●●さんは死体処理屋

おはようございます。
戦略思想研究所 中森です。

一昨日、ニュースのヘッドラインで、
伊藤若冲と円山応挙の合作屏風を確認
「初めてで唯一の作品」
と報道されました。

落合史観を学ぶあなたであれば、
円山応挙から出口王仁三郎まで、
一気に連想するかと思います。

今まさに、
落合先生が大本教を論じていることを
知っていたかのようなニュースです。

円山応挙は画家名であり、
実名は上田主水であるとされます。

上田主水の5代子孫は上田吉松であり、
丹波は綾部、アヤタチ上田家宗家でも
あります。

出口王仁三郎の実父には諸説ありますが、
落合先生は上田吉松が実父であるとする
説を採用しています。

成人した上田吉松は、
全国を旅しながら拝み屋に興じつつ、
托卵によって種を残していました。

一方、
近親交配による優生遺伝を狙う時は、
下北半島に滞在していたとされます。

下北半島の特殊性は別の機会に譲るとして、
下北郡長の氏家省一郎が経営する旅館を
免責ごと購入した上田吉松は、

実子鬼一郎に、
華岡青洲門下の初代槙玄範の家を継がせ、
自らを二代目槙玄範、
鬼一郎を三代目槙玄範とします。

結果、アヤタチ上田家として、
医師槙玄範の家に背乗りしたことになります。

この系譜から、
出口鬼(王仁)三郎を初めとした、
日本の近現代史のキーマンとなる
重要人物が次々と登場するのですが、

その詳細は、
洞察帝王学講座・改 2681【第三期】にて、
開示された國體伝授のとおりです。

さらには、円山応挙こと上田主水が、
閑院宮王朝草創期の人物であることも、
人物排出に関連があると思われます。

さて、前置きが長くなりましたが、

今回は、
洞察帝王学講座・改 2681【第四期】
[申込特典その4]吉薗周蔵の毒物研究
についてご紹介します。

はじめに、
「毒物研究」に関する内容であることを念頭に
以下の手記をお読みくださいませ。

(以下、引用です)
——————————–
●●さんの そうどうの事
●●さんは 死体処理屋であるが その仕事のために 
後藤新平が 廻してくれたる人物であり
實に 人格に特ちょうがあるから 自分は避けておるが
どうも 自分に 親しみを抱いてくるるに 困る。

藤根さん つれて来られたる時は 
大正十三年になってから であったと 記憶するが
何と云っても その生活が 實に妻妾同居
それも妻妾同衾である由。
聞くに その方面が異常であるように思え
自分は心がけて 深入りはせず。
つきあわず。

よって このそうどうは 
表面をつくろえば良し と心得るが
●●さんは 行動を起こし 又 面倒事にもなりかねず
それが 警察に かぎつかれれば やっかいも起こるから
牧野さんの智恵 辺さん 王さんの智恵と 
布施さん 藤根さんに 手傳ってもらって
すべて 佐伯のせいに する事とす。
本人 もう國を出ており すべてうまくいくか と思う。
——————————–
(以上、引用です)

以上の手記の内容は、
『石原莞爾の理念と甘粕正彦の策謀の狭間【12】』
からの引用ですが、

同著落合先生解説も以下に引用します。

(以下、引用です)
——————————–
●●氏は死体処理屋で、
後藤新平がその仕事のために回してくれた人である。
中村彰彦著『町野主水』は、戊辰役に際し、
会津藩士と家族の死体処理を官軍が禁じたため、
腐敗が進行するのを見かねた会津藩三番家老町野主水が、
陸奥国の某所に依頼して片付けて貰ったことを記す。
某所とは●●衆で、実は死体処理の専門家である。

町野主水の子息町野武馬は、
奉天特務機関で貴志彌次郎の部下だったから、
周蔵とも親しかった。

だが、●●氏を連れてきたのは町野ではなく
後藤新平であった。

後藤新平は、水沢タカスの棟梁として、
タカスの●●衆に指令したのである。

周蔵は、●●主計氏がかなりの風変わりのため
交際を避けているが、●●氏はなぜか周蔵に
親しみを見せてくる。

後藤新平の命を受けて、
藤根が●●を連れきたのは大正十三年に
入ってからのことであった。

つまり周蔵は大正年末に、
死体処理人を必要とするような任務についていた
のである。

●●氏の生活は妻妾同居、
それも妻妾同衾と聞いた周蔵は、
その方面が異常と判断して、
深入りしないことを心掛け、
交際を避けたのである。

今回の騒動は、
●●夫人ないし同居の妾が妊娠したことを、
周蔵家に出入りする者が知って始まった。

さいわい●●は陸軍の仕事で一年余も不在であるから、
この騒動は表面を繕えばよい、と周蔵は思うが、
●●が帰宅してこれを知り、行動を起こせば問題になり、
それが警察に嗅ぎつかれることになると、厄介も起る。

そこで周蔵は、牧野三尹の意見を聞き、
渡辺正雄と王希天の智恵を借り、
布施と藤根にも手伝ってもらって、
結論を出した。

すべてを佐伯祐三に被ってもらうのである。
佐伯はもう出国しているから、
これですべてうまくいくか、と思う。

ちなみに、その女性は喜多方の実感に戻り、
出産した七日後に自死したが、
周蔵はその遺児の養育医として送金を続けていたという。

昭和三年生まれの遺児は、
やがて画家になったと聞くが、
姓名は判らない。
——————————–
(以上、引用です)

伏字は「姓」になりますが、
[申込特典その4]吉薗周蔵の毒物研究
にて公開しています。

著書で落合先生が伏字にした理由は、
氏姓鑑識をしないまま、
無用な差別や偏見を生まないためで
あろうと思われます。

例えば、上田氏という「姓」の家が、
全てアヤタチ上田家であるということは
ありません。

氏姓鑑識には、
「土地柄、家柄、人柄」を見極める
胆識が求められるのです。

一方、繰り返しになりますが、

「周蔵手記」に国宝級の価値を見出す
あなただからこそ、
満を持して公開するのです。

内容の真贋の見極めも含めて、
丁重にお取り扱いお願い申し上げます。

洞察帝王学講座・改 2681【第四期】
参加申込はこちらから。
https://www.st-inst.co.jp/dousatsuteiou/2681/4th.html

[申込特典その1]落合莞爾講演会@東京ご招待
につきましても、まだまだ受け付けております。

落合先生は門下の皆様にお会いすることを
いつも楽しみにしております。

それでは、また。

戦略思想研究所 中森護

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