…………閑話休題…………
戦略思想研究所の思うところにより、修験子栗原茂シリーズの稿を暫定的に休みとし、その時間を文明史観の根源となる基礎的な認識検証のため、古事記(フルコトフミ)の序から『風猷縄学(フウユウジョウガク)』に基づく精神発揚を再興することとなった。
風猷縄学の出典『原文』は―莫不稽古以縄風猷於既頽 照今以補典教於欲絶―これを書き下し文に直すと「古(イニシへ)を稽(カンガヘ)て風猷(フウイウ)を既(スデ)に頽(スタ)れたるに縄(タダ)し、今(イマ)に照らして典教(テンケウ)を絶(タ)へむとするに補(オギナ)はずといふこと莫(ナ)し。
その訳は「(いずれのスメラミコトも、)古の聖賢の道を考えて、道が廃れてしまいそうな時には確実(しっかり)と正され、今を省察して、守るべき教えが絶えてしまうと感じられた時には必ず修正なされてきた。」の意味を有する。
稽(ケイ)=とどこおる。とどめる。かんがえる。語源=穀物の成長がいきつくところまでいって止まる→(転じて)→動かずにじっとして考える。
縄(ジョウ)=なわ。ただす。なわ→(転じて)→直線を引くための道具→法則。正す。
風(フウ)=姿(外から見たものの様子)。外見。様子。慣わし(古から続くモノゴト)。仕来り(しきたり)。風俗。風習。振り(和歌をたしなむさま)。動作。所作。節回し。
猷(イウ。ユウ)はかる。はかりごと。みち。計画。道理→酒と犬を神棚に献上して、神のミコトを頂戴したり、神前において計画を練って、神の導きに沿った計画を発案できるようにする→(神の導きに沿った)計画あるいは道。
風猷=(神の御心に沿った)慣わし→風習と(神の御心に沿った)道。猷=みち。
風猷縄学(稽古編)の開講に私が思うところは、有職故実と家督の継承にあるのだが、それはまた歴史観の持ちようを問われる事でもある。
完新世は最終氷期が終わる約一万年前から現在(近未来も含む)までを指し、その境界は大陸ヨーロッパにおける氷床の消滅を以て定義されている。最終氷期とは大凡七万年前に始まって一万年前に終了した最も新しい氷期のことだとされる。この時期は氷期の中でも地質学的、物理学的、気候学的にも一番詳しく研究されており、気温や、大気・海洋の状態、海水準低下により変化した海岸線など緻密な復元が進んでいる。また俗に言う「氷河期」とは完新世を指す場合が多とされている。
二十一世紀に至り、いま盛んに熱気を帯びている論調に「人新世(ひとしんせい)」なる時代区分がある。国際地質科学連合が人新世の作業部会を設置するのは2009年であるが、オゾンホールや地球温暖化などの研究グループが2000年に「人類の活動が原因で大変動した時代」という提起が始まりとされる。その思想には「完新世を引き継ぐ期を定める」との意も含まれる。
完新世も人新世も詳細は別の機会に述べるが、両者に共通の大前提は「世界人口数の推移」を知る必要性が求められる。この課題に取り組む研究は昔からあるが、ここに記入するデーターは世界的な公立機関が開示する中から抜粋したものである。むろん、国際政治の総力(?)を費やしても、未だ解明し得ない謎だらけの情報社会ゆえに、約一万年前の人口数から採り上げるとする。
500万―1000万人、500万―2000万人(7000年前)、1400万人(5000年前)、2700万人(4000年前)、5000万人(3000年前)、1億人(2500年前)、1億5000万人(2200年前)、3億人(2022年前)、4億5000万人(800年前)、5億人(500年前)、8億人(250年前)、9億8000万人(200年前)、12億6000万人(150年前)、17億人(100年前)、25億人(70年前)、37億人(50年前)、44億人(45年前)、53億人(30年前)、60億人(21年前)、76億人(2年前)、80億人(3年後)、95億人(27年後)
ただし、史上に成立した政府にあっても、その住民数すら正確に把握できていない国も少なくない事から推定数といえども、その上下幅が相当に大きくなるのは疑いあるまい。疫病また気候寒冷化による一過性の人口減はあるものの、現在(21世紀前期)まで人口数の増加傾向は総じて止まる事がなかった。西暦1年頃の3億人から5億人に達する同1500年の間を人の営みで振り返ると、食料生産技術や医学、公衆衛生などの推移から窺えるのは、餓死や病死を含む諸事情を鑑みても人口増のペースは緩やかだったことがわかる。
増加ペースの加速化は産業革命(18世紀)以降に顕著となり、20世紀には人口爆発なる言葉も生まれ、人類史上に言う人口は最大数を刻み続けて止みそうにはない。国連の推定によると、19世紀末16億人だった世界人口は20世紀半ば25億人となり、20世紀末(1998)には60億人にまで急増しており、特に第二次世界大戦後の増加が著しい事は誰もが認めるところ…だ。
近年は中国のみならず、東南アジア諸国やインド、バングラデシュ、トルコ、中南米諸国の出生率低下が加速化したとの観測もあり、世界人口数の予測には一層の困難さが加わっている。時代区分の完新世を「人新世」に改める気運の盛り上がりにも通じるのではないか。
地質の時代分類の一つに冥王代(めいおうだい)なる語が使われる。地球誕生までの40億年前の5億年間を指すと言うから、地殻と海が現れ、有機化合物の化学反応で地球初の生命が誕生した頃と考えられている。即ち、遠い昔の順に冥王代→太古代→原生代この三つを先カンブリア紀とも言うが地質学的証拠は無に等しいため、ギリシャ神話のハーデースすなわち冥界の神に因んだ名を付けたと伝わっている。つまり、実態は闇の中とされる時代のことである。
月で発見された岩石は45億年前までのもの、地球最古の岩石はカナダ北西部アカスタの片麻岩で約40億年前のもの、同鉱物は西オーストラリア・ジャックヒルズのクォーツァイトに含まれるジルコンで約44億年前のもの、同地殻の痕跡はカナダのハドソンで発見された片麻岩これマントルから分離したのが42億年前とされている。
これら太陽系の形成や地球誕生の状況は理論上のシミュレーションに基づくが、地球や隕石の年代分析は放射性元素の分解による生成物を定量化して計測する放射年代測定法が用いられている。
放射性物質ヨウ素129を起源とするキセノン129の検出は地球と隕石から得られる。半減期が短寿命(1600万年)のヨウ素129は、この元素が形成される超新星爆発のあと1億年も経つと消滅したとされる。即ち、これは地球や隕石が形成される少し前に、近傍で超新星爆発があった事の裏付けであり、地球と隕石が同一箇所で同一時期に産まれた事のエビデンスに用いられる。
また隕石に含まれる各元素の量(元素存在度)を調べると、太陽の光球の元素存在度との一致から太陽系の星は同時に同一の原料から誕生したとの弁明も周知されている。即ち、地球の中心部=核は鉄が主成分のため、地上で手に入る地殻の元素存在度が太陽や隕石と違うとしても、地球誕生ころの成分を太陽や隕石と同じと考えるのは尤もというわけである。
太陽系の形成や地球誕生の物語については前記に止め別の機会に述べるとする。
時(暦)に区分を設ける地質学によると、その階層は累代→代→紀→世→期の順に分けられ、うち最大の区分は「累代」であり、最小の区分は「期」であるが、「代」の最終区分にあたる新生代には7つの「世」すなわち暁新世、始新世、漸新世、中新世、鮮新世、更新世、完新世が用いられる。
地質学は現時点を「完新世」と呼んでいるが、新たな「人新世」の勢力増大には地質学と言えども無視できない改変状況に迫られている。堆積物や氷床コアの気候的、生物学的、地球科学的な特徴に関するレポートでも、人類活動のもたらす影響力が完新世と異なることから、地質学の時代区分では適格な説明を欠く部分が払拭できないと指摘されている。
これらは風猷縄学のキモとなるため、検(あらた)めて認識を要する前提として、以下の如き専科博識にも通じる必要があり、最低限のモノゴトを記しておくが、個々人が必要と思うところは自らの意志で検めてほしい。また以下に記す専科は順不同で何ら底意に残るものはない。
まず科学史を要約するが、歴史的変化や過程を研究する学問分野とされる。先学として天文学史や医学史などあり、科学史の成立は1912年ころとされ、科学全体の体系化を為し、学問の対象たる分野において地位の確立を図った頃とされる。
翌年にはフリードリヒ・ダンネマンの著『大自然科学史』が開示されている。
1930年代には国際会議が開催され、代表的な著作としては、ジョージ・サートンの『科学史と新ヒューマニズム』やロバート・キング・マートンの『17世紀イングランドにおける科学・技術・社会』、ボリス・ゲッセンの『ニュートン力学の形成』、ジョン・デスモンド・バナールの『科学の社会的機能』などが知られている。
大戦後、ハーバート・バターフィールドらのグループが科学革命の定義を行った事から、1960年以降に原子爆弾など科学が齎したものの是非を議論するようになり、一方に科学の発展を促す支持勢力が活発化すれば、一方に科学から排泄されたゴミが地球生命を脅かすようになる。而して、この道理は簡潔きわまるところにあり、科学の美味を食するのが先手なら、科学のゴミを食わされるのは後手ゆえに、誰もが先手を奪おうと競い争うのは当たり前、この道理に科(トガの)学が歩んできた歴史は如何なる回答を用意したのか、それを探求する事も風猷縄学の一つと思われる。
それはそれ、370万年前の二足歩行がタンザニアで発見され、230万年前に石器を使った跡が見つかり、50万年前に火が使われ、10万年前には人工的に火をおこしたという。絵画を描くのは3万年前とする考古学の分野に身を置くヴィア・ゴードン・チャイルドは『文明の起源』において、「人間は自らを作ってきた」と論じたそうである。即ち、人間の労働それ自体が非常に大きな知性的能力の向上に貢献し、さらに労働の複雑性を高め言語や技術の発展を生みだしたとのこと…。
5000年前ころ古代エジプトやメソポタミアで文明がおこり、シュメール人は文字を発明し、神殿を中心とする国家を形成した。労働力や財力を集積して管理するため、ピラミッドやジッグラトの巨大建築物を建設するため、正確な測量技術や数学の発展もおこり、神事や農業を行うため暦を作る準備に天文学の検証も進められた。エジプトに内科、外科、皮膚科などの症例に見合うカルテの記録保存は4000年前ころのモノとされるが、当時の医療には神事や呪術も混じり、占星術のほか祈祷儀式を含む場合も少なくはなかった。
これら古代エジプトに端を発した医療は、中東=オリエント、インダス=中央アジア、シナ=東アジアの大河文明が独自に有した医療との交流にも資するところとなる。その本位財に罌粟あることは疑いないが、詳述は医学史に欠かせない薬草の条にゆずりたい。
競争社会はナニゴトも「ワレが一番」を主張するが、ひときわ科学に期待される原子論の体系化を為し得た文明は何処にあると言えるのか。
(つづく)