私は本事案のフォローアップを墓場にまで持ち込むであろうが、このフォローアップから私が得た泥まみれの勾玉は何ものにも代えがたく、また替えられる筋合いにもなりようがない。
メディアの伝えるところによれば、戦後の犯罪大事件は、芦田内閣を総辞職に追いやった昭和電工事件と、犬養法相の指揮権発動で知られる造船疑獄を代表的とするが、この二つに勝るとも劣らない否メディアがフォローアップできないほど、闇に潜んだ大きな犯罪は本事案につきるのだ。
昭和電工事件も造船疑獄も占領下で成立した法制上に生じる汚職政策であり、所詮は政官業が絡む局地的な利権闘争にメディアが紛れ込む政体事件にすぎないのである。
ところが、本事案は日本列島に繁茂する根や幹の養分たる國體を絶やそうと企む事件であり、その戦略的な勢力の最終的ターゲットは天皇にあり、その天皇制を根絶やしにすべく日本社会の生態系を換骨奪胎することにある。
時に政界は黒い霧の真っただ中にあり、それは中央も地方もところかまわず、戦後メディアの「お題目」に挙げられる高度経済成長の立役者とされる池田勇人は、そのライバルと目される佐藤栄作と犬猿の仲とレッテルを貼られ、両者を擁立する取り巻き間の暗躍も頂点に達する渦中にあった。
本事案のコピーに洞察を加えれば、限りない矛盾と非合理が浮かびあがるが、その原因は裁判上の物証と自供の在り方が千切り取る事から生じているため、矛盾と非合理は当たり前ともいえる。
占領下の施政権を牛耳られた日本社会にあって、その生活を支えたエネルギー源とはなにか、その治安と衛生と信書は如何なる事情のもと如何なる勢力が保ったのか、天皇を戦争犯罪者と仕立て上げ皇族解体を強行した狙いは何であったのか、その総合的立体構造を描ける人はいたのだろうか。
政治的な経世済民については、歴史的な相似象を以ていくらでも窺い知る事が可能であろう。米ソ二極のインチキ体制が日本の施政権を蹂躙するとなれば、朝鮮動乱(一九五〇)も、日本の自社政党制(一九五五)も、その企図および行為の動向を窺い知る事に不可能の文字は当たるまい。
昭和電工事件(一九四八)、平和条約発効の年(一九五二)、造船疑獄(一九五四)など、政体が為さねばならない事象に対する実相を検証していけば、右の事情を窺い知る事に労苦はいるまい。
ところが、昭和天皇が自ら現人神の詔勅を発するまでは、世界中の権力者は誰一人として天皇史の実相に確証を得る手ごたえが掴めなかったのである。歴史上あるいは世界中の権力者が唯一手にする事が出来ない権威は天皇のみであり、その権威が如何なる権力にも屈しない事を知るのは、これまた権力者のみにかぎられ、自ら天皇の座に就けないのなら天皇そのものを抹殺してしまえと考えるのも権力者にまとわりつく性なのであろう。
國體奉公衆の実相を感得する事から覚えるのは、國體そのものは決して政権の座を占めるものとは違うという在り方であり、政権は政体に与する人から委嘱されるものというのが正解のようである。
つまり、森脇らの表面化を免れない犯行の裏には必ず見えない勢力が存在しており、その裏に潜む勢力の狙いは日本人の換骨奪胎を戦術としており、戦略的には天皇の抹殺さえ視野に含んでいるとの考えが私の脳内を駆け巡ったのである。
而して、右の考えを膨らませた時点までは私だけの世界であったが、新幹線を利用した新婚旅行で京都駅に降り立ったとき、真宗本願寺の天空に漂う暗雲がなぜか私の気をひいたのである。これこそ世に言う「お東さん(東本願寺)の騒動」で「いわゆる吹原事件」続編にあたるが、伏見宮親王家の王女降嫁さらに昭和天皇妃香淳皇后の妹すなわち久邇宮王女降嫁を巻き込む事件となり、闇に潜んだ反天皇勢力を炙り出す私の暴走が止まらなくなるのである。
浄土真宗東本願寺大谷派は、徳川家康(護持僧は天海大僧正)の遺を継いだ家光から京都駅の前に広大な地を配領され、昭和四十年(一九六五)代には、末寺一万と門徒数一千万人を擁する総本山で日本最大の宗教教団と言われていた。私が仰ぎ見た天空に漂う暗雲は大凡三十年に及ぶ「お東さんの騒動」初期で教団が四派に分裂する予兆と重なっていた。
宗祖親鸞の直系大谷家は明治の華族令で伯爵に叙された家柄であった。光勝(一八一七~九四)二十一代目に降嫁した嘉枝宮和子(一八二九~八四)王女は伏見宮邦家(一八〇二~七二)親王(法号禅楽)の娘であり、光暢(一九〇三~九三)二十四代目に降嫁した智子(一九〇六~八九)王女とは久邇宮邦彦(一八七三~一九二九)王の娘で香淳皇后の妹ということになる。
伯爵家としての光瑩(一八五二~一九二三)二十二代と、光演(一八七五~一九四三)二十三代は放蕩が続いたとされるが、二十二代目と二十三代目の事跡を検証してみると、共に「お西さん」側の大谷光瑞(一八七六~一九四八)と協働のうえ、國體奉公の司令官を担ったと思えてくる。
さて、再び「いわゆる吹原事件」の続き「いわゆる大橋事件」のコピーに戻るとする。
第三節〈いわゆる大橋事件〉の第一《京成電鉄手形・小切手等詐欺事件》の❶「被告人・大橋富重と京成電鉄(株)との関係」
大橋は、昭和三十一~二年ころより知人の紹介で東京都台東区上野四丁目十番九号(旧地名は同区五条町三番地)に本社を有する京成電鉄(株)の事業部に出入りするようになり、当初は同事業部の行なう事業用地の買収の手伝いをしたり、同社の駅舎改修工事を請け負ったりしていたが、その後同社の子会社である形成開発(株)から請け負った比較的高額な谷津遊園地のジエット・コースターの基礎工事を短期間で完成させたりしたことなどもあって、京成電鉄の幹部の間に次第にその実績を認められるようになった。そして、その後も順次同社のために事業用地、宅地分譲用地等の買収斡旋をなし、同社との取引実績を高めていったのであるが、さらに同三十六年ころからは、同社のために銀行からの融資の斡旋や同社振出の約束手形の割引斡旋などを引受け、同社の資金繰りにも関与するようになっていった。
❷「柏井土地買収関係」
1『犯行に至るまでの経緯』
大橋は、昭和三十五年十月ころから京成電鉄の依頼により、千葉市居住の大地主川口中丸の夫幹との間で同人所有の同市柏井町所在の土地四千坪(以下A土地という)につき買収交渉を進めていたが、その交渉過程で、もし興亜建設が右川口幹の希望するとおりの条件でA土地を買い取るならば、将来同人からその周辺の約十五万坪の土地(以下B土地という)の買取りも可能であると判断し、同年十一月中旬ころ京成電鉄の不動産部長小山久保および同社の事実上の顧問である飯塚潔らにその旨伝え、同社の意向を打診したところ、同社では当時その周辺一帯の土地を買収したいと考えていたところであったので、早速小山さらには同社社長川崎千春よりその買収斡旋方を依頼され、ここに大橋は右B土地についてもその買収斡旋方を引受けることとなったのであるが、これらの買収交渉においては、さきに京成電鉄が右川口幹との間でなした土地売買で同人の要求する裏契約に応じなかったことからその憤激をかったいきさつもあって、実際の買主が京成電鉄であるということが川口側に知れれば買収が不能ともなりかねない状況にあったので、同社の名を秘し、大橋が興亜建設の名で交渉を進めることにし、京成電鉄側においても自社が実際の買主であることを川口側に悟られないよう配慮した。
ところで、大橋は、当時自己の事業の拡張を企図しており、また前記飯塚より硅石採掘事業への出資を要請されてもおって、多額の事業資金を必要とし、これらの資金繰りに窮していた折であったので、前記B土地についての買収交渉が予期に反して長引くとみるや、前述のように京成電鉄側と川口側との間の直接交渉が途絶されているのを奇貨として、同社に対し川口幹との買収交渉が一応まとまったように装い、買収資金名下に同社より金員を詐取して一時これを自己の資金繰りに流用しようと考えた。
2『罪となるべき事実』
そこで、大橋は、昭和三十五年十一月下旬ころ、前記京成電鉄本社において、川崎千春および小山に対し、真実は前記B土地の売買につき川口幹との間にいまだ何らの取り決めもなく、同社から交付を受ける土地買収資金は直ちに自己の前記資金繰りに流用費消するのが目的であるのにこれを秘し、「鷹の台ゴルフ場隣接地の約十五万坪を地主の川口幹が坪当り二千八百五十円で自分に売ってくれることになった。川口とは公募面積で取引する約束だが、三割以上のなわ延びがあるから、京成電鉄側で実測坪により十七万二千五百坪位を坪当り二千四百五十円で引き取ってくれればよい。代金は一年位の間に分割して支払ってくれればよいと川口はいっている」などと偽りを述べて右B土地の買取り方を申し入れ、その旨川崎らを誤信させたうえ、千葉市柏井町字芦太山ほかの山林実測約十七万五千坪につき、売主を興亜建設、買主を京成電鉄とし売買単価坪当り二千四百五十円とする土地売買契約を締結させ、よって、別紙第四騙取手形・小切手等明細表記載のとおり、同年十二月七日ころから同三十七年六月十五日ころまでの間前後十四回にわたり、いずれも前記京成電鉄本社において、川崎らから同社不動産部職員を介し、右契約に基づく土地売買代金等名下に、同社振出小切手十九通、約束手形二通額面合計四億四千二百四万一千円の交付を受けてこれを騙取したものである。
➌「京成電鉄株式買取り関係」
『罪となるべき事実』
大橋は、昭和三十八年八月ころ、京成電鉄社長川崎千春より国際興業(株)会長小佐野賢治保有の京成電鉄発行の株式約九百万株の買取り方とともにその買取り資金に当てるための京成電鉄振出予定の約束手形の割引斡旋方を依頼されていたが、そのころ、右事情を知っていた森脇に対し、後日持参するかも知れない右手形数億円分の割引方を依頼したところ、森脇は、当時大橋に対する巨額の債権の回収に苦慮していた折であったので、大橋から右割引の依頼を受けたのをさいわい、右手形を京成電鉄より騙取して右債権の回収を図ろうと考え、右手形が株式買取り資金に当てられるものであること、大橋・小佐野間にはいまだ右株式買取りについての話合いがまとまっておらず、京成電鉄において手形を振出し交付する段階に至っていないことを知っていながら、大橋に対し、「右手形のうち三~四億円分位をこれまでの債務の一部弁済に当ててくれれば、右債務を半額にするようバックに話してやる。君は川崎に信用されているのだし、うまく話せば手形を出して貰えるだろう。後日小佐野との間で株式買取りの話がまとまったときは、五億円でも十億円でも貸してやる」などと巧妙にもちかけ、大橋に前記手形の京成電鉄からの騙取を誘いかけたところ、大橋も森脇文庫に対する巨額の債務の返済に苦慮していた折から、やむなくこれに同調し、右手形の騙取を決意するに至り、ここに両名共謀のうえ、京成電鉄より手形を騙取することとなった。
このようにして、大橋は手形の騙取を決意したのであるが、その後、自己を信頼している川崎よりかかる多額の手形を騙取することに躊躇を感じ、実行に踏み切れず、森脇からの催促を川崎社長の不在を理由に断ったのであるが、森脇からはそれならバックに見せて納得させるだけのものでもよいから三御円分位を持参するように要求され、ここに大橋もやむなくこれに応ずることにし、早速京成手形六通額面合計三億円を作成し、これを同月十四~五日ころ森脇に交付した。一方森脇は、右偽造手形を受領するや大橋にこれと引換えに前記手形の持参方を強く要求し、騙取の実行を迫った。そのため、大橋も右偽造手形の表面化をおそれてついに意を決し、同年九月上旬ころ、前記京成電鉄本社において、大橋より川崎千春に対し、同社と小佐野との間に直接買取り交渉がなされていないのをさいわい、真実は前記小佐野との間にいまだ後述のような右川崎の依頼どおりの株式買取りについての取り決めがなされた事実がなく、京成電鉄より交付を受ける約束手形は前述のように直ちにこれを大橋の森脇文庫に対する債務の返済その他自己の資金繰りに一時流用費消するのが目的であるのにこれを秘し、「株式買取りについて小佐野と交渉した結果、旧株約六百十五万株は単価百三十円、新株約三百万株は単価百円で全部売ってくれることに話が決まった。今月下旬ころまでに旧株代として約八億円、十一月下旬ころまでに新株代として三億円を支払えば十一月下旬から来年三月末までに三回に分けて右株式全部を引渡してくれることになったので、その線で小佐野と契約を結ぶのに八億円を支払わねばならないから、手形割引料を見込んで八億二千万円の手形を出して貰いたい」などと偽りを述べ、その旨同人を誤信させたうえ、同月九日、同所において、同社経理部職員を介して右川崎より大橋の使者山田昭三を通じ、株式買取り資金捻出のための手形割引斡旋な下に、京成手形八通額面合計八億二千万円の交付を受けてこれを騙取したものである。
➍「宝酒造土地買収関係」
『罪となるべき事実』
大橋は、昭和三十八年十月下旬ころ、川崎千春に宝酒造(株)がそのころ買手を求めていた同社所有の千葉県市川市市川町所在の工場敷地等の買取り方を勧められたことから、右川崎社長よりこれが買収斡旋方を依頼されることとなったが、当時大橋は森脇より森脇文庫に対する巨額の債務の返済を迫られ、また、右自己が京成電鉄より購入した土地の代金支払期日も差し迫り、これらの資金繰りに窮していた折であったので、右口上敷地等の売買契約金捻出のための手形割引斡旋名下に京成電鉄より手形を騙取して右資金繰りに流用費消しようと考え、同年十一月上旬ころ、前記京成電鉄本社において、川崎千春に対し、同社と宝酒造との間に直接買収交渉がなされていないのをさいわい、真実は前記工場敷地等につき宝酒造との間には京成電鉄の希望する条件による買収の話合いは何らまとまっていないのみならず、同社に右物件を買収斡旋する意思も見込みもなく、同社より交付を受ける約束手形は直ちにこれを他で換金して自己の前記資金繰りに流用費消するのが目的であるのにこれを秘し、「宝酒造が市川所在の工場・社員寮の敷地建物全部を十億円で売ってくれることになった。宝酒造の方では、契約金三億円位を払えば昭和三十九年三月末までに工場の部分は更地にし、社員寮は入居者を立退かせて明渡すし、残代金は右明渡しの時以降一か年間位に手形で分割して支払って貰えばよいといっているので、契約金三億円は京成手形を自分が銀行で割引いて準備してやるから三億円位の手形を出して貰いたい」などと偽りを述べ、その旨川崎を誤信させたうえ、同月十三日ころ、同所において、京成電鉄経理部職員を介して右川崎より大橋の使者山田昭三を通じ、土地買収契約金捻出のための手形割引斡旋名下に、京成手形五通額面合計三億円の交付を受けてこれを騙取したものである。
➎「手形割引関係」
『罪となるべき事実』
大橋は、
1,昭和三十九年二月八日、千葉県市川市平田三の二〇五所在の前記川崎千春の居宅において、右川崎に対し、真実は同人との従来からの約旨どおり手形を銀行で割引いてその割引金を京成電鉄に交付する意思もその能力もなく、同社より交付を受ける手形は直ちにこれを森脇文庫からの借入金の担保に供するほか自己の資金繰りに供するのが目的であるのにこれを秘し、「さきに割引いてある京成電鉄の昭和三十九年二月二十二日期日四億円の手形と同年三月十三日期日三億円の手形との合計七億円を落とす資金を今から準備しなければ間に合わない。そのうち六億円分については自分が責任をもって手形を割り引いて金を届けるから六憶円の手形を割引かせて欲しい」などと偽りを述べ、その旨同人を誤信させたうえ、同日、前記京成電鉄本社において、同社経理部職員を介して右川崎より大橋の使者山田昭三を通じ、手形割引斡旋名下に、京成手形七通額面合計六億円の交付を受け、
2,昭和三十九年二月十日、前記川崎千春の居宅において、同人に対し、真実は同人との従来からの約旨どおり手形を銀行で割引いてその割引金を京成電鉄に交付する意思もその能力もなく、同社より交付を受ける手形は直ちにこれを森脇文庫からの借入金の担保に供するのが目的であるのにこれを秘し、「今度は昭和三十九年三月二日期日二億円の京成手形を落とす資金をつくるから、また二億円の手形を出して欲しい。自分が間違いなく割引いて来てあげる」などと偽りを述べ、その旨同人を誤信させたうえ、同日、前記京成電鉄本社において、同社経理部職員を介して右川崎より前記山田昭三を通じ、手形割引斡旋名下に、京成手形三通額面合計二億円の交付を受け、
3,昭和三十九年二月十九日、前記川崎手春の居宅において、同人に対し、真実は同人との従来からの約旨どおり手形を銀行で割引いてその割引金を京成電鉄に交付する意思もその能力もなく、同社より交付を受ける手形は直ちにこれを他で換金して森脇文庫に対する債務の返済その他自己の資金繰りに流用費消するのが目的であるのにこれを秘し、「さきに割引いてある京成電鉄の三億円の手形の期日が昭和三十九年三月二十一日になっているが、その決済資金のうち二億四千万円分は同社の手形を出して貰えば自分が責任をもって割引きすぐ届ける」などと偽りを述べ、その旨同人を誤信させたうえ、同日、前記京成電鉄本社において、同社経理部職員を介して右川崎より前記山田昭三を通じ、手形割引斡旋名下に、京成手形三通額面合計二億四千万円の交付を受けてそれぞれこれを騙取したものである。
第三節の第二《アメレックス関係横領事件》❶「犯行に至るまでの経過」
大橋は、昭和三十六年暮ころ、知人の紹介でアメレックス・インターナショナル・コーポレーション(繊維製品等の輸出入ならびに製造販売を業とする外国法人で以下「アメレックス」という)の取締役アレキサンダー・イー・シュベツ(同社の在日代表者)を知るようになり、以後アメレックスに出入りして同人との交際を深めていたが、同三十八年九月ころからは資金繰りのため興亜建設振出の約束手形とアメレックス振出の小切手とを交換するなど資金面でも深いつながりを持つようになった。
当時、シュベツは、アメレックスがその取引先である東京レデイメイド株式会社(代表取締役橋爪克己)、かねもり商事株式会社(代表取締役森田誠吾)に対し、有していた多額の債権が焦げつき、
その取立てが困難な状況にあったため、かねがね右橋爪、森田らとその善後策を協議していたのであるが、そのころ右のような事情を関知した大橋がその調停役を引受けこれに尽力したため、同三十九年四月中旬ころには関係者の間で債権債務の整理方法が一応まとまった。そして、そのころ大橋は、シュベツに対し、アメレックスが東京レデイメイドより引渡しを受けることになった既製紳士服等の保管を引受けるとともに、アメレックスがかねもり商事より受取ることになった同社振出の長期の約束手形を興亜建設振出の短期の約束手形と交換してやる旨約した。
❷「罪となるべき事実」
大橋は、
1,昭和三十九年五月中旬ころ、前記のように興亜建設振出の約束手形と交換するため、シュベツよりかねもり商事振出の約束手形十通(額面合計九千九百三十二万一千四百八十円)の交付を受けた際、その支払の担保として金森商事発行の株券二十六万七千株(払込金額一千三百三十五万円)を受領し、これをアメレックスのため預り保管中、同月二十二日ころ、前記森脇文庫において、森脇将光に対し、ほしいままに右株券のうち二十六万株を同文庫に対する、原被担保債権をはるかに超える自己の債務の担保として提供交付し、もってこれを横領し、
2,同年四月中旬ころ、シュベツよりアメレックス所有の既製紳士服一万一千四百九十九着、同ズボン一千八百十三本(価格合計八千七百七十六万九千九百八十九円相当)の保管方を依頼され、その頃より同月下旬ころにわたりこれを興亜建設内および千葉県船橋市宮本町六丁目八百五十四番地所在の同社船橋営業所内に搬入し、これをアメレックスのため預り保管中、森脇将光より森脇文庫からの借入金の返済を迫られていた折から、その返済資金等に当てようと考え、ほしいままに同年六月中旬ころ、興亜建設内において、八光商事(株)に対し右既製紳士服のうち五千六百五十六着を金一千百三十一万二千円で、さらにそのころ右同所において、樫山(株)に対し前記既製紳士服のうち五千六百三十着および前記ズボンのうち一千七百本を合計一千二百五十九万九千円でそれぞれ売却し、もって既製紳士服一万一千二百八十六着およびズボン一千七百本を横領したものである。
第三節の第三《昭和化成品・日東冶金手形詐欺、 (貝ヘンに庄のツクリ)物故買事件》
❷「罪となるべき事実」
一、大橋は、昭和三十九年七月十二~十三日ころ、前記興亜建設において、昭和化成品(株)常務取締役北島源吾および日東冶金(株)常務取締役星野福松の両名に対し、真実は手形を入手したのち直ちにこれを他で換金して興亜建設振出手形の決済資金その他自己の資金繰りに流用費消するのが目的であって、約旨どおり銀行でこれを割引いてその割引金を交付する意思もその能力もないのにこれを秘し、「東海銀行とオランダ銀行にユーロ・ダラーを導入預金したので、これを枠としてこれらの銀行で安い金利で手形を割引けるから、お宅の会社の手形を銀行金利程度で割引いてやる」などと偽りを述べ、前記北島および星野の両名をその旨誤信させたうえ、同月十六日ころ、前記興亜建設において、手形割引斡旋名下に、右北島より昭和化成品振出約束手形一通額面五千万円および右星野より日東冶金振出約束手形一通額面二千万円の各交付を受け、もっていずれもこれを騙取し、
二、森脇は、同年同月十七日ころ、前記森脇文庫において、大橋富重から、同人が右判示のとおり手形割引斡旋名下に騙取してきた昭和化成品および日東冶金各振出の約束手形各一通額面合計七千万円の割引依頼を受けた際、同人が他から騙取してきた手形であるかも知れないと思いながらも敢えて右各手形を割引利息分一千七百三十六万円および右大橋の森脇文庫に対する当時の残存債務への引当て分二千四百六十四万円を天引きしたうえ、二千八百万円で割引いて右約束手形二通を取得し、もって (貝ヘン庄のツクリ)物の故買をなしたものである。
昭和四十年(刑わ)二三七二号―判決―大判例のコピーは以後省略するが、参照しようとするならインターネット上に開示されている。
私にしてみれば、これまでは単なる序章のガイダンスにすぎないのであり、本番はこれからで私は暗闇の中をひたすら進むだけの命運に身をまかせるのである。私の暗闇は自分の器で灯りを燈さない限り、真っ暗なトンネルの中を手探り状態で抜け出ようとするようなものでもあった。
私の器に蓄えられたエネルギーといえば、秀孝と家族から学んだもの、兄貴格のフランク永井から得たこと、そして恩師の佐野善次郎、政界の賀屋興宣、財界の澁澤敬三さらに縁戚筋の真鍋八千代に仕込まれたかくかくしかじか、秘するところ、畏れ多き宮様親王に触れる事はひかえたい。
心酔するヤマトタケルに鑑みれば、私が思わず「お父さん」と発したとき、笑顔で応じてくれた人トッパンムーア社長の宮澤次郎が偲び浮かんでくる。松下幸之助が「経営の神様」と呼ばれる事には何の異論もないが、私にとっては宮澤こそが経営の神様ということになる。
宮澤は岡田義夫が翻訳した「青春の詩」と出会う事から、作者のサミュエル・ウルマンを突き止め詩の普及に寄与貢献した最大の功労者である。平成三年の春さき、私は経団連会館にて『5・3』の出版記念パーティーを催したが、祝賀のため会場に寄り添って下さった人たちの中に目立つことなく駆けつけてくれていたのが「お父さん(宮澤次郎)」であった。
私はマイクの前に立つ出番がきたとき、思わず「お父さん」に会場から登壇していただき、祝辞を賜る無礼を働いてしまったけれど、宮澤は慈愛に満ちた笑顔で暖かく応じてくれた。
青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。すぐれた創造力、たくましき意思、炎ゆる情熱、怯懦をしりぞける勇猛心、容易をふりすてる冒険心、こういう様相を青春というのだ。年を重ねただけでは人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそ、あたかも長年月のごとく人を老いさせ精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものはなにか。いわく驚異への愛慕心、空にきらめく星座、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に対する剛毅な挑戦、小児のごとく求めてやまぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる。人は自信とともに若く、恐怖とともに老ゆる。希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人は若さを失わない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までもおおいつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人はまったくに老いて、神の憐れみを乞うるほかはなくなる。
一九一〇年代の作とされる「青春の詩」は日本に限らず世界中に愛好されている。翻訳も種々とは思うが、私はヤマトタケルになぞらえて今も心の中で反復を繰り返している。ヤマトタケルの再来を宮澤に見立てた私の感性はともかくとして、私は宮澤こそ「青春の詩」そのものと思っている。その不屈の信念を貫いた宮澤の姿を偲び浮かべると私の暴走なんぞは小児の歩行と変わらない。
(続く)