こんにちは。
令和史(れいわのふひと)です。
先週、年末のご挨拶を済ませたばかりですが、
【ツラン論考】シリーズは年末年始関係なく、
マイペースにてコツコツと進めます。
前回まで、
「玄奘三蔵から日野流大谷家までの歴史」
を修験子への取材を元に分析してきました。
今回はその番外編です。
先日、
「何ゆえ十三宗五十六派を要する事情が派生したのか」
について修験子に取材した内容を記事にしました。
十三宗五十六派とは、
宗教団体法が施行される1940年4月1日より
前の時点における、日本の仏教の伝統的有力宗派
のこととされます。
宗教団体法とは、
大日本帝国憲法制定以来初めて、
宗教団体に大鉈を振るうことになった
出来事でもあるとも看做されています。
1940年とは皇紀2600年、
「紀元二千六百年式典」が大々的に行われた
年でもあります。
紀元二千六百年式典行事に関する基本的情報は、
他に譲るとして、昭和天皇の勅語を拝読します。
「紀元二千六百年式典ニ方リ賜ハリタル勅語」
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茲ニ紀元二千六百年ニ膺リ百僚衆庶相會シ
之レカ慶ノ典ヲ擧ケ以テ肇國ノ精神ヲ
昂揚セントスルハ朕深ク焉レヲ嘉尙ス
今ヤ世局ノ激變ハ實ニ國運隆替ノ由リテ
以テ判カルル所ナリ
爾臣民其レ克ク嚮ニ降タシ、
宣諭ノ趣旨ヲ體シ
我カ惟神ノ大道ヲ中外ニ顯揚シ
以テ人類ノ福祉ト萬邦ノ協和トニ
寄與スルアランコトヲ期セヨ
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「何故、十三宗五十六派を要する事情が派生したのか」
という問いは、
「何故、皇紀2600年に宗教団体法を施工したのか」
という問いに言い換えることもでき、
畢竟、それは皇紀暦を身に帯びることです。
皇紀暦を織りなす「時と場」は、
天体の運行に倣う周期性を保つであろうと
私は自負しています。
皇紀暦、天体の運行、周期性。
その最大公約数は「渦」であると看做せば、
「渦」は弊社理念実現の「鍵」を握ります。
その「鍵」は、
必ずや歴史を『古事記』と接合する一縷の光。
歴史事象を「渦」に沿って「織り縄せば」こそ、
後葉の史観養成の一助たらんと信ずるものです。
導入はここまでとし、本題に入ります。
本文は【note有料記事】。
https://note.com/st_inst
それでは、また。
令和史(れいわのふひと)