こんにちは。
戦略思想研究所 中森です。
古代民族ツランが描いたロードマップを追うことは、
古を稽えるうえで極めて重大な擬似体験であると、
【ツラン論考1】でお伝えしたところですが、
どこをロードマップの起点とすべきかもまた重要です。
それは、ワンワールド史の本拠でもあります。
これから【ツラン論考2】として、
ワンワールド史の本拠について述べることになりますが、
巷で触れることのない情報を多分に含むことを了承願います。
早速ではありますが、
ワンワールド史の本拠とはどこか?
それは、ヒンドゥークシュ山脈。
アフガニスタンの高山地帯の大部分を占めます。
中央アジアに位置するアフガニスタンに
人の出現を見るのは約5万年前とされ、
定住は約9000年前とされます。
アフガニスタンの歴史は通説に譲るも、
ツランのロードマップを描くためには、
オリエント史と古代エジプト史をも包含する
中央アジアの変遷こそが重大です。
ヒンドゥークシュ山脈とアム(オクサス)川の間にあった
中央アジアの歴史的領域を指す古名「バクトリア」は、
現在の地図では、
イラン北東、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、
トルクメニスタン等の国土の一部にまたがる最古のオアシスから
成る領域であるとされます。
古代中央アジアのバクトリアの領域が、
現イラン核施設の所在地から加州某大学にまで深く関係するとは、
思いもよらないでしょうが、
そういった史観を受け入れることができるか否かが、
ただの世界史とワンワールド史を分ける分水嶺です。
アレクサンドロス3世の東征が、
古代中央アジアの変遷に重大な影響を及ぼしたことは、
「各地」のアレクサンドリアが証明しており、
ワンワールド史にとって重大な「アオルノス」は、
中央アジア探検家のオーレル・スタインによって、
現パキスタンのハイバル・パフトゥンハー州ターコト
のすぐ西にあるピールサルという山に比定されます。
一方、インド学者のジュゼッペ・トゥッチからは、
アオルノスを同州にあるイルム山に比定されます。
何はともあれ、
アオルノスに受け入れられたアレクサンドロス3世は、
その山頂に祭壇を築くと、
知恵と勝利の女神アテナに捧げる祭事を行ったとされます。
アレクサンドロス3世無敵の名声はインドにまで達し、
インダス川を超えパンジャブ地方に進出。
ヒュダスペス河畔の戦いを経て撤退することになります。
アレクサンドロス3世東征の経路が、
製薬会社ファイザー創設にまで深く関係することもまた
思いもよらないでしょうが、同じく分水嶺です。
殊に、ヒンドゥークシュ山脈は、
落合史観における仮称ウバイド人を歴史に登場させた
ワンワールド・キャビネットの構成員「マギ」の拠点
であり、
マギとはヒンドゥークシュ山脈の修験であるとともに、
神祇マゴイ族中の阿闍梨であるとも伺っています。
折りを見て後述することになりますが、
古来、日本皇室と山の長老マギとの関係は深く、
日本人との架け橋となるマギ系アフガン人もまた、
ワンワールド史を構成します。
第二次世界大戦後の戦後処理に関する会議といえば、
クリミア半島のヤルタ会談が有名ですが、
それに先立つ二つの会談として
カイロとテヘランが選ばれていることもまた、
古代中央アジアの変遷に因縁があると言えるでしょう。
最後になりますが、
ワンワールド・キャビネットの構成員たる山の長者「マギ」
に関する詳細な情報については風猷縄学で展開していると
だけお伝えして、今回は締めくくります。
それでは、また。
戦略思想研究所 中森護
P.S .
アフガニスタンを中心とした中央アジアは、
未来透徹史観を養うために欠かせない地域です。
ツランはその歴史を理解する上で、
極めて重要な要素となります。
ツランが歴史的転換点や文明の変遷において、
重要な役割を担っているのです。