こんにちは。
令和史(れいわのふひと)です。
承前、本稿から複数回にわたり、
「玄奘三蔵から日野流大谷家までの歴史」
その前後関係を分析することで、
「現在そして未来を生きる人たちに必須の要件」
即ち「未来を養う要件」を解き明かさんがため、
論考を展開します。
前回の補足兼本稿の導入として、
修験子栗原茂【其の二十五】
大谷探検隊第一次探検の特記事項
における記述、
私の妄想によると、
西郷隆盛こそ佛陀の末裔に相応しい
「マガダ」と映るのである。
に触れます。
仏教文献によれば、
釈迦族は仏陀の晩年の時期、
隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ
皆殺しにされたとされます。
しかしながら、
カピラ城趾候補のひとつであるインドのピプラーワーには、
僧房の趾も発見されており、
そこからは釈迦族が寄付した舎利容器をも発見されています。
その発見は、
佛陀が涅槃に入ってからしばらく時を経ても、
釈迦族が存在していたことを実証するものです。
ちなみに、
ピプラーワー遺跡では米の化石が大量に見つかっており、
北インドでは例外的に釈迦族は米食であったとされます。
一方、
佛陀はあまりにも偉大な歴史人であるがゆえ、
血縁者が残ったばかりに流れる血もあります。
したがって、
釈迦族滅亡の偽装は「競わず争わず」に通じます。
ひとまず歴史から消えることもまた、
血統を維持する妙策といえるのです。
そうなれば、
釈迦族滅亡の偽装を保証する役割も必要。
即ち佛陀が覚りを開いた地「マガダ国」。
歴史の裏に回った釈迦族を庇護しうるマガダ国は、
チャンドラグプタの孫アショーカまで継承します。
マウリヤ朝が滅びるまでの「時」は、
釈迦族滅亡を世界中に刷り込むのに十分。
アーリア人のクシャトリヤ王統に属するとされる釈迦族、
その実像は「気配を断つことができる」民族であるとすれば、
インド最大の「鉄鉱石」の産地であり、
水運と森林資源によって大いに発展したマガダ国とは、
親和性の高さを伺うことができます。
しかしながら、
滅亡を偽装して5百年、千年、2千年、、、
佛陀の末裔、釈迦族の末裔として、
本人も確証を得られないまま俗世を生き抜いた人物は、
いかほどいたのでしょうか、、、
その事例を、
『真贋大江山系霊媒衆』より引用します。
中丸薫と同じく、
本人も確証を得られないまま辰吉郎の子の如く
育まれるエピソードは数多あり、筆者の知合いの中では浮谷東次郎と話したことが
偲ばれる。浮谷東次郎は昭和四〇年に、
鈴鹿サーキット建造中にレーシング・ドライバーとして
練習していた最中に事故死している。浮谷家は千葉県市川市で約三〇〇年を継ぐ旧家で、
ここに嫁ぐのが辰吉郎の娘という和栄であり、
東次郎の生母にあたる。若いころ自分探しの旅をしていた筆者は、
東次郎に限定されず特に旧家の知友と話し合う場を
多く有していたが、東次郎からは逆に、
堀川辰吉郎とは何者かを聞かれて調べたことがある。東次郎は筆者の一年下であったが、
その死後も伝説が朽ち果てない。
本人も確証を得られないまま俗世を生きる貴人の子と
直接親睦を深めているにも関わらず、
西郷南州とマガダの一件に関しては、
「妄想」とする修験子のふるまいは、
私にとって「未来を養う」型のひとつです。
ここで、「未来を養う」型について、
先日の体験を共有したいと思います。
私の最も身近な存在である少年が、
ピアノコンクール前の公開練習で、
未就学児の未来を養ったのです。
「あのお兄ちゃんの弾いてる曲名を教えて」
「あのお兄ちゃんのように弾けるようになりたい」
コンクール本番では表彰台に届かなかったものの、
トロフィーは朽ちても、魂に灯った光は消えない。
どんなに些細な事象であろうが、
小学生にして未就学児の未来に光を与え、
兄弟子としての背中を見せていかんとする姿は、
「未来を養い、教える」型そのもの。
どんな地位や名誉よりもはるかに尊い「家督の本質」。
未来に継承しうるか、徒花でよしとするかは雲泥の差。
西郷南州とマガダの一件、
修験子が「妄想」としてくれたからこそ、
【ツラン論考】シリーズの未来が開けたのです。
ただし、
西郷隆盛こそ佛陀の末裔であることを実証できるとは、
全く思っていません。
釈迦族滅亡の偽装は「競わず争わず」に通じるからです。
ただひたすらに「不飽和を維持する研究姿勢」が肝要。
平たく言えば「常に幾分かの飢餓状態」を維持します。
それもまた「未来を養う」型であると自負しています。
地位や名誉を欲しがることと同様、
人間誰しも「答え」を欲しがるものですが、
誰でも欲しがっているものに群がるなんて、
そんな人生まっぴらごめんです。
未来を養えなくなれば、即ち行き詰まったら、
債務のすべてを帳消しにする戦争を口実として
「ご破産に願いまする」と嘯く人間社会。
「寸止め」が「未来を養う要件」と思えて仕方ありません。
地球の「時と場」が寸分違わないからこそ、
大自然即ち「公」は地球生命の未来を養い、
教えることができるからです。
さらには、
天体の運行は寸分違わないように見えるだけで、
「無数の寸止めの繰り返し」によって「渦」を
なしているものと想像します。
なにはともあれ、「公」を奉ればこそ、
「競わず争わず=負けるが勝ち」であり、
「勝てるが兵を引く=「間(ま)を会得する」
まで導くことができそうです。
圧倒的に格上だからこそ意味を成す兵法。
限度を知り得ない格下は寸止めの余裕なし。
武道経験者の誰しもが実感するところです。
そうなれば、
ヒンドゥークシュの山の長老マギは、
アレクサンドロス大王に「奉公」を
諭したのだと首肯できます。
さて、
補足兼導入が長くなってしまいました、、、
本題に入ります。
「玄奘三蔵から日野流大谷家までの歴史」の分析。
今回は「ナーランダ大学」に焦点を当てます。
西郷南州と共に入水したとされる月照は法相宗の僧。
そのことも頭の片隅に置きつつ、分析を開始します。
本文は【note有料記事】。
https://note.com/st_inst
それでは、また。
令和史(れいわのふひと)
P.S.
古代日本の歴史は夢の如く忘れられて数千年、、、
最終氷期を日本列島で生き延びた修験と皇祖皇宗の邂逅の記録。
「公(オホヤケ)」の理想をあなたへ。
https://www.st-inst.co.jp/fuuyuujougaku/
風猷縄学<伝授編>では、
前60回を通して「公(オホヤケ)」の理想をお届けしています。