国難の本質【ツラン論考7】

こんにちは。
令和史(れいわのふひと)です。

【ツラン論考6】では、

明治維新後のグレゴリオ暦導入こそが「国難」であり、
日本の「時と場」がグレゴリオ暦で覆われようとも、
「皇紀暦をしかと心に纏う」ことこそが、

日本人誰しもに潜在しているであろう大和魂を
発揮する備えの礎になるとの自負をお届けしました。

ここで、誤解のないよう念を押しますが、

「皇紀暦をしかと心に纏う」とは、
心の中で西暦を皇紀暦に変換する
ということではありません。

神武天皇即位以来、
日本国がいかに建国されてきたか、
あなたの祖先がいかに生きてきたか、

日本の「時と場」のダイナミズムを、
洋々と流れる大河の如きイメージを
常に心の中に持ち続けることです。

戦後、初期天皇の実在性について、
様々な学説が浮き沈みを繰り返していますが、

国家元首の実在は文字文明が支配する地域に
限定されると言わんばかりです。

歴史研究において史料批判が重要であることは
認めざるを得ないところではありますが、
歴史事象を客観的に捉えるには限界があります。

私たち一人ひとりの氏姓鑑識をもってしても、
知りうる祖先には限界があることは自明です。

家伝や家系図が遺っている家を除いては、
遡って5代前が関の山。

だからといって6代前以前の祖先が
「いない」ことにはなりません。

いつから日本列島に住み着いたか判明せずとも、
原始時代までをも遡る祖先が実在するからこそ、
あなたも私も実在するのです。

さらには、
冥王代即ち40億年前には生命の痕跡が確認され、
あらゆる生物の共通祖先LUCAの存在が知られます。

したがって、
日本人としては紀元前660年以降の「時と場」の変遷、
生命としては40億年前の「時と場」の変遷のイメージを
心の中に持ち続けることで、

日本人として、そして、
生命としての潜在力を維持、
発揮できるものと自負します。

潜在力とは言葉のとおり、
目に見える形では現れません。

しかし、実在します。

必ず「在る」けれども他に表現のしようがない概念。
それが「潜在力」です。

コペルニクスが登場するまでの間、
アリスタルコスらの地動説を約2000年繋いだように、
必ず存在したけれども名前が残されなかった多くの人々。

彼らもまた「潜在力」です。

ダークマターの概念も似たところがあります。

ダークマターは正体不明とされ、
実在性は証明されていませんが、

共振電磁波の概念を適用すれば、
電磁圏の電磁波が共振即ち中和することで、
共振電磁波という中性エネルギーに変換し、
それが電磁圏を満たしているとして説明可能です。

共振電磁波は中性であることから、
必ず「在る」けれども「見えない」のです。

原子が電子を失うと陽イオン化するとされますが、
失った電子の分だけ電子の雲も消えて体積も縮小する
かと思えばそうならないのはなぜか。

必ず「在る」けれども「見えない」共振電磁波が、
原子の体積を満たしているのです。

やや脱線気味ですので話を戻します。

日本人として、そして生命としての「時と場」は、
遡ればどこかで見えなくなってしまうけれども、
始祖から今のいままで実在します。

実在性を検証することよりも、その自覚が大事です。

ここにきて漸く
「国難の本質」をお伝えすることができます。

説明を簡潔にするため、
「真円」と「楕円」の関係を例に用います。

円周率が無理数であることが、
「真円」の実在を否定します。

そうなれば「真球」も実在しません。

したがって、原子の表面は楕円であり、
3次元では楕円体となることから、
現実世界は全て楕円で構成されることになります。

地球もまた、
自転による遠心力の影響で赤道方向に膨らんだ
回転楕円体の形状をしています。

楕円の特徴は焦点と呼ばれる2つの固定点を持つこと。

2つの焦点が一致すると楕円は真円となり、
現実世界に存在できなくなります。

これは私見ですが、
陰陽思想や善悪二元論といった概念は、
焦点を思想的または宗教的に表現した
に過ぎないのでしょう。

つまり、2つの固定点が実在することが重要であって、
人間の思想的または宗教的な味付けによって対立概念
に変化したと見るのです。

「競わず、争わず」の立場からもそう考えます。

さて、真円と楕円の関係を例に、
「実在しない時」を説明します。

現行の協定世界時は現在のグレゴリオ暦に基づき、
緯度0度のグリニッジ子午線上の時刻を表します。

大多数のシステムで採用されているUNIX時間は、
協定世界時(UTC)での1970年1月1日
午前0時0分0秒(UNIXエポック)から
形式的な経過秒数として表されます。

地球の自転に伴う「天文時」と、
原子時計に基づく正確な時間「原子時」のずれを
解消するため「閏秒」を挿入してきましたが、
2035年までに閏秒は廃止されることに。

デジタル社会の発展を優先するため、
グレゴリオ暦に基づく協定世界時を
閏秒で誤魔化すことさえも手を引き、
「天文時」から切り離されることを、
人類自ら選択したのです。

「天文時」から切り離された時間は、
まさしく「実在しない時」。

デジタル社会の発展が、
「実在しない空間」を跳梁跋扈する
AIアバターを生み出したことも必然。

人類の生活や経済活動が、
精密なデジタル社会へと変貌する背景には、

どの方向から測定しても直径が同じ円、
即ち真円への憧れがあるように思います。

決して到達することはできずとも、
限りなく理想に近づきたいとする人間の欲望です。

もちろん、
際限のない経済的欲望も背景にあるでしょう。

いずれにせよ、
「実在する時と場」では真円を描くことはできませんが、
「実在しない時と場」ではAIアバターが描くことができる。

世界中の多くの人々が、
なんとなしに「実在しない時と場」に
片足突っ込んでいる現状を鑑みるに、

日本の明治維新後のグレゴリオ暦導入は、
ここまで規定路線であると思えるのです。

神武天皇即位以来、
日本国がいかに建国されてきたか、
あなたの祖先がいかに生きてきたか、

日本の「時と場」のダイナミズムを、
洋々と流れる大河の如きイメージを、

その実在をものの見事に打ち砕く
「ワンワールド最大の掩蔽工作」。

これを「国難」と言わずになんとする。

だからこそ、私は、
ツラン論考シリーズを執筆しているのです。

ツラン論考シリーズ執筆の目的は、
「皇紀暦をしかと心に纏う」こと。

とりわけ、
皇紀暦制定前後の「時と場」の変遷、
即ちロードマップを描くことを目指します。

皇紀暦制定「前」のロードマップの2つの焦点は、

統治権の礎たる「ツラン」
統帥権の礎たる「スキタイ」

ツラン論考シリーズでは、
政府樹立の要件たる2本柱として、
統治権と統帥権を掲げます。

それでは、また。

令和史(れいわのふひと)

P.S .

実情に合わせて、
ツラン・スキタイ論考シリーズとすべきという
意見もあるかと思いますが、

スキタイその実像は、
「気配を断つことができる」民族。

語呂も適切であることから、
ツラン論考シリーズとして続けます。

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