国際政治最大の注目の的【ツラン論考19】

こんにちは。
令和史(れいわのふひと)です。

本日、風猷縄学〈伝授編〉第十編を配信。

風猷縄学〈伝授編〉は、
第60回『皇紀暦、マヤ暦、グレゴリオ暦』をもって、
ひと区切りとします。

「60」は「時」の基本単位ですから、
風猷縄学〈伝授編〉を締めくくるには、
これ以上ない数字であろうと思います。

そこで、今回のテーマは「時」とします。

具体的には、【ツラン論考6】で予告したとおり、
現行グレゴリオ暦への改暦の経緯に隠されている
「ワンワールド最大の掩蔽工作」に関する考察を
展開します。

「時」は「周期性」そのものであり、
万物、宇宙、生物に与えられた変えられない法則
のひとつとされますが、

ご認識のとおり、
私たちの暮らしに密接に関連している「時」は、
事あるごとにいじられています。

四年に一回の調整即ち「閏」がまさにそれです。

「時」の根拠は未知の領域であるため、
やむを得ないことではありますが、
私たちが利用している「時」は、
「虚」に過ぎないことを認識すべきです。

「実」の「時」はいじれないのですから。

さて、前置きはこれくらいにして、
本題の考察に入ります。

通常、物事の経緯を追う場合は、
「時を下る」ことになりますが、

今回は「時を遡る」ことをご容赦ください。

遡る基準は、昭和天皇の御代。

協定世界時1970年1月1日午前0時0分0秒。
多数のシステムで採用されているUNIX時間です。

1970年9月28日、
クリアストリームの前身即ち有価証券配送センターが
ルクセンブルクで11か国66金融機関によって設立。
株主ごとに株式の保有は5%未満に制限されます。

上記事象に関して、

特記は手形交換制度の運営をファックスマネーで行うのであるが、
IBMからコンピューターをパートタイムで借り決済処理する事
に全てが集約される。

つまり、マネーロンダリングの再編が行われたのである。

とは修験子から教えられるところ。

UNIX時間を管理することはノイズを傍聴することであり、
それは後出しジャンケンし放題であることを意味します。

また、

1971年、ニクソンショック。
1972年、クリアストリーム加入銀行371行到達。
1973年、日米欧三極委員会発足。

これらはすべてUNIX時間スタートに連動しています。

現行の協定世界時は、現在のグレゴリオ暦に基づき、
経度0度のグリニッジ子午線上の時刻を表すことから、
「時」を明治天皇の御代、1884年まで遡ります。

1884年10月、
国際的に使用するための本初子午線を決定するため、
ワシントンD.C.で国際子午線会議が開催されます。

その議題は、
「万国共通の経度零度並びに時刻計算の基準として
用いられるべき子午線」の選定であったとされます。

会議の結果、
グリニッジ子午線が国際的な経度0度の基準に選出。

日付変更線が現在ある辺りに収まることとなったのも、
国際子午線会議の成果であるとされます。

日付変更線とは、
日付の更新の矛盾を防ぐために地球の海上に設けられた、
ほぼ180度経線の地点を結ぶ理論上の線とされます。

1872年11月に改暦した日本政府はというと、
国際子午線会議に参加、案に賛成したとされます。

ここで、日付変更線の存在確認の経緯に触れるため、
「時」は後柏原天皇の御代、1522年まで遡ります。

舞台はスペイン。
1522年9月6日、マゼラン艦隊が帰国します。

3年前の1519年9月20日、
5隻の壮麗なる艦隊は350人の勇士とともに出港。
帰ってきた船は中破のヴィクトリア号一隻。
そして、僅か18人の焦燥せる半病人の人々。
そこにマゼランの姿はありません。

ヴィクトリア号を率いていたエルカーノは、
ピガフェッタをして精密な航海日誌を記し、
それによれば帰国日は9月5日。

この1日の誤差の正体を解明するため、
皇帝は天文学者コンタクニーに命じて、
コンタクニーはその理由を発見。

東より西に向って航海すれば、
即ち太陽を追って進むなれば、
1日の損失をなすもので、

西より東に向えば、
1日の得をなすことを明らかにしたとされます。

マゼラン艦隊世界一周成功は、
コペルニクス、ガリレオの理論を実証するのみならず、
日付変更線の必要性をも発見したのです。

「時」を征する事は文明そのものを征した事にも通じており、
本初子午線と日付変更線を「どこに引くか」を決めることは、
当然、「国際政治最大の注目の的」になります。

ところで、
フィリピンのマクタン島でラプラプ王に討ち取られた
マゼランは当時41歳。

約1500人のラプラプ軍に対して、マゼラン軍は49人。
マゼランの遺体をスペインに返還しないとした深謀遠慮は、
ラプラプ王のものか、それともマゼランのものか。

いずせれにせよ、
マゼラン艦隊が国際政治最大の注目の的を世界に喧伝し、
1884年の国際子午線会議を待つことおよそ350年。

七つの海の「時と場」の支配者が、
旧教系スペイン・ポルトガルから、
新教系イギリス・オランダへと移る時代。

国際政治が「時」を争えば、
必ずや「手打ち人」が必要。

スペイン・ハプスブルク朝が、
東経117度から126度のフィリピン、
西経74度から85度のキューバを植民地としたことには、
「手打ち人」の信用を担保する意図を感じざるを得ません。

ちなみにエルカーノはバスク人。

マゼラン艦隊に乗り込んだ船員の大半は、
歴史的に航海術に長けるバスク人だったとされます。

さらに、史上2番目の世界周航者ウルダネータ、
初代フィリピン総督レガスピもまたバスク人。

バスク人のディアスポラは、
フィリピンのみならず南北アメリカ、カリブ海に展開。
キューバ革命の英雄ゲバラもまたバスク系とされます。

加えて、バスク地方は良質な鉄鉱石の産地であることや
欧州の中で言語学的な特殊性を指摘されていることから、
【ツラン論考】として氏姓鑑識するに最適な対象です。

ここで舞台を日本に移し、「時を下り」ます。

後奈良天皇の御代、1541年。

ポルトガル商人が航海中に嵐に合い日本に漂着。
鹿児島の地に入ったとされます。

その2年後、1543年、

新たなポルトガル人が鹿児島に入り、
アンジロウに会ったとされます。

アンジロウはインドでキリスト教徒となり、
名はリャウ西とされています。

同年、ポルトガル人、種子島に漂着。
鉄砲を伝来したとされます。

そのポルトガル人は海賊で、支那海賊の群に入り、
マカオ付近のランバコウ島を出帆するも、
他の海賊の強襲や暴風に遭い、漂流すること23日。
漸く種子島に着いたとされます。

その船長は汪直。
浙関大姓即ち浙江財閥に当たる一族です。

汪直は倭寇即ち八幡船隊の頭目となり、
ポルトガル人を導いて日本に来たということになります。

なぜスペインではなくポルトガルを導いたのか。
ポルトガル出身マゼランの氏姓鑑識は必須です。

正親町天皇の御代、1570年。
長崎が開港され、ポルトガル船はここに来航。

1580年、
大村純忠は長崎ならびに茂木をキリスト教会に寄進。
日本布教の基地となります。

九州にはキリスト教の浸透著しく、
1582年には大友宗麟、有馬晴信、大村純忠の3大名は、
ローマ法王の許に使節を送ったとされます。

出国して2ヶ月半、一行はリスボンに入ります。
そして、スペイン王フェリペ2世に謁見。
次にローマ法王グレゴリオ13世に謁見。

グレゴリオ13世がユリウス暦改良を命じ、
現行グレゴリオ暦が行用されはじめた日は、
1582年10月15日金曜日とされます。

日本の一行は欧州諸国にて国賓として歓待厚遇され、
日本の代表として十分その使命を果たしたとされます。

日本帰国の航海中、1588年8月。
一行がマカオに滞在している頃、
スペイン無敵艦隊が大敗北を喫し、
世界最大の帝国が崩壊し始めます。

ちょうどその頃の日本、
豊臣秀吉が島津氏を降して九州を平定した1587年。

秀吉はキリスト教禁止令を下し、
キリシタンの退去を命じますが、
ポルトガル人の貿易に関しては、
何ら制限をしなかったとされます。

後陽成天皇の御代、1592年。

秀吉は朝鮮征伐と並行して、
初めて朱印状を京都、堺、長崎の商人に与え、
海外貿易の特許をなしたとされます。

朱印船は、
3本檣、船底は扁平、二重底として、
水線下を低くして転覆を防ぎ、
船尾にはスクリュー、プロペラを
つけていた船もあったとされます。

これは車輪船といわれ、
毛利家の御船手方であった周防大島郡村上氏の
祖先が発明したものであったとされます。

朱印船英雄譚については、
呂宋助左衛門、荒木宗太郎、角蔵了一家、天竺徳兵衛、
角屋七郎兵衛、末次平蔵、濱田弥兵衛等の個人情報を
独自に調査して頂ければと思います。

鄭成功の父鄭芝龍もまた朱印船英雄譚に加えることで、
一層、日本の海外発展の連続性を知ることになります。

脱線しそうなので、本題に戻ります。

1609年にマカオより長崎に入港したポルトガル船が
キリシタン大名有馬晴信によって焼き討ちされています。

この事件により、
日本とポルトガルの貿易交渉は中絶。
島原の乱によって関係は断絶します。

これらの事象は、対日貿易交渉において、
イギリスとオランダがポルトガルを排斥した
という解釈もできます。

オランダとイギリスは同盟を結び、
バタビアと平戸を根拠地として、
スペインとポルトガルの艦隊及び植民地を
奪取せんとしていたからです。

後水尾天皇の御代、1613年。

伊達政宗が支倉常長をして太平洋および大西洋を横断。
ヌエバ・エスパーニャはアカプルコ経由ローマに入ります。

徳川家康のもとで吏僚として活躍し、
金山の開発を担った大久保長安が没したとされる年です。

ネーデルラントの北部7州は八十年戦争を経て、
1648年のヴェストファーレン条約によって
スペイン・ハプスブルク家の支配から独立しますが、
傭兵報酬として黄金の移動があったと推察できます。

大坂城真田丸に蔵されていた太閤黄金の行方は、
落合史観が洞察するところです。

このあたりで、
日本を舞台とした「時と場」の流れを整理します。

八幡船隊の汪直がポルトガル人を日本に導き、
3人のキリシタン大名がローマ法王に使節を送り、
スペインの無敵艦隊が大敗北を喫し、
日本とポルトガルが貿易交渉を断絶した後、
ネーデルラント連邦共和国が成立する流れ、

そして、島原の乱籠城戦に苦戦する幕府軍が、
オランダ戦艦の砲撃支援によって陥落に成功、
オランダの日本貿易独占を果たす流れはすべて、

七つの海の「時と場」の支配者が、
旧教系スペイン・ポルトガルから、
新教系イギリス・オランダへと移る
時代に連動しています。

後奈良天皇から後光明天皇の御代のことです。

その流れを見透かしていたと思われる
キリシタン大名、豊前国中津藩にあり。

黒田孝高です。

あくまで私見ではありますが、

国際政治最大の注目の的に関する情報を集めるために
キリシタン大名となり、国際情勢を分析した結果として、
いずれは日本もグレゴリオ暦を受け入れざるを得ない時が
来ることを黒田孝高は見透かしていたと思うのです。

その一方、

風猷縄学稽古仲間の皆様には周知のことで、
黒田孝高と福沢諭吉のラインがあることは、
修験子から教わるところ。

豊前国中津藩出身の福沢諭吉がベストセラー『改暦弁』を著し、
改暦への混乱を収めるのに貢献したことは、一般に知られます。

最年少22歳で適塾塾頭となった福沢諭吉は、
後任に長与専斎を指名します。

長与専斎は肥前国大村藩出身。
大村純忠はキリスト教会に布教基地を寄進しています。

明治日本の中核をなす人材を排出する適塾は、
暗殺説も仄めかされる緒方洪庵の急死の頃から、
改暦体制と準備に移行していたと思われます。

西洋の科学技術や思想を幅広く学んだ門下生であれば、
グレゴリオ暦の受け入れは造作のないことでしょう。

ただし、
西洋化していない多くの日本人にとっては、
改暦は、時即ち周期性の歪みでしかなく、

長与専斎の孫として誕生したゾルゲが負う宿命は、
改暦による歪みが齎したものと思います。

以後、日本政府は1872年11月に改暦。
1884年の国際子午線会議では案に賛成。

現行国際社会は、
協定世界時1970年1月1日午前0時0分0秒を
基準として時を刻んでいます。

以上、
現行グレゴリオ暦への改暦の経緯を追ってきました。

ここから、
「ワンワールド最大の掩蔽工作」に関する考察を展開
することになるのですが、経緯を追うだけに留めます。

「実」の「時」即ち「周期性」そのものに対する
理解不足を否めないからです。

「周期性」とは「天体の運行」とも言い換えられます。
要は、天文学の基礎学習をより一層必要とするのです。

ややもすると、

2023年10月13日
スペースX社のロケット「ファルコンヘビー」
によって打ち上げたNASAの探査機サイキが、
謎めいた金属の小惑星プシケにたどり着く
2029年まで待つことになりそうです。

天体の運行と天体の磁場に密接な関係を
プシケが解明する可能性があるからです。

もちろん2029年まで放置することはないですが、
風猷縄学稽古を通して、「時」の可視化に挑みます。

2038年問題に備える必要があるからです。

それでは、また。

令和史(れいわのふひと)

P.S.1

本日配信した最新コンテンツ
風猷縄学〈伝授編〉第十編。

その構成は次のとおり。

第56回『白蓮寺開山』
第57回『先史時代の役割分担』
第58回『聖護院とカタカムナ』
第59回『アンデスとマヤ』
第60回『皇紀暦、マヤ暦、グレゴリオ暦』

第59回までは令和4年7月11日、
第60回は令和4年9月9日の収録です。

ぜひこちらからご視聴くださいませ。
https://www.st-inst.co.jp/fuuyuujougaku/part_10.html

第58回『聖護院とカタカムナ』は、
カタカムナを研究する方には衝撃的内容を含みますので、
ご注意ください。

P.S.2

【ツラン論考】シリーズは、
弊社noteアカウントにも転載しています。

パブリックドメインの画像を挿入することで、
専門的な内容もイメージしやすくなっている他、

伝授音声の一部を【無料公開】しています。

予告なく公開中止となる場合がございますため、
お早めにご視聴ください。

伝授音声【無料公開】中の弊社note記事はこちらから。
https://note.com/st_inst

最後になりますが、
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