まずはアメリカンドリームのスパイ活動法から解き明かしていきたい。
エドガーとリチャードの深層が解せなければ現在と未来が見えないからである。
イギリスのMIすなわちミリタリー・インテリジェンス(秘密情報部)は複数の官庁が個別の組織形態で活動した事に始まるが、第一次世界大戦を機に一元的な管理のもと、それぞれのミリタリー・インテリジェンスの種類に応じた組織名に番号を割り当てることで、各組織との連絡を担当する課の名称として使われ、俗称エムアイ5とかエムアイ6のポジションが生まれている。
古来ワンワールドは地球生命の根本ゆえ戦争など必要ないのであるが、心技体のバランスに欠ける知力は競い争う事に自らの活路を見出そうとした。自らの愚昧を覚らなかった知力は他を率いるのはホモ・サピエンス(賢い人間)だと念じる事で自らのポジションを固めようとした。その理念に共振共鳴したのが心技体のバランスに欠ける体力の為せるところ、その両者がタッグを組む事で生まれた組織がミリタリー・インテリジェンスというわけだ。
即ち、心技体のバランスに欠ける諜報と傭兵が結託した事を意味するのである。
生命は大らかさに欠けると過ちを冒すようになる。文明の本質は大らかさにあったが、人間の質が劣化していくと、その怯えを減じるために、元来の姿を細分化すなわち千切り取ろうとして多角的な専門分野を増やす安楽に流され、その愚昧を隠すため専門バカの増産に歯止めが利かなくなる。
劃して生まれたミリタリー・インテリジェンスがアメリカに持ち込んだものとは何か、それこそがヨーロッパに根付いたパラサイトの主神ユダヤだったのである。イギリスをヨーロッパの盟主に押し上げた六韜三略はパラサイトの氏神ユダヤに与かる處が少なくなかった。パラサイトは覇権を征する強いエネルギーに附帯しており、その氏主ユダヤは自らの生命力に憑りついた宿痾と共に生き抜いた歴史の生き証人でもある。
大自然の恵み豊かな地中海を取り囲むように栄えた密集地の歴史は文明そのものにあり、その中に巣立つユダヤの自己同一性(アイデンティティー)はオリジナルゆえ批判はできまい。問題は彼らが他に与える印象とイメージにあり、多くの利を産する覇権すなわち競い争う事に群がる事に執着する余り疑惑が拡散していき、その疑念に生じる不安が人を不幸に陥れるのである。
ヨーロッパが覇権を握る勝者となったエネルギーには必ずユダヤが附帯していた。それを必要悪と解するのは列強諸国の偏見にすぎないのであるが、覇権に群がる大多数が偏見に気づかないため数の力が善悪を決する事になり、その反動から数は力と嘯くポピュリズムも産声を発するのだ。
後年にイギリスは自国内のユダヤをアメリカに疎開させたが、狂気を好むナチズムはユダヤを捕え掠奪と皆殺しを企む昂揚を抑えられなかった。これが神話ホロコーストのネタとなる。
以上の略歴を念頭に留めないとスパイ活動法の深層にはたどりつけない。
第一次世界大戦に参戦(一九一七)後アメリカが制定したスパイ活動法(同年六月十七日)は当初法典の第50編「戦争」の項目に規定されたが、現時点(二〇二二)にあっては第18編「犯罪」第37章「スパイ活動と検問」の第792~799条までに改製されている。すなわち、戦時下と現行社会との情勢変化に脳内スイッチを切り替えないと、何ごとも上の空しか映らないのである。
法律が合憲性を問われるのは「言論の自由との関係性」が常なる課題とされる。この言論すなわち筆舌を以て脳内の思考を交わす行為には歴然たる知力の差を認識に加えなければ自由とは関係のない無責任が社会を混沌に陥れるだけのことになる。つまり、自由の本源は道義上の秩序を保つ範囲内で得られる言行一致を意味しており、言う事と行う事が一致しなければ自由とは言えないのだ。それは人が嘘をつかない場合に実証効果をもつが、嘘も方便の社会では通用するはずもなく、結局は言論の自由が実在すると思うのは単なる妄想でしかないのである。
国際政治は外交の場だから嘘は当たり前のこと、その嘘を圧し通すため自前の軍事力を加え優位なポジションを得ようとするのだ。詰まる處は信と力のバランスを整えるほかないわけだ。
而して、世に言論の自由を訴えるメディアの見分け方は実に明白であり、扱う情報の選択肢が利を産むか否かすなわち儲かるか儲からないかで決するため、全国ネットワーク系のニュースが横並びに終始するのも当たり前のことだ。今やNHKまで右に倣えのていたらくにある。
言論すなわち虚と実が混然一体の現実に最大の裁量権を行使できるのは裁判所であるが、結局その審判が誤っていても法は最高裁が決した解釈で善悪を決めている。
スパイ活動法が適用される事案の全部も結局は「言論」の善悪が最終決着になっている。
第二十八代ウッドロウ・ウィルソン米大統領(一八五六~一九二四)は民主党の指名候補で共和党分裂の利で座を占めたのであるが、歴代中で唯一博士号(他は名誉号)を持ち、政治学から行政学を分離した創始者として位置付けられている。仔細は省くが知っておくべき政治家といえよう。
一九一五年の一般教書演説の中でスパイ活動法に触れ次の如く議会に求めたとされる。
我々の…生活の大動脈に背信の毒をそそぎ、我々の政府を侮辱しておとしめ…我々の産業を破壊し…我々の政治を貶めるため、外国による内政干渉のために利用しようとするアメリカ市民がいる…我々の連邦法は不十分…私はあなたに国家の名誉と自尊心を損なわない事を守るよう求める。背信と無秩序の感情に支配される者は必ず撲滅されなければならない。と…。
以後アメリカ議会はスパイ活動法の制定に約一年半に及ぶ長期間を弄んでいる。なぜか?これ有職故実に無知蒙昧の「もの痴り」コメンテーターには解るまいが、アメリカンドリームの虚と実はこの問答を解明しない限り透けるはずないのだ。
建国後アメリカンドリームに確かな手応えを感じた身勝手なアメリカは、世界大戦が現実化し得るビジョンに到達しなかったゆえ、ヨーロッパの雄ドイツの教養を好んで受け容れている。
ところが第一次世界大戦では中立維持を訴えつつ反ドイツ的な傾向を強めるほかなくなった。
神聖ローマ帝国からプロイセンそしてドイツ帝国ゲルマンにパラサイトした氏主ユダヤ、この氏主ユダヤにアレルギーを示すナチズムの抬頭、さらにノルマンやアングロ・サクソンそしてフランクの覇権闘争にパラサイトした氏主ユダヤも含めると、アメリカ大陸はヨーロッパの善悪すべての摂取を強いられている。ただし、この強靭で貪欲な胃袋があったればこそ覇を征したともいえよう。
摂取しても吸収したかは別ゆえに少しアメリカとドイツの関係にも触れておきたい。
合衆国(十三州)憲法の制定(一七八七)に際しては、ドイツの法理を導入した影響が見逃せない重大事であり、特にペンシルベニア州、中西部、テキサス州西部に顕著な証が見てとれる。その思考回路はドイツの哲学的理想に基づき、アメリカの公立学校教育や高等教育に浸透して、それは教育者全般に大きな感銘を与えた残像が今に沁みついている。
アメリカの教育システムがプロイセンのそれに基づいたのは、多数の上級学生とくに科学者や歴史研究者がドイツのエリート学校へ留学したこと、外交関係に良好な往来があったからとされる。
ドイツの統一(一八七一)は大国化を意味しており、両国は世界有数の海軍を編成して世界各地に帝国主義的な拡大を進めていった。その過程ではサモア諸島をめぐる考え方の相違から両国間に紛争課題も生じたが、結果サモアの分断化で三国間条約(一八九九)による講和を優先している。
海軍の強大化を促進したアメリカとドイツは、国際外交の活発化とともに、時には意思の衝突など生じたが総じて友好関係を優先していた。例えばベネズエラ危機(一九〇二ー三)の如き緊張事態も発生したが、緊密な話し合いを優先して難問をクリアーしている。すなわち、何ごとも軍事レベルの緊張事案においては、瞬時の衝突を回避する事が優先され、互いに暴走を封じて戦争を避けるように素早い措置を執る事が普通になっている。
戦争の大半は文民統制なんぞの虚に安住する者の口ゲンカに起因しており、常に死の危険を背負う修羅場に身を置く現場は何よりも戦争回避を優先しているのだ。雄弁な論説コメンテーターの如きは安易に「軍事衝突の危険」を囃し立てるが、全てが「命を曝す修羅場」を身に帯びない者のタワゴト以外の何ものでもない。これもテレビに憑りつかれたゾンビの為せるところである。
脚注ユダヤに主神・氏神・氏主の冠詞を付した意味は後述で明らかにする。
戦争についても一言、局地的な紛争はともかく世界大戦は人類全員が責任を負わねばならない。
アメリカは第一次世界大戦で中立の虚を声明しながら、実は大西洋ルート保守のため、イギリスとイギリスに与する諸国へ多大の交易と食糧支援を提供していた。すなわち、世界情勢の潮目が大きく変わった事によるが、それに乗じるべく暗躍した中に主神ユダヤの分流も潜入していた。
ドイツの外相アルトゥール・ツィンマーマン(一八六四~一九四〇)がアメリカに電報した暗号はイギリス海軍ウィリアム・R・ホール総督に指揮された諜報部の手で傍受と解読がなされた。解読の内容は「アメリカが参戦するなら、ドイツはメキシコと同盟を結ぶ」と脅し、メキシコがアメリカに先制攻撃する事をドイツが支援またドイツが大戦を征したら、かつて米墨戦争でアメリカが手にしたテキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州をメキシコに返還するとし、なお、メキシコにドイツと日本が仲裁介入して、日本の対米参戦を促すと、まさに日本を属国のごとく扱っていた。
この電報にメキシコが拒絶の断を決した時には、既にアメリカはドイツに宣戦布告していた。何が言いたいかというと、戦争に「終わりはない!」との認識が必要であり、世界戦も局地戦も戦争には歴史が潜むため休戦(和平期間)はあっても終戦はないと心得なければいけないのだ。平和を望んで暴徒の煽動に唆されるのは、何の事はない相手の手の内で汗を流すだけのこと、デモ行進に参加ストレス解消を図ってもプロフェッショナルの政商に弄ばれるだけだ。
而して、歴史を検証し得ない筆舌が何を論じたところで、それは戦争を囃して煽る行為でしかない事を認識する必要があるのだ。ドイツの文民外相が行った事はイギリス提督に筒抜けとなり、それはアメリカの参戦を決定づける方便になり、ドイツの敗戦は日本も道連れにしており、その最終決着が原爆投下による放射能被爆その反省なき原発は今も熱波を放っているのだ。
その原発エネルギーを甘受して余りある文明生活に免責など与えられるわけあるまい。
痛恨の失態に狂ったドイツは最新鋭のUボート(潜水艦の総称)約三百隻を建造しており、敵国とみなした戦艦10隻ほか商船など約5300隻を撃沈したとされている。ただし、これ第一次大戦に限る数で官民その見境つかず、ドイツ側も失艦178隻に及ぶ暴走以外の何ものでもなかった。また第二次大戦では建造1131隻、撃沈数は空母2,戦艦2,商船3000隻が記録され、連合国側が講じた対策によってUボートの損壊も849隻を数えたとされている。
第一次休戦に際しては、講和ヴェルサイユ条約(一九一九)に不満を抱くアメリカが、ドイツとの二国間条約(一九二一)を締結その中にドイツの経済再生へ協力するアメリカ勢も少なからず、一九三三年ヒトラーとナチズムが政権を握るまでは、半官半民の親密交易が続いたといわれる。
その間ヨーロッパの氏主ユダヤ内から科学系や芸術系の密かな疎開も始まっており、やがて疎開はアメリカでの移住にまで拡散しだしたので、合衆国としては移民受入数の制限を装うほか仕方がない状況にせまられた。現象面に見るドイツとの緊密感が薄まれば、英仏に向けたアメリカの政策支援が際立つのも「おっちょこちょい」にはバランスと映ってしまうのだろう。
即ち、大航海時代を経過した文明の大転換期が表面化するのは、十八世紀半ばから一世紀半に及ぶ期間を費やして醸成されたモノゴトと人による葛藤ゆえ、少なくともその間の経歴を通鑑し直さない限りトンネル内の暗やみは抜けられまい。
大航海時代を経た先人の叡智は、宗教と哲学と科学の三権分立が必要である事を伝えたが、以後の世を請け継いだ政治は戦争を撒き散らすタネの扱い方を間違えてしまった。その間違いを受け継いだ世代が為さねばならないことは、再び同じ過ちを繰り返さない道を拓く事ではないのか。
大凡一五〇年の間に醸成された人とモノゴトによる葛藤とはなにか、それが未曽有の工業化と石炭エネルギー化による産業革命である事は言うまでもないが、両者は結果的に夥しい地球汚染化を巻き散らす厄介モノともいわれる。とはいえ、三権のうち最も遅れていた科学の地位を急上昇させたエネルギーゆえ一概に悪役と決めつける事は人の身勝手というものである。
つまり、私の自負する葛藤の意味だと解釈してもらえたらよい。
産業革命から派生したモノゴトこそが世界大戦を主導した最新兵器と覚っているからだ。
文明の進運に拍車をかける交易の大型化は、輸送エネルギーのパワーアップも伴うため、埋蔵量が豊富な石炭に恵まれたイギリスが他を圧倒した事は燃料革命ともいえる。このカードを使った外交はアメリカ革命(一七五五ー八三)への関与に強く影響した事が否定し得ないため、当時のプロイセン王フレデリックがイギリスに雇われたヘッセンの傭兵一万七千人の通行阻止を手配のうえ、フランス支持に動いた深層には燃料事情も大きなウエイトを占めていたわけだ。
ナポレオン戦争(一八〇三ー一五)とドイツ連邦諸国との不安定化も起因する處は変わらない。
一八三四年プロイセン王ヴィルヘルム3世が貿易専門家をワシントンへ遣わすと、アメリカ最初の常任外交官ヘンリー・ウィートンが翌年プロイセンに派遣されている。米国務長官は「調整を求める両国間には論争の点は一つも存在しない。そして、条約の規定に基づく彼らの商業的性向は相互間を結ぶリベラルで啓発された原則に基づいて行われている…」と声明するも、単なる国際政治のグレーゾーンを白日の下に晒したにすぎない。
ドイツ革命(一八四八ー四九)、アメリカの南北戦争(一八六一ー六五)、このヨーロッパとアメリカで生じた一国内の大事件と思える出来事も産業革命の余波であるが、ここでは省略このころ幕末維新の日本がアメリカに派遣した使節団(正使新見正興)に参加した小栗忠順(監察)が後年ペンシルベニア州フィラデルフィアに移住した事を記憶に浮かべてほしい。
慶応四年(一八六八)は小栗の没年とされるが、その実は落合本の通りであり、ドイツとアメリカ間においてはフィラデルフィア百周年(一八七六)記念展のとき、ドイツの展示した軍備、機械、芸術品、工芸品などの質がイギリスとアメリカに劣る事を認めたドイツの声明が明らかにされている。首相オットー・フォン・ビスマルク下で統一(一八七〇ー一)されたドイツの急激な工業化が、当然イギリスの産業革命を追うところは明らかであり、その食糧補給を賄うアメリカの農業大型化などは宗教と哲学に遅れていた科学が「追いつけ!追い越せ!」の時代でもあった。
必然そんな経歴から回避不能となったのが、日清戦争そして日露戦争その結果として、第一次から第二次に及ぶ世界大戦となるのであるが、こうした一連を千切り取って部分をクローズアップのうえ深層を偽るから、現行社会のウクライナ騒乱も卑しい筆舌のネタにしかならないのだ。
産業革命は一方でアメリカ建国の礎である食糧大国化を決定づけている。
故事来歴に学ぶなら、人命はDNAと精神と肉体を本質とし、DNAは食、精神は性、肉体は医を絆に信託を交わし、この三位統合の構造により、大自然の慣行に馴染めるモノゴト・馴染めないモノゴトを少しずつ理解しながら現在に至るのが文明の歩みでもある。
つまり、建国としては後発のアメリカを世界一に押し上げた食が理に適う事から、人口問題を司る性が整合したところ、保健衛生を司る医が整合したところ、その成立を為し得た時にこそアメリカンドリームは虚から実へと転じるのではないか。
それがスパイ活動法の理念と思うのであるが、スパイすなわちシノビは目指すべき目的の懐に潜り込み信を得る事に始まり、その価値を共有その正否を見極める力が文明の真価といえよう。
スキタイの後裔がクリミアに設けた潜入スパイ養成所のキモがこれであった。
前記の通り、アメリカのスパイ活動法は対敵通商法と同時に議会を通過した。その中の「国防」に関する部分は国防機密法(一九一一)に基づいており、それはまたイギリスの公務機密法に基づいて制定されたものである。
これらの法モデルを超える「処罰規定の厳格化」導入がスパイ活動法の特色ともいえよう。
前記の通り、制定前年はドイツ外相がメキシコ宛に打電した暗号が傍受解読され、結果アメリカの参戦が決せられたタイミングに当たる事を念頭に以下の記事に触れてほしい。
処罰規定の類型を例示すると「米軍が行う軍事作戦の成功を妨害する目的、または敵の軍事作戦を成功させる目的で情報を伝達すること、これは死刑、または30年以下の懲役、またはその双方を科する」の規定ほか、
もう一つ「米国が戦時下にあるとき、米国陸海軍の軍事作戦の成功を妨害する目的、または敵の軍事作戦を成功させる目的で、虚偽の報告または虚偽の声明をすること。米国陸海軍において、不服従や不義、反乱、義務拒否の原因を為すこと、または為そうとすること。米軍への自発的な兵役の応募または兵籍の編入を妨害すること。これらは最大一万ドルの罰金、または20年以下の懲役、またはその双方を科する」などの規定を設けていた。
そして、禁止事項の違反が確定された場合には、郵便物の没収、または郵送拒否を行う権限が郵政長官に付与されていた。
さらに一つ「米合衆国が中立の立場を執るときは、如何なる武装した海軍の艦船も、如何なる紛争当事国への移送を禁じる」の規定が後年(第二次大戦への参戦前)のフランクリン・デラノ・ルーズベルト政権に法的な躓きをもたらせた。つまり、制定当時は第一次大戦への参戦直後すなわち戦時下にあったが、戦時下ではない第二次大戦への参戦前のこと、イギリスへの軍事援助を可能と判断した政権の判断について、裁判所は違法と裁決これに議会が騒ぐ厄介法ともなるのである。
米合衆国スパイ活動法は改訂年度を付さないと同じステージに立つ事が出来ないほど、改訂を繰り返した経歴を刻んでいるが、それはスパイの定義が実に難しい事を裏付ける証左でもあるのだ。現行社会にあっては、メディアの当用語が量子力学のエビデンスを信仰するかのように、怪しげな未だに確定し得ないエビデンスもどきのフレーズを世に拡散してやまない。
そのため、1917年のスパイ活動法よりも、厄介な解釈を要するグレーゾーンが増えるばかりで古来一日たりとも進歩しない天気予報と同じフレーズの繰り返しにしかならない。
而して、ウィキペディアで「1917年のスパイ活動法」を検索のうえ、読み進めば分かるように日本語への翻訳が法理を熟知したものでない事は明らかである。
(つづく)