修験子栗原茂【其の五十一】政治が初めて「信」を得る条件

 以下スパイ(シノビ)とはなんぞ、その実を知らずして虚を知る事かなわずに触れたい。

 私が自負するスパイ(シノビ)とはカバネに始まるため、発祥は情報の集積および解析に成功した上古まで振り返る必要があると覚っている。

 即ち、カバネとは一芸に秀でた家督を継ぐ意匠の如きゆえDNAが信託のカナメとされる。

 次に情報の集積と解析に成功した時代とは大凡一万年前の頃と聞いているが、日本列島は始新世と呼ぶ5600万年前~3400万年前ころに原型が形成され、中新世と呼ぶ2300万年前~530万年前に日本海が形成された事でユーラシア大陸との分離が確定したとされている。

 ちなみに、二足歩行のヒトが音声言語や手話または書記言語(文字)によるコミュニケーションを可能としたのは25万年前ころとされる一方で、生物学上の人類史では文字の発明が5500年前と言われ、後に初等教育の普及が進む中で多くの言語も失われるが、ここ100年~300年の間には識字能力の増大化が広範に及んでいったとされる。

 すでに前述しているが、日本列島が情報の集積地であること、その解析に成功していた証しは記紀編纂の基礎となる「あおうえい」五十一音が修験の日常用語になっていたこと、その音声言語を使う条件は口腔内の構造と舌の動きから成るため、日本列島独特の自然環境が全ての裏付けになるのだ。屋号や商号と類似のカバネを古代日本では遺伝の如く家督継承しており、家督は直流血統が絶えたら同系分流のDNAへ受け継がれ絶える事なかったともする。

 人口密度が偏る現行社会はDNAの判定に科学力を用いているが、それは現代が信頼を得る事より未完の科学に依存する事を意味するから、信=真実を知りたくない心の表れとも解せる。

 カバネの技芸に多種多様ある事は言うまでもないが、スパイ(シノビ)のカバネは日常が死と隣り合わせゆえ、血統断絶も多い事から、家督は同族DNAに受け継がれ、幼児期に選抜されたDNAに適した環境下すなわち被差別部落と混同されがちな場で修練のち目的の地へ潜むことになる。

 もう一つ、スパイ(シノビ)が巣立つ発祥地は世界中さまざまに分布するため、その養成と巣立つ時代も多種多様に及ぶことは言うまでもない。

 念のため、娯楽ビジネスが妄想する虚を産む作品とは確実に一線を画する事を理解してほしい。

 エドガーやゾルゲの如く一般に知られる著名人は例外中の例外と言えるのであるが、この記事から何かを得ようとするなら、物故者のみならず、今も存命中にあるスパイ(シノビ)を洞察することも自らの鑑識力を養う訓練に役立つはずとは覚っている。

 さて、エドガーであるが、FBI(連邦捜査局)の前身BOI(捜査局)六代目長官に就任(一九二四)したとき、大統領カルビン・クーリッジ30代目は在任二年目五二歳、エドガーは実に二九歳という異例の若さだった。カルビンは前任の大統領ウォーレン・ハーディング五八歳が在任二年目に遊説先のサンフランシスコで急死そのとき副大統領のポストにあった。当時のウォーレン家は電気も電話も通じておらず、急報の伝達人を自宅で迎え日付が替った午前2時47分に父親を公証人として灯油ランプに照らされつつ大統領就任の宣誓を行ったとされる。

 二年後すなわちエドガー二九歳の時にカルビンは二期目の再選を果たしている。当時の最新媒体はラジオの出現であったが、カルビンはホワイトハウスでラジオ演説を行った初の大統領と言われる。当時アメリカは「狂騒の二十年代」と呼ぶ経済成長の全盛期とされ、議会は排日移民法(排日を付す訳は日本のみ)に乗り気でない大統領を押し切って成立させたと言われている。

 その移民法(ジョンソン=リード法)施行(大正十三年七月一日)が意味するものとは…。

 移民法の趣旨は、国勢調査一八九〇年版の在米移民を対象として、その国別出身者数を基準に受け容れ比率を二パーセント以下にすることだった。特に東と南のヨーロッパ出身者やアジア系出身者を厳しく制限する事を目的にしており、移民や帰化人を対象とした既存の法を修正または追加する一部改正法が適用されている。当時アジア系の移民は日系人が大半を占めており、その排斥に対して強く反抗した日本政府は自らの非力を嘆くほかなかったとも伝えられる。

 米大陸がゴールドラッシュに沸いたのは一八四八年、アジア系ではチャイナ系の移民が急増したと言われ、一八七五年には中国人排斥法と訳される更新可能な時限措置が執られたとされる。日本人の移民(明治初頭)は目的地がハワイゆえゴールドラッシュとは無関係なこと、米合衆国によるハワイ併合が明治三十一年(一八九八)だから当たり前の事でもある。

 ハワイ、カナダ、メキシコを出身地とする日系人が米本土へ移民として入植するのは、日露戦争の休戦以降サンフランシスコに増加傾向がみられ、大正九年(一九二〇)に全米では約12万人、うちカリフォルニア州に約7万人(州総人口の2%)という集計が公表されている。以下、省略するので仔細は読者に委ねるが、私が着目する事はユダヤの動向であり、当時ロシアのポグロム(ユダヤ人に向けた集団的迫害行為のこと)を含め、移民法に係る深層はユダヤが主人公となるはず…。

 解明は最後に総まとめするので以下も終身長官エドガー関連の事案を抜粋していくとする。

 カルビンの後継大統領ハーバート・フーヴァー(一八七四~一九六四)31代目は在任(一九二九ー三三)五五歳―五九歳その任期満了後は在野から政治に関わる。エドガーは三四歳ー三八歳の間に当たるが、ハーバートはクエーカー教徒の家に生まれ、出生地アイオワ州から西のオレゴン州までの長距離を僅か一一歳の一人旅で伯父(医師で教育長)のもとに転居したとされる。少年ハーバードが覚るポリシーは「支援に甘えない、如何なる場所でも自分で生計を立てる」事だとされる。

 スタンフォード大学一期生として入学(一八九一)、地質学を専攻、銀行家の娘ルー・ヘンリーと結婚のち二人の男子をもうけた。大卒後オーストラリアで鉱山技師となり、鉱山開発のため清に出向従事したとき天津租界で義和団の攻撃(一九〇〇)にさらされた。商務長官三代目在任(一九二一ー二八)一年目にロシア革命後の飢饉に苦しむソ連や、大戦後のドイツの人々に食糧支援を決行これは共和党の反対を押し切った勇断と言われる。

 大統領就任六か月後から株価の下落が続いて、五十日後十月二十四日(通称暗黒の木曜日)に世界恐慌の幕が切って落とされた。ハーバートの在任中に推定された世界の国内総生産は15%の減少を記録したとされ、国際貿易は50%超の減少、米国の失業率は23%に上昇したと伝わるが、多くの国々にもたらせられた世界恐慌の悪影響は第二次世界大戦後まで尾を引いたとも…。

 第一次大戦時に英仏へ融資した戦争債権の返済猶予「フーヴァー・モラトリアム」は広く知られて今に伝わっている。猶予期間は一年この事からハーバート政権の経済音痴は明らか、それが意図的な深謀遠慮か否かを読めなければ、評論的なコメントを発するべきではないが、石川五右衛門が遺した名言「世に盗人のタネは尽きない」は今も変わらず息づいている。世界恐慌の後始末は結局のところ赤十字への依存度を高めることになり、特筆すべきハーバートの事績は禁酒法廃止の修正案を議会に認めさせ、アル・カポネ始末のためエリオット・ネスを世に送り出したことであろう。

 アルとエリオットの「アンタッチャブル」は個々の読者に委ねたい。単なる娯楽に済ませることもワンワールド史観に潜む深層に灯りを点すのも貴方次第それもまた人生ではないか。要は自分が何を求めるかであって、他の求めるところに気持ちを奪われるのは単なるヤジウマにしかなれまい。

 在野のハーバートが積極的に関わった人物は、ダグラス・マッカーサー(一八八〇~一九六四)で没年を同じくする六歳年下の男であった。スコットランド貴族キャンベル氏族の流れを汲むダグラスとハーバートの組合せも、欧米史の相関を解くとき実に興味ぶかい事案が網羅されている。ここではエドガーに集中して先を急ぐため、別の機会あるとき掘り下げたいと思っているが、その機会を得る時間はそんなに遠くないとき突然やってくるかもしれない。

 次の後継大統領フランクリン・ルーズベルト(一八八二~一九四五)32代目は在任(一九三三ー四五)五一歳ー六三歳その在任十三年目すなわち唯一4選を果たした翌年四月のこと、ドイツの降伏敗戦(翌五月)と日本の講和受諾を眼前に他界している。後年その死をめぐる揣摩臆測は絶え間なく出没するが常なる人の憐れにすぎない。当時エドガーは三八歳ー五〇歳の働き盛り、フランクリンの在任三年目(一九三五)三月二十三日にFBIと看板替えした初代長官として、没年七七歳まで生涯現役を貫き特異なポジションを他に譲らなかった。

 米大統領の任期は初代ワシントンが3選を固辞した事から慣例化され、フランクリンの場合は戦争有事が特例とみなされ、後年(一九五一)修正第22条の改憲で一期4年2選までと定められた。

 ルーズベルト(ローズベルト)の遠祖は呂氏の流れを汲む上流階級に当たるため、フランクリンが遺した幼児期の写真は女児の服装で撮影されている。これ西洋の風習で永く継承されてきた。ルーズベルト家はオランダの北ホラント州ハールレム(州都)から米大陸に入植(一六五〇)その地は当時ニュー・アムステルダム(ニューヨーク)と呼ばれており、後のハーレム地区の名の由来とも伝わり現在ニューヨーク州ハーレムとして周知されている。

 十八世紀に米国ルーズベルト家は「ハイドパーク・ルーズベルト家」および「オイスター・ベイ・ローズベルト家」の二つに分かれ、前者は十九世紀から民主党を支持、後者は共和党を支持、後者が第26代セオドア・ローズベルト大統領(一八五八~一九一九)を輩出すると、前者も世代を遅らせフランクリンを輩出するなど、党派の違いを逆に活かした政界横断の人脈を形成している。

 つまり、世界中に分布する政治の虚と実は政府樹立の初めから、政権を司るために与野党の対立を演出する事も加えつつ、八百長を抜きには成り立たない深層を持ち合わせているのだ。

 フランクリンを産した母系はデラノー族ゆえアヘン(罌粟)を扱っており、清(支那)との交易で莫大な財を成したフランス系プロテスタント教徒ユグノー(カルヴァン派)に属するため、虚と実を使い分けるリスクヘッジを通じて時代の先を読む事に長けている。

 知におぼれる識者はフランクリンと言えば「ニューディール」を論じるが、現実の市場経済で知が天下を鎮めた実は皆無であり、現行社会の多くが虚の世界ゆえ通用しているだけだ。

 ハーバード大(一九〇四)と、コロンビア大(一九〇八)を卒業したフランクリンは、セオドアもメンバーだった「ポルチェリアンクラブ」への入会に失敗したとされている。

 学校が歴史に出現する事は必然であるが、世に必要な人材を育む事とは一線を画している。それを象徴する一つに名門クラブ『ポーセリアン』すなわち「ポルチェリアンクラブ」があり、呂氏一族の歴史に鑑みれば、メンバーにセオドアがおり、入会志望のフランクリンがメンバーになれない事情は異様であり、二人とも大統領になるほどの器量を有するだけに猶更のことである。この異様な状況に潜む謎とは何であろうか、読者自身も謎解きにチャレンジしていただきたい。

 フランクリンの生母は他に子を産まなかった。フランクリンはセオドアの弟の娘アナ・エレノアと結婚5男1女をもうけており、フリーメイソンに加入(一九一一)した時二九歳すなわち年初元旦に州の上院議員となり、連邦上下院議員選挙における民主党公認の指名権を独占してきた牙城いわゆるタマニーマシーンの反攻グループを率いるや、同年挙行の連邦上院議員選挙で民主党公認の立候補を決める予備選でタマニー派を退かせ、本選の連邦上院議員にフランクリンが推す立候補者が当選した年に当たっている。ニューヨークにおけるフランクリンの名声は一気に広まっていった。

 当時(一九一三)の大統領ウッドロウ(前記で紹介)任命の海軍次官となるや、その生涯は海軍と共に歩む強い思い入れがフランクリンの随所にみてとれる。たとえば、後年イギリス首相61・63代目(在任一九四〇ー四五・一九五一ー五五)となったウィンストン・チャーチル(一八七四~一九六五)と面会(八歳年下にあたる)したのも第一次世界大戦中だったとされる。

 米大統領29代目選挙に民主党副大統領候補として、共和党大統領候補ウォーレン・ハーディング29代目(一八六五~一九二三)に大敗(一九二一)したフランクリンは政界から一旦引退すると、ニューヨークで弁護士事務所を開業そして新たに結成されたシビタンクラブに加わった。翌年(一九二二)挙行されたニューヨーク州知事選では、従兄弟の共和党候補セオドア・ジュニアと争う民主党候補スミスを支援その結果は二度目の大敗となるが、ジュニアの退任後に挙行された知事選に今度はフランクリンが自ら出馬ニューヨーク知事の座を射止めている。

 知事二期目の再選も勝利したフランクリンは、大統領二期目の選挙戦(一九三二)に劣勢も露わなハーバートを難なく退け大勝したが、世界恐慌下の世情は物騒きわまりなくフランクリンはフロリダ州マイアミの地で暗殺者に忍び寄られている。難を逃れたフランクリンの代わりに殺されたシカゴの市長アントン・J・サーマクには慈悲の念を禁じ得ないが、大統領選を通じて浮上する当用語ニューディール(新規まき直し)は現行テレビ社会が囃す流行語の大賞にも匹敵している。

 私はこの機がアメリカンドリームのターニングポイントではないかと自負するのである。

 終身FBI長官エドガーの求心力と遠心力によるアメリカンドリームの深層が見え隠れするような時代を決定づけた時期こそフランクリンが大統領選に初出馬したこの時だと私は自負しているのだ。当該選挙でフランクリン支持を表明した三人に触れないわけにはいかない。一人目は新聞王とされるウィリアム・ランドルフ・ハースト(一八六三~一九五一)、二人目はアイルランド系アメリカ人のコミュニティー・リーダーとされるジョセフ・P・ケネディ(一八八八~一九六九)、三人目はカリフォルニアの有力者ウィリアム・マカドゥー(一八六三~一九四一)、言わずとも知られた三人ゆえ個々人の情報は読者の手に委ねる事を許されたい。

 私が強調したい事はラジオと新聞が未曽有の新時代を啓くキーになったことである。

 人は自ら仰ぐ信を縁(よすが)に生きている。

 信仰を持たない人は生きた屍(しかばね)すなわちゾンビにすぎない。

 信は大自然の中に数百年あるいは数千年も生き続けている樹木にも仮令(たとえ)られる。

 独りは数百年を生きられないが独り一人が生きた証を受け継ぐことは続行可能になっている。

 宗教も哲学も大自然を信仰して成り立つモノゆえエビデンスに拘束されるモノではない。

 即ち、信とは生まれた証の継続を保つ不滅のエネルギーを意味するのではないか。

 エネルギー保存の法則は科学の大前提で科学はエビデンスを以て信を得るモノなり。

 宗教と哲学から産まれた権力が科学で科学は宗教と哲学の正誤を正すために生まれた。

 宗教と哲学は科学のエビデンスを得た時はじめて信を得るのではないか。

 政治は宗教と哲学と科学が三権分立を為し得たとき初めて成熟へ向かうのではないか。

 即ち、信こそが公そのものであり、万民が公を認識した時に政治は初めて信を得るのではないか。

 突然なにゆえ右の如きを唱えだしたのかと思われるかも知れないが、私自身が政界に関わったとき最初に感じた苦々しさが公然とウソをつく筆舌であった。ウソは信を装う事で身を立てようとする。即ち、信を裏切るウソは核兵器にも勝る兵器そのものになるからである。政治に関わる筆舌でウソを拡散する論説メディアが何で第四の権力と言われ、それを平然と受け容れる媒介メディアに公職たる政治家が何ゆえ媚び諂うのか。それは立法府はじめ行政府も司法府も同じ轍を踏んでいる。

 公を司る三権の府と違う単なるワタクシ=媒介メディアが何ゆえ第四の権力と成り得たのか、そのメカニズムとシステムを組み立てたシンクタンクを知ってこそ、人は初めて政治の深層を見ることが可能になるのではないかと私は自負している。

 媒体メディアの戦略は文字と音声ゆえ恐怖感を覚えるモノとは思えないが、よくよく考えてみると自分がマインドコントロールされているのではないかと思う恐怖感に気づかざるをえない。

(つづく)

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