修験子栗原茂【其の六十九】最高格の愛の中でも至高の愛

 ホパークの舞とは、コサックがマツリゴトの祝に踊るダンスに由来するとされます。軽妙な動きに複雑な跳躍を加えた運動能力に接すると、決して断裂しないムチの如きしなやかさに圧倒され、底の知れないスタミナに戦慄さえ覚える感触が私の率直な観察であります。

 史料によると、原型は13世紀半ばに古ウクライナ国=キエフ大公国を滅ぼしたモンゴル人が持ち込んだ東洋武術ではないかと仮想されています。私の身に覚えあるところは、私の身代わりになって自ら命を絶った修験奉公衆の型と振る舞いに通じており、その追悼が瞼に浮かぶと狂おしい身震いが私を襲って耐えがたくなります。

 内田裕也が狹気のギリ場でつま先たちの楽曲を演じる相は、まさにホパークと通じ合う武術に似た鍛錬の賜物と認識する居合を感じさせましたが、同時に祖父良平に関する口伝がよみがえりました。明治30年(1897)シベリア探査を試みた良平は、叔父平岡の影響から、シナ大陸や朝鮮半島に強い関心を示し、翌31年、宮崎滔天の仲介で孫文と知り合い親交を重ねていきます。

 同33年から大陸全土を踏まえるが如く精力的な動きのもと、孫文と李鴻章の提携を斡旋し、革命義勇軍を組織しては孫文の革命運動を援助いたします。同34年は昭和天皇ご降誕の弥栄にちなんで黒龍会結成を為し、直ちにロシア入りして諜報現場に身を投じます。同36年には対ロ同志会結成を為し、日露開戦に備えつつ、同38年の動きは宮崎や末永節らとともに、孫文と黄興の提携をまとめ中国革命同盟会の成立に寄与していきます。その他にフィリピン独立運動指導者のエミリオ・アギナルドや、インド独立運動指導者のラス・ビハリ・ボースの活動も支援しています。

 こうした祖父良平に備わるプロデュース力の遺伝子を読みとると、その遺伝子は孫裕也に見られるプロデュース力として見事に受け継がれたと慶賀いたします。と同時に裕也がギリ場で演じた楽曲は裕也なりのオリジナル・ロック、時間は優に5分を超えたと思われますが、その間ずっとつま先立ち軽妙なテンポ、余程の鍛錬なければ刻み続けるリズムを保つ事は不能と見受けました。

 明治39年(1906)、良平は韓国統監府嘱託に任じられ初代統監の伊藤博文に随行し、在韓の翌年には李容九を会長に担ぐ一進会の顧問となりますが、訳は既に南下作戦で露土戦争の勝利を得たロシアが験を担ぎ、同じ南下作戦のターゲットに朝鮮半島を選んだ事それを透視していたからです。当然これらの下こしらえに黒龍会が動いた事は言うまでもありません。良平と一進会の間で合意した最重要テーマは日韓合邦運動の展開そのものにあり、同42年12月「一進会会長李容九および百万会員」の名で「韓日合邦建議書すなわち韓日合邦を要求する声明書」を発表いたします。

 建議書の提出先は韓国皇帝純宗、曾禰荒助韓国統監、首相李完用の三方に手渡されました「かつて韓国の独立は日清戦争で莫大な犠牲を払った日本が為し得てくれたことによる、かつて韓国がロシアに吸収されるとき日露戦争で救ってくれたのも日本が東洋全体を庇護したからである」とは李容九が良平にくどいほど呟いた心の声だった、とは私が黒龍会オービーから聞いていた言であります。

 同44年、中華民国成立後の良平は満蒙独立に尽くし、川島浪速らと華北地域での工作を即刻活動開始すべきであると掛け合いに奔走したそうです。大正7年(1918)のシベリア出兵に際しては積極的賛成の右翼色を強めたとされますが、ロシアを襲った飢餓が頂点に達する同10年には、民の救済ただただ専念これ黒龍会に限らず、良平の支持者全員が事に当たったとされます。

 同11年は激高きびしく海軍軍縮案に反抗、翌年は排日移民法を強行した米政府に反抗、これらの国民運動を進める旗手となり、徐々に拡大していく社会的影響力の渦中にあっては、デモクラシーに潜む愚かさに明確な拒否反応を示していました。同14年の加藤首相暗殺未遂事件では容疑者の濡れ衣で投獄(翌年無罪)され、善し悪し一切を一身に浴びていました。これらの期に縁を持つのが出口王仁三郎で紅卍字会日本総会の会長に推され、大本教に近接する機会が増していきました。

 昭和6年(1931)に結成したのが大日本生産党で総裁となります。翌年の血盟団事件、翌々年の神兵隊事件では黒幕(フィクサー)と噂されますが、当時、関東軍支持表明とともに、日満蒙連邦建設、日支共存、皇謨(こうぼ)翼賛運動などに専念した事から噂だけのこと、その事より同12年7月7日に始まる日支事変と同月26日の臨終が私は気になります。

 奇しくも、同年(1937)の明治節の儀は昭和天皇の思し召しで御取りやめとなります。まさに日支共存と逆行する時勢の流れを思うがゆえの皇謨=皇猷(こうゆう)すなわち帝王学でありますが真意は「太平を開かん」とミコトノリを発した玉音放送に潜むと私は覚っております。

 ……。そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦共栄の楽(たのしみ)をともにするは、皇祖皇宗の遺範(いはん)にして朕の拳々(けんけん)おかざるところ。さきに米英二国に宣戦せるゆえんもまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず。……。畏れ多くも奉る玉音一節から拝借しました。

 さて、ホパークは16世紀初頭ウクライナ・コサックの興隆とともに出現したとされます。原型は前述しましたが、本筋は日本武道に倣うと私は自負しています。通説では、ウクライナの軍人階級に受容され簡素化が図られた、それが銃の普及により、体を鍛える曲芸的テクニックに変容し、やがてコサックの舞踊として発展したとされます。

 元々は軍事共同体の独身たちが盛んにしたので、もっぱら男性に用いられますが、同時に存在した女性のみによる儀式舞踊とは全く異質で世俗的とされるのも当然であります。ホパークの動きは体の強さと柔軟さをコサックの武勇として表しますが、コーブザ、バンドゥ―ラ、バグパイプ、太鼓からタンブリンまで楽器の種に縛りなく、独りの演技もあれば、数人の伴奏を加えながら武装した踊りを伴う演技もあり、雄大さと自在性を優先した野性味は私の好みでもあります。

 民俗芸能たる事物は時代の趨勢に変容を免れませんが、そこには通貫する何がしかの意を含むのが通常であり、それゆえ決して絶える事なく消えては浮かぶ波の如きと私は思っています。特に即興を持ち味とする楽曲に接すると、そこには異種を超えた地球人としての感覚に還るかのごとき、宇宙の法則をおぼえ、その天地に響く自然が音楽=祭だと思えてくるのです。

 それが日本語以外に言語を必要としない私の渡世ですが、2013年プーチン大統領府のコサック問題評議会は、コサックが警察と一緒に治安維持にあたる事を許可したと公表いたします。はてさて以上の記事がウクライナの苦悩に重要とは、どういうこと?…と思っていませんか、それでは核心に近づくようスピードアップしますが、そのハイウェーロードを貴方は存知しておられますか、もしや不明とあれば道案内を最新のGPSに委ねるとし、GPSに不都合が生じた場合には私が自負し得るハンドルさばきに御任せいただきます。

 現在GPSに組み込まれているクリミア半島はウクライナの一部とされています。そもそも最たる苦悩の一因はGPS仕様のマップにグレーゾーンがあること、このグレーゾーンを歴史に持ち込んだ過剰な慢心こそが近世近代を経た「国際政治」の宿痾になっている、…と考えてみました。

 地球人の近世近代は戦争と講和を繰り返した不都合な時代の幕開けを指しますが、グレーゾーンが実在するからこそ救われてきた局面も看過できないところです。

 白でもなければ黒でもないグレーゾーン、どちらにも属さない中立のニュートラル、曖昧な対象を定量化し「ある」か「ない」のどちらかであるようなファジィ集合、即ち、イエスでもノーでもない玉虫色の曖昧さを表現する場合に用いられますが、日本語の曖昧には2つ以上の意味にとれる多義的解釈も含まれています。

 また、似て非なる意味を有する一つに国際工業規格の公差があり、公差は明確な定量化を示す事で許容範囲を決するため、ファジィ集合と同じように演算などの対象に近似しております。

 そしていま、国際政治は政策AI化が待ったなしかのような雰囲気にのまれ、そのプレッシャーを真っ向から受ける政官業言の頼みは既得権益のみに絞られつつあります。これまで既得権益の拠って立つところこそグレーゾーンそのものでしたが、その様相をマインドスポーツの一種ボードゲームに照らしてみると、古代インドのボードゲーム系チャトランガに端を発するとされるチェスまた将棋が芸術性を加え科学化されようとしている相に重なってみえます。

 ただし、チェスが西洋将棋あるいは国際将棋と訳されるからといって、単純に将棋レベルとみなす粗忽に私は素直な同意を示す立場をとりません。百歩ゆずって、両者がチャトランガ系だと認めても日本化されてきた将棋は、日本の故実継承に則っているため私は日本産と自負いたします。

 而して、さすがのAIも藤井聡太八冠の棋譜に戸惑うほかないのですが、その戸惑いは直ちにインプットされ解消する事もまた中今の相であります。私の指摘は芸術性を加え科学化されたチェスにもグレーゾーンが実在し得ること、この宿痾を超克すべき「妙手」に着目してほしいのです。

 妙手に臨むとき、遺伝子情報も有力なヒントの一つですが、未だ細胞学も発展途上にあり、直ちに依存の対象とするには時期尚早とも思われます。

 何ゆえグレーゾーンが求められるのか、それは実社会が在るがまま・成るがままに依存するからと私は自負しています。そこで実社会を運営するエネルギーに観測の気を集中したところ、三種のエネルギー源すなわち「愛」と「実」と「虚」の共存性に着地点を見出しました。この三種は間違いなく中今の実社会に働く共存性エネルギーであり、その関係は互いに断っても絶えないエネルギー保存の法則に適った性格を有しております。

 虚は面白く可笑しい世界を演出しており、人の心身に限れば、一つの口腔に二つの排泄部を有して生きるために不可欠な栄養は五つの臓器に分類され、消化器官によってエネルギー化されます。

 実は楽しい世界を演出しており、鼻腔と口腔の二つが肺腑と連携し、呼気と吸気を司る呼吸器官を以てエネルギー化されます。この虚実で演出される実社会に不可欠の最高格が愛であり、人の心身が安定に保たれるか否かは愛を実感し得るか否かに関わってくるのです。

 即ち、グレーゾーンの扱いを平和に導くか否かは愛の型と振る舞いを以て決せられるのです。

 有職故実と家督継承を成し得るエネルギーは愛のみと言っても過言ではありません。最高格の愛の中でも至高の愛で成り立っているのが天皇家であります。而して、天皇史を軽視した歴史には何某か作者に意図的な作為が働いており、そこに演出される虚実の世界に真の愛は成り立ちません。

 ウクライナの苦悩も愛が存在し得ない歴史的解釈に起因しているのであり、この事はウクライナに限られた事象ではなく、第1番はグレーゾーンを設けたこと、第2番は愛を交えずにグレーゾーンの解釈に臨んだこと、第3番は決着を競い争う事から得ようとしたこと、に尽きるのであります。

 有職故実と家督継承その真贋を見究める「生きた証」は歴史以外にないのですが、数代・数十代を経た系譜ともなれば、必ず伝わるのが「風猷縄学の稽古」を怠らない訓えです。今も昔も世界に一つ生きた証の最高峰には天皇家が存命するのであり、疑史の如何を問う前に現存する記紀を風猷縄学の稽古に当てること、如何なる逃げ口上も許されない生きた証の実在がそこにあるからです。

 実と虚に振り回される実社会において、心身に愛を宿した人の型と振る舞いに見られるのは、実と虚の共存性=在るがまま・成るがままを受け入れ剖判する能力が求められます。

 粗っぽく端的な言い方をするなら、面白く可笑しいコトガラと楽しいコトガラは別モノと仕分ける事も可ではないでしょうか、前者の本性が虚の世界になじみブーム化を好むとしたら・後者の本性は実の世界になじみブーム化を嫌う、と思うのであります。一発的な面白おかしさ、永続的な楽しさ、好き嫌いが明らかに入り混じる中で共通して共有し得る平和なエネルギーこそ愛であり、その愛から得られる楽しみこそが苦悩を幸運に切り替えるキーワードではないでしょうか。

(つづく)

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