世界的にいえば歴史学は没落一途

こんにちは。
戦略思想研究所 中森です。

風猷縄学稽古編【第三期】再募集期限は、
【明日締切】です。

弊社は風猷縄学を通して、
「場と時」を骨格とする年表を作成することを、
事業の軸としておりますが、

これもまた抽象的でわかりづらいと思いますし、
実際にそういったご意見もあります。

私が抽象化したことをわかりやすくお伝えするためには、
私が接して来た具体論を引用することがセオリーですので、
またまた引用から入らせて頂きます。

城西国際大学出版会が発行する
『小松左京全集完全版 30 地球を考える』より、

会田雄次氏と小松左京氏の対談記事からの
引用になります。

対談時期は1970〜1971年の頃です。

以下、引用です。
——————————–
小松:
「地球を考える」というシリーズの中で
何回も問題になってきたのは、
「歴史」というものなんです。

(中略)

そこで、
人間の側の歴史を考える考え方なんですけれども、
いま、世界の「歴史学」というものは、
われわれの知っているランケなどの段階から
どのくらい変わってきて、
どういう状況になっているんですか。

会田:
世界的にいえば歴史学は没落一途ですよ。
あなたのおっしゃるような新しい時代の要請に
応えるいいものが出て来ないんです。

歴史には歴史のナレーションと、
分析を主体とする歴史研究という二種類がある。

両方とも含めて過去のことを叙述研究するのが
歴史だというふうに乱暴に定義しておきましょう。

L・V・ランケのころまでは体系があったのですね。
おそらくは十九世紀はそうでしょう。

だがその末から二十世紀前半に
ドイツの歴史主義が出てきた。

すべて、
永遠の相下にではなく相対的価値しか認めない
という主張です。

すくなくとも歴史学の体系性は
このへんでぶちこわれたわけです。

それとともに二十世紀の前半の歴史学が、
たいへん特徴を持って来たのはいわゆる
実証主義ですね。

マルキシズムの唯物弁証法によって
歴史の法則性などと、
やかましく言っているのは日本の学界だけで、
向こうでは法則性がないと観念してしまっています。

二十世紀前半の歴史学はそれ以前の体系に
古典学説という名をつけて、
一代前の歴史の法則、体系、権威のぶちこわし
ばっかりやっていたんです。

それはやってもいいことだったんだけども、
結果としては歴史家が微細な対象を実証研究
するだけという、いわば顕微鏡屋の群れに
分散してしまったわけですよ。

それ以降たて直しがきいていない。

こわしたのはいいんですが、
ヘーゲルはいけない、マルクスはいけない、
カントはいけない、ランケはいけないと、
こわす作業をやっているうちに、
穴掘り人足に歴史家全員がなってしまった。

「歴史」とは何か。
「人間」とは何かなど考える歴史家は
なくなってしまった。

そうなるとまあほとんど面白い人は出てこないですね。

ときどきホイジンガとか、
変わった人々が出て来ますが。
——————————–
以上、引用です。

まずはじめに、
「世界的にいえば歴史学は没落一途」とする
会田氏の発言は衝撃です。

しかしながら、
その後の話を聞けば納得せざるを得ません。

「歴史家が微細な対象を実証研究するだけという、
いわば顕微鏡屋の群れに分散してしまった」

という会田氏の見解は、
正鵠を射ているように思います。

落合先生のワンワールド文明史論が
ひときわ輝いていたのは、
顕微鏡屋の群れの外にあったからでしょう。

何はともあれ、

ほとんどの歴史家は、
研究対象を選択し、裁断し、切り取ることで
ようやく歴史を叙述しているのであり、

さらには、
歴史は常に「何かのための歴史」となること、

すなわち如何に公正に歴史を叙述しようとしても、
歴史家に主観ある限り偏向性をもってしまうことは、
避けられないように思います。

歴史に客観性を持たせるために、
とりあえず歴史事象を唯物弁証法に還元して
研究する時代もあったようですが、

紆余曲折を経て、
穴掘り人足に歴史家全員がなってしまった
ことにより、

「歴史」とは何か。
「人間」とは何かなど考える歴史家は
なくなってしまったということになります。

一方、

風猷縄学稽古編開講の目的は、
有職故実と家督の継承にあり、
それはまた、
歴史観の持ちようを問われる事

ですから、

「歴史」とは何か。
「人間」とは何かなど考えるためにも、

没落一途にある歴史学を傍観するわけにはいけません。

とりわけ、
顕微鏡屋の群れに分散してしまった歴史家の仕事を
歴史総体として整理する過程は必要だと思うのです。

そのために、弊社は風猷縄学を通して、
「場と時」を骨格とする年表を作成することを、
事業の軸としています。

事業を進める作業の流れは、
現段階の実施要領としてこちらに記載したとおりです。
https://st-inst.co.jp/blog/custom/fuuyuujougakukeiko3rd/

上記ページでお伝えしている
「ブリコラージュ」による仕事とは、

例えるならば、
今まさに冷蔵庫にある食材だけで最高の料理をつくる
ようなものです。

そのためには、
食材同士の関係性を見出す特殊技能が必要です。

その特殊技能とは、
食材同士の「間」を見極めることでもあります。

私は今のところ、
「間」の意味するところを
「境界」と認識しています。

どんな事物の「間」にも必ず境界があり、
それは極めて知覚しづらいものです。

パッと現れてパッと消える、、、
見えそうで見えない、、、。

武道の稽古を通して認識することが多いのですが、

自己と相手との境界、
自己と環境条件との境界、
自己と天との境界、
自己と地との境界、、、

といったところでしょうか。

武道の達人はどんなに高齢になっても、
「間」を正確に認識しているがゆえに、
若年の猛者をいとも簡単にいなします。

熟練技能者によるものづくりも同じでしょう。

材料の「間」を熟知すればこそ、
何をどうすれば最高のものができあがるのか
わかってしまうのだと思います。

そういった達人や熟練は、
己の身を見えないエネルギーを仲介する「媒質」と化して、
相手や材料の媒質境界面に作用を及ぼしているのでしょうか。

それとも、
人間を含めたすべての事物の本質は「媒質」であると
悟っているのか。

それくらい何をやっているのか分からない境地です。

されど、その境地に達することこそが、
風猷縄学稽古の目指すところです。

そういうことですから、
「ブリコラージュ」による仕事とは、

風猷縄学の稽古を通して、
歴史事象の「間」を見極める修練に励みつつ、

落合先生の史観、修験子栗原茂の伝授、
顕微鏡屋の仕事の「間」を正しく認識
することで、

「場と時」を骨格とする年表を作成し、
歴史事象の肉付けを行っていこうという
ことになります。

そして、
歴史事象の「間」を見極める修練として、
格好の特別講義が、
4月13日(土)東京にて開催されます。

講義テーマは、
「言霊学の現実的利用法とロゴストロン概説」

講師は、
neten株式会社 顧問
一般社団法人 白川学館 理事
石原政樹氏です。

石原氏からは、
言霊の「霊」とは透明で見えない触媒であり、
むすびを起こす瞬間を実感するために言霊学
があるとお伺いしています。

また、伯家神道を修行した方からは、
石原氏から直接話を聞くことができるのは、
極めて貴重なことであるとも伺っています。

すなわち石原氏もその道の熟練者です。

4月13日(土)の特別講義には、
風猷縄学稽古編【第三期】参加者限定で無料招待中。

風猷縄学稽古編【第三期】再募集期限は、
【明日締切】です。
https://st-inst.co.jp/pay/p/3rxyikdd

それでは、また。

戦略思想研究所 中森護

P.S.1

風猷縄学稽古編【第三期】の概要はこちら。
https://st-inst.co.jp/blog/custom/fuuyuujougakukeiko3rd/

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