修験子栗原茂【其の四十九】FBIの創設とアメリカの深層

 更にエドガーの個人情報に触れていきたい。

 大卒後に司法省へ入り、在留敵国人登録課長から新設の諜報部門(一九一九)長へ移るが、捜査局副長官(一九二一)そして長官(一九二四)となるのは実に二十九歳の若さであった。

 一九一七年十二月十八日、当時三十六州で成る合衆国アメリカ議会は憲法修正第十八条(国家禁酒法=異名ポルステッド法)を可決している。大統領は拒否権を発動したが、再可決が一九一九年十月二十八日に成立して、規制対象のアルコール飲料が定められている。

 全三十六州の四分の三(二十七州)の批准で可決されたが、いくつかの州では禁酒法を州法として立法化していたようである。また下院議会の司法委員長ポルステッドにちなむ異名をもつが、本人は法の立案よりもスポンサーや援助に熱心で、法案は反酒場連盟のウエイン・ホイーラーの牽引とするメディアの解釈が広く知られている。ところが…である。

 この法には決定的な抜け道が仕掛けられていた。すなわち、アルコールを扱う事に対しては、実に詳細かつ具体的な規定を網羅していたが「酒に酔う事つまり呑む事はお咎めなし」だった。語り種の一つとして、J・F・Kの父ジョセフ・P・ケネディは酒の違法取引で財を成したと言われている。結局、一九三三年二月に議会は禁酒法廃止の修正案(プレーン法)提出をさけられなかった。最後に禁酒法廃止の修正案を批准したのはユタ州となったが、一九三五年に連邦アルコール管理局の設立を見るまではアルコールの管理は州が行っていた。

 その間一九二九年十月二十四日に世界中を駆け巡ったニュースがアメリカで起こった暗黒の木曜日すなわち証券市場の大暴落で世界経済が破綻する世界恐慌に陥ったのである。

 これらは各州単位だった警察の縄張り意識を超越したホワイトハウス直々の権力を握ったエドガー長官のデビューと重なるのであるが、それは世界一の闇市場を産み出した禁酒法から生じるところのアンダーグランドマネーをロンダリングする巨大な勢力と対峙するために、結果的にエドガーの権力強大化は権限をも超える権力に昇り詰めていくのである。

 少しアメリカの警察制度と法務執行機関に触れておきたい。

 私の自負するところ、大航海時代を経たヨーロッパの列強は、彼らが文明的に後発と見なした地域全体を植民地化していく政策を競い争う事になった。それは既存の部族的社会から未開の大陸全部を対象としており、文明的に未開の(アメリカ)大陸は特に魅力的な開拓地ともなった。

 米大陸の支配権を争った列強のうち最後に勝ち残ったのは英仏だったが、結果的にアメリカの植民地化掌握の利権はイギリスが手にした。建国の要件は政府を樹立する事にある。政府の要件は国民の治安を施す事にある。治安は強制権限を得た時に機能しえる。ヨーロッパの治安は自己責任を原則に成り立ってきた。政府が司る治安は警察制度に基づいてほどこされる。自己責任と強制権限から成るイギリスの警察制度を窺うと、政治的には地域的なコミュニティーの中に形成されてきた。

 イングランド、アイルランド、スコットランド、ウエールズの合邦から成るイギリスの警察制度は右の如き地方自治体が基礎とされたので、連邦政府の強制権限を持つ警察は限られた特殊な領域のみ所掌するに止められてきた。当然アメリカの警察制度も同じ風習が浸透していった。

 即ち、新大陸アメリカも建国の初めは州警察が主導しており、連邦法に定める執行機関が州警察の頭越しで捜査を行う事は素直に受け容れられなかった。当初はそれも通用したが、広範な交易社会を通常とする時代がおとずれると、国民の生命財産は連邦法でないと保護しきれないものとなる。

 米合衆国が成立した時代は産業革命の波が世界中に押し寄せる頃にあたり、その加速度が急激なる事は通史に初めてのことであり、それに見合う治政も法治が主流の傾向を強めていった。米合衆国の警察制度もその流れに沿うところから、加速度の増大に見合う法改正の続出に追われていった。特に広大な大陸行政は時差も伴うため、財務と司法は車の両輪となるしかなかった。

 連邦保安官は令状の執行や法廷の管理・警備など任務としたが、一般的な警察活動は所掌の一部を担うに止めた事情は、中央集権的な連邦警察を嫌う州議会が強権を行使したがゆえとされる。時代に伴う苦肉の策で用いられたのは、財務省シークレットサービスの捜査官派遣を受けて、司法の捜査も相乗りするかの如き従事を偽って賄ったとされる。

 ところが、セオドア・ルーズベルト(一八五八~一九一九)の政権下で西部国有地の不正売却事件発覚に見られる如くシークレットサービスの越権行為が問題となり、結末(一九〇八)は捜査活動を財務省の管轄内に制限する議会の決議で司法省の相乗り捜査は増援不可能な事態にさらされた。

 当然、何もしないで済む事ではないため、司法省直轄の捜査機関を創設決議のもと、シークレット捜査官が現役九名と元十四名という名ばかりの連邦捜査局が設置(1908/7/26)される事になった。いわゆるスタンレイ・フィンチ指揮下の捜査局  BOI  と呼ばれる連邦機関であるが、のち生じるのが第一次世界大戦(一九一四ー一八)を経て権限の拡張が図られていき、一九二四年に二九歳の若さで捜査局長に就任したのがジョン・エドガー・フーヴァー、ときに捜査官は質が不揃いで劣悪な弊害の顕在化が目立ったとされるが、この記事を鵜呑みにするなら深層にはたどりつくはずもない。

 連邦捜査局すなわち  FBI  はバージニア州クアンティコ海兵隊基地の一部を借用、一九三五年にはポリス・トレーニング・スクール(のちアカデミー)を創設している。政府系教育施設の中にあって小規模ではあるが、有給のもと十週間で二五〇人の精鋭を訓練する事で知られている。特異性は高い学識(弁護士や公認会計士などの資格を得た者)を求める特別捜査官にあり、綱紀粛正の質的向上を図るエドガーの意向が特に反映されている。

 詳細は省くが、一九三三年メンフィス市警と共同でギャングのマシンガン・ケリーを包囲した際にギブアップしたケリーが、特別捜査官の銃に「撃つなっ、Gメン!撃つな」と叫んだ事からGメンが特別捜査官の通称になったとされるエピソードも広く知られている。

 武装兵器の開発もGメンとギャングの「イタチごっこ」から進展したともみられる。私が注目する分野は公安問題に尽きるのであるが、潜入捜査やスパイ活動こそが國體の國體たる所以であり、この実相を知らない者に深層を理解できるなど有り得ないからである。

 つまり、エドガーやゾルゲのような著名人はメディアの糧となるが、その人物伝たるや単なる謎を表層化させるのみ、ストレスを解消し得るような記事を取材する現実は見当たらない。

 過多な情報で地球生命が病む最大の原因はメディアの筆舌がタブーに怯えるがためである。

 エドガーの辣腕を借りたリチャードがアメリカンドリームの虚に填まり、第二次世界大戦に参じたゾルゲの虚に国際政治が填まるなど全ての原因は実を知らないからだ。それらの虚と実を見抜くため求められるエネルギーは、悠久の歴史が刻む深層に身を研ぎ澄まし学ぶほかあるまい。

 宗教と哲学と科学が並立した直中こそ虚と実を見抜くチャンスといえまいか。

 私の拠り所は記紀に潜んでいるが、特に「ヒルコ=蛭子とアハシマ=淡嶋」を案じており、赤子の二柱はミコ=子の例(かず)に入れられず、流し去(す)つるとされる。すなわち、タマコト五十一音の解釈ではヤ行のイ段とエ段に相当しており、神代の巻では蛭子=戎=エビスと淡嶋=泡洲=アハシマに相当しているが、このタブーを「部落」に置き換えると歴史が透けてくる。

 ヤ行ヤ・ユ・ヨにイ段とエ段の意味を解くのは聖徳太子の御代であり、時期を重ねるムハンマドの解釈もまた対発生のように思えてくる。時は六~七世紀に当たり、人の移動が広範に及ぶ中で交易も盛んとなり、戎(えびす)と泡洲(あわしま)も神社の神としてよみがえっている。

 私は被差別部落を産み出したのは文明史だと覚っている。文化の元々は部落民から生じる発展的な継続性に根付いており、文明は文化的結合体が増大化する中から生まれてくる。そこには交易を重ね生まれる「信」が拠り所とされている。ヒルコとアハシマは二足歩行に育つまで三年を要したという説が知られている。全てに通じる仮令(たとえ)であるが、文明は他の後塵を拝する屈辱や劣等感に耐える苦難の中から生じるケースが圧倒的な多数を占めるとも知られる。

 つまり、文明の数々は被差別の中から生じており、差別した側から生じる文明は限られる、しかも限られた文明も被差別部落から略奪または強奪した事案が大半を占めるとされる。それを立証し得る拠り所こそ宗教と哲学と科学に集約されるからで、これら三権に憑りつく虚と実にしがみつく勢力も差別する側に属しているのである。

 旧約聖書は新約聖書の出現を以て世に広まり、仏教も釈迦の出現を以て世に広まるが、その何れも遺訓検証が最盛期を迎えるのは三~四世紀とされている。すなわち、宗教が世に広まってから哲学が出現しており、以後三世紀に及ぶ研修期間を経たのち科学もコーランも産声を発したのだ。

 その間に成立した政治の拠り所は信託と暴力の二本柱に支えられたが、後世は託と暴を除いた信と力を理想の拠り所とするようになる。ここに理想(建前)と現実(本音)すなわち虚と実が同居した政治がスタートするわけで、それが今に引き継がれているのであるが、この虚実に憑りつくタブーの増大こそが政治を混乱に追いやる要因になっている。

 即ち、現行の国際政治が宗教と哲学と科学に基づく信を拠り所にしながらも、最大の暴=戦争から脱却し得ない原因は虚実に憑りつくタブーを放置するためである。いま世界中に波及が止まないハラスメントは形を変えた宣戦布告の意味をなし、その応酬はコンピューターネットをステージに炎上のエスカレートが繰り返されている。

 日本では官製の同和問題を最大のタブーとしているが、世界レベルでは天皇家を含めた各王室家を被差別のターゲットにしている。無論それを主導する尖兵がメディアたる事は言うまでもない。

 以上を念頭に以下リチャードとエドガーを通じてアメリカの深層に踏み込むとする。

 深層は歴史を刻む事から生じるものゆえ、アメリカの深層もまた同じことである。

 アメリカの深層は大半がイギリスの深層に刻まれた制度が占めており、その制度が生まれるまでの歴史は文明史に刻まれた以外の制度は存在していない。

 その深層を簡単に掘り起こしておきたい。

 イギリスは大ブリテン島を国土の中心に定めて、北アイルランド連合王国の構成要素であるイングランド、スコットランド、ウェールズの三つから成ると紹介されるが、制度的には王室連合と市民権取得に基づいた移民の選挙政治から成り立っている。今やユーロ圏と一線を画しているが、ドイツやフランス、イタリアなどのヨーロッパ系と一線を画する事は文明史でみれば今さらのことではない。先史時代(文献が登場する以前)は印欧(インドとヨーロッパ)語族の一つとみなされ、特に印度の利権と密接に関わる事で他のヨーロッパ系に抜きん出た一面を有したとされる。

 文明的な視野で捉えると、古代エジプト系、オリエント系、西欧系、北欧系、小アジア系、長江と黄河のチャイナ系、ユカタン半島マヤ系、日本列島系など、数次の特徴に先進性が窺えるとされる。最も特筆されるべきは、大自然の恵みに生じる衣食住の発展ほか、衣食住を補うための素材の発見に発明が加わり、家畜の飼育まで及んでいくと、定住民と移動民との間に争いまで生じるようになる。その争いから生じた騎馬の養育は人力に勝ること数倍に及ぶエネルギーとなり、それを競うことから更なる武装の強化と共に覇権を征する事への欲求が高まっていった。

 人種的な視野で捉えると、武闘派スキタイ人を抱えたウバイド族系、同派アッカド人を抱えたシュメール族系、同派フェニキア人を抱えたローマ市民系、同派ヒッタイト人を抱えたフルリ族系、同派ガリア人を抱えたケルト族系、同派マケドニア人を抱えたギリシア族系などは、オリエントを発祥に地中海を経て古代エジプトへ及ぶ遠征の祖ともいえよう。

 つまり、私の覚るところ文明は戦争を以て発展した一面を有しており、その戦争を繰り返す渦中に被差別部落が生まれ、その脚色が旧約聖書を経て新約聖書に受け継がれるわけである。ここに種々のスキタイ説ある事も紹介せねばならない。

 自ら文字を刻まないスキタイの発祥に諸説あり、有力説は南ウクライナのほか、カザフ草原アラル海の北岸ともいうが、前九世紀モンゴル高原に出現した鹿の紋様を施した鹿石が起源のスキタイ人と呼ばれた存在も見逃せない。南ウクライナ説だと黒海北岸に住んだキンメリア族を追い払ったことになり、カザフ説だとカスピ海の族を追い払った事になるが、前八世紀ころコーカサス山脈を越えアッシリアに達して侵入を企て阻止されたともいう。

 以後スキタイはアッシリアに加わり、広範な地域に重大かつ多数の痕跡を刻んでいるが、古代ギリシア伝説の詩人ホメロスと並ぶ歴史の父ヘロドトスの記事にも触れておきたい。ヘロドトス(前四八五~前四二〇)著『歴史九巻』は後世アテナイの史家トゥキディデス著『実証的戦史』と対比されて中世ビザンチン時代には歴史書のモデルたる地位を占めている。

 ギリシア語ではスキトポリスと表現その神話に造詣が深いウカラ(種族)と言われ、ヘロドトスはホメロスが「ヘラクレスの子孫」だと決した事を受け次のように記している。

 全能の神ゼウスが人妻に産ませたヘラクレスは、ドニエプル川左岸の森林地帯ヒュライアを出生の地とする末子スキュテスをスキタイの祖に見立てている。その後ヘラクレスはスキュテスに弓の引き方と帯の結び方を受け継がせたとし、その子孫は遊牧民として拠点をアジアに定めたあと、マツサゲタイと戦いアラクセス川を越え一旦キンメリア領内に侵入さらに進路を小アジアへ向けたとされる。その営みは遊牧のほか農耕にも従事するなど、黒海沿岸には王族制の痕跡も刻んでおり、ヘロドトス曰く「彼らは敵に発見されず、捕縛されない法に長じて、攻撃を受けたら一人も逃がさずに徹底した追跡のもと敵の根を絶つ」と断じて、その根拠を刻むのがブグ川の右岸オルビアだとつたえる。

 こうしたヘロドトスの記録が適合し得るか否かを確認したのが十九世紀のロシアであり、その考古発掘から得た出土品はエルミタージュ博物館に収蔵され、歴史家のミハイル・ロス・フツエフ(一八七〇~一九五二)著『古代の南露西亜一九二一』を以て公開しているが、時代はロシア革命とソ連邦成立の渦中これを如何に透かすか史家の力量が試されるのだ。

 黒海に突き出るクリミア半島ケルチのクル・オバ墳墓を発掘したロシアは一八五九年に帝室考古学委員会を設置したあと、その地へ常駐官吏を配置その後の発掘研究から判明したのは、ヘロドトスの時代考証と寸毫の差もない事に驚嘆しながらも、スキタイが刻んだロードマップは更なる驚嘆を加え際限を予測し得ない広がりに愕然とする。

 ちなみに、旧約聖書はスキタイをスクテヤと表現しているが、エレミヤ記47ペリシテ人の忠告に仮令「北から水が湧きあがり、川となり、押し寄せ…。」の意味をスキタイが侵入した状況を示した表現と解釈しており、士師記一章27イスラエルの都市ベテ・シェアンはスキタイの町と解釈のうえ特段の畏怖を隠そうとしていない。

 もう少し加えておきたい。前六四五年ー前六一七年ころアッシリアに与したスキタイは、シリアやパレスチナなど支配下に治めており、前六三〇年ころメディアと戦いニネヴェを開放のちエジプトへ侵入の際にはエジプト側の買収に応じた事が伝わっている。

 前五一四年ころアケメネス朝ペルシアの攻略に際しては焦土作戦で退かせており、前五世紀前半に至るまでは中部ヨーロッパのラウジッツ文化の破壊も行っている。スキタイの記事はキリがないため別の機会に委ねるが、毛皮ロードは農耕地帯と草原を結ぶための開拓にあたり、交易に見られる特質検証はロシア・コレクションから窺う事が可能とされている。

 その内容を見てみると、イシク古墳やパジリク古墳から出た工芸品などにシベリア調のほか、東方様式で黄金製のアッシリア・ルリスタン調やアケメネス朝ペルシア調の意匠を帯びるほか、目を動物意匠に転じると、スキタイのデザインを他に加工依頼するなどの美術品もあり、特にギリシア製品の多い事からスキタイと黄金はウバイドの象徴を裏付けるものともみえよう。

 これらは私が米ソインチキ体制と断じる裏付けの一端でもあるが、次の展開は世界の王室が被差別部落と如何なる関係を有するのか、クリミア半島キャンプの潜入スパイ養成所が輩出するキャリアの使命に伴うのはなにか、世界中を戦争に巻き込むエネルギーの正体は何であったのか、これらの検証解明を為さなければ国際政治を読むなど出来るわけがない。以下その正体を突き止めるためイギリス産アメリカの秘密部門はじめ、列強先進国のファシズムなど検証していくとする。

(つづく)

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