【文明地政學叢書第二輯】5 競わず争わず神格に通ずるみち

●世界史まで禊祓した光格天皇

 光格天皇二四歳のとき典仁親王(のち慶光天皇)六二歳の薨去、同四三歳のとき後桜町上皇七四歳の崩御、先帝の諒闇(喪中三年間)が開けてから、同四七歳で仁孝天皇一八歳に譲位(一八一七)する。天皇即位九歳と御所焼失一二歳で聖護院三年間の仮御所は前記しており、大飢饉が御所焼失の年から始まり、天皇一八歳と上皇四九歳の禊祓で復興元年となり、同時に尊号通達(一七八八)を行うことも前記の通りである。将軍家は家治没(一七八六)で家斉一四歳に代わり、老中首座も田沼から定信に移り、尊号宣下(一七九一)に朝臣を罰した定信も失脚(一七九三)、このとき家斉二一歳である。フランスでブルボン王朝の失政を建て直すため、市民革命が勃発(一七八九)するも、革命政府の解体(一七九四)から台頭するのがナポレオン、この軍事政権の成立時(一七九九)に没するのが、米国独立戦争に勝利(一七八三)して初代大統領(一七八九)に就いたワシントンである。仁孝天皇の降誕年(一八〇〇)にナポレオンはオーストリアの軍を撃破、対仏同盟の変遷はロシアまで巻き込んでいく。第四次と呼ぶ対仏大同盟(一八〇六)には、帝国とロシアを軸にスウェーデン等の諸国も参じている。連戦連勝するナポレオンの軍事政権に亀裂が生じるのは、若きナポレオンが婚約のうえ反故にしたデジレ・クラリーと結婚する元帥ベルナドットとの確執からである。デジレはナポレオンの兄ジョセフの妻の妹ゆえ人の本能的属性に纏わる話である。スウェーデンがベルナドットを摂政(一八一〇)に招く所以は省くが、ロシアとの同盟(一八一二)を決したベルナドットはロシアに再度の遠征(一八一三)するナポレオンの前に立ちはだかり、対仏大同盟を勝利に導きナポレオンの退位を決する要因を生み出した。以後、ベルナドットはカール一四世ヨハンと改名(一八一八)しスウェーデンの国王となり、ロシアのサンクトペテルブルク科学アカデミーとの関係を深くする。日本は寛政最後の遣老没(一八一七)により、家斉四五歳の小姓上がり水野忠成が老中に就く(一八一七〜三四)が、最も重大な禊祓は光格天皇が仁孝天皇へ譲位して上皇となることにある。

●情報源と通じる神格の情報網

 神が情報の発信源と決する実験科学の物証は、言霊で解剖すれば論証との統一場も明確に定まる。如何なる素粒子も本源は波であって、波が止まれば粒で、粒が動けば波であり、波とは電気力線と磁力線が二重螺旋を描く構造のもと、必ず物質恒久化の働きをもつリサイクルのシステムで構成される。詳述は別記するが、神格の禊祓は神の信号が届く心得であり、神とは公用語の使う電磁波とは異なる共振電磁波のことである。
 漂着島に数年在留する大黒屋一行が交流したロシア人は、共に船を仕立てる島を脱出する企てを実行(一七八七)に移し、イルクーツクに向かう途中でフランス人ジャン・レセップス(スエズ運河を開削するフェルディナンの叔父)と情報交換した。イルクーツクに到着(一七八九)後の大黒屋は博物学者キリル・ラクスマン(一七三七〜九六)と親交を結ぶが、女帝エカテリーナ二世ほか政府高官との知遇に不足はない。相互通牒の思惑を潜ませる関係は女帝の送還指令で大黒屋一行を日本へ送るが、遣日使節キリル二男アダムは大黒屋一行をオホーツクに足止め(一七九二)する。老中定信との外交に当たる当たるアダムは漂流民の受け容れと、本題の通商要請を行ない、限定付きながら条約締結に成功する。目的達成で帰国したアダムは女帝から日本刀をあしらう家紋の使用を許可されるが、鎖国違反の罪を犯す定信は海防強化の出張中に欠席裁判で老中を解任される。この鎖国下の日露通商から生じる北方紛争あるも、広く世界規模に及ぶ神格天皇の情報網と重なり、禊祓は常に未来を透かし、准大臣下賜二年後(一八二七)の治斉没も、また治済の従弟定信没(一八二九)も見通していた。

●閑院宮親王家の血脈情報網

 典仁親王の異母弟に鷹司(摂家)を継ぐ輔平(一七三八〜一八一三)あり、光格天皇の降誕に際して輔平三四歳であるが、初め関白一条兼香(かねよし)(摂家)に養子入り、後に鷹司を継ぐ経路のもと自ら当時最大の情報網を形成していく。吉宗が関白一条と連携して朝廷儀式の復古に力点を置いたこと、桜町天皇による新嘗祭復活は前記している。さらに遡り霊元天皇のとき、関白鷹司房輔の辞任に際して後任一番手の近衛基熈(左大臣)は家宣の舅という関係で嫌われ、右大臣一条冬経が継ぐも、霊元上皇に至って、関白一条兼輝の辞任で基熈着任に落ち着く経緯も先に述べているが、総じて神格の禊祓は立体構造をもつ。
 朝廷構造は別記を要するが、摂家とは藤橘源平の氏姓四階層から藤原氏が創設したもので、藤原氏は財団法人のごとく政府御用金を扱う職で戸籍洗浄が本務のため、血脈より縁組みを中心に世襲を組み立て運営する。摂家制度が敷かれると、摂家以外は関白に昇れず、宗家筆頭の近衛は株主に相当し、九条・鷹司・二条が経営の頂点に立つものの、鎌倉幕府の成立で公武協議会が開設され、九条(9)に一条(1)を加えて公武合体(10=ヒト)の措置を講じた。兼香の養女(藤原富子)は桃園天皇の女御で、後桃園天皇(第一皇子)と一六代伏見宮貞行親王(第二皇子)の生母となる。
 輔平は兼香が関白のとき養子入り、鷹司基輝も関白のとき養子に迎えて、鷹司を継いだ輔平の正室となるのは、長門萩藩七代目と長門府中藩八代目を兼ねる毛利重就の娘姫である。輔平と同年生まれの倫子王女が家治の正室とは前記しており、姉の室子王女は桂宮に嫁ぎ、弟(ママ)の博山元敝は桃園天皇の猶子となり、妹治子王女は本願寺一六世大谷光啓に嫁ぎ、長兄が公啓法親王などの血脈は総じて閑院流であり、宗家二代目の典仁親王が有する兄弟姉妹である。

●鷹司輔平の子らと公家階層

 前項は閑院流血脈一端にすぎないが、全部が光格天皇の親の世代であって、同世代は鷹司輔平家の子だけで紙幅を使うため節約せざるを得ない。家督を継ぐ政熙(一七六一〜一八四一)一〇歳のとき光格天皇は降誕されたが政熈の姉三人の嫁ぎ先を記すと、有栖川職仁親王・伏見宮邦頼親王・今出川尚季(なおすえ)で、今出川は清華九家の一つで、西園寺実氏を祖に菊亭とも呼ばれる。清華家最高位は太政大臣まで、大仕事は住民基本台帳の整備と管理であり、社団法人のごとく、例えば家元や檀家の制度を司る宗家の利権を有する。
  政熙の弟妹には鷹司を名乗る隆範(一七七三〜一八二九)・高演(一七七三〜一八四八)がおり、興姫は仙台藩八代目伊達斉村に嫁ぎ、覚尊(一七八四〜一八三二)・専修寺円彰(一七八八〜一八三七)・徳大寺実堅(一七九〇〜一八三七)らのうち、徳大寺も清華家の一つで、西園寺同流の実能(さねよし)を祖とし、創建した寺の名を苗字に使用する。
 いずれも氏姓鑑識に家紋は不可欠で、人事を司る職能が家紋の心得なければ、如何なる出世も単なる詐欺でしかない。似非教育下によるエリート族の大半は家紋すら心得ない詐欺師であり、自らが何者かも論じられない浮草では人が腐り果てるのも当たり前だろう。
 因みに他の清華家には、久我・三条・西園寺・花山院・大炊御門・広幡・醍醐があり、清華家の下に正親町三条・三条西・中院の大臣三家があり、事務的に働き軍務の兼任は許されない。大臣家と並ぶ家格に名家があり、日野・広橋・烏丸・竹屋・葉室・勧修寺らが建てられた。
 北極星の守護星を羽林と呼ぶ公家の風習があり、軍務担当の羽林家を少し抜粋すると、四辻・冷泉・庭田・小倉・中御門・清水谷・藪・滋野井・綾小路・西大路・園・難波・山科・正親町・姉小路らが建てられている。他に時代の状況で異なるが、半家とか堂上家とか公家階級の呼称も様々あり、公武合体を含めれば、家格も限りなく変わるが、如何なる人でも人の骨は牛馬の骨とは完全に異なる。氏姓鑑識できない個人情報など意味がない。

●光格天皇の降誕と即位

 閑院宮二代目典仁親王の正妻一条富子に仕えた、鳥取倉吉在住の岩室宗賢(大鉄屋)・りん夫妻の娘は少女期に一条家で富子の相方として養育され、厳しい躾けを身に帯び、富子の嫁入りに伴われて親王家でも奉仕する。親王お手つきの王子が祐宮師仁(もろひと)であり、直ちに王子は養母富子に預けられ、当初は聖護院に入ると予定された。
 これが天子の禊祓であり、競わず争わず神格に通ずる「みち」であり、現代セレブと称する成り上がり双六とは無縁の空間ゆえ民をも救える。皇統譜に刻まれる子らは、母系の出自鑑識を行うのが通例で、適格性を摂家会議で決した時代には、生母の戸籍に問題あるとき絶縁も当然とされた。
 前記の通り、師仁親王践祚の決議で諱を兼仁(ともひと)親王と改め、光格天皇即位となるが、祐宮は明治天皇にも使われ、祐は「たすく」とも読み「たすける」意味がある。前記の通り、後桃園天皇の欣子内親王が光格天皇の中宮となり皇子二人を産するが夭折しており、他に皇子皇女を参するのは、葉室頼子(典侍)・勧修寺婧(ただ)子(典侍)・高野正子(典侍)・姉小路聡子(典侍)・東坊城和子(掌侍)・富小路明子(掌侍)らで、仁孝天皇の生母は勧修寺である。
 光格天皇の即位年に際し、聖護院宮盈仁(みつひと)法親王から役行者御遠忌祭(えんのぎょうじゃごおんぎさい)(没後一一〇〇年)の上表があり、天皇は烏丸大納言を遣わし神変大菩薩の諡を贈号している。これぞ天子に備わる情報網の証である、大和葛城山で苦行ののちに吉野で金峰山・大峰を開いたシャーマン役小角らを思い起こし、米一三州の合邦による独立戦争を眼前に、今後の天変地異を見透かした禊祓に通じている。
 さらには、約四〇〇年間に久しく忘れていた石清水八幡宮や賀茂神社の臨時復活祭など、近未来に展開される予兆(実在)に備えて政体の自立自尊を促すべき、日本文明の文化的復旧を要する禊祓も済ませられたのである。

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