内容が不十分であったことに加えて、大東亜戦争の局面に関わる極めて重要な内容であることから、正確を期すため、本記事でご説明いたします。
ただし、仲小路彰への追悼文から得られる情報であり、本文の公開は憚られるため、原典の引用は控えさせて頂きますことをご了承お願いいたします。つきましては、任意に要約してご説明いたします。
当該追悼文の著者は、戦中、特務機関に属し、仲小路彰の自宅を足繁く訪ねていた人物です。
ここではI氏としておきます。
特務機関に合流する前、昭和十年から十一年より仲小路彰と交流していたI氏は、仲小路彰が二・二六事件の起ることを相当早くから予想し、しかも失敗に終わって早々に解決するだろうと分析を先生していたことが最も印象に残っていると述べています。
昭和十二年九月、石原莞爾は関東軍参謀副長として満洲に出発する間際、突然、I氏に対して、「満鉄調査室東京支社の宮崎正義支社長には例の話は諒解済みなので、必ず訪ねるように」と指示したとされます。
I氏が宮崎氏に面会したところ、どうしても仲小路彰をお連れしてくれと懇願され、なんとかして仲小路彰に同行して頂き、宮崎氏と面会。その時、壱万円の内金として五千円の小切手を受領。仲小路彰はその五千円に関心なく、I氏とともに同席した人物にいとも無造作に手渡したとされます。面会にくる人物の飲食代を全部仲小路彰が負担していたといわれるほどですから、金銭欲が皆無に等しかったのでしょう。
何はともあれ、その五千円が、「戦争文化研究所」の基礎基金、そして、「世界興廃大戦史(全百巻)」の出版資金となったのです。
私は手に入るだけの「世界興廃大戦史」を古本で買い集めましたが、石原莞爾の指示で支払われた資金が元になっていると思うと感慨深いものがあります。
昭和十九年、東条内閣の末期の頃、赤松貞雄秘書官に仲小路彰の話をしているうちに、赤松秘書官の方から「是非、東条首相と先生との会見を実現してくれないか」と頼まれ、仲小路彰も珍しく最初は大変乗り気だったとされます。
しかし、仲小路彰は会見中止の判断を下したとされます。
仲小路彰の「戦局の転換」「皇国必勝」の作戦は、陸軍始って以来の鬼才石原将軍が、「軍人でも到底考へ及ばぬ驚くべき戦略である」、とまで評された程の先生らしい奇抜とも言える秘策だったとされますが、東條英機との面会は不発に終わったとのこと。
会見中止の理由として、「東條首相と石原将軍とは人物が全く違うので、私の意見を全面的に受け入れた場合は心配ないが、そうでない時は私達同志は一網打尽に逮捕される危険性が十二分にある。この際は、会うのはやめた方がいいでしょう」と述べたとのこと。
また、石原莞爾と仲小路彰との会談工作も今一歩の段階まで進んでいたとされます。その会談工作を行った人物はI氏です。対中国問題で石原莞爾と仲小路彰の間で若干の相違点はあったものの、戦争終結への方向としては全く同意見であったとされます。
仲小路彰も石原莞爾との会談には前向きだったものの、直前、実現不可能となってしまったとされます。
以上、追悼文から得られる仲小路彰と石原莞爾の関係に関する説明となります。
追悼文の最後、I氏は、仲小路彰が遺した想像を絶する膨大な量の貴重な原稿、文献、資料、書籍等々が現状のままで放置されることは、「宝の持ち腐れ」であり、国家、社会、全人類のためにも大変な損失であると、切実な心境の吐露しています。
その切実な思いを受け継ぎ、『仲小路彰著述総目録・年譜』編纂委員会事務局次長として、責任を果たす所存です。
それでは、また。
戦略思想研究所 中森護
P.S.
米国トランプ大統領が韓国との合同軍事演習の縮小を指示し、金正恩総書記との良好な関係をアピールしたとのこと。
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