法城を護る

こんにちは。
戦略思想研究所 中森です。

天皇誕生日。

世界文明にとって極めて重大な意味を持つ
プロジェクトに参画する必要な備えとして、

春日井邦夫著『情報と謀略 下巻』

を読み進めていました。

同書の本文中、今、この日に、
弊社の理念とご縁があるあなたとともに、
脳裏に焼き付けたい御言葉がありました。

それは、
聖徳太子会で述べられた高松宮宣仁親王の献詞。

聖徳太子会とは、
聖徳太子1330年忌に当たる1951年4月、
改めてその生涯を偲び、偉大な偉業を追慕し、
思いを新たに美しい日本再建の熱願を、
太子の廟に捧げたいという有志の会です。

そのヴィジョンは「日本祭」。

顔ぶれは次のとおり。

【名誉顧問】
高松宮宣仁親王

【顧問】
大谷光照 高橋龍太郎 細川護立
谷崎潤一郎 中山正善 田中耕太郎
佐藤尚武 渋沢敬三 横山大観
小崎道雄 幣原喜重郎 鷹司信輔
安藤正純 佐伯良謙 矢代幸雄
鈴木大拙 和田性海 高橋誠一郎
辻善之助 長谷川如是閑

【会長】
大谷光暢

【理事長】
十河信二

【理事】
村上義一 佐久間長吉郎 石田茂作
里見達雄 條周存 浅平宗成 広瀬精一
平山孝 杉道助 出口常順 丸川仁夫
藤田清 竹田淳照

【幹事】
中小路宣 神野金之助

高松宮宣仁親王献詞の全文を、
同書より転載します。

青垣山めぐる斑鳩の宮より、
こことしえに清浄こむる神さびし
「しながのみささぎ」のみまへに、

いま上宮(かむつみや)聖徳太子、
神去りましてここに一三三〇年を迎え、

諸人ともどもに
かくも盛んな式典にのぞみえましたことを
心より喜ぶ次第であります。

顧みれば、
あたかもわが国史の真中にあってさながら
日本の伝統と運命の象徴のごとく出でまし
給える太子の、大いなる御事業と痛ましき
悲願に満ちた御生涯こそ、

まさに当時の国家内外の重き憂愁の底に光る
永遠の救いの輝きとして、
ふたたびそのときと運命を等しうする。

いまの世にただ一つの生きゆくべき大乗大和の道を、
指し示されるのであります。

太子三〇年の摂政の時代は、
滔々として大陸文化の伝来・輸入せられし時期であり、

これらの錯綜対立する諸思想、諸宗教を、
いかに日本古来の基礎の上に調和・総合せらるるかに、
深き体験と研究と創造とをもってし、

かの燦然たる飛鳥文化の不滅の光栄を
表現せられた跡を思えば、

それ以後一切の日本文化の発展は、
一つとして太子の無限の創建に発せざるはなく、

またすべてはことごとく、
太子の無量の理想のうちに還流するのであります。

内にあっては、
当時すでに頽廃の兆し著しい閥族・派閥のあい争う
社会的矛盾の激しさを、
その悲痛なる体験に日々に悩まれ、

外にあっては、
朝鮮・中国・インドに及ぶアジア大陸の果てなき動乱と、
無常なる現実の救いなき状態に心を痛められ、

これをいかにして法と秩序の下に安定せむか、
恐怖と不安の尽きぬ無明の暗に、
果たして救世の光はなきものかと、

太子の測りがたき御心は、
ついに「和をもって貴しとなす」憲法一七条の
厳かなる宣明を見るに至ったのであります。

世の人々と苦楽を倶にし
迷う凡夫の運命のなかに永遠の真の生命を見出し、

ここに凡聖不二のみちとしての平等の慈しみを感得せられ、
人間の内なる仏性とまた本来の実存の真実を明らかにされて、
『三経義疏』の不滅の原理を示されたのであります。

なおまた大乗相応の地としての国土には、
そこに住む人間衆生の善悪の心の相応として、
清浄・汚辱の差異があり、

ひたすらに願いもとめる平和安静の国土は、
一人人間衆生の真と善への信仰の上にこそ
建立さるを認められ、

まずここに人間衆生の人間建立を第一とする
ことを願われたのであります。

法城を護る、
との太子の御理想は狭き意味のそれではなく、
専らこの国土さらには世界そのものを法城として
建立されそれを護持せらるる意図により、

一乗不二の信念は万法一如、
あらゆる理法はついに一に帰し人法相即という
人間と真理の法則とが相結合するとせらるる
棒大なる世界的信念を宣示せられたのであります。

この意味で太子建立の七大寺は、
決して堂塔建立という外的な荘厳を示すのみではなく、
ひとえに太子の限りなき仏国土建立の夢殿に結ぶ
大理想の象徴であります。

四天王寺は当時海外交通の要衝たる難波に、
交易・外交の迎賓のための法の門であり、
音楽と礼節と信仰とをもって異国の使節を迎へる
日本の”門”でありました。

また金堂の壁画において、
西城、太秦、ギリシャ、ローマの芸術に交響しつつ
六・七世紀の世界文化のあざやかな交流を示す、
飛鳥文化の精髄たる法隆寺こそ、
当時の世界文化の完璧な美として、
今日なおその名残をとどめ、

これらはすべて、
太子の純粋・清浄なる深い御人格の投影であり、
消ゆるなき理想の映像に他なりません。

これらは貧しき人には食を与え、
悩める者には救いをもたらす、
大悲大愛の太子の御姿を偲ばせ、

かの片岡山の御歌に見る
”親なきあはれな旅人、君なき飢し旅人”
のあわれさに涙と施しをなし給う人間愛、
社会救済の一端を偲ばせるものがあります。

いまここに、
かぎろひの立つ大和国原のみどり濃きさまを見ては、
太子が池を掘り、道を造り、畑を拓き、船をつくり、
あらゆる生活の繁栄のために、日夜御心を砕かれた、
かの忘れえざる国土建設のあとを、
まざまざと回想いたすのであります。

この平和なる国土建設の御心は、遠く海の彼方、
戦乱に悩む異国の人々を群をなして帰化し、
移住せしめ、太子の大いなる慈悲の光にその身を
捧げしめたのであります。

おもえば、
これらの歴史的回想はまことにつくるところなく、
常盤なる「しながのみささぎ」の一木一草の中にも
永遠の神韻が奏でられ、

いまこそ一三三〇年の時の距離は一瞬に失せて、
ここに太子は在し、またさらに未来永劫、
太子の御光は宇宙の真理として、
その久遠の生命を拝し得ることを信じ、

世界の平和と人類の幸福を祈りつつ、
この記念すべき式興の献詞といたします。

 

さらに、
『情報と謀略 下巻』から引用するところ、

それから四半世紀たった一九七五(昭和五〇年)九月、
仲小路彰はその著書『夢殿の幻/聖徳太子の救世悲願』
(聖徳太子伝第六巻)の「終章」でこの歴史的な祭典
で述べられた高松宮殿下の献詞を回想して

「さながら太子の御魂に奉讃のまことを捧げ給う
殿下の時と処を超えて流れゆく御言葉は
満堂ことごとく襟を正さしめ深い感動の極みであった」

と書き記したとされます。

「時と処」即ち「時と場」。

修験子と対話を重ねる身としても、
深い感動の極みです。

それでは、また。

戦略思想研究所 中森

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